『ガレッガ』マニア集結! 深谷が濃厚な熱気に包まれた~VGMロボット主催「バトルガレッガ」生配信イベントレポート~

ゲーム以外にも楽しめる内容満載、あっという間に過ぎた7時間

▲限定手作りアイテムをめぐるジャンケン大会は白熱!

神威さんのプレイの後はジャンケン大会に突入。ゲーム関連のファッションアイテムを販売している無敵時間さんから、3枚しか作られていない神威エディションのTシャツが賞品として提供されましたほか、神威さんのサイン入りイベントポスター、神威さん手作りのコルクボード(「ブラックハートMk.Ⅱ」のサイン入り手描きイラストに、各ステージで現在の点効率で獲得可能なスコア付き!)、『バトルガレッガ』梅酒、『スーパーストリートファイターⅡX』(1994年/カプコン)プレイヤーのハスラーさんによる手作りのビーズ製『バトルガレッガ』ロゴなど。

▲今回のイベント用として特別に作られた無敵時間さんの神威エディションのTシャツ

このイベントでしか手に入らないアイテムを手に入れようと、熱い争奪戦が繰り広げられました。筆者も取材でなければ参加したかったです。

▲ゲットした人がうらやましい。取材でなければ…!

ジャンケン大会に続き、神威さん、OTKさん、ANEさんのお三方による座談会や質疑応答タイム、参加者によるプレイタイム(神威さんの解説つき!)など、夜までイベントは盛り上がっていきました。イベントの最後は、参加者からのリクエストに応えてSPECIALモード※01SPECIALモード : 通常より難度を上げたHARDERモードを2周するモード。2周目は実質3周目相当の難易度になっている。隠しコマンドでプレイ可能になる。を神威さんがプレイ。『バトルガレッガ』未クリアの参加者との協力プレイも交えながら、7時間に渡るイベントは、大盛況のうちに幕を下ろしました。

神威さんの呼びかけで実現した今回のイベント

▲イベントを見守る篠崎さん。『スーパーストリートファイターⅡX』のイベントを通じて、各地のオペレーターと親交を深めている

VGMロボットが、公式イベントを主催するのは今回が初めてとのこと。同イベントが実現に至った背景などを、篠崎さんと神威さんに伺いました。

「今回のイベントは、神威さんが『ロボットでガレッガのイベントをやってみたいな』とTwitterでつぶやいていたのがきっかけだったんです」と篠崎さん。ロボット社の山崎孝社長がその話を耳にし、「よし!やろう」という流れになったそうです。

「群馬に藤岡店があった頃からロボットさんでプレイはしていたんですよ。深谷にお店が移ってからも時々足を運んでは、コミュニケーションノートに足跡を残したりしていました」(神威さん)

都内に住む神威さんは終電が気になってしまい、それまで同店で思い切りプレイできませんでした。それがTwitterへの書き込みにつながったそうです。

「このイベントを企画するのは業務命令みたいなものでしたね」と、篠崎さんは笑いながらイベントのきっかけを振り返ります。篠崎さんは、もともと『スーパーストリートファイターⅡX 』(1994年/カプコン)のプレイヤーとして各地で対戦格闘ゲームイベントを企画・運営していた人物で、今年(2019年)3月にロボット社へ入社。同イベントの企画は、社長からの勅命だったそうです。対戦格闘ゲームのイベントは経験豊富なものの、シューティングゲームイベントは初めて。手探りな部分もありましたが、神威さんやスタッフたちの協力で成功させることができ、ホッとしたと言います。

イベントの最後に、神威さんにVGMロボットの印象を伺いました。
「VGMロボットさんに設置されている筐体数は、誰が見てもすごいと思いますよ。見たこともないようなレトロゲームが稼働していますし、あの環境だけでもすごいパワーを感じますよね。ゲームセンターって箱(店舗)だけがあればいいのではなくて、ビデオゲームを好きなスタッフがいて、ゲーム仲間がいて、それが揃っている理想的なお店だと思っています

