高井商会探訪記~代表・高井一美氏に聞く ビデオゲームの歴史と保存~ 前編

  • 記事タイトル
    高井商会探訪記~代表・高井一美氏に聞く ビデオゲームの歴史と保存~ 前編
  • 公開日
    2019年06月07日
  • 記事番号
    1069
  • ライター
    外山雄一

ビデオゲームの登場、しかし顧客の反応はイマイチ

――ピンボールを扱っていたのは1970年代半ですか?

▲貴重な『ポン』の筐体(右側)

高井 そうですね。それからしばらくして、アタリの『ポン』(1972年)などのビデオゲームが出てきたんですね。当社としては、喫茶店に「ブロックくずし(*01)」を持って行ったのが最初です

――それは1976年~1977年辺りでしょうから、ピンボールの時代って3~4年くらいだったんですかね?

高井 そうですね、それぐらいかもしれませんね。けっこう長く続いたような気もするんですけど…。しかし、ビデオゲームの故障の少なさにはビックリしましたね。

――さすがに喫茶店はビデオゲームを屋外に放置しないですもんね。

高井 (ビデオゲームは)屋外放置もないし、(リレーの)接点もないから、故障は少なかったですね。だから(ビデオゲームの故障は)ビンボールの1/10ぐらいに減ったんじゃないですかね。

堀井 ああそうか。ピンボールのほうが物理的な故障が多そう。可動部から

――ピンボールから『ポン』や「ブロックくずし」にビジネスが移って、そうなると顧客は駄菓子屋じゃなくて喫茶店に移っていったんですか?

高井 そうなんです。そこから営業先が喫茶店に変わって。それでもシングル(ロケ (*02))はあったんですけどね。ただ、シングルゲームのピンボールが下火になっても、「ジャリメタ」(*03)っていう子供向けのメダルゲームとか新幹線ゲームとかがあったんで、それ以外のゲームでいけてました。『ピカデリーサーカス(*04)』(1976年/コナミ)は大ヒットしたしね。

――それで営業先も広がっていったんですね。

高井 喫茶店は(営業するのが)難しかったですね。その頃は、喫茶店のゲームといえばバクチのゲームやったんです。そこに「健全な娯楽ですから」と「ブロックくずし」を持って行っても、店側にすればバクチでも「ブロックくずし」でも一緒なんですよね。バクチのゲームは売り上げが折半だったから「(健全な娯楽は)儲けの3割がもらえるんです!」と言っても喫茶店側は納得してくれない。結局、健全な娯楽も利益折半になってしまって。駄菓子屋のおじさん、おばさんのほうが人間は良かったですね。

大堀 ちなみに、当時の喫茶店に置かれていたバクチの機械って、どういうものだったんですか?

高井 数当てとか。クルクル回る電光式の。あとは、スロットマシンの『スーパーコンチネンタル』(1970年/Bally)とかね。

――僕ら、喫茶店でバクチっていうとポーカーとか想像しちゃいます。

高井 もっと前はドイツ製の『ロタミント』というバクチゲームがありましたね。それが最初に喫茶店に入ったギャンブル機で、よくヒットしましたから。

大堀 最初、喫茶店に「ブロックくずし」を入れた時は1日の売り上げってどれぐらいあったんですか?

高井 駄菓子屋ゲームと同じぐらい、2,000円は上回らなかったと思いますね。

大堀 その時、1プレイ100円ですか?

高井 100円です。

大堀 それでは、「ブロックくずし」は1日20回程度しか遊んでもらえなかったんですか。

高井 そうですね。だから、ビデオゲームで儲けが出るようになったのは『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)以降ですね

脚注

脚注
01 ブロックくずし : もともとは『ブレイクアウト』(1976年/アタリ)の日本国内での俗称だったが、日本では同作を模したさまざまなコピーゲームが出回ったこともあり、それらすべてが『ブロックくずし」と総称された。
02 シングルロケ : ゲーム機のみを置いた業態のいわゆる「ゲームセンター」に対し、ゲーム以外の業種が中心で副業的にゲーム機器を設置して運営している場所(ロケーション)のこと。ここでは駄菓子屋やボウリング場、ショッピングセンターのゲームコーナーなどを指す。
03 ジャリメタ : メダルゲーム機のうち、子供をターゲットに作られたゲーム機のこと。大人向けのカジノ機的な機種と比較すると、ルールが簡単、メダルの増減が少ない、筐体が小さく作られているなどの特徴がある。AM業界では「キッズメダル」とも呼ばれる。
04 ピカデリーサーカス : 1976年にコナミ工業(当時)から発売された子供向けメダルゲーム。電子式ルーレットが止まる数字を予想して賭けるシンプルなゲームで、日本中に出回った。

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