今はなきゲームセンターの元スタッフが見た世紀末と新世紀

今はなきゲームセンターの元スタッフが見た世紀末と新世紀  IGCC

1997年後半~2002年末の約5年間、私はビデオゲーム中心のゲームセンター(以下、ゲーセン)でスタッフとして働いていました。そのゲーセンは埼玉県越谷市、JR武蔵野線「南越谷駅」と東武伊勢崎線「新越谷駅」の近くにあった『プレイスポット ビッグワン南越谷店』(以下、ビッグワン)というお店です。2012年に惜しまれつつ閉店しましたが、この地域は都内をはじめ近隣市街地へのアクセスが便利なベッドタウンなので、ひょっとしたらご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。

さて、私が働いた5年間は世紀末と新世紀をまたいだ時期であり、ゲーセンおよびアーケードゲームを取り巻く環境の大きな転換期であったように思います。

この時期はゲーム文化においてどんな時代であったのか?
また、そこから何が見えるのか?

本稿では、一スタッフの目を通して感じたゲーム文化の移り変わりについてお話したいと思います。

年齢・職業を問わずさまざまなゲーム好きが訪れたお店、ビッグワン

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▲ビッグワン入り口(2012年当時)。撮影時間が夜だったこともあるが、少なくともウェルカム! という佇まいではない

ビッグワンの正確な創業年は不確かながら、1976年生まれの私が小学校低学年の時期にはすでに存在していたので、1980年代初頭であると推測されます。ビッグワンは基盤・筐体貸し出しや複数のアミューズメント施設を経営する「タニガワ」の直営店で、私が働いていた当時は関東を中心に十数店舗ほど展開していました。

当初は、私が1990年代末に働いていた場所ではなく、その近くにあるビルの1階で営業していました。その場所は自宅から近く、実質的な私の「ホーム」だったので、10代の少なくない時間のほとんどをここで過ごしました。当時はよく『パンチアウト!!』(1983年/任天堂)や『ウィズ』(1985年/タイトー)で遊んだことを記憶しています。

やがて私も成人し、財力が高まったこともあって、ますますビッグワンに通い詰めるようになりました。そうするうちに「ゲーセンのスタッフだったらラクそうだし、お金ももらえてゲームやり放題っしょ!?」という皮算用的な発想でアルバイトに応募。めでたく採用されました。

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▲ZBL-NAI氏と長田仙人氏のスコアを報じる『ゲーメスト』(すずめ出版所蔵:1997年11月30日号P208より引用)

私が働き始めた1997年後半は対戦格闘ゲームの花盛り。同時にシューティングゲーム(以下、STG)も依然盛り上がっていて、『怒首領蜂(どどんぱち)』(1997年/アトラス)など数々の名作STG全国1位記録を持つスコアラー、ZBL-NAI氏が当店から個人申請していました。当時のゲーム雑誌『ゲーメスト※1ゲーメスト : 1986年に新声社から創刊され、1999年に廃刊したアーケードゲーム専門誌。店舗単位や個人で応募し全国1位を目指すコーナー「めざせハイスコア!!」が人気だった。では、西の長田仙人、東のZBL-NAIのデッドヒートの記事が誌上を賑わせていました。長田仙人氏はAタイプとBタイプ、NAI氏は一貫してCタイプ※2『怒首領蜂』は、自機をA、B、Cの3タイプから選べた。特徴は以下の通り。
Aタイプ……正面攻撃に特化したショットを放つ。機体色は赤(1P)
Bタイプ……左右の入力と同方向にオプションからショットを放つ。機体色は緑(1P)
Cタイプ……前方の広範囲をカバーするショットを放つ。機体色は青(1P)
※機体選択後、さらに「ショット強化」「レーザー強化」が選択可能
を使用。仕事中に、ZBL-NAI氏のプレイを拝見したことがありましたが、周囲の期待や喧騒、おそらくハイスコアへの緊張感もあったなか、何よりZBL-NAI氏が楽しそうにプレイしていたことを印象深く覚えています。

