伝説のゲームデザイナー・上田和敏氏×遠藤雅伸氏ダブルインタビュー 中編
2018年11月4日に発売予定の新書籍『伝説のゲームデザイナー「上田和敏×遠藤雅伸」対談』を記念して、お送りしている特別インタビュー。
その前編では、ゲーム総合雑誌『Beep』1986年8月号に掲載された上田和敏氏と遠藤雅伸氏の対談内容をベースに、当時のゲーム記憶媒体や、オンラインゲーム観、VR観などを中心にお送りした。
今回も引き続き、『Beep』対談内容をもとに、マニア受けとは何だったのか、そこで登場したアーケード版『テトリス』(1988年/セガ)の衝撃、そして、『Pokémon GO(以下『ポケモン GO』)』(2016年/ナイアンティック、ポケモン)のプレイスタイルの違いから見えてくる日本とアメリカのゲーム観の相違など、現在、大学で教授を務める遠藤氏ならではのアカデミックなテーマまで掘り下げていく。
【聞き手】
ゲーム文化保存研究所
所長:大堀 康祐
ライター:見城 こうじ
マニア受けゲームと『テトリス』登場の衝撃
――今回も『Beep』1986年8月号の対談のお話から入ります。その中でお2人が「最近(1986年当時)のゲームはマニア受けのものばかりである」とおっしゃっているんですね。たぶん、ゲームセンターを念頭に話されていて、ゲームセンターに行く人はうまい人が多いという話もされています。1986年頃ってそういう印象だったのでしょうか?
遠藤 ただ、この後(1984年に)『テトリス』(アーケード版は1988年)が出ちゃうんだよね。『テトリス』が出た頃には、ゲームはもうやり尽くしたと思っていたからね。これ以上、ゲームの文法の中に新しいものがないんじゃないかと言われていたときに『テトリス』が出て、あんなにシンプルでおもしろいものができるとは(笑)!
上田 『テトリス』に関しては、なんで僕が作れなかったのかと思いました。
遠藤 みんな思う。これで良かったんだって。
上田 当時、『テトリス』の企画書がいろんな会社を転々としたと聞いて、自分だったら(販売権の取得に)OKを出したんじゃないかと思っているんですけどね。実際に企画書が来たらどうだったかは分からないですけど。
――遠藤さんだったら、そのとき『テトリス』の企画書を見たらOKを出していましたか?
遠藤 出す出す。だって、おもしろいもん。
――企画書が転々としたということは、モノとしては動いてなかったんでしょうかね?
遠藤 動いていたよね。先にマッキントッシュ版が出ていたからね。マッキントッシュ版で『テトリス』が盛り上がって、『テトリス』の本を石原恒和さん(*01)が出して、そのときに僕も書いたりしたんだよ。「おもしろいよねー」って言いながら。
上田 『テトリス』は僕をアーケードゲームからの引退に導いたゲームでした。あのテクニックには、ついていけなかったですね。
――プレイヤーとして、ということですか?
上田 あのプレイはできないなと思って。
――最高速に到達すると、ものすごい速度でビュンビュン落ちてきますからね。最初に見たとき、あれはできないと誰しも思いましたよね。それが発売後、何週間かしたらカウンターストップ…延々終わらない人が現れて、みんなびっくりしたんです。
上田 プレイヤーの後ろで、あっけにとられて見ていました。あれはできないと。
遠藤 あれはね、脊髄反射でできるようになったからだよ(笑)。
――最初はものすごく驚いたんですけど、僕もトライを繰り返すうちに普通に遊べるようになりました。あれが新しい遊びを体得していくことなんだなって、あのとき久しぶりに思いましたね。
遠藤 あれはもう脳が考えてなくて、目から来た情報で大脳まで行かずに脊髄反射しているんだよ。毎日毎日やっているというのは稽古と同じ。相撲取りが「あの技は何も考えずに出した」とか言うのと同じで、考えてなくても手が出るんだよ。
――あの速さはセガならではのチューニング(*02)ですよね。
遠藤 そこが素晴らしい部分でもある。
――ブロックが接地してから固まるまで時間があるので、そこで回せてしまう。しかも、見た目上、入らないようなすき間に収まったりする。あれがないとあの速度は成り立たないですからね。あの仕様を発明した人はすごいですね。
あなたのゲーム業界はどこにある?
