北海道ゲーマーズ・オーラルヒストリー 番外編
まさゆきさん Vol.1

  • 記事タイトル
    北海道ゲーマーズ・オーラルヒストリー 番外編
    まさゆきさん Vol.1
  • 公開日
    2024年11月08日
  • 記事番号
    12062
  • ライター
    藤井昌樹

ゲームはプレイヤーがいてこそ成立するものであり、そしてゲームの遊ばれかたが時代によって大きく変化しているのなら「プレイヤーの記録」も重要なのではないかという視点から行っているインタビュー「ゲーマーズ・オーラルヒストリー」。
今回は『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(以下ドラクエ9)に登場する宝の地図「見えざる魔神の地図Lv87」の発見者として有名となったまさゆきさんにお話を伺いました。

「見えざる魔神の地図Lv87」は地下15階で経験値を大量にもらえるモンスター「メタルキング」のシンボルのみが登場する、いわゆるメタルキングオンリーの地図として最初に有名になり、発見者の名前をとった通称「まさゆきの地図」として、ニンテンドーDSの機能「すれちがい通信」を通して日本全国に広まりました。
当時あまりにも有名になったため、市販された公式攻略本にも「見えざる魔神の地図Lv87」についての攻略法が掲載されました。
また、歴代シリーズにちなんだクエストが楽しめる『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』(※無印PS4版以外)ではドラクエ9をテーマにしたクエストのひとつとして「見えざる魔神の地図Lv87」に関するクエスト「ああ…すれちがい」が登場するなど、ドラクエ9を象徴する要素のひとつとして公式に認められていると言えます。

ドラクエ9の15周年となる今年(2024年)、2009年当時のことも含めてゲームとの出会いから現在までのお話をまさゆきさんに伺いました。
まさゆきさんはドラクエ9発売のときは神奈川県在住でしたが、元々は北海道出身で現在は札幌にお住まいです。ですから「北海道のゲーマー」という側面もお持ちです。
今回のVol.1では、まさゆきさんとビデオゲームの出会いからドラクエ9発売直前までをお話ししていただきました。

【聞き手】
藤井昌樹

『ドラゴンクエストIX』の中で「まさゆきの地図」こと「見えざる魔神の地図Lv87」を発見したまさゆき氏

ファミコン本体と一緒に買った『ドラゴンクエストIII』

―― まさゆきさんがお生まれになった年は?

まさゆき 1981年生まれです。今(2024年)は43歳になります。

―― 生まれた2年後にファミコンが発売されるということですね。まさゆきさんが最初に触ったテレビゲームって覚えていますか?

まさゆき ファミコンだとは思いますが、具体的なタイトルは覚えていないんですよね。

―― いつ頃になるでしょう?

まさゆき 『ドラゴンクエストIII』(エニックス/1988年)が発売された1988年のちょっと前くらいだったと思います。

―― 最初に遊んだファミコンはまさゆきさん用に親御さんに買ってもらったものですか? それとも他の誰かのもの?

まさゆき 友だちの家で遊びました。ドラクエ3をはじめて遊んだのも友だちの家です。

―― そのときのまさゆきさんの年齢は?

まさゆき 88年なので7歳ですね。小学1年生です。

―― それまではテレビゲームに触れていなかったのですね。親御さんやご兄弟はテレビゲームで遊んでいなかったのですか?

まさゆき 僕は一人っ子で兄弟はいないんです。で、うちの両親はゲームをしない。コントローラーすら握ったことがないので、全然できないと思います。

―― 最初にファミコンに触らせてくれたお友だちは小学校の同級生ですか?

まさゆき そうです、同級生です。今でもその友だちとは繋がっています。幼稚園の頃からの 幼馴染みですね。幼稚園の頃は友だちの家に遊びに行くという習慣はなかったのですけど、小学生1年生になってからは行くようになった。その友だちの家にファミコンがあったんです。

―― 普段からよく家に遊びに行くお友だちだったのですか?

