「デコカセ」その革新性と衰退の歴史

「デコカセ」その革新性と衰退の歴史  IGCC
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▲『トレジャーアイランド』(1981年)

現在のアーケードゲーム機に使用される基板はコモディティ化が著しく、中身はほぼPCといって差し支えない昨今。アーケードゲーム機を開発するにあたってシステム基板を使わないメーカーは、おそらくないのではないだろうか。

本稿では、そんなシステム基板の草分けでありながら、アーケードゲーム史においては必ずしもメジャーとは言いがたい「デコカセットシステム(以下、デコカセ)」に着目。その革新性と、衰退に至った経緯に焦点を当ててみたいと思う。

 システム基板はソフト開発の省力化から生まれた

ゲームソフトの開発=ハードウェアの設計だった黎明期(1970~80年代)と違い、現在は、1タイトル開発するたびに新規で基板から設計をするメーカーなどまず皆無である。ごく単純なエレメカならともかく、高度な映像・処理能力を要求される基板を開発するだけでも膨大な時間が要求されるし、何より新規基板のための開発環境を用意するにも尋常ならざる手間がかかる。さらに、実際にゲーム開発をするためには新規ハードの基礎研究から始めなければならないわけだから、毎作ごとに専用基板を用意することがいかに不合理であるかお分かりのことだろう。

それならば、最初からPCベースのシステム基板にしてしまえば、画像や音声データ、各種インタフェースなどはすべてPC用の既存ツールやソフトが使えるじゃないか。現代の各社のシステム基板はこのような考えに基づいている。

もちろん、このような思考はPCのアーキテクチャーが十分に進化しているからこそ到達できる考え方であって、1タイトルごとに基板設計を行うことが当たり前だった1980年代初期には、到底及ぶべくもないはずだった。しかし、それを先駆けて世に問うたアーケードゲームメーカーが存在した。かつて存在した個性派メーカー、データイーストである。

 ソフト供給メディアはミニカセットテープ

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▲デコカセ『バーニンラバー』 カセット、ドングル、インストラクションカード、マニュアルがセットで販売されていた

デコカセ」はデータイーストが1980年にリリースした、おそらく世界初のアーケード向けシステム基板である。CPUにはAppleⅡなどに搭載された米モステクノロジー社製MOS6502※1MOS6502:日本では今ひとつマイナーなCPUだが、後にファミコンやPCエンジンにカスタム品が搭載されている。を採用。グラフィック表示能力は256×240ピクセル16色、サウンドに当時の8ビットパソコンでメジャーだったAY-3-8910※2AY-3-8910:米ゼネラル・インスツルメンツ社製の音源チップ。日本ではPC-6001(NEC)、FM-7(富士通)、X1(シャープ)などのパソコンに搭載されていた。を搭載して、PSGによる8オクターブ3重和音の表現が可能であった。

ミニカセットテープ(形状は留守番電話やボイスレコーダーなどに使用されていたマイクロカセットに酷似しているが別物)を媒体としたテープストリーマ(磁気テープを使用した補助記憶装置)をソフトの供給メディアとして採用した点が最大の特徴で、これがデコカセの名前の由来になっている。

カセットテープならば機械に強くない人でも手軽に扱える上、「基板そのものは割高でも、交換するソフトは格安で供給できるシステム」としてオペレーターに提案したのである。もちろん、そのままではミニカセットテープ自体がダビングされてしまう危険性があったため、専用のドングル※3ドングル : 暗号化されたデータを復号するための専用チップが入った物理的な電子鍵。現代でもUSBに挿すタイプのドングルがよく見られる。がセットになった状態で販売されていた。

カセットテープを使用しているため、電源投入してからゲームが起動するまでに2~3分程度の読み込み時間が必要になる。画面には「DECO CASSETE SYSTEM」のタイトル画面と一緒に数字のカウントダウンが表示され、開店直後のゲームセンターではデコカセの筐体だけ待ち時間が必要だったのも、ある意味ご愛嬌といえるものであった。

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▲初期デコの有名タイトル『ハンバーガー』(1982年)もデコカセ発のタイトルだった

 安価なソフト交換システム「デコカセ」

この当時のアーケードゲーム機は、基板売りどころかテーブルやアップライト筐体単位で売られることが一般的で、そもそもソフトを入れ替えてサービスできるシステム自体が前代未聞だった。1つのゲームを入荷するにも数十万円かかるため、ヘタなゲームを買ってしまった日には費用回収もおぼつかないという、オペレーター側にもリスクの高い商売だったのである。

それが、わずか数万円でソフトを入れ替えられるとなれば、当時のオペレーターが諸手を挙げて歓迎したことは想像にかたくない。実際、デコカセのソフトは1980年にリリースされた『戦国忍者隊』『ネブラ―』『ハイウェイチェイス』の3タイトルをローンチとして、それ以後1985年までの長期にわたり、40タイトル以上に及ぶ対応ソフトがリリースされた。

なかには『ハンバーガー』(1982年、海外輸出に伴って『バーガータイム』に改名)や『ロックンチェイス』((1981年))、『バーニンラバー』(1982年)といった初期データイーストを代表する名作も、実はデコカセからリリースされており、むしろ対応ソフトのわりに「デコカセ」というシステムのネームバリューが低すぎるのではと感じるほどである。

