近代ビデオゲームの原点『スペースインベーダー』を生んだゲーム業界の父!西角友宏氏インタビュー 後編

  • 記事タイトル
    近代ビデオゲームの原点『スペースインベーダー』を生んだゲーム業界の父!西角友宏氏インタビュー 後編
  • 公開日
    2019年05月10日
  • 記事番号
    1026
  • ライター
    こうべみせ

当時のコピーゲームのプレイ動画を見て完成度に感心する一幕も

▲性能を隅々まで知っているだけに、スペースインベーダー基板を利用したゲームを見ると、そのプログラムレベルがハッキリ分かるという

大堀 『スペースインベーダー』が社会現象にまでなって、タイトーさんのものではないゲーム…はっきり言ってしまうとインベーダー風ゲームも世の中に溢れました。それらはタイトーさんが(自社ゲームに)基板を流用していたように、第三者が勝手にスペースインベーダー基板を改造して作っていたわけです。40年近く年月が経っているということもありますので、その是非は置いておいて、西角さんがご覧になって「これは頑張って作ったな」と思うゲームはありましたか?

西角 うーん。どれも頑張っていましたね。大半はマザーボードのような使い方をしたインベーダー基板だろうけど、なかにはオリジナルの基板もあったんじゃない?

スペースインベーダー風で私がいいなと思ったのは『ギャラクシーウォーズ』(1979年/ユニバーサル)かな。あれはかなりユニークだなと想いました

大堀 実際、『ギャラクシーウォーズ』はヒットしましたね。

西角 あれはゲーム性とかいろいろ考えて作ったなと、当時思いました。印象に残っているのは 『ギャラクシーウォーズ』くらいかな。ほかにはこれといったものはありませんね。

大堀 スペースインベーダー基板に移植した『ギャラクシアン』のコピー品が当時あったんですよ。スペースインベーダー基板だから画面は白黒表示になっているんです。

西角 そんなのがあったんですか。それは知らなかったなあ。

大堀 スプライト機能がないから画面書き換えで頑張って表示していたようです。もしご存知でしたら、ハードウェア技術者のお立場から感想を聞きたかったのですが。

西角 商品として売られていたんですか?

大堀 もちろん商品としては版権の関係で今ではアウトですよね。当時はビデオゲームの権利があいまいな時代でしたから、それでもグレーゾーン的な立場のゲームです。確か『スペーシアン』ってタイトルでした。

西角 それはぜひ見てみたいですね。

大堀 当時はスペースインベーダー基板が大量に流通していたから、それを利用して『ギャラクシアン』のコピーを作ろうという考えだったのではないでしょうか。(『スペーシアン』は)スペースインベーダー基板を使っているので、カラー表示ですけど画面内のエリアで色がついているだけの、基本単色表示なんです。

西角 (『スペーシアン』の動画を見ながら)一応本物と同じような感じですね。動きがぎこちないけど、よくできているじゃないですか。これの敵は飛ばないのかな? (飛ぶシーンになり)おおー! これはよくできていますよ。

大堀 スペースインベーダー基板のスペックを一番良く知っている立場としてはいかがですか?

西角 頑張っていますね。しかし1体しか飛ばないのかな? (複数の敵が飛ぶ様子を見て)やっぱり画面がチラついちゃうんだね。処理が間に合わないんだろうな。それにしても、よくできていますね。

『スペースインベーダー・パートⅡ』で一番見せたかったのはインベーダーの分裂

大堀 『スペースインベーダー』の亜流がたくさん現れた状況で、タイトーさんも続編を検討することになったと思うのですが、『スペースインベーダー・パートⅡ(以下、パートⅡ)』(1979年/タイトー)を作るにあたって抱かれた思いはありましたか? また、『パートⅡ』で達成したかったことがあれば教えてください。

▲ゲーム性がさらに豊かになった『パートⅡ』(画像:公式サイト「スペースインベーダーの歴史」より引用)©TAITO CORPORATION 1978 ALL RIGHTS RESERVED.

西角 『パートⅡ』は羽鳥鉄之助という後輩と作ったのですが、私が記憶していたことと羽鳥が記憶していることで違いがあるんです。おそらく羽鳥の記憶のほうが正しいと思うのですが、彼によると1作目が完成した直後には『パートⅡ』の準備を私が始めていたと言うんです。営業から言われてそうしたのか、1作目が下火になることを見越して自主的に始めていたのか分からないのですが、1作目が完成した後の9月か10月頃から企画やプログラムを始めていたと、羽鳥から聞きました。

私は『パートⅡ』の制作を自分でやらずに、羽鳥に任せていたとずっと記憶違いしていたんですよ。でも羽鳥によると「自分が開発に加わったときには半分くらいプログラムができていた。自分は最後に(プログラムを)ちょっといじっただけ」らしいです。ということは、実際に私が直接『パートⅡ』を作っていたんですね。『パートⅡ』のアイデアでは1作目とは何か違う要素を入れようということで、インベーダーが分裂するようにしました

▲西角氏も開発に携わった『スペースインベーダー・パートⅡ』(画像:タイトー「テレビゲームマシーン’82 総合カタログ」より)

大堀 20点のインベーダーが分裂するようになりましたよね。

西角 でも4面くらいから分裂が始まるのは失敗だったと思います。もっと早いタイミング、2面くらいから分裂させたほうが良かったのに、何で当時はそうしなかったのかな。おそらく営業あたりから1作目の雰囲気を崩さないでくれと要望があったのかもしれない。1作目の内容で上手くいっているんだから、それとあまり変わらないようにしてくれって。そういう経緯で4面からにしたはずです。

でも、初心者は4面までなかなか進めないから、1作目との違いに気づいてもらえなくなっちゃう。それでは『パートⅡ』である意味がなくなるではないかと感じたんですけどね。実際に(周りの人からも1作目と)変化がないねと言われてしまいました。今考えても2面から分裂したほうがよかったなと思います。

分裂の演出自体は自分でも上手くできたなと思います。ただ、ほかの要素については単なる付け足しですね。デモンストレーションにUFOが出るとか、UFOが2種類登場するとか。

――1作目と比較して、ご自身では『パートⅡ』全体をどう評価しますか?

西角 いろいろな部分で『パートⅡ』のほうがゲーム性は豊かだったと思います。ただ1作目のほうが、ゲーム自体が持つ印象はやはり強烈だったでしょうね。『パートⅡ』のリリースタイミングが1作目から間が開いてしまったのもよろしくありませんでした。確か『パートⅡ』は、1作目が発売された翌年の7月頃でした。すでに1作目のピークも過ぎてきたタイミングだしたし、思ったほど『パートⅡ』の販売数は伸びませんでした。

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