まさゆき そうですね。その子は、お父さんがけっこう新しいものとかに興味がある人でした。それで、お父さんがある時ファミコンを買ってきてくれて、ドラゴンクエストが流行っているらしいからと言って買ってもらったらしいです。

―― そのご友人の家へあるときに行ったら、ドラクエ3もあったのですね。

まさゆき 友だちの家で初めてドラクエ3を見たときのことはあまり覚えていないのですけど、他に何人かの友だちと一緒だった気がします。ドラクエ3を持っていたその友だちは今思うと信じられないのですけど、すごく優しかった。自分の冒険の書(セーブデータ)で僕に遊ばせてくれたんですよ。

―― 自分の冒険を部分的にとはいえ他の人に遊ばせてOKというのは寛容な人ですね。

まさゆき 複数の友人の間でコントローラーを回して、その友だちの冒険を進めるみたいな感じでやっていましたね。

―― ドラクエ3以前に遊んだファミコンソフトで覚えているものはありますか?

まさゆき 細かいことは記憶が曖昧なんですが、ほとんどのゲームは苦手でした。『スーパーマリオブラザーズ』(任天堂/1985年)も難しく感じたし、アクション全般が苦手でした。『バルーンファイト』(任天堂/1984年)はすごくおもしろかった記憶が残っているのですけど、それ以外はそこまでハマりませんでした。

―― 小学1年生の頃はそんな感じだったのですね。

まさゆき ただドラクエ3に関しては友だちの家で遊んだことで自分もやりたくなったんです。それで親に「ファミコンがほしい」とはじめて言うんですけど、当時は親がゲームに対して厳しくて、なかなか買ってもらえなかった。僕は1人っ子なので「買って」と言ったら割となんでも買ってもらえる感じだったのですけど、ファミコンだけはすぐ買ってもらえませんでした。贅沢な話なんですけど、子どもの頃に「買って」と言って唯一苦戦したのがファミコンでした

―― ファミコン本体と一緒に買ってほしいと親に頼むほど、当時のまさゆきさんの心にドラクエ3が刺さったということなんですね。

まさゆき 自分の冒険の書がほしかったんですね。そして88年の11月にようやく買ってもらえました。

―― 初めてご友人の家でドラクエ3を見たときは、ある程度冒険が進んでいた状態だったのですか?

まさゆき そうですね。最初から一緒にやっていたわけじゃない。

―― 小学校1年生ながらドラクエ3は何をするゲームかというのは何となく理解できていたのでしょうか? なぜこの質問をするのかと言うと、わたしが1作目の『ドラゴンクエスト』(エニックス/1986年)をプレイしたのは高校生のときでした。だから他のタイトルも含めてコンピューターRPGを小学生のときにはまだ経験していないんです。そういったこともあり、小学生が当時のRPGをどう認識していたかということに興味があって。

まさゆき どういうゲームかは、あまりよくわかっていなかったと思います。ストーリーも当時はあまり記憶に残っていない。「ボタン押して敵を倒していたな」みたいな印象だった気がします。

―― 戦闘が強く印象に残っているんですね。

まさゆき そうですね。ストーリーより戦闘の方がすごく記憶に残っています。そもそも当時の僕はストーリーに思い入れが薄い方なのかもしれなくて、ドラクエ3だけじゃなくて、『ドラゴンクエストIV』(エニックス/1990年)、『ドラゴンクエストV』(エニックス/1992年)、『ドラゴンクエストVI』(エニックス/1995年)も同じ感じだったと思います。だから僕はドラクエ5の初回プレイで結婚(*01)相手にビアンカを選んでいないんですよ。

―― ストーリー重視だとビアンカを選ぶことが多いですものね。ちなみにドラクエ4、5、6は、どれも発売日に買っているんですか?

まさゆき はい。

―― ということはドラクエ4はドラクエ3の2年後だから、まさゆきさんは小学3年生。ドラクエ5はさらに2年後だから小学5年生。小学5年だと人によってはストーリーにそれほど注目しないということは普通にありそうですね。

まさゆき 僕は見た目重視で最初からフローラを選びました。

まさゆきさんがはじめてプレイした『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(資料提供:山本らぐたろう氏)
 ©1988 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

―― ドラクエ3に話を戻しますが、88年11月にようやく親御さんに頼んで、ファミコン本体と一緒にドラクエ3を買ってもらえた。そのときは自分用のテレビはあったのですか?

