『ベーマガ』同窓会その② 歴代ライターたちが次々と発言!『ベーマガ』の衝撃的な制作の舞台裏
ゲーム雑誌の先駆け的存在でもある『マイコンBASICマガジン』、略して『ベーマガ』。
その名物編集長であった大橋太郎編集長と、歴代ライターであった手塚一郎氏と大堀所長、そして私、見城こうじによる『ベーマガ』同窓会企画第2弾は、『ベーマガ』制作の舞台裏の話で盛り上がりました。
最盛期には28万部以上の売り上げを誇った『ベーマガ』の知られざる制作背景、名物コーナー「チャレンジ!ハイスコア」ができるまで、そして歴代ライターの交友事情まで、レアな情報が満載。どんな話題が飛び出すか、『ベーマガ』同窓会の第2弾がいよいよ始まります!
大橋編集長と大堀所長との出会い
見城 大橋編集長と大堀くんとはどのように出会われたのですか?
大橋 ちょうど『ゼビウス』のゲーム移植の話が出た頃かな。そのころ、移植と同時にゲームの解析をしなければならないっていうんで、ゲームの解析本などいろいろと情報を集めていました。それで、ナムコに行って、恐らく『ゼビウス』開発者の遠藤さんと「『ゼビウス』を解析するのにどうしたらよいのか」という話をした時だと思うんだけど、(遠藤さんに)「大堀くんというのがいるから、あの人に聞いてみたら?」って言われたんですよ。
高校生なのに『ゼビウス』の解析書作っているから面白そうだなぁと思って、いろいろと調べて、大堀くんが当時通っている学校をつきとめました。
それで、大堀くんの学校が終わるまで近くの場所で待っていて、学校から出てくるとすぐに拉致するように編集部へと連れていきました。それで、『ゼビウス』の攻略記事を書かないかと説得しましたね。
見城 それって大堀くんってわかって、声をかけたんですか?
大橋 いや、電話したんじゃなかったのかな。当時は携帯とかなかったんで、しつこく待っていましたね。大堀くんを編集部に連れてきて、その後 大堀くんの『ゼビウス』に対する思いがあまりにも熱かったんで、編集部みんなで感動しましたね。
見城 それって大堀くんも覚えているんですか?
大堀 いや、あんまり…(笑)。それよりも最初に『スーパーソフトマガジン』の雑誌を作るという話があって、大橋編集長から最初に『ゼビウス』の記事を書いてくれと言われました。
当時『ゼビウス』について書いた元原稿は再販を委託した田尻くん(田尻智氏:『ポケットモンスター』の生みの親)に渡していて、同時期に出すのは無理なんで『マッピー』から行きましょうという話をしたことは覚えています。
大橋 でも僕は『ゼビウス』しか頭になかったんだけど、『マッピー』もいいねぇという感じになりまして…。それで、大堀くんが最初に担当した攻略記事は、『マッピー』になったわけです。