ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 京都」後編

  • 記事タイトル
    ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 京都」後編
  • 公開日
    2018年12月06日
  • 記事番号
    714
  • ライター
    忍者増田

パチンコ店として現存する「キング」
跡地確定に迷う店もチラホラ…

▲『グラディウス』のシリアルナンバー1があったという「キング 出町店」は、パチンコ屋として現存

―― そして現存していた「キング」です。キングは、京都の総合アミューズメント企業「金原機業店グループ」が経営するパチンコ店やゲーセンなんですね。

三原 そうです。キングはもともとパチンコ店で、副業でゲーセンやっていたんです。

――三原さんが当時行っていたキング系列の店舗を3つほど周りましたが、「キング 出町店」と「キング 河原町店」はパチンコ店として現存し、「プレイランドキング 円町店」もパチンコ店でしたが、2階にゲーセンが現存していましたね。

三原 「まだあったんかい!」という感じでしたね。確か「キング 出町店」は朝7時開店だった気がします。朝行くと、コーヒーとか出たような記憶があるんですよね。

大堀 モーニングコーヒーサービスがあったんですね。

▲「プレイランドキング 円町店」は2階にゲーセンが現存

三原 「キング 出町店」は、『グラディウス』(1985年/コナミ)のシリアルナンバー1か2があった店です。それだけはしっかり覚えています。建物がもう変わっていましたね。今のパチンコ店の3分の1ぐらいの大きさのゲーセンでした。

「キング 河原町店」はキングの旗艦店で、前述の「ジョイランドタイトー河原町店」の後にできたと思う。「プレイランドキング 円町店」は、近くに「シャトー」ができた後に開店した記憶があります。

――「シャトー」というゲーセンでも、三原さんはバイトされていたんですよね。

三原 はい。「シャトー」は1986年ぐらいにできたゲーセンでしたね。場所はだいぶ記憶がおぼろげで、跡地確定に迷いましたが…。

――跡地確定に迷った店といえば、3つぐらい候補が挙がった店がありましたね。

三原 ああ、四条大宮にあったセガ系列の店(※B)ですね。店名は覚えていないんですけど、四条大宮に行ったときに、たまにフラッと寄っていた小さいゲーセンでした。『』(1980年/セガ)の筺体と、『イグジーザス』(1987年/タイトー)のハーフミラー筺体がありました。ボタン操作で砲台を左右に動かすレアなバージョンのインベーダーゲームもありましたね。

なぜか、型落ちしたゲームでまかなっているイメージでした。ほかの店にはどんどん新台が入っているのに、そこからこぼれ落ちたゲームで営業している感じで…。ラインナップがかなりシュールだったんです。『Au -アウ-』(1983年/テーカン)もあった記憶がある。

大堀 テーカンがロケテやっていたゲームですね。

――大堀さんのお気に入りだった、ロケテのみでお蔵入りになった作品ですね。私は、『マイコンBASICマガジン』付録の『スーパーソフトマガジン(*01)』の大堀さんの記述で、当時名前だけ知っていました。

三原 そんなレアなタイトル、本当に置いてあったかなぁと。この店に関しては、特に俺の記憶に自信がないです。この店自体が俺の夢だったのかもしれません(笑)。

――そんな…(笑)。確かな情報を知っている方は「ゲーム文化保存研究所」までご連絡を…。

リアルバトルもあった「京都オリンピア」

▲かつてゲーセンだった「京都オリンピア」は、京都で一番最初のプリクラ専門店に。飛行機の看板がインパクト大!

――新京極にあった、シュールな飛行機の看板で有名なゲーセン「京都オリンピア」は、名前はそのままでプリクラ専門店になっていましたね。

三原 昔は「京都オリンピア」の隣にも2軒ゲーセンがあったんですよ。

――右隣には「スターダストⅠ」というゲーセンがあって、 2015年に閉店したようですね。「京都オリンピア」にどんな思い出がありますか?

