『ベーマガ』同窓会その③(最終回) 『ALL ABOUT namco』の制作裏話

  • 記事タイトル
    『ベーマガ』同窓会その③(最終回) 『ALL ABOUT namco』の制作裏話
  • 公開日
    2018年02月05日
  • 記事番号
    198
  • ライター
    見城 こうじ

マイコンBASICマガジン』の大橋太郎編集長と歴代ライターによる同窓会企画。第3弾の今回は、『ALL ABOUT namco ナムコゲームのすべて』(以下、AAN)の制作裏話を中心に盛り上がりました。

『マイコンBASICマガジン』(以下、ベーマガ)でゲーム誌人気に火がつき、ナムコの人気ゲーム攻略をギュッと詰め込んだ別冊『AAN』が発売されたのは、1985年10月のこと。定価2,500円にもかかわらず10万部を超えるヒットとなり、その後シリーズ化されました。『AAN』では、『ベーマガ』と同じく大橋編集長を中心に、元ライターの手塚一郎氏、当研究所の大堀康祐所長、そして私、見城こうじも執筆を担当。

当時画期的であった「ドット絵」企画「ゲーム音楽の譜面」企画はどのように生まれたのか、そして、大橋編集長がナムコにこだわる理由とは何かを、改めて聞きました。

『ALL ABOUT namco ナムコゲームのすべて』のきっかけとは?

▲10万部以上を売り上げたという『AAN』

見城 『AAN』の企画はどこから始まったものなのですか?

大橋 『ベーマガ』の記事がいっぱいたまってきて、こんなにいい記事があるんだったらまとめようという話になりました。

見城 でも、あれって書き下ろしでしたよね?

大堀  『ゼビウス』と『マッピー』以外、全部ですよ、全部(笑)。他のゲームの記事は全部書き下ろされたものです。

大橋 突発的に僕も思いついて、やるんだったら当時発売されていたナムコ作品を全部やろうと話が決まり、それでライターのみんなに割り振ってやりました。

見城 手塚くんは最初に『AAN』の話が来た時のことを覚えている?

手塚 僕は覚えていますよ。

見城 どんなふうに話が来たの?

手塚 ただ「ナムコの本を作るから、書かないか?」と。

一同 (笑)

大堀 「どのゲームを担当する?」とか言われたの?

手塚 順番的にはわからないですけれども、僕には(『AAN』の)話が来た時に選択肢があって、選べたんですよ。

大堀 そうだよね。

見城 僕に話が来たのは最後の方だったから『ギャラガ』だけが残っていて、「『ギャラガ』しかないんだけど、お願いできるか」といって話が来たんだよね。

大堀 確か、手塚くんと小林くん(EXCAHNGER氏)あたりが結構なページの担当を押さえていましたよね。

手塚 小林はおそらく最初に声をかけられて、多くのページを抱えていたんですよ。そしたら後から「できない」って言われて。なので、僕は(彼の担当する記事の)写真撮影をノーギャラでやった記憶があります(笑)。

今だから明かせる失敗談

見城 写真撮影といえば、当時は自分たちで写真を撮っていましたよね?

大橋 そうだね。これ(『AAN』)の写真もほとんど僕が撮ったんだよね。当時はデジカメなんて便利なものはなかったし、加工も大変だったしね。ゲーム画面をオート露出で撮ろうとすると全部色が変わってしまうので、露出を固定してやるんだという方法を独自に編み出したりしていたなぁ。

手塚 『スーパーソフトマガジン』の時は、ゲーム画像やマップってすべてイラストだったじゃないですか。『AAN』からゲーム画像が写真に変わりますが、どうしてあの時、写真を紙焼きしてつなごうという発想が出てきたんですかね? あの発想には本当にびっくりしましたね。

見城 あの手法は『AAN』や『スーパーソフトマガジン』が初めてだったんですかね?

手塚 たぶん、電波新聞社が最初だったと思いますよ。

大橋 そうだね、最初にあの手法を取り入れたのは、うちが初めてだったかもしれない。あの頃、僕はもともと写真好きで、入社したての頃は写真部に入り浸っていろんな技術を学んでいたね。それに、写真部の人たちからも意見をもらいながら、短時間で加工できるあの(紙焼き)手法が編み出されたんだと思うよ。

手塚 あの手法って大変な技術がいるんですよ。実際にあの手法を試されたことありますか?

大堀 自分ではどうかなぁ、大変な労力がいるのは想像できるけど…。

手塚 写真の切り方を気にしながら考えて撮るんですよ。

大堀 余計なものが写らないようにとか?

手塚 そうですね。一番大変だったのは『メトロクロス』です。缶を蹴って前にいくとまずいんですよ。

見城 ちゃんと整合性がとれるように撮らなくてはいけないんだよね。

▲『AAN』でも執筆をした手塚氏(左)と私(見城・右)

手塚 そうなんですよ。

大堀 大変だなぁ。

手塚 ただ、結構ミスがあった気がします。

大橋 あの頃の一番大きなミスは、夜中に写真つなぎをやっていたから、どこかの面が逆さまになってしまったことかなぁ。

▲写真をつなげて作ったゲームマップ。ライター泣かせの作業だった

大堀 それって『ゼビウス』ですよ。

見城  『AAN』に掲載されている『ゼビウス』のマップに間違いがあるということですか?

大橋 だから、再版された時にだれかが気がついて、直したんじゃないかな。

見城 それなら、後から出版された小さいサイズの本では直っているんじゃないですか?

大堀 今、見ているのは再販版なので、直っているはずですよ。

大橋 そうかなぁ、覚えてないけれども…。それにしても、(当時の本を見ながら)こんなことよくやりましたね。今だったらデジタルだからいくらでも簡単に加工できるけど、昔は大変だったよね。

大堀 今は画像も簡単に修正できますしね。

大橋 しかも、どの場面で何が出てくるかをちゃんと解説しなきゃいけなかったので、写真はいっぱい使いましたね。新聞社なので、湯水のごとくフィルムを使っても文句言われませんでしたし。

見城 当時、僕らライターは学生だったので、ずいぶんご迷惑をおかけしたと思いますが…。

大橋 いやいや、とんでもない。あの頃は面白かったし、今はいい思い出だね。

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