ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 東武東上線」特別編~アーケードゲームに情熱をぶつけたあの頃を振り返る~
『マーブルマッドネス』と『クレイジー・クライマー』
操作系が特殊なゲームがお好き…?
――お2人が一番好きなアーケードゲームといえば、なん何でしょうか?
竹中 俺は『マーブルマッドネス』(1984年/アタリ)かなあ。
西谷 やってたね、よく(笑)。
竹中 体動かすのがアツくてね、すごい楽しかった。トラックボール系は結構やってましたね。『マリンデート』(1981年/タイトー)とかも好きでしたし。
西谷 渋すぎるなあ(笑)。僕は『クレイジー・クライマー』(1980年/日本物産)が一番好きですね。2本レバーで操作するというのが斬新で…。
当時のゲームは永久に遊べちゃうのが多かったんですけど、『クレイジー・クライマー』はいつまでたっても永久に遊べなくて、なんかムキになってやってましたね。
大堀 うまくなれないんだよね。
西谷 今思えば、難易度自動調節ゲームのハシリかもしれない。あ、でも『ムーンクレスタ』(1980年/日本物産)もそうかな。
大堀 『ムーンクレスタ』もそうだけど、『クレイジー・クライマー』ほど凝ってはなかった。必ず殺されたもんね、『クレイジー・クライマー』は。
西谷 なーんとなくはうまくなるんですけど、いつまでたっても極められない…みたいな。
大堀 30万点ぐらいが限界だよね。
西谷 PCゲームも入れたら『ディアブロ』(1997年/ブリザード・エンターテイメント)も好きだし、家庭用ゲームも入れると『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』(1993年/チュンソフト)や、『不思議のダンジョン2 風来のシレン』(1995年/チュンソフト)も挙がりますね。
竹中 完全にカブっている(笑)。『シレン』は延々とやってたなあ。
西谷 僕もアホみたいにやったよ(笑)。
――お2人のホームである東武東上線沿線のゲーセン以外で、印象に残っているお店はありますか?
竹中 俺は完全に「プレイシティキャロット 巣鴨店」かなあ。
西谷 東武東上線沿線以外だと、僕も一番通ったのは「プレイシティキャロット 巣鴨店」ですね。
――どの辺が魅力だったのでしょう?
西谷 いろんなプレイヤーが来るのと、ハイスコ集計をやっているのと…。
――やはりお2人は当時、貪欲にハイスコアを塗り替え、各地のゲーセンに痕跡を残すことに情熱をそそいでいたわけですね。
竹中 あと、電車1本で行けますからね。やはりアクセスも重要です。
のちにカプコンに入社するお2人
ひらめき型の竹中氏と、計算型の西谷氏
――お2人ともアーケードゲーマー出身でいらっしゃいますが、それはやはり今のご自身に大きな影響を与えていますか?
西谷 2人ともいまだにゲームを作る仕事をしていますし、もう影響与えまくりですよね。
大堀 なんでカプコンに入ったの?
竹中 ほかのメーカー全部落ちたから。本当はナムコに入りたかったんだもん(笑)。
全員 (笑)。
――西谷さんはどういう理由でカプコンに?
西谷 僕は竹中に呼ばれたんです。当時すでに竹中がカプコン(大阪)にいて、僕は東京在住だったんですけど、竹中から「企画マン募集してるけど、来ない?」って連絡がきて、次の日そのまま大阪に行きました。
竹中 俺は「ゴールデンウイーク明けに来て」って言ったのに、西谷はゴールデンウイーク前に来てしまって、住むところがないからしばらくウチにいたんです(笑)。
西谷 居候ですね(笑)。
――当時はお2人とも、同人誌で攻略も書かれていたし、ゲーム雑誌『Beep』(*01)でライターもされていたと伺っていますけど、そういう経験も、今のゲーム制作に活かされていると考えていいでしょうか?
