ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 東武東上線 川越」
なんと神社の境内にゲームコーナーが!
竹中氏、売店のおばあちゃんと感動の再会!?
――そして、今回私が一番気になっていたのが、神社の境内の売店にあったというゲームコーナーです。今回の探訪で、そこが(日本三大東照宮の一つである)「仙波東照宮」という立派な神社であったことが判明しました。竹中さんは、当時ここをどのように発見したのでしょう?
竹中 もともと、あの神社でみんなで遊んでいたんですよ。ゲームがない頃から。広い場所で爆竹を投げたりとか。あの売店は駄菓子も売っていたし爆竹も売っていた。現地調達できたんです(笑)。
――その神社で遊んでいたのは、おいくつぐらいの頃ですか?
竹中 小学校高学年ぐらいです。置いてあったゲームは3台ほどだったと思いますが、何があったかは全然覚えていません。『クラッシュローラー』(1981年/クラール電子)あたりだったかなあ……。
大堀 『クラッシュローラー』は、端っこに塗り残しがあると見にくいんだよね(笑)。
西谷 でしたね。「どこだどこだ?」ってよく探してましたよ(笑)。
――今回驚いたのは、当時からその売店にいたというおばあちゃんがいらっしゃったことです。そして、大堀所長の聞き込みにより、確かにこの売店にゲームが置かれていたことが証明されました。
竹中 当時絶対に会っているはずですが、残念ながらおばちゃんの顔もまったく覚えていない(笑)。さすがに小学生の頃の話ですからね。ただ、確か旦那さんのほうがメインでお店にいらっしゃったはずです。
大堀 おばあちゃんに聞いてみたら、ゲーム筺体はとっくに返却済みで、もう痕跡が残っていなかったのは残念だったけど、当時のお話ができたのはうれしかったですね。
――お団子とお漬物もごちそうになってしまいました(笑)。
西谷 リースだったってことは、どっかの業者が「置かせてくれ」って営業に来たのかな。
竹中 そうだろうね。当時はそういうのが多かったんじゃない?
西谷 ビジネスモデルとしては、自動販売機を置いていくような感じだね。
竹中 この売店では駄菓子も買ったし、爆竹もロケット花火も買ったし、ゲームもやったしで、1万円以上は余裕で使っていますね。当時小学生がゲーセンに行くと怒られましたが、神社までは先生は来ないわけです。しかも、黒いカーテンか何かで窓から中が見えないように遮断されていた。悪ガキたちを守ってくれていた感じでしたね。いやあ、でもこの神社の売店は、昔と変わっていなくて懐かしかった。時間が止まっていましたね。
大堀 ああいう神社の売店にもゲームコーナーがあるって、駄菓子屋にゲーム筺体が置いてあるようなノリだよね。
――昔は、ゲーセン以外にもいろんなところにテーブル筺体が置いてありましたね。ラーメン屋で見かけたこともありましたし。
西谷 コンビニにもあったりしましたよね。
大堀 コンビニに? 知らない。
西谷 『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)とかが置いてあったりしましたよ。今思うと、ちゃんと許可を取っていたのかよく分からないし、一瞬でなくなりましたけど。
大堀 今まで見た中で一番すごかったのが、普通の民家の軒下に『スペースインベーダー』がポツンと置いてあって、100円入れて遊べるようになっているの。八王子で。
――それは、勝手に訪問して遊んでいいんですか?
大堀 そう。誰でも遊べるように置いてある。すごい時代だったね。
――普通の人が個人的に買って置いてあったんでしょうかね?
大堀 あるいは、リース業者の社長の家だったのかもしれないけどね(笑)。
ドーベルマンのいるバッティングセンター
――今回は訪問しませんでしたが、竹中さんは、川越のバッティングセンターにあったゲームコーナーにも頻繁に行かれていたそうですね。
竹中 高校3年のときによく行ってましたね。そこにはコインゲームもありました。川越では、俺が一番多く通ったゲーセンかもしれないですね。
――そのバッティングセンターでは、どんなゲームを遊んでいたんですか?
竹中 『ハイパーオリンピック』(1983年/コナミ)をよくやっていましたね。あと、セガ系のゲームがけっこう早く入ったので、セガのゲームをやりたいときに訪れる場所でした。だから、俺は『スペースインベーダー』より、亜流の『スペースアタック』(1979年/セガ)をよくプレイしていたんですよ。
――あ、くしくもうちの田舎(茨城)のバッティングセンターにも、『スペースアタック』があったのを思い出しました。敵の形が独特だったので、よく覚えています。
竹中 ここの店長のおっちゃんは、俺たちがゲームで小ずるいことをやると、全部分かっているような勘のいい人でした。それでもなぜか怒らないんですけど、内心メチャクチャ怖かったです。ドーベルマンを2匹飼っていたんですよ。
――えっ。バッティングセンターで、ですか?
竹中 そうです。バッティングセンターの奥が犬の遊び場になっていたんです。
――悪いことをしたら犬をけしかけられそうな雰囲気ですね…。
竹中 そんなことはなかったですけどね(笑)。
オマケ! 丸広百貨店で懐ゲーに遭遇!
今回、丸広百貨店に訪れると、偶然にも9階のフロアで「懐かしのゲームコーナー」というイベントが開催されていました(2018年9月現在すでに終了)。無邪気に懐ゲーに興じる大のオトナたちの愛おしい写真を掲載しておきます。
【次回予告】
次回の「ゲームセンター聖地巡礼」東武東上線編は「東武練馬」をお送りします。たくさんの個性豊かなゲーセンのエピソードが伺えますが、個人的には駄菓子屋のおばあちゃんと西谷氏の、少しホロリとくるヤリトリが好きです。次週公開予定。お楽しみに!
西谷 亮 氏
1967年生まれ。1986年カプコンに入社。業務用ビデオゲームソフトの企画職として、『ストリートファイターⅡ』、『ストリートファイターⅡ’(ダッシュ)』の開発に携わる。カプコン在籍時には『ロストワールド』『ファイナルファイト』『X-MEN CHILDREN OF THE ATOM』などの企画も担当。1995年にカプコンを退社し、同年にアリカを設立、代表取締役社長に就任。代表作は『ストリートファイターEX』シリーズ、『EVER BLUE』シリーズなど。
竹中 善則 氏
1967年生まれ。1986年カプコンに入社。その後、かつてのゲーム仲間である西谷氏をカプコン入社に導いた。カプコン在籍時は『ロックマン』や『ブレスオブファイア』シリーズのプロデュースを担当。2004年カプコンを退社してゲームリパブリックに入社、『ブレイブ ストーリー 新たなる旅人』などを担当する。2010年スリーリングスを設立、代表取締役に就任。