『ベーマガ』同窓会その③(最終回) 『ALL ABOUT namco』の制作裏話

  • 記事タイトル
    『ベーマガ』同窓会その③(最終回) 『ALL ABOUT namco』の制作裏話
  • 公開日
    2018年02月05日
  • 記事番号
    198
  • ライター
    見城 こうじ

ドット絵を本誌に載せた経緯とは?

▲昔を振り返る大橋編集長

見城 『AAN』にゲームキャラクターのドット絵があったじゃないですか。あれはどういった経緯で掲載するようになったんでしょうか?

大橋 ゲームキャラクターのドット絵の描き方を初めて見た時、これは面白いなぁと思いましたね。ゲームは作れなくても、自分のパソコンでドット絵だけでも作れたら、「自分でもできるんだ」と読者に喜んでいただけるんではないかなと思って、ドット絵を掲載したんです。

見城 これも大橋さんの発案ですか?

大橋 そうですね。

手塚 自作のゲームにもドット絵のキャラクターを使ったりできますもんね。

▲自分のパソコンで再現する読者も多かったという人気のドット絵集

大橋 僕自身、ゲームの世界はド素人同然だったんで、そんな自分がやって面白いと思ったことを、わかりやすくみんなに伝えるという方針でやってきただけなんです。
自分が伝えたいことを、わかりにくく自慢するように書くのが当時のパソコン雑誌の主流だったんですけど、自分は常に「面白かったことをわかりやすく」という信念で編集をやっていましたね。

大堀 「わかりやすく」っていうのがいいですね。

大橋 そうすると(雑誌が)売れたんですね。自分のポリシーを信じてやってきただけのことです。何も難しいことはしていません。

高価なのにとにかく売れた…

見城 大橋編集長の楽しい発想が詰まった『AAN』ですが、読者の反響はいかがだったでしょうか?

大橋 とにかく売れましたね。2,500円という当時にしては高価な本だったんですが…。

見城 何部くらい売れたか覚えていらっしゃいますか?

大橋 軽く10万部は超えましたね。当時2,000円台の本なんて、そうなかったですね。週刊誌も100円したかな?

見城 『週刊ジャンプ』がその頃170円だったので、(週刊誌は)100円以上はしていたと思います。

大橋 とにかく、なかなかつけられない値段でしたね。カラーや写真をふんだんに使ったので製版代の概算を出して、半分返本された場合も想定して固く見積もって計算書を出しました。それで上からOKをもらって、出版にGOサインが出ました。再版したから、そりゃあ素晴らしい利益が出たと思いますよ。

手塚 確か、何度か『AAN』は増刷していましたよね。ちゃんと利益配分の話をしていればよかったですね(笑)。

大橋 今から思えばそうだったのかも(笑)。でも、この本が大ヒットしたおかげで、最新の機材やゲームの筐体を買うこともできたんで、それはそれでよかったと思いますよ。

見城 『AAN』は、かなりのプレミアがついたと大堀くんから聞いています。

大堀 今回はAmazonから購入したんですけど。元の3~4倍の値で売られていました。

見城 本当にこれって貴重なんですよね。今読み返しても内容が面白い。

ゲームの譜面を掲載した理由

見城 そういえば、『AAN』にはゲームの譜面がついていましたよね。あれも大橋さんの発案だと聞いていますが、なぜ掲載しようと思われたのですか?

大橋 最初に攻略記事だけを掲載する予定で、『マッピー』を考えていました。ゲーム展開も面白い『マッピー』ですが、前からゲーム音楽もいけるなぁと思っていて。ある日、(ゲーム音楽の)譜面を載っけたら、(読者の)みんなは喜ぶんじゃないかという考えを思いつきました。

▲『AAN』についていたゲームの譜面

大堀 僕も単純にゲーム音楽が好きだったんだけど、それを現在活動しているIGCCの定義するゲーム文化に包括しようと思ったのは、大橋さんの影響なんですよ。『AAN』を作る時に、(大橋さんが)「本誌に譜面を載せようよ」と言うので、「譜面ですか!?」って。自分はデータ入力などをしていなかったので、譜面を載せる発想が当時なかったんですね。『AAN』発売後の反響でゲーム音楽人気・重要性を改めて感じさせられました。

見城 そういう発想というのは、どこから出てくるものなのでしょうか?

