ゲーセン歴25年の「ゲーセン女子」おくむらなつこさんが語る “ゲーセン文化”の今昔

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    ゲーセン歴25年の「ゲーセン女子」おくむらなつこさんが語る “ゲーセン文化”の今昔
  • 公開日
    2018年03月30日
  • 記事番号
    307
  • ライター
    外山雄一

『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)の爆発的ヒットにより、同作のみが並ぶ「インベーダーハウス」が日本中に乱立した1979年。翌年以降、インベーダーブームは収束するものの、『パックマン』(1980年/ナムコ)など他のアーケードゲームが続々と登場し、人気のアーケードゲームをそろえる「ゲームセンター」(以下、ゲーセン)という業態はこの頃に確立されました。

当初のゲーセンは24時間営業で客層も良いとはいえず、「暗い、汚い、怖い」の3Kと言われるほどでした。1985年の改正風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)施行以降、24時間営業が禁止されたゲーセンを「アミューズメントセンター」と呼び替えるなどし、業界全体でゲーセン自体の改善と、そのイメージをクリーンにするよう努力を重ねてきています。

そうした努力もあり、現在のゲーセンの多くは明るく楽しいアミューズメントスポットとして、女性はもちろん老若男女へと客層も広がりました。しかし、時代の移り変わりとともに、現在、ゲーセンの数は減り続けています

こうしたゲーセンの現状を憂慮し、行動を起こした一人の女性がいます。幼少の頃からゲーセンを愛し、自ら「ゲーセン女子」と名乗り活動を始めたおくむらなつこさんです。昼間は会社に通いながら、会社帰りや休日に友人のえんがわなつみさんとともに全国のゲーセンをめぐり、自身のブログで紹介。ここ数年は出版活動やテレビなどのメディア出演も多く、精力的に活動しています。

そんな「ゲーセン女子」こと、おくむらなつこさんにお話を伺いました。

なぜアーケードゲームにこだわるのか

▲『WCCF(WORLD CLUB Champion Football)』(2002年/セガ)を楽しむおくむらさん

――おくむらさんは、一貫してゲーセンを応援し続けているとお聞きしています。ゲーセンを応援する理由は?

おくむら ゲームメーカーやゲームタイトルを応援される方は多いのですが、そのゲーム機が置いてある場所、オペレーターさん(ゲームセンター)を応援する方は少なくて、私ゲーセン(とアーケードゲーム)の応援に注力しています

ゲームセンターとアーケードゲームって、メーカーさんの力でゲーム自身にもすごいコンテンツパワーがあるし、ユーザーのコミュニティーはめちゃくちゃ熱くて面白い。コミュニティーに集まってくる人たちはお互いの本名や年齢や職業も知らないけれど「好きなものが共通している」というだけで知らない人ともすぐに打ち解けて、ゲームの面白さを共有し、発信したりしている。同じものが好きな友達と好きなものの話をして一緒に遊ぶなんて、趣味としては最高ですよね。

一方、今やオペレーターさんは機械価格・消費税・ネットワーク料金なども負担していて、さらにコンテンツ(タイトル)だけでの集客が難しい時代に、まだコンテンツメインのリリースが多い。そんな中で、オペレーターさんは最大限私たちユーザーが楽しめるようにゲーセンを運営してくれている。

そんなオペレーターさんの努力やアツさ、ゲーセンならではの楽しさを知ってほしくて、ゲームセンターを紹介する活動を始めました。これまでになかったゲーセンの情報を発信して、ゲーセンを知らない人たちをいっぱい取り込んでいって、私の大好きなゲーセンに来て、好きなゲームと出会ってほしい。ゲーセンにしかない楽しさを体感してほしい。そんな想いで活動しています。

――ゲーセンでしか遊べないゲームの魅力は?

おくむら 大音量と大画面、そして大きなコントローラーを使って、みんなで『やったー!』って手を上げて喜びあって、その体験をシェアできるところが最大の魅力だと思います。体感ゲームやプライズゲームなど、画面外で機械を動かせるゲームはゲーセンだけですし、ゲーセンにいれば同じゲームを好きな人たちと出会えるところも魅力だと感じています。

また、お店によってメンテナンスも異なるので、自分好みのメンテナンスをしている店を探したりすることも楽しいですよ。さらに、お店ごとにおすすめゲーム訴求の仕方が違ったり、同じゲームタイトルでもそのお店ならではの見せ方があったりと、各店舗で個性があっておもしろい。ゲームのコミュニティーもお店によってホームにしているプレイヤーが異なるので、毎回違う出会いや発見があります。

