『ベーマガ』&『エイリアンフィールド』復刻記念! 大橋編集長×水上氏×市川氏 特別インタビュー 後編
『マイコンBASICマガジン』(以下、ベーマガ)と『エイリアンフィールド』の同時復刻を記念した特別インタビューも今回が最後。
今回は、この2つの復刻版について気になる内容と開発秘話を、『ベーマガ』の名物編集長・大橋太郎氏、『エイリアンフィールド』の制作者・水上恵太氏、そして『エイリアンフィールド』復刻版の開発プロデューサー・市川幹人氏にお伺いしました。
2018年12月19日に発売される『電気工作マガジン 冬号』の別冊付録となる『マイコンBASICマガジン』。そして、『エイリアンフィールド』の復刻版となる『エイリアンフィールド3671』。
この2つの復刻版がどのような進化を成し遂げたのか?
ファン待望の復刻版の魅力に迫っていきます。
時を経て蘇った『エイリアンフィールド』
――『エイリアンフィールド』ですが、市川さんはどうして今回、復刻しようと思ったんですか? まずはその経緯を教えてください。
市川 僕はもともと電子工作やペーパークラフトの飛行機を作るのが好きで、それの計算に使用するため、コンピューターに興味があったんですよね。小学校3年生くらいで空力(くうりき(*01))の話をする、なんていう子供だったんです(笑)。
最初は『ラジオの製作』 の読者だったんですが、付録の『ベーマガ』が出てからはそちらのほうに夢中になりました。当時『ラジオの製作』の本誌に付録が輪ゴムでとめられていたんですが、『ラジオの製作』を買ったらまずはそれを外して、『ベーマガ』を読むようになっていました。
それで、この『エイリアンフィールド』が付録の『ベーマガ』創刊号で第1号プログラムとして掲載された時、他に類を見ない純然たるオリジナルゲームだったので、相当インパクトがありました。
小学生だから、空力の計算よりもゲームへの興味のほうが圧倒的に上なんですよ。友達に見せてもゲームのほうが食いつきもいいし。なんてったってファミコンよりも前の時代ですからね。
何でも作れるという、創造の幅が広がるマイコンの世界は僕の目にはすごく楽しい世界に映り、それからというもの、マイコンのゲームにハマっていきました。その時点で、すでに飛行機とかどうでもよくなっていましたね(笑)。
それで『エイリアンフィールド』がずっと記憶に残っていて、その後、僕自身はシャープのMZ-700(*02)というマイコンを手に入れるんですが、その時最初に移植したのが、この『エイリアンフィールド』でした。それぐらい思い入れのあるゲームでしたね。ただ、その時はもうかなり自分でアレンジしたものになっていましたが(笑)。
――そこから今回の復刻版へと、どのようにつながっていくのでしょうか?
市川 僕はその後、高校1年になって電波新聞社のマイコンソフトウエア開発室に入って、その後すぐに独立してMNM Softwareを設立しました。X68000(*03)向けのゲームを作っていたんですが、21歳の秋に大病を患い、その翌年からほぼ2年間何もできませんでした。
元気になってから、今度はMNM Softwareをマインドウェアという社名に変え、『VIDEO GAME CLASSICS』シリーズという名前で昔のビデオゲームをパソコンに移植するということをやっていました。
その第1弾~第3弾として1996年に『ジャンプバグ』(1981年/セガ)と『Mr. Do!(ミスタードゥ)』(1982年/ユニバーサル)、1997年に『ボンジャック』(1984年/テーカン)を出したんですが、そのあとエミュレーターの隆盛ともに、もうマーケットで勝負できなくなり、しばらくシリーズは休止中の状態でした。
それから18年後の2015年に『VIDEO GAME CLASSICS』シリーズ第4弾という位置づけで、『燃えろ!!プロ野球 ホームラン競争SP』というスマートフォン向けのアプリを作ることになりました。
――それについては今年(2018年)の春に取材させていただきましたね。(詳しくは「『燃えプロSP』開発者・市川幹人氏に聞く 前編・後編」を参照)
市川 その間も、実は頭の片隅に『エイリアンフィールド』をなんらかの形で復刻させたいという考えがずーっと消えなくて…。
その後、第5弾として『宇宙最大の地底最大の作戦』の復刻をやりました。これまではアーケードゲームだったんですけど、これで初めて、パソコン月刊誌『I/O(アイオー)』に掲載されたパソコンゲームを復刻することになりました。
『宇宙最大の地底最大の作戦』は、僕個人が遊ぶために作ったようなものなんですけど、権利処理のため作者を検索したら、作者が名古屋大学の教授をしている有名な方だということが分かりました。プロフィールを見るとメールアドレスがたまたま載っていたので、すぐに連絡をとると、3分もたたないうちに「自由にじゃんじゃんやってください」という返事が返ってきました。
それで、いろんなアレンジも加えて発売したんですね。それが2016年7月のことです。周囲の感触も良かったので、今後はパソコンゲームの復刻もやっていこうということになったんですね。
その結果、「自分がこれだという思いさえあれば、何でもできるんだ」という自信にもつながって、次はもう『エイリアンフィールド』しかあるまいという気持ちになったんですね。
――そこからどうやって、作者である水上さんとつながったんでしょうか?
