『ベーマガ』同窓会その② 歴代ライターたちが次々と発言!『ベーマガ』の衝撃的な制作の舞台裏

  • 記事タイトル
    『ベーマガ』同窓会その② 歴代ライターたちが次々と発言!『ベーマガ』の衝撃的な制作の舞台裏
  • 公開日
    2018年01月29日
  • 記事番号
    181
  • ライター
    見城 こうじ

『ベーマガ』はゲームライターの登竜門であった?

大堀 そういえば、見城くんも『ベーマガ』がゲームライターになったきっかけでしたよね?
今でも大橋さんが見城くんと手塚くんの同人誌を見せて「これはどう?」って聞いてきた時のことを覚えています。「この人たちどう思う?」と編集長が尋ねるので、「この人いいと思います」って答えましたよ。

見城 僕も大堀くんが書いた『マッピー』とか『ゼビウス』の記事に触発されて、電波新聞社に自分たちの同人誌を持って行きました。

手塚 ライターの皆さんのほとんどは、いろんな人に読んでもらえたらいいなという思いで、編集部に自分の同人誌を持ちこみますよね。決してライターになりたいという思いがあったわけではないですよね?

見城 そうだね。最初は、そんな気持ちで編集部には行かなかったね。

大橋 ここに来れば、だれかに会えるって。ライターの断空我先生なんか、毛色の違った感じだもんね。当時は、編集部に自然と才能のある人たちが集まってきていたね。

見城 手塚くんのペーパーアドベンチャー』もね、同人誌から始まって、本誌に掲載されましたもんね。

▲手塚氏が学生時代に執筆した『ペーパーアドベンチャー』(『ベーマガ』1984年8月号)

大橋 手塚くんの同人誌を一読して、すぐに「これ面白いんじゃん」って思いましたね。

手塚 ぼくは、パソコンでずっとプログラミングをしてたんですけど、アドベンチャーゲームを作ってみようと思ったときにいろいろ試してみました。そこで、コマンド(選択肢)を選んでから話を展開させるようにすると、非常に楽だとわかったんです。

でも、さらによく考えると、これならパソコンがなくても紙の上で再現できるなぁって。それで見城さんと同人誌を作るときに、試作してみたのが、大橋編集長の目に留まったんですね。

大橋 パソコンやゲーム機を持ってなくても、この本を読んだらゲームができるというスタイルが気に入りましたね。

見城 そこに着目されたのは大橋さんらしいといえますね。

大橋 それで、その『ペーパーアドベンチャー』の校正をつぐ美さん(『ベーマガ』の女性編集者)に任せたんですけど、校正が甘くて、校了の時に一生懸命直したなぁ…。

大堀 つぐ美さんの名前が出てくるとは何とも懐かしいですね。でも、つぐ美さんは校正をちゃんとやっていましたよね (笑)。

大橋 でも、手書きで、写植だったからね。

大堀 写植屋も間違えるし、ミスも多かった。当時の『ベーマガ』のプログラムリストも何カ月に一回で(写植の)間違いがあったじゃないですか。

手塚 つぐ美さんで思い出したんですけど、つぐ美さんから電話がかかってきて、「『ペーパーアドベンチャー』を本誌に載せたいんですけど」みたいな話があって、そしたら同人誌の紹介もするからと、わりと取引っぽい感じに執筆依頼をされました。

当時の制作現場について語る手塚氏

一同  (笑)

手塚 それでよかったんですけど、「その後もう一個『ペーパーアドベンチャー』を作ってくれ」って言われて。

大堀 えっ同じ号に?

手塚 次の号ですよ。

大堀 いきなり連載になったわけですね?

手塚 当時は、ちゃんとした締め切りで動いていたんで。

大橋 そりゃあ、そうだよね。大変だったよ。

手塚 締め切りの10日前から原稿を入れていた時もあったじゃないですか。

大橋 印刷も3日かかるし、部数も多かったから、本当に大変だったけど、面白かったね。

手塚 当時は本の発売日が毎月10日頃で、締め切りが前月の10日か15日だったんですよ。実は最大で20日くらいまでは延ばせるというのは暗黙の了解だったんで、ギリギリまで引っ張った時もありましたね。

見城 でも原稿は20日以降でも書いていたような気がする。

大橋 本当によくやっていたよね。

※座談会出席者の記憶・見解に基づく記事です。

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『マイコンBASICマガジン』

『ラジオの製作』の別冊付録としてスタートし、1982年6月に発刊。読者が自作のプログラムを投稿するコーナーで注目を集め、後にゲームソフトの解析、解説を記載する雑誌へと発展していく。

初のアーケードゲーム攻略本となった『スーパーソフトマガジン』の別冊付録が話題となり、その付録目当てで買う小中学生も多かった。1996年には28万6000部で業界No.1のゲーム雑誌に成長。惜しまれながら2003年4月に休刊。

【今回の同窓会出席者のプロフィール】

大橋 太郎 氏

1948年、東京都生まれ。1967年に電波新聞社に入社。『ラジオの製作』編集長を経て、1982年に『マイコンBASICマガジン』を創刊。1996年には28万6000部で業界No.1のゲーム雑誌となる。『ALL ABOUT namcoナムコゲームのすべて』、『Computer Music Magazine(コンピューターミュージックマガジン)』など次々とヒット作を出し、現在も現役で『電子工作マガジン』の責任者を務める。電波新聞では、コラム執筆も担当している。現・電波新聞社取締役。

手塚 一郎 氏

1966年、東京都生まれ。『マイコンBASICマガジン』ではミニマム版の『ペーパーアドベンチャー』を自ら企画・執筆し話題を呼んだ。後に、ナムコの『ドラゴンバスター』の同誌の別冊のムックを執筆し、ゲーム作家として、『小説 ファイナルファンタジーIV 上下』『リネージュ2 解放されし者』などを執筆。『ファイナルファンタジーIV ジ・アフター 月の帰還』(2008年)などゲームのシナリオも手掛ける。現・スタジオベントスタッフ取締役。Twitter:@Tezuka_Ichiro、公式HP

大堀 康祐

1966年、東京都生まれ。高校生の時に“うる星あんず”のペンネームでミニコミ誌『ゼビウス1000万点の解法』を制作。その後『マイコンBASICマガジン』の別冊『スーパーソフトマガジン』の創刊に携わり、『マル勝ファミコン』などのゲーム雑誌にてライターとして活躍。ゲームプランナーなどを経て、仲間3人とともに1994年にゲーム開発会社マトリックスを設立。2016年にゲーム文化保存研究所を設立。当研究所所長。

インタビュアー 見城こうじ

1965年、東京都生まれ。株式会社ナムコでディレクターとしてさまざまなアーケードゲームの開発に携わった後、ノイズ社を立ち上げ、任天堂と共同でカスタムロボシリーズ5作を手掛ける。その他の代表作『コズモギャング・ザ・ビデオ』、『コズモギャング・ザ・パズル』、『ゼビウスアレンジメント』、か『TWIN GATES』、『PENDULUM FEVER』など。元『マイコンBASICマガジン』のゲームライターという顔も持つ。現在はフリーランスのゲームディレクターとして活動。ゲーム文化保存研究所の電子書籍制作にも協力中。Twitter

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