ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 東武東上線 川越」

  • 記事タイトル
    ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 東武東上線 川越」
  • 公開日
    2018年09月28日
  • 記事番号
    571
  • ライター
    忍者増田

前回大好評だった「ゲームセンター聖地巡礼」企画。第2弾となる今回は、ゲーム業界に長く身を置き、さまざまな人気ゲームを生み出してきたお2人、アリカ社長の西谷亮(あきら)氏とスリーリングス社長の竹中善則氏の登場です。

古くからの友人同士であるお2人が学生時代に通っていた東武東上線沿線のゲームセンター(以下、ゲーセン)跡地を、当研究所の大堀康祐所長と共に巡り、懐かしい思い出を語っていただきました。

まずは竹中氏が子供時代を過ごした川越へ。知られざる竹中氏の学生時代に迫ります!

1968年生まれの屋上遊園地「丸広百貨店わんぱくランド」
ゲームコーナーも乗り物も現存!

▲丸広百貨店の屋上にある「丸広百貨店わんぱくランド」

――今回は竹中さんのホーム、川越駅付近にあったゲームセンターについてお話しいただきます。竹中さんが当時よく行っていたという丸広百貨店屋上のゲーセンは、「丸広百貨店わんぱくランド」という名前で現存していましたね。

竹中 ここでは昔『ゼビウス』(1983年/ナムコ)とか『マッピー』(1983年/ナムコ)なんかをやっていたんですけど、今回訪問したら、ゲームコーナーに「バンダイナムコ」の文字がありましたね。当時からナムコの台が多いなあと思っていたら、ナムコが経営していたんだなあ。

▲ゲームコーナーも乗り物も現存

――丸広百貨店わんぱくランドは、1968年に誕生した屋上遊園地のようですね。ゲームコーナーだけでなく、観覧車、モノレール、飛行機などの乗り物も残っていたのが素敵です。

竹中 乗り物は、おそらくほぼ当時のままですね。変えているとも思えないし。懐かしいです。

――のちに竹中さんは、ここでアルバイトをするようになったと伺っています。

竹中 そうなんです。でも、室内にあるゲームに触りたくてバイトしたのに、観覧車係にされてしまったんで、すぐに辞めました(笑)。

――それは残念でしたね。ここでのバイトはどれぐらい続けられたんでしょうか?

竹中 たぶん1週間ぐらいで辞めたと思います(笑)。その後、今度はボウリング場にあったゲーセン(後述)でバイトするようになったんですよね。

▲観覧車「わんぱくホィール」前で記念撮影(左から竹中氏、西谷氏、大堀所長)

プレイシティキャロットは『ドルアーガの塔』専用店?

▲この辺りに「プレイシティキャロット」があったのではないかと竹中氏。2階の「tip・top」という美容室にセガの某アーケードゲームを連想し、一同ニヤリ

――丸広百貨店のある通りは、クレアモール(川越サンロード商店街と川越新富町商店街の統一名称)と呼ばれる商店街となっています。この通りには、当時からゲーセンがたくさんあったのでしょうか?

竹中 ありましたね。丸広百貨店の近くに、確か「プレイシティキャロット」(ナムコ直営店)もあった気がするんですよね。そこで『ドルアーガの塔』(1984年/ナムコ)をプレイしていた思い出があります。

――そちらでは、ほかにどんなゲームをプレイしていましたか?

竹中 その店はほぼ『ドルアーガの塔』だけですね。『ドルアーガの塔』の謎を知っている奴らが集まる場所だったんですよ

――なるほど。そのお店で、情報収集も兼ねて『ドルアーガの塔』をプレイしていたんですね。

竹中 そうです。それまでは、この商店街に来たら丸広百貨店の屋上に行っていたんだけど、その店で『ドルアーガの塔』の情報を集めながらプレイできるということが分かり、そちらにも行くようになったんですね。

大堀 あのゲームを、当時よくアーケードで出したよねぇ(*01)

▲商店街では新しいゲーセンも何軒か見かけた

西谷 普通に考えたらおかしいですよね。まともにやったら金食い虫ですから(笑)。

竹中 『ドルアーガの塔』は「ナムコの貯金箱」って言われていたらしいですからね(笑)。

――でも当時のゲーマーは、あの今までにない謎解き要素の斬新さに食いつき、攻略に躍起になっていたというわけですね。お話を伺っていると、竹中さんは当時ナムコファンだったのでしょうか?

竹中 ナムコが一番好きでした。本当はナムコに入りたかったんですから(*02)(笑)。

▲namcoもあればMONACOもあり

バイト中に『スターフォース』の裏技発見

▲川越駅付近のこの辺りに、かつて竹中氏がバイトしていたボウリング場があった

――竹中さんは「丸広百貨店わんぱくランド」のバイトを辞めた後、川越駅付近のボウリング場でバイトしていたということですが、そちらではゲームに触れることができたわけですね?

竹中 そうですね。そこは完全にゲームコーナーのバイトを募集していたんで。

――どんなゲーセンだったのでしょうか?

竹中 あらゆるゲームが、けっこう早くから入っていた印象がありますね。広さがそれなりにあったんで。『タイムギャル』(1985年/タイトー)みたいな、アップライト筺体のレーザーディスク系ゲームもありました。当時、俺はここで『スターフォース』(1984年/テーカン)の「潜り」を発見したんです。

――「潜り」とは?

竹中 ある時、ジョイスティックの調子が悪くて、電源入れっ放しのまま手入れをしていたんです。で、ジョイスティックの上と下を同時に入力していたら、自機が下にどんどん下がっていって、画面外に隠れてしまった。自機は画面外に出ちゃってるから死ぬことはなく、永久にプレイできちゃうという状態に…

――あ、思い出しました。当時あった有名なバグらしいですね。竹中さんは『ウィズ』(1985年/タイトー)の「半額プレイ」も発見したと伺っています(次回で詳述)。そういった技を発見する才能をお持ちなのかもしれませんね。

西谷 でも、意外にこの技は難しいんですよね。やりすぎると自機が画面の上から出てきちゃうんです(笑)。

脚注

脚注
01 当時よくアーケードで出した : 『ドルアーガの塔』は、主人公ギルが恋人カイを救うために60階建ての塔に挑むという内容だが、各階に隠された宝箱の出現方法が独特。出現方法は各階ごとに異なる上、スタートボタンを押したり、レバーを特定の方向に決められた順で入力したりと、通常では思いつかないような条件も設定されている。このような攻略法がゲーマーの口コミなどで解明されていったという、当時において斬新かつ挑戦的なアーケードゲームであったという意味。
02 ナムコに入りたかった : 竹中氏は1986年にカプコンに入社している。

こんな記事がよく読まれています

2018年04月10日

ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 新宿」前編

今回から、新企画「ゲームセンター聖地巡礼」の連載がスタートします。当研究所・所長の大堀康祐氏と、ゲームディレクターであり当研究所のライターとしても協力いただいている見城こうじ氏のお2人が、1980~1[…]