大橋 そうだね。うーんと大昔に戻ってしまうんだけど、1975年頃、月刊『ラジオの製作』の編集をやっていた時に、「BCL(Broadcasting Listening)」って海外放送を聞くというブームが起こりました。外国の短波放送をラジオで聞いて、「こういうふうに聞こえました」って受信報告書を(そのラジオ局に)送るんですね。そうすると、向こうからキレイな絵はがきやペナントなどが送られてくるんです。

当時は高校生や大学生の無線愛好家を中心に流行したんですが、それを小中学生にも聞かせたら面白いんじゃないかって、BCLの立役者である山田耕嗣先生と話をしていました。『ラジオの製作』でも、世界のラジオ放送をこの周波数に合わせると聞こえるよという記事の連載をやっていました。それを1冊の本にまとめて、1975年に山田先生監修で『ラジオの製作別冊 BCLマニュアル』を発刊しました。

しかし、小中学生向けなんで、外国語の放送を聞いても、どこの放送局かもわからないじゃないですか。ただ、どの国のラジオ局も放送中にインターバルシグナルという独特の音を流すんですよ。イギリスBBC放送だったらビッグ・ベンとか、ラジオ・オーストラリアだとワライカワセミの鳴き声とか。

山田先生と「その音ならどの国のラジオ局であるか、小中学生でも区別がつくね」という話になり、本誌には放送局の紹介とともにインターバルシグナルの譜面もつけました。また、それ(譜面)だけじゃわからないだろうと、外国のインターバルシグナルが録音されたレコードも付録につけましたね

見城 そこが起源なんですね。

大橋 そうですね。『AAN』制作中に、『BCLマニュアル』のことをふと思い出して、「こんないい(ゲーム)音楽だから、自分のPCでプログラムを書いて、演奏させて聞くことができたら(読者は)うれしいだろうし、自慢できるだろうなぁ」ということで、ゲーム音楽の譜面を『AAN』に掲載することにしたんです。

見城 それって『AAN』がおそらく最初ですよね。

▲『AAN』にゲーム音楽の譜面を掲載するというヒントを与えた『BCLマニュアル』(電波新聞社、1975年発刊)

大橋 そうですね。『AAN』から、ゲーム音楽の譜面をつけるのをやり始めたのではなかったかなぁ。

見城 そうなんですね。ゲーム音楽の譜面はナムコから頂いたものなんですか?

大橋 いや、ナムコに行っても譜面があるわけではなかったので、自分が昔やっていたバンドのツテで譜面が書ける人を探して、その人に頼んで譜面を一から起こしてもらいました。

手塚 譜面って(ナムコから)頂いたものだと思っていました。

大橋 いえいえ、そんなことはない。本当に(譜面作りは)苦労してやりました。クレジット音とかモンスターパンク音とか、譜面を起こす方も難しかったと思いますよ。知り合いの音楽家に頼んだけれど、みんな嫌がってね。

見城 どうして嫌がったんですか?

大橋 ギャラも安かったし…。

大堀 当時、ゲームは見下されていた風潮もあったからじゃないですかね。

大橋 (譜面作りを担当した音楽家が)「何でこんなことしなければならないんだ」って言うんで、「ゲーム音楽は新文化なんだよ。そのうち流行してレコードが出るよ」などと説得して、ゲーム音楽の譜面を作ってもらいましたね。ときには、譜面担当とケンカしたこともあって、次の人を探すのが大変だったね(苦笑)。
でも、だんだんと世間に(ゲーム音楽が)浸透していくにつれて、逆に協力者も出てくるようになりました。
その派生でシンセサイザーの打ち込みも流行ったから、それに関する『Computer Music Magazine(コンピュータ・ミュージックマガジン)』というムックを出したこともありましたよ。
今だと、ネットがあって何でも簡単にできるけど、当時は紙という媒体しかなかったから、音楽をどう表現するか難しかったね。でも、その工夫がまた面白かったんだよね。

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