高井商会探訪記~代表・高井一美氏に聞く ビデオゲームの歴史と保存~ 後編
高井商会でも所有していない基板がある!?

大堀 基板レンタル業をされていると、たくさんのマニアの方から色々と問い合わせが来ると思うのですが、「これは無かった」というタイトルはありますか?
高井 今欲しいと思っているのは『ドラキュラハンター』(1980年/テクノン工業)とか。『セアフリー』(1984年/タイトー)も無いね。
堀井 『ドラキュラハンター』か! こないだネットオークションに出ていましたね。
大堀 300万円でしたっけ?
――買えるワケない!
大堀 素朴な疑問なんですけど、例えば、今話題に出た『ドラキュラハンター』なんかは、昔、あちこちのゲーセンにあって、当時遊んだことがある人は結構いると思います。当時、100枚以上基板があったと思うんですけど、今になってどうしてなくなっちゃうんですかね?
高井 そりゃあ出来が悪いからですよ。いい基板だったら置いておくはず。
大堀 じゃあ除却になって…。
高井 除却にもなるし、「こんな基板はアカンで!」ってみんな(外に)出してしまって。
大堀 以前、一時期、駄菓子屋であまり人気のなかったゲームが置かれている頃があったじゃないですか。『スペースインベーダー』のブームが終わると、駄菓子屋などは『スペースインベーダー』の代替として『スペースウォー』を置いていたとか、そんなことがありました。『ドラキュラハンター』は、なんであんなに一気に(市場から)なくなったんでしょうか。
高井 (オペレーターは)みんな、このゲームをもう一度使うことはないだろうと踏んだんでしょうね。
堀井 『ドラキュラハンター』はおかげで希少になって、値段も上がったのでしょうね。『ゲームセンターあらし』(*01)に出てなかったら、思い出してももらえなかったかもしれない。
高井 『ドラキュラハンター』は、外国から持ってきて、ROMだけ日本版にして動かすのが一番楽かもしれませんね。
大堀 外国にあるんですか!
高井 外国仕様のヤツが輸出されたようですね。『ザ・悟空』(1980年/シグマ)って基板があるんですけど、これはアカンと思って、私でも潰したぐらいですからね。
大堀 「潰す」というのは、部品取りして廃棄したという意味ですよね。確かに、府中市の分倍河原のゲームセンターにあったけど、人気はなかった。
高井 だから『スペースインベーダー』とか、人気がある程度あれば、置いておこうかと思いますけど。
大堀 あまりにも営業成績が悪いと、潰されてしまうんですね。
高井 「ああ、これは人気がない」と思ったら、即処分していましたね。その頃にこんな(基板レンタル業)商売をするとは思っていませんでしたから。
未来に向けたアーケードゲーム保存における課題とは?
堀井 今後、このようなゲーム保存をずっと続けていくために、これから先に何をすべきか、また、課題になっていることはありますか?
高井 さっき申したように、自分が個人でやるにも限界が来るので、公的機関が何か(ゲーム保存のために)考えてくれたらいいですよね。
堀井 今まで僕が(ゲーム保存のための)課題だと思っていたことは、修理するにも部品が足りない! ということでした。しかし、今回、高井さんが保管されている部品を見て、あれだけあれば直せるなと思いました。
高井 足りない部品があっても、それを交換することで動くようになればいいですけど、中には部品があってもどうにもならない基板もあるわけで。でも、その基板からまた部品を取って、ほかの基板に使うことは可能ですからね。
――高井さんは、レンタルに使う基板をご自身で修理されていると思いますが、例えば、ほかの個人や業者さんから修理を請け負うことはありますか?
高井 いや、それは怖くてようやりません。私が修理して動かなかった基板を、ほかの修理屋さんに持って行ったら、その修理屋さんも見るのを嫌がると思いますよ。だって逆の立場だとしたら、ほかの人が(入れ)換えた部品を取ってみて、取った所が正常になっていることを確認して、間違いがないと分かった上で修理にかかることしかできないから。修理したために余計に悪くなったってこともありますからね。
だから私は、直らなければ、しゃあない、諦めようって。そのうち、また技術が向上したら直るかもわからん、という救いもありますしね。
堀井 まぁ、(レトロゲーム基板は)そうそう直らないですよね、お医者さんと一緒のところがある。
高井 私、修理でよく分からないのは、CPUのない基板ですね。(エキシディの)『デスレース』(1977年/ボナンザ)なんか、CPUがないんで、私の知り合いでかなり技術力のある方にお願いして修理してもらいましたけど、その人はキレイに直してくれましたね。ただ、それなりに修理代はしました。だいぶん手間がかかったことは間違いない。
堀井 直ればいいですよ!