まさゆき 当時はなかったですね。

―― ということは、茶の間にある家の中で1台のテレビに繋いでいた。

まさゆき 14型の赤いテレビだったのは覚えています。

―― わたしはそこも世代的に興味深くて。わたしはさっき言ったとおりドラクエ1の頃は高校生で、かつ下宿だったんです。だから個室に自分用のテレビがある状態で親に気兼ねなくドラクエを含めたテレビゲームが遊べたんです。88年だとまだ家庭にテレビが1台というのはそれほど珍しくなかったかもしれない。そういうときに当時の小中学生はどのようにプレイ時間を捻出していたのかに興味があるんです。

まさゆき 記憶が曖昧ですが、親がいないとゲームはできなかったと思います。親がいないときに一人では遊ばせてもらえなかった。また、親は共働きでした。平日はいないし、土曜も半日はいなかった。親がいないとゲームをできないから、僕の家で友だちとゲームをやることはなかったと思います。基本的には平日の夜に親がいる時間、友だちはいない状態でドラクエをやっていたんじゃないかなと思います。わからないところを教えてもらうために、ソフトを友だちの家に持っていったことはありましたが、記憶では1回のみです。

―― まさゆきさんがドラクエ3で最初に組んだパーティーは?

まさゆき 具体的に何を参考にしたかは忘れましたが、王道の「勇者、戦士、魔法使い、僧侶」で始めました。キャラの名前は僕と父と母と、もう一人は友だちだったと思います。

―― はじめてのドラクエ3はエンディングまで行ったのですか?

まさゆき 行きました。

―― どれくらいの時間がかかったか覚えていますか?

まさゆき いやー、覚えてないですね。

―― 小学1年生でドラクエ3をプレイするにあたって、ゲーム中に出てくるセリフや文章は何を言っているのかはわかりましたか? 次はどこそこに行けだとか、武器や防具は装備しないとダメみたいなことは理解してプレイできていた?

まさゆき 細かいことは覚えていないですけど、いろんなところでつまずくことはあったと思います。そういうときは友だちに訊いていました。自分は11月から始めたから、先行してプレイしている友人はいましたからね。放課後に友だちの家に自分のカセットを持っていって、そこでファミコンを借りて直接教えてもらうこともありました。遊び人が「さとりのしょ」がなくても賢者に転職できることはクリア後に教えてもらって、びっくりした記憶があります。

―― ドラクエ3は船を手に入れる中盤(*02)辺りの自由度が高いのですが、この辺りは小学校低学年の感覚だといろいろ大変そうなイメージもあるのですが。

まさゆき ドラクエ3のときは攻略本を買った記憶もないんですよ。でもそれでちゃんとクリアできていたから友だちからもらった情報で何とかなっていたのだと思います。

―― まさゆきさんの経験では、ご友人との情報交換で小学生でもエンディングまで行けた。そう考えると改めてというか今さらではありますが、ドラクエ3はよくできているんだなと思います。

まさゆき 改めて考えると、小学1~2年生に文章だけでエンディングまで到達させるのは大変ですよね。作る側の視点に立つとすごく難しそう。

―― ドラクエ1~4の中で、3は特に自由度が高いから、そういう意味で変なハマり方をするとゲームを進めるのが難しいですよね。難易度で言えばドラクエ2の方が高いのですが。

まさゆき そうですね。でも、とにかく僕はドラクエ3をクリアできました。

発売前の前情報から楽しんでいた『ドラゴンクエストIV』

―― エンディングまで行って、小学生のまさゆきさんとしてはドラクエ3はおもしろかったですか?