――その魅力を伝える活動が「ゲーセン女子」というわけですよね。始められたきっかけを教えてください。

おくむら 私は昔から「ゲーセンは文化」だと思っています。生活様式やその中で形成される社会みたいなものを「文化」というなら、ゲーセンは、誰もが一度は目にしたり行ったことがあるという高い認知度がある場所で、ビジネスもコミュニティーもある。その点から見ると、ゲーセンも一つの社会を形成してきた「日本の文化」の一つではないでしょうか。

ところが、ゲーセン店舗数や売上は年々減っているし、ゲーセンのニュースは悪いニュースを除くとほとんどない。

このような現状を鑑みて、2014年頃にそろそろ本気でなんとかしたい! と思い始めました。ちょうどその頃、相方(えんがわなつみ氏)とゲーセン業界を盛り上げる活動ができないかという話をしていたんです。
また、これは完全に勘なんですけど(笑)、世の中がモノからコトへ動いてきている中、今後さらにゲーセンは注目されていくだろうと予想し、ゲーセンをどういう切り口で見せるとニュースとして成り立ちそうかということも考えていました

所属会社の事情など、いろいろなタイミングが合致したという感じでしたね。

▲ブログ「ゲーセン女子」ではゲーセンを多彩な視点から紹介している(画像はおくむらさん提供)

――それで「ゲーセン女子」のブログを始めたんですね?

おくむら そうですね。当時、(マス)メディアで「eスポーツ」という言葉がささやかれ始めたことで、「ゲーセン」も単語として出てくるようになっていました。それはすごいことだけど、でも、メディアでは愛情よりも話題やビジネス的な観点のほうが優先されやすい。わたしの大好きなゲーセンを、愛情のない人に愛情のない使われ方をされたくないと思いました。ゲーセンに愛情を持った人たちが発信をしていかないと、eスポーツなどの営利的な側面だけが残って、文化として残らない気がすると思ったんです。

このままもどかしい思いで待っていてもゲーセンは減っていってしまうし、メディアの営利化のスピードも速かったので、「じゃあ私自身がまず何かやろう。自分たちのゲーセン愛を発信しよう」と奮起し、えんがわなつみと一緒にブログ「ゲーセン女子」を立ち上げました。

ブログでは、まず私たちの好きなゲームセンターをいろんな角度で紹介していくことから始めました。(特定の)ゲームの攻略方法も、置いてあるゲーム機のデータベースもアクセスマップもなく、ゲームプレイヤーにとっては情報価値がないブログだと思います(笑)。

でも、ゲームプレイヤーではない人たちからはそれが良かったようです、PVもすごく上がっていきました。私が以前に出演した『マツコの知らない世界』(TBSテレビ、2016年3月15日放送)も、ブログの問い合わせフォームから連絡があったんです。番組から連絡が来たのが、ちょうどTGS(東京ゲームショウ)やJAEPO(ジャパンアミューズメントエキスポ)など大規模ゲームイベントがあった時なので、メディアが注目した時期だったのかもしれませんが…びっくりしましたね。

▲『鉄拳』(1994年/ナムコ)をプレイするおくむらさん。「2代目鉄拳女子部長」としても活躍中

――「マツコの知らない世界」では「体感ゲームの世界」でプレゼンされましたよね。

おくむら 2016年の2月にコンタクトがあり、3月には収録と放送がありました。番組内で取り上げるゲームについて、スタッフの方にはいろいろご提案させてもらいましたし、ご相談もたくさん頂きました。

紹介するゲームは最後の最後まで番組側でも検討と調整をされていましたが、最終的にスタジオに持ち込んでいただいたのは『ワニワニパニック』(1989年/ナムコ)、『SCOTTO(スコット)』(2014年/コナミ)、『シンクロニカ』(2015年/バンダイナムコエンターテイメント、『キャプテンゾディアック』(1993年/タイトー)、『GITADORA Tri-Boost』(2015年/コナミ)、『DanceDanceRevolution』(1998年/コナミ)です。

――どのような経緯でこれらの機種になったのですか?

おくむら これらの機種については、本当にいろんな観点からさまざまなご提案しましたし、先方(制作スタッフ)も本当に熱心に探し回ってくださいました。
例えば、視聴者やマツコさんが昔遊んだことがあり、ルールが分かりやすいものとか、テレビ映えするもの、ゲーセンにお借りできるもの、メーカーのご協力を頂けるもの、最新機種、機械のサイズなどなど…(番組で紹介するゲームを)決定するのには本当にさまざまな理由が複雑に絡んでいましたね。

「ゲーセン女子」の原点

――おくむらさんの原点についてお聞きしたいのですが。子供の頃に遊んだゲームを教えてください。

おくむら 強烈だったのは『平安京エイリアン』(1980年/電気音響)の記憶なんですよ(笑) 。こんなゲームがあるんだ! って。年齢的に合わないんで、たぶん当時すでに「レトロゲーム」だった気がします(笑)。家に置いておきたくて、マイコンのBASICで『平安京エイリアン』を自分でプログラミングしました。

▲2017年にマインドウェアより復刻された初期の『平安京エイリアン』 LICENSED FROM HYPERWARE / Ⓒ Mindware

――ゲーセンデビューはいつ頃ですか?