幼少の頃から研究熱心だった神威さん

▲『バトルガレッガ』のおかげで人間関係が豊かになり、仲間たちとの切磋琢磨が成長につながっていったと言う神威さん

今回のイベントでも熱いプレイを我々に見せてくれた神威さん。筆者のような下手の横好きレベルとは何が異なっているのかを知りたくなり、全一スコアラーになるまでの道のりを質問してみました。

物心ついた頃にはファミコンがあり、初めて触れたテレビゲームはFC版の『ドンキーコング』(1983年/任天堂)や『マッピー』(1983年/ナムコ)、初めてプレイしたシューティングゲームはFC版『グラディウス』(1986年/コナミ)だったという神威さん。当時小学1年だった神威さんはパワーアップシステムの意味も分からず、ひたすらスピードアップしては最高速になった自機を操っていたそうです。やがて、デモ画面に登場する機体のように強力な武器にするにはどうしたらいいのか考えながらプレイするようになり、自力でクリアまでたどり着きました。まさに、幼い頃からすでに「神威」であったわけですね。

神威さんは中学生になると活発にゲームセンターへ出入りするようになり、『バーチャファイター2』(1994年/セガ)や『レイフォース』(1994年/タイトー)、『ダライアス外伝』(1994年/タイトー)をプレイするようになります。そこで多くのゲーム仲間たちと出会い、上級者から教えてもらうことで、当時難しいとされていた『グラディウスⅢ -伝説から神話へ-』(1989年/コナミ)もクリアします。

そんなゲーム鍛錬の日々の中で出会ったのが『ガレッガ』でした。すでにゲーム雑誌『ゲーメスト』(1986~1999年/新声社)の白星集計※02白星集計 : アーケードゲーム情報誌『ゲーメスト』で行われていたハイスコア全国集計の集計方法。半年間の全国一位を白星、それ以降の全国一位を黒星として集計していた。店舗別ランキングは白星で競われていたため、ランキング参加店舗は白星獲得を重要視していた。が終了していた時期で、出遅れた感はありましたが、先行プレイヤーの攻略情報を参考にすることができたためメリットもあったとのこと。

『バトルガレッガ』初クリアは、プレイを始めて約2カ月半後の1997年2月17日。ワイルドスネイル※03ワイルドスネイル : 通称「4号機」と呼ばれる自機。貫通弾攻撃を標準備しており、攻撃力はデフォルト機体の中ではピカイチ。神威さんによれば「初心者はこれを選んでプレイするといい」とのこと。使用での1,277万点だったそうです。その後、1999年7月31日にワイルドスネイルでの全一スコアを1,693万点で更新すると、使用する自機をガインへ変更。2000年1月21日にはガインで全一スコア1,911万点を達成します。2002年になると大台の2,000万に到達し、その後も自己スコアを更新中。現在の目標は2,100万点台だそうです。

感動させるには、高得点を出すだけではなく魅せるプレイも必要なんです。例えるなら、体操の内村航平選手。内村選手が技の難度に固執しすぎず、完成度の高い美しい競技で金メダルを獲るように、自分も高いスコアを出すだけではなく、完成された技術は芸術であるという信念を持ってアスリートのようにストイックに切磋琢磨し、プレイの美しさも追求して行きたい」(神威さん)

神威さんは自身を、シューターでもハイスコアラーでもなく「アーティスト」だと言います。『ガレッガ』は一見ゲームとしては分かりにくく、難しくて敷居が高いと思われがちですが、プレイ内容によって見る人を感動させることができる数少ないゲームの一つだと考えているそうです。

神威さんに話を伺うほど、やはり全一スコアラーは理想の追求と努力の組み合わせて生まれるものなのだなと思いました。次から次へと新しいゲームを渡り歩いた筆者には、到底たどり着けない領域であることを再確認したインタビューになりました。

都心の店舗とはまた違うアットホームさに満足

VGMロボットの『バトルガレッガ』イベントは、地方店ならではともいえるアットホームな雰囲気に満ちていました。全一スコアラーと身近に接し、レクチャーも受けられるなど、ファンにとっては有意義な1日になったと思います。定期的に開催される格闘ゲーム対戦会に加えて、今後もこのようなイベントを開催してくれることを期待したいと思います。

バトルガレッガ ©1996 EIGHTING

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