対戦格闘を中心にあらゆるジャンルの名作に恵まれた時代

前述したように、1990年代後半は対戦格闘ブームの真っただ中。レベルが高いといわれていた当時のビッグワンに設置していた主なタイトルは、滑らかに動くグラフィックとスピード感、キャラ人気も高い『ヴァンパイアセイヴァー』(1997年/カプコン)、シリーズ最高傑作ともいわれる『ザ・キング・オブ・ファイターズ’98』(1998年/SNK)、3D対戦格闘にタッグ要素を盛り込み、私が20代から現在まで身も心も捧げた『鉄拳タッグトーナメント』(1999年/ナムコ)。そして、突き詰められた完成度と奥深さで定期的な全国大会が今でも開催されている『ストリートファイターⅢ 3rd STRIKE』(1999年/カプコン)や、高い自由度と革新的なシステム、グラフィックとサウンドも人気の『ギルティギア ゼクス』(2000年/サミー)。さらに、対戦格闘に初のネットワークとカードシステムを採用した『バーチャファイター4』(2001年/セガ)や、誰もが知る国民的アニメと対戦システムが絶妙に調和した『機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオン DX』(2001年/バンプレスト)など、例を挙げるときりがありません。

脇を固めるほかのジャンルも名作揃い。アクションゲームでは『メタルスラッグ』シリーズ(1996年~/SNK)や『電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム』(1998年/セガ)、STGでは一連のケイブ系※3ケイブ系 : ゲームメーカーのケイブが開発した「弾幕STG」と呼ばれる、わずかな隙間を縫うように避けることに比重を置いたSTG。筆者の在籍時は、そのほか『エスプレイド』(1998年)、『ぐわんげ』(1999年)、『プロギアの嵐』(2001年)などが稼動していた。シューティングなどは人気が高く、その他のジャンルは『バーチャストライカー』シリーズ(1994年~/セガ)、『ビートマニア』シリーズ(1997年~/コナミ)など、幅広いジャンルを設置していました。

そして、ビッグワンの裏主力である脱衣麻雀では、通信対戦モードを搭載した意欲作『対戦ホットギミック』シリーズ(1997年~/彩京)や『アイドル麻雀 ファイナルロマンス』シリーズ(1991年~/ビデオシステム)などが対戦格闘と同様に連コインを誘発し、安定したインカムを誇っていました。

各々のゲームにはある程度、固定のプレイヤーがいて、決まった時間に特定のゲームだけをプレイしに来るサラリーマン、放課後に毎日訪れる学生など、年齢や立場の違う人々がビッグワンという場所に集っていました。他店と同様に、ゲームを共通言語としてタイトルやジャンルごとに友人関係を形成し、ご飯を食べに行ったり、腕試しとして有名店に連れ立って遠征したりといったコミュニティが自然とできていました。

ゲーセンスタッフの日常業務と当時の店内の様子

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▲ビッグワンの守護神? よくある壁の穴やクロスはがれを隠すために貼ったという噂もあるが……あくまでただの噂だろう

当時、スタッフの主な業務といえば、まずは店内の清掃、メンテナンス、両替金と電源の管理、そして筺体からお金を回収する週1回のインカムチェックくらいなもので、予想通りのんびりとしたものでした。

さすがに勤務中はゲームこそしないものの、店員として勤勉だったとは言い難く、つねにタバコ、ときには葉巻を吸いながら店内放送で好きな音楽(電子音)を大音量で流したり、ファミリーコンピュータ ディスクシステムを分解修理してみたり……。またあるときは自分で録画したファミコンのノーミスクリア動画を店内モニターで流したり(それなりに好評だった模様)と、本当に好き勝手にやっていたし、それが許された(?)時代でもありました。

当時をよく知る方々の間では「一番の問題児はお客ではなくスタッフ」とささやかれていたことに対しあえて否定はしませんが、清掃や各種問い合わせ、メンテナンスは積極的に対応し、初めて訪れるお客様でも毎日来る常連客でもひいきはせず、平等な接客を心がけていました。
特にゲーセンは風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)にかかわる業種なので、当たり前ながら未成年者の飲酒喫煙と入場時間の制限は最も気を遣い、厳守していました

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▲通称「カウンター」と呼ばれるスタッフの詰め所(画像は2012年のもの)。当時パソコンはなかったが、昔からこのまんま

また、当時ゲーセンでは、対戦後に負けた悔しさからリアルファイトに発展したり、対戦中に灰皿が飛び交ったりするなどの問題がありましたが、私の知る限り、ビッグワンでこのようなことはほぼ起こらなかったと記憶しています。

ゲーセン勃興期の1980年代に多く見られたアヤシさ満載の雰囲気やスタッフに反して、店内は平和そのもの。「初めは少し緊張したけど、馴れたら居心地がよかった」との意見を、後になって当時のお客様から多く寄せられたこともあり、幾分かは救われたような気がしています。

