ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 京都」後編
目次
パチンコ店として現存する「キング」
跡地確定に迷う店もチラホラ…
―― そして現存していた「キング」です。キングは、京都の総合アミューズメント企業「金原機業店グループ」が経営するパチンコ店やゲーセンなんですね。
三原 そうです。キングはもともとパチンコ店で、副業でゲーセンやっていたんです。
――三原さんが当時行っていたキング系列の店舗を3つほど周りましたが、「キング 出町店」と「キング 河原町店」はパチンコ店として現存し、「プレイランドキング 円町店」もパチンコ店でしたが、2階にゲーセンが現存していましたね。
三原 「まだあったんかい!」という感じでしたね。確か「キング 出町店」は朝7時開店だった気がします。朝行くと、コーヒーとか出たような記憶があるんですよね。
大堀 モーニングコーヒーサービスがあったんですね。
三原 「キング 出町店」は、『グラディウス』(1985年/コナミ)のシリアルナンバー1か2があった店です。それだけはしっかり覚えています。建物がもう変わっていましたね。今のパチンコ店の3分の1ぐらいの大きさのゲーセンでした。
「キング 河原町店」はキングの旗艦店で、前述の「ジョイランドタイトー河原町店」の後にできたと思う。「プレイランドキング 円町店」は、近くに「シャトー」ができた後に開店した記憶があります。
――「シャトー」というゲーセンでも、三原さんはバイトされていたんですよね。
三原 はい。「シャトー」は1986年ぐらいにできたゲーセンでしたね。場所はだいぶ記憶がおぼろげで、跡地確定に迷いましたが…。
――跡地確定に迷った店といえば、3つぐらい候補が挙がった店がありましたね。
三原 ああ、四条大宮にあったセガ系列の店(※B)ですね。店名は覚えていないんですけど、四条大宮に行ったときに、たまにフラッと寄っていた小さいゲーセンでした。『侍』(1980年/セガ)の筺体と、『イグジーザス』(1987年/タイトー)のハーフミラー筺体がありました。ボタン操作で砲台を左右に動かすレアなバージョンのインベーダーゲームもありましたね。
なぜか、型落ちしたゲームでまかなっているイメージでした。ほかの店にはどんどん新台が入っているのに、そこからこぼれ落ちたゲームで営業している感じで…。ラインナップがかなりシュールだったんです。『Au -アウ-』(1983年/テーカン)もあった記憶がある。
大堀 テーカンがロケテやっていたゲームですね。
――大堀さんのお気に入りだった、ロケテのみでお蔵入りになった作品ですね。私は、『マイコンBASICマガジン』付録の『スーパーソフトマガジン(*01)』の大堀さんの記述で、当時名前だけ知っていました。
三原 そんなレアなタイトル、本当に置いてあったかなぁと。この店に関しては、特に俺の記憶に自信がないです。この店自体が俺の夢だったのかもしれません(笑)。
――そんな…(笑)。確かな情報を知っている方は「ゲーム文化保存研究所」までご連絡を…。
リアルバトルもあった「京都オリンピア」
――新京極にあった、シュールな飛行機の看板で有名なゲーセン「京都オリンピア」は、名前はそのままでプリクラ専門店になっていましたね。
三原 昔は「京都オリンピア」の隣にも2軒ゲーセンがあったんですよ。
――右隣には「スターダストⅠ」というゲーセンがあって、 2015年に閉店したようですね。「京都オリンピア」にどんな思い出がありますか?
三原 行っていたのは35年前くらいですかね。ヤンキーとよく抗争になっていました。
――抗争?(笑)
三原 もう、ずばり殴り合いですね。ヤンキーに金を巻き上げられそうになって、やり返していました(笑)。俺はいかにも巻き上げられそうな格好をしていたので。ここは、場末のゲーセンという雰囲気でした。
――意外と三原さんは武闘派だったのですね。でも、この店の飛行機の看板はインパクトがありますね。当時、儲かっていないとつけられないシロモノかと…。
大堀 ですよね。だってあれ、たぶん本物の飛行機をチョン切ったんでしょ? オーナーが好きだったんでしょうね、きっと。
――もうプリクラ店としては関係ないのに、いまだに残ってるのがいいですよね。
三原 当時はあんな色じゃなかったので、塗り直していると思うんですよね。昔はピンク色だった気がします。
大堀 タイヤの部分にわずかに名残がありましたよ。まだ少しピンク色の部分が残っていました。
「人参倶楽部」の命名由来は必聴
『ファイナルラップ』インカムすごすぎ事件
――最後は、私が今回個人的に一番気になっていたお店、「人参倶楽部」のお話を伺ってシメとしたいと思います。
三原 「人参倶楽部」は近くに立命館大学があって、なんのゲームを置いても客がたくさん入るゲーセンでした。そして、ここからの話は都市伝説レベルなんですけど…。
――はい、皆それ前提で聞くということで、お話しください。
三原 ここはもともとゲーセンではなくて、何かの店先にゲームが何台か置いてあったぐらいの場所だったそうです。でも、客が引っ切りなしにゲームをやりにきて繁盛しているので、「もうここをナムコにやらせよう」という話になったらしいんです。