三原 行っていたのは35年前くらいですかね。ヤンキーとよく抗争になっていました。

――抗争?(笑)

▲昔、飛行機の色はピンクだったと三原氏は主張。その通り、タイヤの部分に名残が

三原 もう、ずばり殴り合いですね。ヤンキーに金を巻き上げられそうになって、やり返していました(笑)。俺はいかにも巻き上げられそうな格好をしていたので。ここは、場末のゲーセンという雰囲気でした。

――意外と三原さんは武闘派だったのですね。でも、この店の飛行機の看板はインパクトがありますね。当時、儲かっていないとつけられないシロモノかと…。

大堀 ですよね。だってあれ、たぶん本物の飛行機をチョン切ったんでしょ? オーナーが好きだったんでしょうね、きっと。

――もうプリクラ店としては関係ないのに、いまだに残ってるのがいいですよね。

三原 当時はあんな色じゃなかったので、塗り直していると思うんですよね。昔はピンク色だった気がします。

大堀 タイヤの部分にわずかに名残がありましたよ。まだ少しピンク色の部分が残っていました。

▲大堀所長が指差す先、閉店しているプリクラ店「MIRA-PRI」の場所(※C)も、かつてゲーセンだった。当時、三原氏はこの店で定規を使って『ハイパーオリンピック』(1983年/コナミ)をプレイして、店員に怒られたとのこと

「人参倶楽部」の命名由来は必聴
『ファイナルラップ』インカムすごすぎ事件

▲「オレンジバイク」という自転車屋が「人参倶楽部」の跡地。人参→ミカンという「野菜・果物」つながりに、なんらかの縁を感じる…?

――最後は、私が今回個人的に一番気になっていたお店、「人参倶楽部」のお話を伺ってシメとしたいと思います。

三原 「人参倶楽部」は近くに立命館大学があって、なんのゲームを置いても客がたくさん入るゲーセンでした。そして、ここからの話は都市伝説レベルなんですけど…。

――はい、皆それ前提で聞くということで、お話しください。

三原 ここはもともとゲーセンではなくて、何かの店先にゲームが何台か置いてあったぐらいの場所だったそうです。でも、客が引っ切りなしにゲームをやりにきて繁盛しているので、「もうここをナムコにやらせよう」という話になったらしいんです。

――なるほど。このままではもったいないと。

三原 そこで店名を改名することになったんですが、店側は「プレイシティキャロット」や「ビッグキャロット」のように、ナムコ直営店が冠している「キャロット」を使いたい。だけど「キャロット」は使えないと、ナムコ側から言われてしまったんです。

でも、店側は黙っていても客がドカドカ入る店なのに、「キャロット」が使えないなんて格が落ちるし納得がいかない。そこで店長が「じゃあ人参なら文句ないやろ」と。折衷案として「人参倶楽部」となったんです(笑)。ナムコが渋々認めたという、そんな経緯があったと聞きました。

――それは、本当ならばとてもおもしろいエピソードですね(笑)。店長には繁盛店としてのプライドがあったんですね。個人的には「人参倶楽部」というのもかわいらしくて、それはそれで良い店名な気がします。

三原 ここでは、『ファイナルラップ』(1987年/ナムコ)についていろいろと思い出があります。

――そちらのお話もぜひお聞かせください。

三原 俺は「人参倶楽部」で『ファイナルラップ』の搬入を手伝ったんですが、まず狭い道なのでトラックが困っていました。そして筺体を店内に運ぶときに、入り口の階段に筺体をぶつけて、階段の一部を砕いた記憶があります(笑)。

――砕けたのが筺体のほうじゃなくてまだ良かった…と言ってもいいのでしょうか。

▲確かに現在も階段の一部が砕けたままだった! だが、これが当時の名残りかは不明

三原 まだあるんです。『ファイナルラップ』を朝一で設置して、その日の夜に店長から「来てくれ」と連絡があったんです。もしかしたら次の日だったかもしれないですが…。

何が起きたかというと、『ファイナルラップ』が大盛況すぎて、コインシューターがパンパンになって、お金が詰まってしまっていた。その場で集計したら、確か10万円以上。1日で10万稼ぐってほとんど不可能だと思っていたんだけど、「人参倶楽部」ではそれが達成されてしまったんです。

