ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 東武東上線 川越」
前回大好評だった「ゲームセンター聖地巡礼」企画。第2弾となる今回は、ゲーム業界に長く身を置き、さまざまな人気ゲームを生み出してきたお2人、アリカ社長の西谷亮(あきら)氏とスリーリングス社長の竹中善則氏の登場です。
古くからの友人同士であるお2人が学生時代に通っていた東武東上線沿線のゲームセンター(以下、ゲーセン)跡地を、当研究所の大堀康祐所長と共に巡り、懐かしい思い出を語っていただきました。
まずは竹中氏が子供時代を過ごした川越へ。知られざる竹中氏の学生時代に迫ります!
1968年生まれの屋上遊園地「丸広百貨店わんぱくランド」
ゲームコーナーも乗り物も現存!
――今回は竹中さんのホーム、川越駅付近にあったゲームセンターについてお話しいただきます。竹中さんが当時よく行っていたという丸広百貨店屋上のゲーセンは、「丸広百貨店わんぱくランド」という名前で現存していましたね。
竹中 ここでは昔『ゼビウス』(1983年/ナムコ)とか『マッピー』(1983年/ナムコ)なんかをやっていたんですけど、今回訪問したら、ゲームコーナーに「バンダイナムコ」の文字がありましたね。当時からナムコの台が多いなあと思っていたら、ナムコが経営していたんだなあ。
――丸広百貨店わんぱくランドは、1968年に誕生した屋上遊園地のようですね。ゲームコーナーだけでなく、観覧車、モノレール、飛行機などの乗り物も残っていたのが素敵です。
竹中 乗り物は、おそらくほぼ当時のままですね。変えているとも思えないし。懐かしいです。
――のちに竹中さんは、ここでアルバイトをするようになったと伺っています。
竹中 そうなんです。でも、室内にあるゲームに触りたくてバイトしたのに、観覧車係にされてしまったんで、すぐに辞めました(笑)。
――それは残念でしたね。ここでのバイトはどれぐらい続けられたんでしょうか?
竹中 たぶん1週間ぐらいで辞めたと思います(笑)。その後、今度はボウリング場にあったゲーセン(後述)でバイトするようになったんですよね。
プレイシティキャロットは『ドルアーガの塔』専用店?
――丸広百貨店のある通りは、クレアモール(川越サンロード商店街と川越新富町商店街の統一名称)と呼ばれる商店街となっています。この通りには、当時からゲーセンがたくさんあったのでしょうか?
竹中 ありましたね。丸広百貨店の近くに、確か「プレイシティキャロット」(ナムコ直営店)もあった気がするんですよね。そこで『ドルアーガの塔』(1984年/ナムコ)をプレイしていた思い出があります。
――そちらでは、ほかにどんなゲームをプレイしていましたか?
竹中 その店はほぼ『ドルアーガの塔』だけですね。『ドルアーガの塔』の謎を知っている奴らが集まる場所だったんですよ。
――なるほど。そのお店で、情報収集も兼ねて『ドルアーガの塔』をプレイしていたんですね。
竹中 そうです。それまでは、この商店街に来たら丸広百貨店の屋上に行っていたんだけど、その店で『ドルアーガの塔』の情報を集めながらプレイできるということが分かり、そちらにも行くようになったんですね。
大堀 あのゲームを、当時よくアーケードで出したよねぇ(*01)。
西谷 普通に考えたらおかしいですよね。まともにやったら金食い虫ですから(笑)。
竹中 『ドルアーガの塔』は「ナムコの貯金箱」って言われていたらしいですからね(笑)。
――でも当時のゲーマーは、あの今までにない謎解き要素の斬新さに食いつき、攻略に躍起になっていたというわけですね。お話を伺っていると、竹中さんは当時ナムコファンだったのでしょうか?
竹中 ナムコが一番好きでした。本当はナムコに入りたかったんですから(*02)(笑)。
バイト中に『スターフォース』の裏技発見
――竹中さんは「丸広百貨店わんぱくランド」のバイトを辞めた後、川越駅付近のボウリング場でバイトしていたということですが、そちらではゲームに触れることができたわけですね?
竹中 そうですね。そこは完全にゲームコーナーのバイトを募集していたんで。
――どんなゲーセンだったのでしょうか?
竹中 あらゆるゲームが、けっこう早くから入っていた印象がありますね。広さがそれなりにあったんで。『タイムギャル』(1985年/タイトー)みたいな、アップライト筺体のレーザーディスク系ゲームもありました。当時、俺はここで『スターフォース』(1984年/テーカン)の「潜り」を発見したんです。
――「潜り」とは?
竹中 ある時、ジョイスティックの調子が悪くて、電源入れっ放しのまま手入れをしていたんです。で、ジョイスティックの上と下を同時に入力していたら、自機が下にどんどん下がっていって、画面外に隠れてしまった。自機は画面外に出ちゃってるから死ぬことはなく、永久にプレイできちゃうという状態に…。
――あ、思い出しました。当時あった有名なバグらしいですね。竹中さんは『ウィズ』(1985年/タイトー)の「半額プレイ」も発見したと伺っています(次回で詳述)。そういった技を発見する才能をお持ちなのかもしれませんね。
西谷 でも、意外にこの技は難しいんですよね。やりすぎると自機が画面の上から出てきちゃうんです(笑)。
脚注