近代ビデオゲームの原点『スペースインベーダー』を生んだゲーム業界の父!西角友宏氏インタビュー 前編

  • 記事タイトル
    近代ビデオゲームの原点『スペースインベーダー』を生んだゲーム業界の父!西角友宏氏インタビュー 前編
  • 公開日
    2019年04月26日
  • 記事番号
    1004
  • ライター
    こうべみせ

近代ビデオゲームの父である西角友宏氏。これまで何度か当サイトでも取り上げてきた人物であり、もはや説明不要だとは思うが、西角氏はビデオゲームの金字塔『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)の開発者であり、ビデオゲーム黎明期から活躍してきたゲームデザイナーのルーツとも言える人物である。

これまでも西角氏はさまざまなメディアのインタビューを受けており、繰り返し語られてきた話題も多い。今回はなるべく新鮮な情報をお届けできるように、独自の視点で氏のゲーム開発に対する考え方や人物像に迫った。

これまで多く語られてきていなかった事実が浮き彫りになるロングインタビューの1回目は、『スペースインベーダー』に焦点を当てていく

【聞き手】
ゲーム文化保存研究所
所長:大堀 康祐
ライター:こうべみせ

コスト増を気にして諦めた不気味に光るインベーダーの目

▲1978年当時の本作の画面。目が光る演出が加えられていたら、より宇宙人的に見えたかもしれない(画面:公式サイトより引用)©TAITO CORPORATION 1978 ALL RIGHTS RESERVED.

――本日は西角さんとお話できるということで、大変緊張しております。これまで本作についてはさまざまな媒体で繰り返し同じことを質問されてきたでしょうから、今回は違う切り口でお話をお聞かせ願えたらと思います。とはいえ、やはり『スペースインベーダー』について気になっていることもあるので、まずはそこからお伺いしていきます。

西角 どうぞ。

――クリエイティブ系の仕事をしている多くの人は、作品を世に出した後から「あの部分はこうしておいたほうが良かった。この要素だけは直せるものなら直しておきたかった」などと感じていることが少なからずあると思っています。西角さんも『スペースインベーダー』に対し、当時に戻れるならブラッシュアップしたいと思っている部分はございますか?

西角 そうですね。では、あのようにヒットすることが分かっていたらという前提でお話します。ゲーム性については今でもまったくいじる必要はないと思っているんですよ。でも、ゲーム性とは直接関係ない細かな部分で当時やりたかったことがあります。実は(インベーダーの)目を光らせたかったんですよ

――目、ですか?

西角 インベーダーが歩きながら目を光らせるという演出を入れたかったのですが、ハードウェアの能力や機能の制限があって、それを解決するための時間や費用がなかったんです。インベーダーが「ズン、ズン、ズン」って足を動かして移動するのに合わせて、目が「ピカッ!ピカッ!ピカッ!」って点滅すれば、もっと宇宙人らしさが強調できたんじゃないかと思いますね。

▲ジェスチャーまで加えて目の光について語る西角氏。よほどのこだわりを持っていたのだろう

――現在のプログラミングの感覚では簡単なアニメだとつい考えてしまうのですが、当時としてはそんなに大変なことだったのですか?

西角 その表現をするためにはスクリーンRAM(*01)がもう1枚必要だったんですよ。当時は(部品の価格が)高価だったので目の点滅は諦めました。会社にスクリーンRAMを追加したいと言っても、「目を光らせたい理由だけでそんなことできるか」って反対されそうでしたしね。

当時はスクリーンRAMがものすごい高価でしたから。でも、黙って実装しちゃってもバレなかったかもしれないですね。今にして思えば、周りにいる(社内の)人間もそこまで細かく計算しながら設計してなかったでしょうし(笑)。だけど当時は自分からコスト増に配慮して諦めたんです。だから、今でも光らせたかったと思っているんですよ。

――西角さんとしては、もっとインベーダーを表情豊かにしたかったというところでしょうか。

西角 そうそう。「インベーダーは怖いんだぞ」という雰囲気をもっと出したかった。初めはゆっくり点滅しているんだけど、ゲームが進むにつれて目が激しく点滅するようなアニメーションにしたかったなあ。モーションにしても2パターンで歩く動作を表現していましたが、もうちょっとパターンを増やしたかった。