何はともあれ、デコカセは当時の「ソフトと同時にハードを開発しなければならない」という制限から解き放つことに成功。単一のハードウェア上でソフト開発に専念できる上に、ソフトのみで開発費が回収できるので、メーカー側もリスクが少なく新製品を開発できるというシステム基板ならではのメリットも享受できるようになった。

その結果、デコカセは実験的なアイデアやバラエティー豊かな自由な発想のゲームが多数生まれる土壌を育んだといえるだろう。

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▲ラッパが主人公というユニークなゲーム『ラッパッパ』(1982年)

磁気テープメディアの限界

一見、メーカーの開発負担が小さく、オペレーターの導入コストも安く、客も多種なゲームが遊べると、全方位にメリットが見込めるはずのデコカセ。初期のうちこそ毎月のように新作をリリースするほどの勢いであったが、わずか2年ほどで急速に失速していくことになる

理由のひとつとして挙げられるのは、ミニカセットテープを記録媒体に採用したことによる磁気劣化がある。ミニカセットテープは通常のテープストリーマに比べてテープ幅が細く、相対的な信頼性に難があった。特に、アーケードゲームはホコリや風雨など過酷な環境にさらされやすく、テープ自体が伸びてしまったり、カビで読み取り異常が発生するといったトラブルに見舞われたのである。

データイーストもこれらへの対応策として、『ハンバーガー』などの一部人気タイトルはROMを使用した通常基板で並行販売を行った。いわば、データイーストとしては「テープ媒体自体が足かせ」という、デコカセというシステムにおいて本末転倒な判断を下したのだ。

しかし、通常基板で併売をするということは、デコカセ自体が持っていたコピー対策という手段を自ら手放すということでもある。特に併売対象になったタイトルはいずれも人気作だっただけに、通常基板で発売された途端にコピーされ、海賊版が出回ってしまったことはなんとも皮肉な話である。

避けられないハードの陳腐化

もう一つの理由はハードウェアの陳腐化に起因するもので、むしろこちらのほうがデコカセにとって致命的な要因であった。

1980年代は特にハードウェアの進歩が著しく、新発売されたパソコンも家庭用ゲーム機も、わずか数年で旧型機扱いされてしまう時代だった。1985年頃から後追いでシステム基板化を進めていた後続メーカーでさえ、1基板あたりのライフサイクルはせいぜい1~2年程度がいいところで、常に新基板の開発にさらされる羽目に陥ったのである。

16ビットCPU搭載、数千色~数万色のグラフィック、回転拡大縮小機能、FM音源…。アーケードゲームが急速なスピードで日々進化し、最新技術を惜しみなく投入してきた時代。そんな進歩著しい時代だったからこそ、「すごいゲームを見たい」「すごいゲームで遊びたい」ためにゲームセンターへと通うゲーマーの心をつかんできたのである。

例えば、セガ1社だけでも1980年代だけで「システム16」(1985年)→「システム24」(1988年)→「システム18」(1989年)といった具合にいくつものシステム基板をリリースしているほか、「システムE」(1986年)、「システムC」(1990年)などもあり、まさにこの時期はゲームの進化を目の当たりにしてきた時代だったのだ。

そんな他社の進歩に取り残されるように、黙々と旧式スペックのまま対応ソフトだけがリリースされるデコカセ。失礼を承知で表現するなら、なかば数合わせを目的としたかのようなゲームが量産されるだけで、同時期の他社製品と対等に戦えるとは言いがたいタイトルばかりであったのも事実といえる 。

前述の通り、データイースト自身がROM基板を並行で販売した時点で、デコカセのビジネスモデルを実質的に放棄、同システムの未来は絶たれたといってもいい。後続基板が開発されることもなく、1985年に最後の対応ソフト『バルダーダッシュ』をリリースして、その生涯を閉じた。むしろ、この進化の早い1980年代で5年にもわたって現役でいられたこと自体が奇跡だったのではないだろうか。

あまりに早すぎた規格「デコカセ」

フロッピーディスクを媒体にしたセガの「システム24」(1988年)、GD-ROMを媒体にした同じくセガの「NAOMI」(1998年)、CD-ROMを媒体にした「CPS-3」(1996年)など、安価なリムーバブルメディアを使用したソフト交換型のシステム基板は、後にいくつも発表されている(ちなみに、いずれのシステム基板もドングルとのセット販売を行っている点までデコカセと共通している)。さらに、システム基板という発想自体が後のアーケードゲーム基板でスタンダードになっている点から考えても、1980年にリリースしたデコカセの先進性は疑う余地がないといえる。

惜しむらくは、ホコリや汚れに強い非接触型の光学メディアがまだ存在しなかったことと、技術進歩が著しい1980年代前半に投入してしまった点にある。また、当時の技術進化に合わせた後続規格をリリースするだけの体力がデータイーストになかった点も、結果的にデコカセを一発限りの規格で終わらせてしまった要因といえる。

40年近くたった現代から見れば、確かに貧弱に見えるかもしれないデコカセだが、その設計思想に込められたアーケードゲームの将来像は、決して間違っていなかったといえるのではないだろうか。

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