――そこまでいくと、いろんな意味で本当に伝説のゲーセンですね。

三原 普通、100円のゲームだと1日でもマックス5万円くらいなんです。『ファイナルラップ』は京都では本当にヤバかったですね。俺が知っている限り、当時京都で一番インカムがあったゲームじゃないかと思います。


不定期でお届けする「聖地巡礼」シリーズ。第3弾は、アリカの三原一郎氏が学生時代をすごした「京都」を訪ねました。朝から京都に集合し、日が落ちるまでに約20軒も回ることができたのは驚異的。三原氏の記憶力と、巡回順路まで綿密に考えてくれた計画性、衰えぬ土地勘のおかげです。次回の探訪はどこに? 第4弾もお楽しみに!

【懐かしのゲームセンター住所一覧】

店名住所現店舗
スポーツランド北白川京都市左京区一乗寺塚本町111ライフ北白川店
店名不明(※A)京都市中京区西ノ京東中合町70コナミスポーツクラブ西大路御池
ジョイランドタイトー河原町店京都市中京区河原町通三条下ル奈良屋町301-1河原町イーゴス(閉店)
ジョイランドタイトー美松店京都市中京区新京極通四条上ル中之町583-2NINJA KYOTO
キング 出町店京都市上京区河原町通今出川下ル梶井町447-22現存(パチンコ店)
キング 河原町店京都市中京区河原町蛸薬師下ル塩屋町334現存(パチンコ店)
プレイランドキング 円町店京都市中京区西ノ京西円町40現存
シャトー京都市中京区西ノ京円町2京進スクール・ワン 円町教室
店名不明(※B)京都市中京区錦大宮町不明
京都オリンピア京都市中京区新京極蛸薬師下ル東側町502「プリクラ専門店 京都オリンピア」として現存
スターダストⅠ京都市中京区新京極蛸薬師下ル東側町502ハリケーン寺町京極店
店名不明(※C)京都市中京区中之町538 MIRA-PRI(閉店)
人参倶楽部京都市北区小松原北町56-12オレンジバイク 衣笠キャンパス前店

※上記のデータは本記事に登場する各ゲームセンターがあった現在の所在地です。

三原 一郎 氏

1968年生まれ。京都府出身。立命館高等学校を卒業後、京都芸術短期大学に入学。タイトー在籍時は『パズニック』、カプコン在籍時は『ロックマン5』『ロックマン6』などの開発に携わる。1995年、西谷亮氏(アリカ社長)と共に株式会社アリカを設立し、『ストリートファイターEX』や『テトリス ザ・グランドマスター』などを開発。約30年にわたりゲームを作り続けている人物。現在はアリカ取締役副社長。
Twitter

忍者増田

脚注   [ + ]

01. スーパーソフトマガジン』 : 電波新聞社が刊行していたゲーム雑誌『マイコンBASICマガジン』の別冊付録。アーケードゲームやPCゲームの情報や攻略法が記載されていた。かつて大堀所長はライターとして同誌に寄稿していた。

こんな記事がよく読まれています

2019年09月27日

『ナイトストライカー』を作った男たち 前編

海道賢仁×津森康男 ダブルインタビュー 今からちょうど30年前の1989年、タイトーからリリースされた名作シューティングゲームが『ナイトストライカー』である。セガの体感ゲームの数々が人気を博していた当[…]

2019年10月18日

なかったはずの海外アーケードゲームを楽しむ男 前編

1980年代初頭から「ゲームブティック高田馬場」(すでに閉店した、高田馬場にあったナムコ直営のゲームセンター)を中心に、海外のアーケードゲームのおもしろさを多くのプレイヤーに広めた男がいた。自分の好き[…]