――なるほど。このままではもったいないと。
三原 そこで店名を改名することになったんですが、店側は「プレイシティキャロット」や「ビッグキャロット」のように、ナムコ直営店が冠している「キャロット」を使いたい。だけど「キャロット」は使えないと、ナムコ側から言われてしまったんです。
でも、店側は黙っていても客がドカドカ入る店なのに、「キャロット」が使えないなんて格が落ちるし納得がいかない。そこで店長が「じゃあ人参なら文句ないやろ」と。折衷案として「人参倶楽部」となったんです(笑)。ナムコが渋々認めたという、そんな経緯があったと聞きました。
――それは、本当ならばとてもおもしろいエピソードですね(笑)。店長には繁盛店としてのプライドがあったんですね。個人的には「人参倶楽部」というのもかわいらしくて、それはそれで良い店名な気がします。
三原 ここでは、『ファイナルラップ』(1987年/ナムコ)についていろいろと思い出があります。
――そちらのお話もぜひお聞かせください。
三原 俺は「人参倶楽部」で『ファイナルラップ』の搬入を手伝ったんですが、まず狭い道なのでトラックが困っていました。そして筺体を店内に運ぶときに、入り口の階段に筺体をぶつけて、階段の一部を砕いた記憶があります(笑)。
――砕けたのが筺体のほうじゃなくてまだ良かった…と言ってもいいのでしょうか。
三原 まだあるんです。『ファイナルラップ』を朝一で設置して、その日の夜に店長から「来てくれ」と連絡があったんです。もしかしたら次の日だったかもしれないですが…。
何が起きたかというと、『ファイナルラップ』が大盛況すぎて、コインシューターがパンパンになって、お金が詰まってしまっていた。その場で集計したら、確か10万円以上。1日で10万稼ぐってほとんど不可能だと思っていたんだけど、「人参倶楽部」ではそれが達成されてしまったんです。
――そこまでいくと、いろんな意味で本当に伝説のゲーセンですね。
三原 普通、100円のゲームだと1日でもマックス5万円くらいなんです。『ファイナルラップ』は京都では本当にヤバかったですね。俺が知っている限り、当時京都で一番インカムがあったゲームじゃないかと思います。
不定期でお届けする「聖地巡礼」シリーズ。第3弾は、アリカの三原一郎氏が学生時代をすごした「京都」を訪ねました。朝から京都に集合し、日が落ちるまでに約20軒も回ることができたのは驚異的。三原氏の記憶力と、巡回順路まで綿密に考えてくれた計画性、衰えぬ土地勘のおかげです。次回の探訪はどこに? 第4弾もお楽しみに!
【懐かしのゲームセンター住所一覧】
店名 | 住所 | 現店舗 |
スポーツランド北白川 | 京都市左京区一乗寺塚本町111 | ライフ北白川店 |
店名不明(※A) | 京都市中京区西ノ京東中合町70 | コナミスポーツクラブ西大路御池 |
ジョイランドタイトー河原町店 | 京都市中京区河原町通三条下ル奈良屋町301-1 | 河原町イーゴス(閉店) |
ジョイランドタイトー美松店 | 京都市中京区新京極通四条上ル中之町583-2 | NINJA KYOTO |
キング 出町店 | 京都市上京区河原町通今出川下ル梶井町447-22 | 現存(パチンコ店) |
キング 河原町店 | 京都市中京区河原町蛸薬師下ル塩屋町334 | 現存(パチンコ店) |
プレイランドキング 円町店 | 京都市中京区西ノ京西円町40 | 現存 |
シャトー | 京都市中京区西ノ京円町2 | 京進スクール・ワン 円町教室 |
店名不明(※B) | 京都市中京区錦大宮町 | 不明 |
京都オリンピア | 京都市中京区新京極蛸薬師下ル東側町502 | 「プリクラ専門店 京都オリンピア」として現存 |
スターダストⅠ | 京都市中京区新京極蛸薬師下ル東側町502 | ハリケーン寺町京極店 |
店名不明(※C) | 京都市中京区中之町538 | MIRA-PRI(閉店) |
人参倶楽部 | 京都市北区小松原北町56-12 | オレンジバイク 衣笠キャンパス前店 |
※上記のデータは本記事に登場する各ゲームセンターがあった現在の所在地です。
三原 一郎 氏
1968年生まれ。京都府出身。立命館高等学校を卒業後、京都芸術短期大学に入学。タイトー在籍時は『パズニック』、カプコン在籍時は『ロックマン5』『ロックマン6』などの開発に携わる。1995年、西谷亮氏(アリカ社長)と共に株式会社アリカを設立し、『ストリートファイターEX』や『テトリス ザ・グランドマスター』などを開発。約30年にわたりゲームを作り続けている人物。現在はアリカ取締役副社長。
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脚注
↑01 | 『スーパーソフトマガジン』 : 電波新聞社が刊行していたゲーム雑誌『マイコンBASICマガジン』の別冊付録。アーケードゲームやPCゲームの情報や攻略法が記載されていた。かつて大堀所長はライターとして同誌に寄稿していた。 |
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