『ベーマガ』同窓会その①  名物編集長大橋太郎氏が語る月刊『ラジオの製作』から『ベーマガ』までの半世紀

  • 記事タイトル
    『ベーマガ』同窓会その①  名物編集長大橋太郎氏が語る月刊『ラジオの製作』から『ベーマガ』までの半世紀
  • 公開日
    2018年01月22日
  • 記事番号
    170
  • ライター
    見城 こうじ

最初『ベーマガ』は別冊付録だった?

大橋 最初は『ラジオの製作』の付録の形で、『マイコンBASICマガジン』を付けて、ロケテストじゃないですが、どの程度売れるのか、16P、32Pぐらいで始めて、いろいろとテーマを変えてやっていたんですね。

マイコンが出てきた当時は、アマチュア無線家がパソコンを使いたがっていたんで、そういうテーマにしてみるとか、家庭に役立つプログラムを入れてやるとか、試行錯誤して編集していました。

そんな時、「ハドソン」というゲーム会社の工藤社長と久しぶりに会うことがありました。彼は私の旧友でして、北海道出身で、アマチュア無線家だったんですよ。
『マイコンBASICマガジン』のコンセプトについて相談したら、彼が「太郎ちゃん、今はゲームだよ、『ベーマガ』にゲームのプログラムを載せた方がいいよ」って言ってくれました。私は「なんで?」って言ったら、彼は「北大(北海道大学)の生徒がゲームのプログラムを収録したテープを売り込みにくるんだよ」と言うんです。

「何それ?」ということになりまして…。(工藤社長が)「『ミミズの滝登り』とか『麻雀』とかいったゲームが3800円か4200円ぐらいの高値で飛ぶように売れるんだよ。これから絶対にゲームプログラミングは流行るよ」と言うので、「じゃあ、(『ベーマガ』に)そういうゲームソフトのサンプルを載せて、それを真似してつくる人がいたら面白いね」という話になりまして、ちょっと始めてみたんですね。

ゲームソフトの試作投稿が大人気に

大橋 そしたら、すごく反響があって、編集部でもビックリしました。
当時の記録メディアはカセットテープだったんで、「カセットテープで投稿して掲載されれば、原稿料は1万円」って別冊時代の『ベーマガ』に掲載したら、どんどん投稿が来るようになりました。「これは行けるぞ!」という感触で、それが『マイコンBASICマガジン』のが始まりでしたね。

大堀 なるほど、僕は『月刊マイコン』の付録だったと思っていたんですが、違ったんですね。

大橋 そうそう。(『ベーマガ』は)『ラジオの製作』の別冊で、テストでやったのが始まりです。
当時、私はアナログおじさんで、パソコンなんてほとんどいじっていなかったから、『ベーマガ』は子供でもわかりやすく編集するよう心掛けていました。

▲80年代初期、ゲームのプログラムはテープで記録されていた(山下章氏提供)

見城 当時はどんな年代の人からの投稿があったんですか?

大橋 やっぱり、中学生、高校生だったかなぁ。当時「ナイコン族」って言葉があったんです。マイコンは持ってないけど、マイコンのプログラムを投稿してくる人たちのことなんですが、「ナイコン族」からの投稿が多かったです。秋葉原のマイコンショップで、店員さんの目を気にしながら、(展示物のマイコンで)隠れてコソコソとプログラムを作って、テープに収録して、編集部に送る、そんな風に投稿をしていた読者も多かったようです。

掲載されると原稿料1万円、源泉が引かれても9000円。全国から応募がありましたよ。「自分のゲームプログラムが10本掲載されれば、マイコン買えちゃう」ということで、この企画はすごくあたったんですね。

晴れて『ベーマガ』が月刊誌に! 最初の販売見込みはたったの8千部

▲ゲーム雑誌の草分け的存在となった『マイコンBASIC マガジン』(付録版)

見城 その企画が当たって、晴れて1982年6月に『ベーマガ』が独立して月刊誌となったわけですね。

大橋 そうですね。月刊誌で初めて発刊された時、平山前社長は「1万部いくかな」ということで、初回は8千部くらいしか刷らせてくれなかったんですよ。やっぱり、テストケースで、一本立ちしたばかりだったし。
当時の販売課長の斎藤さんが、「取次店」つまり本の仕入れ先に(最初の月刊誌を)持っていったら、斎藤さんから「一件目で完売」と社に電話が来ました。それで慌てて1万8000か2万部、忘れちゃったけど、増刷したんです。

そして、『ベーマガ』初の月刊誌が販売されて一週間過ぎたころ、専門用語で「たんざく」っていうんだけど。斎藤さんがそのスリップを大きな箱にぎゅうぎゅう詰めにして持ってきて、社長の前にドーンと置いて一言、「再販してください」と。
月刊誌で再販なんてめったにないことでしたね。『ベーマガ』は発売後一年もたたないうちに10万部を超える、ものすごい雑誌になりました。

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