――この「マニア受け」のテーマでは、『Beep』対談記事の聞き手の方も、最近似たようなゲームが多いという話をされています。こういう話はいつの時代も繰り返される反面、確かにこの頃、アーケードは料金とプレイ時間の制約などもあって融通が利きにくいと思われている面もありましたよね。
遠藤 大事なのは「すごく違う」と遊べないってことなんだよ。やっぱりビジネスということを考えると、ものすごく違っているものを出して、それでコケるわけにはいかないんで、ある程度理解されるところに収めないといけない。新しいものが出にくい状況ではある。
――このときすでにファミコンがあって、4,000円か5,000円出せば遊び放題が実現したり、長時間遊べるゲームが可能になったりで、明確に新しい波が来ていましたよね。
遠藤 PCやファミコンで新しいゲームがトライされるようになって、ゲームセンターのゲームはそれとの差別化から、大型筐体とか筐体が動くタイプとかにシフトしていくわけだけどね。
――前回のお話の通り、磁気カードやICカードはまだ時間が必要でしたしね。
遠藤 そう、記憶できるかできないかって、ものすごく大きかった。
――先ほど、マニア受けのゲームが多かったという話ですが、今はどうなんでしょうね。当時よりずっと多様化が進んでいて、一般受け・マニア受けのように、単純に二分割する時代でもないとは思いますが。
上田 僕は今の音ゲーとかついていけないですからね。マニア向けというのか、それとも僕が年齢的についていけないかですけどね。
――ゲームごとに初級モードがあったりしますよね。
大堀 でも、音ゲーはシューティングと一緒で、独自の進化をしているとも思います。一部、一見さんお断りになってしまっている面もあるかも。
上田 一般向けはコンシューマーや携帯ゲームでもカバーされていますけどね。
遠藤 その話で言うと、「ゲーム業界はどこですか?」って話になるんですよ。「きみらが言っているゲーム業界って、ゲーム『機』業界ってことですか?」って聞きたいわけよ。ゲームのプレイヤーは日本でものすごく増えている。ゲームが縮小していると言っているのは、「ゲーム機業界」をゲーム業界と思っている人だけなんだよ。で、そこにまだまだ着いてきていない開発者やファンが多い。特に、年齢層が高い人たちは昔のゲームに対して思い入れがあるので。
――それは具体的にはどういう現象なのでしょうか?
遠藤 例えば、(開発者やファンの中には)通勤途中にスマートフォン(以下、スマホ)でパズルゲームをやっている人もいるじゃない。そういう人たちに「最近どんなゲームを遊んでいますか?」と聞くと、「昔の〇〇はいいゲームだったよね」と言いながら、今もそのゲームで遊んでいるわけではない。「じゃあ、今はどんなものを遊んでいる?」と聞くと、「スマホのパズルゲームとかを遊んでいる」と言う。「それがおもしろいんですね」と言うと、「いや、これはゲームじゃないから」と答えるんだよ。
その時点で、お前はもう死んでいるなって。そういう意識でスマホのゲームを見ている人と、『LINE:ディズニー ツムツム(以下『ツムツム』)』(2014年/NHN PlayArt)を『楽しいよね」と言って遊んでいる50代の人だと、後者のほうがすごく進んでいるし、その人のほうが本当だし。
大堀 上田さん、褒められましたね(笑)。
上田 はい。いまだに『ツムツム』やっています。1日70ゲームをコンスタントに。
遠藤 あれは高齢者向けに作ったゲームではないんだけど、高齢者でもプレイできる。女性に遊んでもらいたいから、あの形なんだよね。『ツムツム』を作った人の話では、IP(Intellectual Property=知的財産)を使うからにはターゲットとしている層をちゃんと取り込めないとダメだというところから、あの形になったと
だから、変な話だけど(『ツムツム』は)操作感がずさんなんだよね。「えー、つながんないの? ここ」って。でも、そこを気にしていない人たちの遊びなのよ、論理性とかじゃなくて。いろんな遊び方があって、どんどん膨らんでいる市場の中で、いろんな現象が出てきている。僕が日本のゲームは大丈夫だと言うのは、そのような多様性が日本で広がっているからなんだよ。
脚注