おくむら ゲーセンデビューは小学校1年生でした。3歳からピアノを習っていたんですが、小1になると実家から他府県までレッスンに通うようになりました。レッスンに行くといつもお弟子さんが詰まっていて、予約時間にレッスンが始まらないんです。

小学生だからお小遣いが多いわけでもないし、今のようにDSやスマートフォンがあるわけでもない。それで時間潰しに、近くのボーリング場に隣接されたゲーセンに行くようになりました。

▲幼稚園の頃のおくむらさん(左、画像はおくむらさん提供)

――その時はどのようなゲームをプレイしていましたか?

おくむら MVS(*01)筐体はよく遊びましたね。

あとは記憶がちょっとあやふやなんですけど、アニメ絵の脱衣麻雀。当時、そのゲームで遊んでいるおっちゃんが立ちっぱなしだった私に「となり座りぃや」って声をかけてくれて、隣に座って見ていた記憶があります。今考えると、たぶんP2(『スーパーリアル麻雀PⅡ』1987年/セタ)だったんじゃないかと思うんですけどね、脱ぎ方が(腕をクロスさせて)こうだったので(笑)。

――その頃は、家庭用ゲームの世界ではスーパーファミコン全盛期でしたよね。自宅ではゲームはしていたのですか?

おくむら 両親の教育方針もあって自宅にゲーム機はなかったんです。でも、ゲーセンならゲームを好きなように遊べましたから、不満はなかったです。当時、ゲーセンには同級生も行っていましたし。ただ同級生は大きくなるにつれ、家庭用ゲーム機に流れていきました…。

――同級生はゲーセンから離れていったのに、なぜ、おくむらさんはゲーセンから離れることはなかったのでしょうか?

おくむら 最大の理由は、中学時代に学校でいじめにあい、学校の中に居場所がなくなっちゃった時期があったことでしたね。本当ならそこで自宅に引きこもっていてもおかしくなかったと思うんですけど、私にはゲーセンがあって…

ゲーセンで同じゲームを好きな人たちと話している時って、学区も年齢も本名も職業も関係ない。私はそれにすごく救われて、結果(引きこもらずに)学生生活に戻ることができたんです。

ゲーセン愛の原点かもしれないですし、だから今でもゲーセンに恩返しがしたいと思っているんでしょうね。

――中学時代から基板集めをしていたとお聞きしましたが…。

おくむら 最初はMVSで『キングオブファイターズ’94』(1994年/SNK)か『餓狼伝説』(1991年/SNK)だったと思います。それからは、ゲーセンではなく自宅でゲームを遊ぶっていえば、家庭用ゲーム機ではなくアーケードゲーム基板でしたね。大阪の日本橋で基板やパーツを買って、MVSとJAMMA(*02)変換ハーネス(*03)を作るのが特技でした。

――そこまでお好きだったんですね。職業としてゲーム関係に進もうと考えたことはなかったのでしょうか?

おくむら そういったことを考えたことはなかったですね。現在でも仕事としてではなく、アーケードゲーム業界やゲームセンター業界を別の角度からサポートしたいと思っています。

例えば、私は今マーケティング関連の企業に勤めているので、このマーケティングのノウハウを「ゲーセン女子」の活動に生かせないだろうかと日頃から考えています。ブログ「ゲーセン女子」に、時々ゲームセンターをマーケティングの視点で分析した記事を載せています。その記事を見たゲーム業界の方から問い合わせを頂くこともあります。

――そうなんですね。ところで、学生時代によく行ったゲームセンターはありますか?

おくむら 大学生までは関西にいたので「ゲームセンターニューヒカリ」「モンテカルロ」「ビデオシティリノ」「ハイテクランドセガ紫光」「心斎橋GIGO」「プラボ千日前(ナムコ)」「フェラーリ」「ネオジオランド」などなど、思い出のお店は多いです。でも寂しいことに、ほとんどのお店がなくなっています。

脚注

脚注
01 MVS : Multi Video Systemの略。SNKの家庭用ゲーム機「NEOGEO」の業務用システム基板。専用のカートリッジを差し換えることで複数のゲームを稼働させることができる
02 JAMMA : ここではJAMMA(日本アミューズメントマシン協会)が定めたJAMMA規格のこと。
03 変換ハーネス : 1レバー+3ボタンが基本のJAMMA規格に対して、MVSは1レバー+4ボタンとなっており、通常のハーネス(ケーブル束)で接続するとボタンが1つ効かなくなってしまう。このため、専用のハーネスが必要となる。

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