――ゲーム性については、いじる必要はないと思っているとのことですが、ご自分から見ても採点は100でいいという感じでしょうか。

西角 うーん。100点とは言えないんですけどね。当時は(ゲーム性が)これでいいのか分からず作っていましたし。ただ、周囲にいた技術系の人たちのどの方からも「おもしろい」と言われたのを覚えています。その言葉を信じて完成させた感じですね。「遊び方自体についてはこれでいいのかな」と、当時から思っていました。

スプライト機能の研究はインベーダー以前から行っていた

▲当時の基板。「スプライトを実装させたかった」と西角氏(タイトー提供)

――西角さんへのインタビュー記事で、当時スプライト(*02)機能を基板に載せたかったと語っていらしたものを読んだことがあります。ナムコさんの『ギャラクシアン』(1979年)にスプライト機能が載っているのを見て悔しい思いをされたという記事でしたが、その辺について詳しく教えていただけますか。

西角 スプライトはもともとアタリが考え出した回路なんですけど、(本作を制作する)前からアタリの回路は研究していました。こういう(画像表示の)回路もあるんだなと見ていたんですけど、高速に表示はできるがコストがちょっとかかるものだったんですね。スプライト機能を実装するには高速のRAMが必要で、やはり当時は高価なパーツだったんですよ。なので、自分はコストのかからない普通のやり方で基板を作ったわけです。まだCPUを採用する以前の話ですよ。

スプライトは高速化のためにいずれは必要だなと考えていたのですが、『スペースインベーダー』はスクリーンRAMを使って表示を行い、スプライト回路は載せませんでした。しかしやはり、それでは処理能力が低く、スピードが出ない。もっと高速に表示できるものが必要だなと思っていたときに『ギャラクシアン』が出てきたんですよ。

『ギャラクシアン』自体の遊び方は『スペースインベーダー』と似たようなものでしたが、キャラクターはものすごく激しく動いていたんで気になりました。そこで回路図を取り寄せて――取り寄せてというか、当時は基板を購入すると回路図が付いてきたので――回路図を手に入れたんです。回路図を見たらスプライト機能が付いていたので「ああ、やられたな」と思いました。画面の動きを見てというよりも、回路図を見て悔しいなと感じましたね

――当時、スプライト機能を基板に実装すると、どのくらいコストがかかったのでしょうか。

西角 『ギャラクシアン』の基板は『スペースインベーダー』より高かったのは確かでしょうね。スプライト機能のために高速RAMが必要でしたし。でも、半導体の価格はこなれるのが早いから、もしかすると『ギャラクシアン』がリリースされた頃には部品コストも下がってきていたかもしれませんね。

当時の電子部品はアメリカ製ばかりで値段も高かった

▲当時は海外の電子部品ばかりだったので、コストが気になってやりたいことができなかったという

――本作がリリースされた1970年代後半頃は、技術的に基板へ搭載可能だった電子部品や回路にどのようなものがあったのか興味があります。

西角 電子部品はやっぱりアメリカの製品が主流でしたね。日本も後になってから東芝とかが作りはじめましたけど、当時はほとんどのパーツがアメリカ製でした。インテルとかテキサス(テキサス・インスツルメンツ社)とかの製品ばかりで、国産(のパーツ)は少なかったですね。もちろん(輸入品だから)その分コストも高かったですけど。

『スペースインベーダー』の基板に載せていたのは、先ほども言ったスクリーンRAMです。使われているのはDRAMなんですけど、そういうパーツの値段がけっこう高かったですね。とにかく高価だったので、スクリーンをもう1枚増やすのは無理かなと思った理由の一つなんです。

アメリカ製に限られていたような状況だったので、資料となるデータブックもアメリカのものばかりでした。日本でも74シリーズ(*03)とかは作っていたように記憶はしているのですが、国産品のデータブックはほとんど出てなかったですね。

脚注

脚注
01 スクリーンRAM : 画面描画用のRAM。現在のハードウェアで言うところの「フレームバッファ」的なもの。
02 スプライト : 画像合成機能の一つ。アニメーションのセル画をイメージしてもらえるといいだろう。背景に重ね合わせる際に、論理演算のような処理を実装しないで済み、高速で画面上を動き回るキャラクターを表示させることができる。
03 74シリーズ : TTLという種類の汎用ロジックICシリーズで、製品型番頭文字に74と書かれていた。論理回路を内蔵するICとして、家電製品や産業用制御機械などに使われていた。

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