市川 そのあと、PC-8001のゲームをネットで検索していたら、昔の雑誌に掲載されていたPC-8001の投稿作品をリスト化しているサイトがあって、そこに作者の名前が載っていたんです。
それで水上さんの名前を某SNSで検索したら出てきたんですよ。しかも、共通の友達が二十何人とか出てきて、これほぼ確定だなって思い、メッセージをお送りしました。水上さんもパソコンの前にいらしたようで、すぐにお返事頂き、つながりました。
――水上さんが本名で記事を書いていてくれて良かったですね(笑)。
市川 良かったです(笑)。
水上 そこまで共通の友達がいたのに、なんで今まで付き合いがなかったんだろうという感じですよね。
市川 しかも水上さんは、学校を卒業されてからナムコに入り、ファミコン版の『源平討魔伝』を作られた方です。
水上 (2018年)10月で30周年でした。
市川 本当に共通の知り合いがいて、近いところでお互い活動をしているのに、まったく知らなかったというね。それで連絡しあって、「会いましょう」ということになったんですね。
そこから過去の『ベーマガ』の表紙や記事のスキャンデータも手に入り、今回の『エイリアンフィールド3671』に付録として、本作が掲載された『ベーマガ』の該当ページの復刻版をブックレットに収録して付けることになりました。
その掲載号の裏表紙は東芝のワンボードマイコンの全面広告だったんですが、これも許可がおりて、使わせてもらえることになったんですね。
――それはまた素晴らしいですね。どうやって許可を頂いたんですか?
市川 表紙と記事がOKなら、せっかくだから東芝の広告が掲載されている裏表紙も復刻させたいなと思いました。東芝がこんなワンボードマイコンを出していたという歴史的資料価値もあり、絶対に実現したいと思いましたね。
許可をとるのに、最初は正攻法で東芝の代表電話に電話をかけました。それでお話をしたんですが、電話の向こうのお姉さんの「この人、何のことを言っているんだろう?」という反応があるわけですよ。それでいろいろな部署の方に飛び火して、その都度、説明するんですが、まあなかなか該当する部署にたどり着けず。
結局最後は、昔うちの父親が東芝のコンピューターの部署にいて取締役だったということを話したところ、今回の件に関しては「東芝未来科学館」の扱いとして特別に使用許可を頂くことができました。
――すごい行動力ですねー。
市川 『エイリアンフィールド』は、東芝がワンボードマイコンを出していた時代に作られたゲームだという、そんな時代背景も伝えられるのは貴重だと思ったので、絶対に裏表紙も載せたかったんですよね。
それと、水上さんがナムコに在籍されていたということもあり、当時ナムコにいらした方に『エイリアンフィールド3671』の曲を書いていただこうと思い立ちました。そこで、『ドルアーガの塔』『ギャプラス』(両作とも1984年)などのサウンドを担当された小沢純子さんにオファーしました。
また、当時『ベーマガ』の人気記事だったゲームミュージックのプログラムコーナーをやっていたメンバーの1人に粟田英樹くんという人がいます。彼はのちにX68000の『アフターバーナー』(1987年/セガ)の効果音なんかも担当するんですが、その彼にも作曲をお願いしました。
マインドウェアは、どなたかに1曲ずつ書いてもらうのではなく、全員に全曲書いていただき、スキンのように(楽曲を)丸々入れ替えられる仕様でやっているので、今回も各作曲家の方に全曲書いていただきました。
また、つい先日『平安京エイリアン』の曲を担当してくださったスウェーデンのトランスユニット「Ibojima(イボジマ)(*04)」から、このゲームについて何も話していないのに「今度、こんな曲を作ったんだけど、使わない?」っていう話が来まして、「タイトルとネームエントリーとゲームオーバーのジングルも欲しいんだよね」って話したら、「ちょっと待ってて、作るから」という話になり(笑)、そういうのも入れさせていただきました。
脚注
↑01 | 空力 : 空力特性。自動車や列車、飛行機などが走行・飛行中に気流から受けるさまざまな影響のこと。 |
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↑02 | MZ-700 : シャープのMZシリーズに属する8ビットのパソコン。発売は1982年。本体のみの販売で、家庭用テレビをモニターとして使えるようになっていた。 |
↑03 | X68000 : 1987年にシャープが販売した16ビットのパソコン。128個まで表示できるスプライト機能、 6万5,536色のグラフィックなど、当時最先端のグラフィック機能で、多くのゲームファンに愛用された。 |
↑04 | Ibojima : 2001年にMathias AnderssonとOlle Thulinによって創設されたスウェーデン出身のサイケデリックトランスユニット。 |