高井 今困っているのはモニターですね。外国製のモニターで、トランスがショートしていて、この部品がないんです。「eBay」とかのオークションでも、モニター基板はなかなか出てこない(*02)。代替で国産品に変えてやってしまうとオリジナルと仕様が変わってしまう。まぁ、悩ましいとこですな。

堀井 カスタムIC(*03)は、同じ動作をするカスタムICを、FPGA(*04)か何かで作ったりすることも、いずれは必要になるかなと、個人的には思いますけどね。
大堀 残すということを考えるとね。
高井 ナムコの『ゼビウス』(1983年)なら、カスタムICだけで何十個も使っていますよ。あれをどうやります?
堀井 今のソフトウエアから見ると、1個1個の役割は小規模なんです。なので、1個1個しらみ潰しに再現していくしかないかなと。どれだけ時間がかかるかは分かりません!
大堀 『ゼビウス』はそんなにカスタムICをたくさん使っているんですか? コピー対策?
堀井 いやあ、ナムコのゲームは音源から何から何まで、再現しなければならないものは山盛りありますよ。単に74LS(*05)、汎用のIC(*06)なんですけど、あれで作れないようにどんどんカスタムICを集積していった、というのもある。でも、74LSを集積しているんだったら役割が分かるから、すぐに作れるかもしれない。

高井 でも、それを作っても1個の基板しか修理できませんからね。20個あれば20回やらなきゃならん。
堀井 そうなんですよ! しかも完全に同じ動作をするかどうかってとこも保証しかねる。
高井 だから故障したら、もうどうにもならない基板から部品を取って、パッと入れればサッと直る。
堀井 あと何十年か分からないけれど、100年後は規格も変わっているでしょうし、その時は出力先もなくなっている気がしますね。ブラウン管はないし、映像信号の規格も全然変わっているでしょうし。RGB信号(*07)をそのまま表示できるモニターはその頃ないだろうから、マイコンソフトさんがフレームマイスター(*08)の強いヤツを出してくれていれば…。
高井 僕の技術の先生が言っていたのは、今のROMは一種のコンデンサーだから、何十年経ったときにはデータはなくなり、そこまでしか持たないって。ほかの何かに置き換えてデータを保護するしかないって。
堀井 電源を入れ続けていれば、わりと長持ちしますけどね。
高井 でも、今でも故障でROMのデータが抜けているやつありますよ。それは条件が悪かったんだと思いますけどね。
堀井 もうあるんだ! 半世紀も持たないのか! マスクROM(*09)じゃないですよね?
高井 EPROM(*10)です。マスクじゃないです。
堀井 マスクでデータが消えたらおっかないけど、EPROMでもデータが消えるんだ! 遮光が甘いとか…。
高井 箱に入れていたけど、蛍光灯の光がちょっと入ったとかね。

堀井 いやあ、いずれデータは消えると思っていたけど、10年単位で電源を入れておけば大丈夫だろうと楽観視していましたが、そうではないんですね。結局、情報は石板に刻むのが一番だという話に戻るな!
――『スペースインベーダー』の8キロバイトのプログラムでも、石板に刻むのは大変ですよ! でも、いろんな方法で残さないと。
堀井 とりあえず、高井さんはアミューズメントの大先輩ですので「今後ともよろしくお願いいたします」としか言いようがないですよ。「(ゲーム基板の)未来への維持をお願いします」って。後輩の僕らが言うのは大敗北です。
――「我々にお任せください」とは、言いたいけどなかなか言えないですね。これだけ見ちゃうと。
堀井 言えないですねー。もちろん努力をしている若い衆もたくさんいますけど、生き字引は生き字引のまま、きっちりご健在でいてくださらないと……。
大堀 今後とも引き続き保存活動に取り組んでいってください。本日はありがとうございました。
消えゆくアーケードゲームが「今」遊べることの大切さ
形あるものは、いつか壊れる。仏教思想の「諸行無常」を感じるスパンは、ビデオゲームを含むデジタルデバイスにおいては、アナログメディアのそれに比べて短い。確かに不変なものは世の中に存在しないが、消えゆくままにはしたくない。ゲーム文化を後世に残す、データを残す、名作ゲームを復刻する……。多様なアプローチがあるが、ビジネスとしてゲーム機器を稼働させながら保存する高井商会、高井一美氏の仕事も、そのひとつだろう。
すべてを永遠に残すことは不可能だが、ゲームに限らず、人の心を動かしたものは後世に残りやすい。自分が遊んで心を動かされたゲームの楽しさを他人に伝えるだけで、そのゲームが後世に残るかもしれない。膨大なタイトルがすぐに遊べる形で保存されている高井商会を見て、ゲームを遊ぶ、ということの重要さを再認識させられた。

高井 一美 氏
1948年、長野県生まれ。1970年に高井商会を創業、現代表。アミューズメント機器のリース・レンタル、関連電子機器の販売・修理・企画・設計およびアミューズメントセンターの運営などを経て、現在は歴史的なゲームの収集・保存を通じて、ゲームを文化として後世に残す活動も行っている。元・大阪府アミューズメント施設営業者協会副会長。
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脚注