西谷 間違いなく役に立っていますね。
竹中 『Beep』でライターをやっていたけど、編集部でメシばっか食っていた気がする(笑)。
大堀 『Beep』でライターをするようになったきっかけは?
竹中 覚えていないなあ。誰かに呼ばれたんだよなあ。
西谷 僕は『Beep』もお前に呼ばれたんだよ(笑)。
竹中 俺は誰に呼ばれたんだろう?(笑)。フラーっと行っていたから、まったく覚えていないなあ。
――ゲーム業界に入って35年連れ添った戦友として、お互いが尊敬している点を教えてください。
竹中 尊敬なんて考えたことがないね(笑)。
西谷 ないねえ(笑)。
大堀 そんなことないでしょう(笑)。
竹中 そういう視点では見ないですねえ。
――「ココがすごい!」みたいなものを感じることはないですか?
西谷 あ、竹中は頭がいいですね。お勉強じゃないほうの意味で(笑)。
竹中 わははは。
西谷 すごい賢い。よくそんなこと思いつくね…みたいな。それは確かに思うな。
竹中 西谷はね、良い面でも悪い面でも、すごい細かく論理立てて、きっちり作品を作っていくなというのは感じるよね。俺はほぼ勘でやっているから(笑)。
――計算が緻密だと…?
竹中 はい。だから、西谷の弟子も知ってるんだけど、西谷と同じ考え方で動いているもんね。緻密すぎて「もういいよぉ~」って思うほど(笑)。
アーケードゲームの企画書がすごいんです。『ファイナルファイト』(1989年/カプコン)とかは、1体の敵に(対して)何枚も(の企画書を)書くんです。俺、『ロックマンⅩ』(1993年/カプコン)作ったとき(の企画書なんて)2枚ぐらいなのに(笑)。
――ゲームを作る上では、ひらめきタイプの竹中さんと、前もって計算するタイプの西谷さんというところでしょうか。
大堀 じゃあ、遊ぶゲームも2人でキッチリ分かれているの?
竹中 でも、さっき聞いたらわりと同じだったね。
西谷 いろいろカブっていたね。
竹中 『シレン』もそうだし…。『ディアブロ』なんか、俺もう、めっちゃ楽しかったもん。
西谷 お前が『ディアブロ』大好きだったから、カプコンで『ディアブロ2』(2000年)の日本語版を売ることになったんだよね?
竹中 知らねぇよ!(笑)。
西谷 僕は勝手にそう思ってるんだけど(笑)。
長年の戦友として気兼ねのないお2人の楽しいエピソードをお聞きすることができました。本編もぜひご覧ください!!
西谷 亮 氏
1967年生まれ。1986年カプコンに入社。業務用ビデオゲームソフトの企画職として、『ストリートファイターⅡ』、『ストリートファイターⅡ’(ダッシュ)』の開発に携わる。カプコン在籍時には『ロストワールド』『ファイナルファイト』『X-MEN CHILDREN OF THE ATOM』などの企画も担当。1995年にカプコンを退社し、同年にアリカを設立、代表取締役社長に就任。代表作は『ストリートファイターEX』シリーズ、『EVER BLUE』シリーズなど。
竹中 善則 氏
1967年生まれ。1986年カプコンに入社。その後、かつてのゲーム仲間である西谷氏をカプコン入社に導いた。カプコン在籍時は『ロックマン』や『ブレスオブファイア』シリーズのプロデュースを担当。2004年カプコンを退社してゲームリパブリックに入社、『ブレイブ ストーリー 新たなる旅人』などを担当する。2010年スリーリングスを設立、代表取締役に就任。
脚注
↑01 | Beep : 日本ソフトバンクの出版事業部(現・SBクリエイティブ)が1984年に創刊した月刊のゲーム総合情報誌。PC・家庭用・アーケードと幅広くゲームを採り上げ、ライターの個性を前面に出した尖った記事で好評を博す。開発者インタビューが多かったのも特徴。西谷氏と竹中氏は、カプコンに入社する前に『Beep』でライターを務めていた。1989年休刊。 |
---|