ゲーセンの過去と現代の違いが意味するもの

本稿の冒頭で、私が働いていた1997年~2002年の時期を「ゲームセンターおよびアーケードゲームを取り巻く環境の大きな転換期」と申しましたが、その根拠は何か? まず当時の社会的背景として、以下のような状況がありました。

・インターネットはダイヤルアップ・ISDNが主流で、普及率はまだ高いと言えなかった※4参照 : 総務省「通信利用動向調査|インターネット利用人口の推移(~平成16年8月末)
・YouTube、ニコニコ動画などの各種動画共有サイトは存在すらしていなかった。
・同じくSNSも存在せず、TwitterやFacebookはおろかmixiさえもまだない。
・携帯電話は普及していたものの、スマートフォンなどの各種小型端末はまだなかった。

要するに、この時代は「インターネット環境が一般に広く浸透する直前」であり、ことにゲームという文化においては、インターネットの有無が(功罪問わず)どれほど影響を及ぼしたかは論をまたない事実です。

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▲第16回ゲーメスト杯の開催を紹介する『ゲーメスト』内の告知ページ。(すずめ出版所蔵:1997年11月30日号 P258)© CAPCOM CO., LTD 1997 ALL RIGHTS RESERVED.

次に、当時の店内イベントに目を向ければ、お客様から提案のあったゲームの大会を散発的に運営することはありましたが、公式イベントとしてはプロゲーマー・梅原大吾氏の優勝で知られる「第16回ゲーメスト杯※5ゲーメスト杯 : 雑誌『ゲーメスト』主催で、1991年の「ストリートファイターⅡ」発表とほぼ同時にスタートし、1998年まで開催された定期的な対戦格闘の全国大会。争奪 全日本ヴァンパイアセイヴァーチャンピオンシップ」(1997年11月2日開催)の店舗予選を一度だけ行ったくらいで、(私が働いていた時代に)開催していたイベントはありませんでした。つまり、当時はインターネットによる動画配信もなく、実店舗こそがすべての時代でした。

以降、家庭用ゲームの進化でアーケードゲームとの差がなくなり、趣味の多様化などでプレイヤーのゲーセン離れが加速。相次いでゲーセンが閉店するようになったのは周知の事実です。
そういった意味でも、私が働いた5年間は「新作や人気作を設置しておけば、黙っていてもそこそこお客様が来てくれた、ほぼ最後の時代」と言えるのではないでしょうか。

ゲームセンターはこれからも「サードプレイス」たり得るか

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▲ビッグワンは2D対戦格闘、中でもカプコン系に強かった。後年にはタイトル問わずさまざまなレギュラーイベントが開催された(画像は2012年のもの)

私がビッグワンで働いていた頃は、「お客様はゲームをしに来たり仲間に会いに来ているわけだから、スタッフから過度に話しかけたりコミュニケーションをとろうとするのはジャマではないか……?」と感じていました。その代わり、居心地のよい店づくりを追求し、お客様が真剣にプレイしたり、楽しそうにしている姿を見ていることが大好きでした。

その証拠に、是非はさておき、他店では禁止されていることが多かった店内での飲食や激しいレバガチャ※6 レバガチャ : レバーやボタンをガチャガチャと激しく操作すること。レバーの消耗が激しいので他店では注意されることが多いが、当時、この方法で高い勝率を誇るユーザーも何人か存在した。、プレイしない人が椅子に座っていることなどを、よほどでなければとがめず(私も当事者ですが)、対戦時の雄叫びや絶叫も遠くから眺めていました。

振り返れば、当時そんなお店に足を運んでくれたお客様、そしてビッグワンには、今でもとても感謝しています。現在では、ビッグワンの店名を継いだ正式な2代目店「プレイスポットビッグワン2nd」がJR武蔵野線南浦和駅近くで営業をしており、過去のタイトルもこちらで遊ぶことができます。

頻度は減ったものの、今もゲーセンに通う者として斯界(しかい)を鑑みるに、かつてと現代を比較して今何をすべきか、何をすべきでないか、ひょっとしたら現代にも生かせる何らかの示唆が隠れているのではないか――と、そんな気がするのです。

ゲーセンがこれからも「サード・プレイス(自宅や学校、職場から離れた第3の居場所)」として存続することを、心から願ってやみません。

【画像提供および取材協力】
プレイスポットビッグワン2nd
※こちらはビッグワンの後続店となります。
住所:埼玉県さいたま市南区南浦和2-27-12 アビアントビル2F
電話番号: 048-711-2218
営業時間:11時~24時
休み:なし
駐車場:なし
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脚注   [ + ]