『ベーマガ』同窓会その② 歴代ライターたちが次々と発言!『ベーマガ』の衝撃的な制作の舞台裏

伝説のコーナー「チャレンジ!ハイスコア」は大堀所長の提案

▲当時を思い出す大橋編集長

見城 せっかく大堀くんと大橋さんが揃っているので、「チャレンジ!ハイスコア」についてお聞きしてもよろしいでしょうか?

『ベーマガ』に「チャレンジ!ハイスコア」コーナーが生まれた経緯を教えていただけますか?

「チャレンジ!ハイスコア」は、今のeスポーツにつながる源流のようなものだと思うのですが、それについてもご意見をお聞かせください。

大橋 あれは大堀くんからこういうことができないかという提案を受けたんですよ。「(私が)「ゲームは文化」って言うなら、ゲーセン(=ゲームセンター)も認めるべきだ」という風に説得されて…。

当時、私はオジサンだったのでゲームセンターはどうも違和感があったんだけど、大堀くんがそこまで言うならやってみよう、ということになって、やり始めたんですよ。確か…。

大堀 どういう説得をしたのか覚えていないんですが(笑)。当時は、ゲームセンターのイメージが悪く、親から出入りを禁止されるような場所でした。それでもゲーセンにガッツリとハマっていた自分は、ゲーム仲間が作れる場所、今でいうところのコミュニティを作りたかったんですね。

大橋 (大堀くんに)「何やったらいいの?」と聞いたら、「大きいボードを作って、各ゲームセンターに送って、ハイスコアをゲームセンターごとに集計したらいいんじゃないの」と彼が答えるんで、これは面白いかもしれないぞと。

「チャレンジ!ハイスコア」企画をやってみたら、結構人気が出ましたね。ただ、私はゲーセンの世界がほとんどわからないので、このコーナーは、詳しいライターさんや若い編集者に任せていました。

▲ハイスコアランキングの立役者となった「チャレンジ!ハイスコア」コーナー(『ベーマガ1984年1月号)

見城 当時ナムコのゲームセンターに置いてあった巨大なハイスコアボードは、電波新聞社が寄贈したものだったんですか?何店舗くらいに設置を?

大堀 あのボードは高かったから、各都道府県に一個ずつ送ったと聞いています。都内には何店舗かあったみたいですが…。

大橋 そうだねぇ、いつもグッズ制作を頼んでいる会社に、できるだけ安く作ってもらったという記憶があるなぁ。いろいろ物を作っていたからね。

大堀 編集部に完成したスコアボードが戻って来たときはうれしかったですね。

手塚 あのボードができて、他の店に遠征するという構図ができたじゃないですか。あのボードを見ることで、この店にはうまい人がいるというのがわかるんで、腕試しをしたいゲーマーたちがそのゲーセンに遠征していくというような…。

見城 そうですね。雑誌のハイスコアコーナーを見て、ここの店はレベルが高いって知ったんですよね。

多くのゲームファンが通った「プレイシティキャロット巣鴨店」

大堀 今でこそネットから簡単に情報を検索できますが、あの頃は雑誌でゲームセンターのレベルを知って実際に足で行っていましたね。みんなこの関東圏の人たちってナムコのプレイシティキャロット巣鴨店巣鴨詣で」をしていましたし…。ライター仲間の小林くん(EXCHANGER氏)なんか、わざわざ他県に行って、道場破り的なことをしていましたね。

手塚 当時はそんなに巣鴨のキャロットに人が集まっていたんですか?スペースが広かったということが集客の理由でしょうか?

見城 あの時は、巣鴨のキャロットが一番広い場所だったからね。人数が集まるのにどうしてもスペースは重要ですし。

▲後に自ら企画した「ゲーム博物館」で仲間とゲームを楽しむ大堀所長(当時25才)

大堀 やはり巣鴨は、山の手圏内にあって、広くてたむろできる場所という意味で最適な場所でした。ゲームブティック高田馬場は台数が少ないので、集まりようがなかったですしね。

手塚 ただそれでも、巣鴨は、新宿や渋谷、池袋、有楽町などの繁華街からも離れていて、ちょっと辺鄙なところにありますよね。それなのに巣鴨に人が集中したというのはすごいなって思います。

見城 集中というのはちょっと言い過ぎかな。多くのゲームファンは、皆思い思いに地元のゲームセンターでコミュニティを育んでいましたから。いまだにその時のつながりで定期的に飲み会などを開いている人たちも多いと聞きます(笑)。

大堀 自分の中での解釈は、ナムコのゲーセンって、山手線でいえば新宿と高田馬場と巣鴨、それぐらいだったかな。

見城 他にも新橋や田町、五反田などにもありましたね。

大堀 高田馬場店はスペース的にせまくて、新宿店はそれなりの広さがあったけど、たむろできるスペースがなかった。そういう意味で、当時のゲーセンは、学生の通学によく利用されていた東武東上線の沿線に多く点在していました。

『ストリートファイターII』の開発者である西谷さんや『ゲーメスト』の大元となった『VG2』メンバーもよく巣鴨店に通っていましたが、恐らく自宅やサークルの所在地から行きやすい場所であったと思います。
西谷さんはよく東武線沿線のゲームセンターで遊んでいたんですが、池袋にナムコのゲーセンがなかったので、巣鴨になったんですよね。

また、『VG2』の植村くんは板橋区周辺が活動の中心だったみたいで、地下鉄を使えば巣鴨と地下鉄が直結して通いやすかったということもあって、巣鴨が東京の中でもハブゲーセン的な感じになっていたんではないかと思います。

手塚 あと、ナムコの直営店ならではの影響力は大きいですよね。

見城 そりゃあ、もちろん。当時のゲームファンにとってナムコといえばゲームだけでなく、ゲームセンターも特別だったので。80年代はフリーマガジン『NG』(Namco Guide)とか置かれていたりしましたしね。