ゲーセンの楽しさ増幅装置だった『ゲーメスト』

ゲーセンの楽しさ増幅装置だった『ゲーメスト』  IGCC
ゲーセンの楽しさ増幅装置だった『ゲーメスト』  IGCC
▲1986年から1999年まで新声社が発行。【表紙イラスト】『アーガス』
Ⓒ CITY CONNECTION CO., LTD.

1978年『スペースインベーダー』(タイトー)の爆発的ブームによって日本各地にゲームセンター(以下、ゲーセン)が増え、筆者が足を運ぶようになった1980年代半ばそこには多くの若者がゲームの攻略に熱中する姿がありました。

当時よく通ったゲーセン(ビッグキャロット京都)のカウンターに『ゲーメスト』が置かれていて、ふとした拍子にのぞき込み、驚いてくぎ付けになりました。その誌面は、近場の店で見たことのない最新ゲームの紹介、学生では簡単に行けない遠方のゲーセンの様子、基板の販売情報(そもそもゲーセンのゲームが買えるなんて!)など、アーケードゲーム初心者にとってたまらない情報で溢れ返っていたのです。

 

全国規模の争いが繰り広げられたハイスコア集計

1980代半ばの地元のゲーセンは、多くがスコアボードを設置していて、そのお店で出たハイスコアを掲示していました。お店を回って得意なゲームのスコアを塗り替えていくという遊びは、ゲーマー心理を刺激するものでした。これを全国規模で集計したのが『ゲーメスト』内の「めざせハイスコア!!」のコーナーで、数々のゲームの全国トップが一望でき、稼ぎ方の要点紹介もあり、当時は大変注目度の高いコーナーでした。筆者もこのコーナーが好きで、新しい『ゲーメスト』を手に入れたら、まず最初に探すページでした。

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「君こそゲーメスト!」のハイスコア欄は全一欄」とも呼ばれていた(きらり屋所蔵)

ハイスコアを出すプレイヤーは「全一(ぜんいち)」あるいは「スコアラー」と呼ばれ、「全一欄」にしょっちゅう名を連ねる有名スコアラーやスコアサークル、ハイスコア強豪店は、プレイヤーの間で大きな存在感を持っていました

お店の住所も掲載されていたのでゲーセン住所録としても大変便利で、『ゲーメスト』を持って遠方のお店に「全一」を訪ねる、といったスコアラー同士の交流が盛んに行なわれました。逆に、プレイを積み重ねて作ったゲームのパターンを盗まれることを警戒して、遠征者を煙たがる傾向もありました。

当時、筆者の知人が、トップを目指してやり込んだけれど手が届かなかったゲームの「全国トップ」を保持する東京のスコアラーを訪ねて、教えをい、プレイを見せてもらった時のことを話してくれたことがありました。その知人が、興奮気味に「全一」プレイヤーについて語るとともに、本人了承のもと撮影してきたプライベート写真を見せてくれたのが印象に残っています。毎月のように「全一欄」に名を刻む常連スコアラーは、一部のプレイヤーにとってアイドルのような存在でした。

『ゲーメスト』といえば攻略。『ゲーメスト』といえば

筆者は、他店のスコアラーと交流が増えていく流れで知り合った『ゲーメスト』関係者のお誘いを受け1996年1月からハイスコアサークルの紹介を専門とするライターとして『ゲーメスト』に在籍することになりました。当時の編集部には、個性的なライター陣のまとめ役を担い、最も長く編集長を務めた石井ぜんじ氏はじめ、現役・元スコアラーが数多く攻略ライターとして在籍していました。

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「プレイ時間を長く!」が命題の学生にとって『ゲーメスト』の攻略は頼もしい存在だった(きらり屋所蔵:1990年3月号P17より抜粋)

1990年代には、対戦格闘ゲームの全国大会における勝者など実力あるプレイヤーもライターとして参加し、対戦攻略記事が誌面の主役となりました。ゲーメスト』の質の高い攻略記事は、プレイヤーから高い評価を得ていたと思います。筆者は読者時代にシューティングやパズルなど、対戦ブーム以前の攻略記事に大変お世話になりました。攻略は解法としてありがたく、似たタイプのゲームを自力で攻略するための考え方の手引きにもなりました。

しかし、執筆されてから読者が読むまでに巷でも攻略が進むため、攻略スピードの早いお店では「メストの攻略は遅い」という声も耳にしました。そのため、編集部では泊まり込みの攻略担当ライターが、威信を背負って提出期限ギリギリまで(ときに締め切りを越えて)、攻略用に設置された筐体でパターンを練り直したり、コンボを再確認したりする姿がよく見られました。

ギリギリで作った手書き原稿が大急ぎでチェックされ、写植に回され、時すでに遅しでゲラ(赤ペンで直せば間違いを訂正可能)が上がってこなかったり、上がってきても確認できていないページがそのまま本誌に掲載されたり…。この流れは、自分がライターとして在籍したおり目にした光景で、誤植が増えた一因ではないかと思います。

現在、ネットで『ゲーメスト』を調べると、ぶっ飛んだ誤植の実例がたくさんヒットしますが、筆者が読者として読んでいた90年代初頭はそこまで誤植は気になりませんでした。

「ゲーメストアイランド」がどんな島かと言いますと

著名なイラストレーターや漫画家がかつて『ゲーメスト』に投稿していたという話は有名です。確かに、読者投稿コーナー「ゲーメストアイランド」は、ハイレベルなイラストの投稿者が多く、ネタ元のゲームもバラエティ豊かで、見るのも投稿するのも楽しみの一つでした。「この絵描きさんはあの店の常連だ」などと誰からともなく情報が伝わり、紹介してもらって会いに行き、気が合って一緒にゲーセンを巡ったのはいい思い出です。投稿常連のホームゲーセンに行けば実際に交流できたのも、読者同士の交流も図れた『ゲーメスト』ならではのエピソードではないでしょうか。

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「ゲーメストアイランド」(きらり屋所蔵:1990年4月号P41より抜粋)

文章投稿も非常に熱いものがありました。全国的にゲーセンに対する偏見が強い時代、大人の無理解から理不尽にゲーセンでの遊びを制限されることに疑問を投げかけた社会派な投稿には、深く共感し、担当者の返答をかみしめるように読みました。全国の自分がここにいる、そんな感覚になった読者コーナーは、今思うにこの島ゲーメストアイランド」だけです。

1999年新声社倒産、ゲーメスト廃刊、そして

『ゲーメスト』が廃刊した後、多くのライター、編集者が移籍した『アルカディア(アスキー、後にエンターブレイン)が2015年休刊となりました。関係者の皆さまには心から「お疲れさまでした」と申し上げたいです。『ゲーメスト』創刊から約30年が経ち、ゲーセンに通う人の数は減り、ゲーセンも、その愛好家も、ずいぶんと様変わりしました。

変わるものは仕方ないと受け入れ、変わらないものは大切にしたい。これからもゲーセンの片隅で脳トレおばあちゃんとなって『ゲーメスト』の残り香を楽しみたいので、「だからお願い、ゲーセン頑張って!」とエールを送ってこの記事を終わりたいと思います。