まさゆき おもしろかったです。

―― となると、やはりドラクエ4が出るとわかったときはほしくなるわけですね。

まさゆき 詳細は忘れましたけど、少年ジャンプの袋とじの中の情報で知ったのが最初だったかな。その後、カジノが実装される、AIで戦闘(*03)ができる、発売日が決まったとか、発売が延期したという情報が段階的に解禁されていって、発売をすごく楽しみに待っていた。僕のドラクエ4の楽しみはそこから始まっていました。

―― 前情報から楽しんでいたのですね。

まさゆき 前情報がすごく重要だった。発売前からのドラクエを体験したのはドラクエ4がはじめてでしたからね。ドラクエ3は発売後に友だちの家で見たのが最初だったので、そういう意味では途中から楽しんだという感覚なんです。今も、11月に発売される『HD-2D版 ドラゴンクエストIII』(スクウェア・エニックス/2024年)の前情報で、みんな一喜一憂していますよね。新要素を楽しみにしたり、逆に大丈夫かと不安になったり。現在は、YouTubeの動画などもあって情報発信のされ方が大きく変化していますが、前情報から楽しむということは当時から変わっていないと思います。そういう意味で、前情報もコンテンツの一部として重要だと思うんです。

―― なるほど、たしかにそうですね。

まさゆき ソフトを予約するのも、ドラクエ4がはじめてです。当時、予約するのもすごく大変で、おもちゃ屋さんを何件もまわった記憶があります。何とか予約をして、発売日に親と一緒におもちゃ屋に行って、帰りの車で 説明書を見て、家に着いたらさっそく遊び始めました。

―― ドラクエ4は発売日に買っているんですね。予約は大変だったとのことですが……。

まさゆき なかなかできなかったですね。当時、僕は千歳市に住んでいて、札幌まで親と一緒に買い物に行ったときに札幌のおもちゃ屋さんに行って予約できるか問い合わせました。でも、うちは予約やってないですとか、予約できるけど買えるのは発売日から1ヶ月後ですとか言われて予約を諦めるという状態だった。そんなとき、それまで行ってなかった千歳のおもちゃ屋さんに行ったら、予約できるし発売日にも手に入りますよってところがあって、そこでドラクエ4を買いました。

―― すごい、灯台下暗しだったのですね。ちなみにわたしは当時札幌でしたけど、ドラクエ4は事前予約ができなくて真冬の夜中に朝まで並んで買いました。すごい数の行列でしたね。夜中に並んで買ったのはドラクエ4が唯一でしたけど、かなり辛かったのでその後の人気ゲームは予約して買うようになりました。

まさゆき そうだったんですね。当時は発売日に手に入れなきゃ嫌だという感覚でしたよね。

―― ドラクエ3や4を遊んでいた小学生の頃は、ゲームだけじゃなくて他の遊びもやりつつ、その中でゲームも遊ぶみたいな感じだったのですか?

まさゆき 小学生の頃は、ゲームか外で遊ぶかの二択です。親にゲームばかりやってないで外で遊びなさいと言われがちな子どもでした。でもゲームを選ぶことが多かったかな。友だちと遊ぶときもゲームをするか、外で例えばドッジボールをやるかってなったりしたときは外で遊ぶよりも家でゲームをする方を選ぶことが多かった。

―― ちょっとゲーム志向ではあった。

まさゆき そうですね、小学生の頃はあまり運動しない子でしたね。その後、Jリーグが出てきて、ちょっと変わるんです。

―― サッカーの方に関心が行くんですね。1993年でしたか。

まさゆき そうです。

―― ファミコンでドラクエ以外のソフトは持っていたのですか?

まさゆき たぶん20本くらいファミコンソフトを買ったと思います。ドラクエ3と一緒に『サラダの国のトマト姫』(ハドソン/1988年)を買いました。でも当時の僕には難しくて、先に進めなかった。文章主体のアドベンチャーゲームで文章を読んでクリアすることが小学校低学年の僕にはできなかったのかなと思います。

―― RPGであるドラクエ3は、かろうじてクリアできたということなんですね。

まさゆき 他にはガンダムが好きだったので『SDガンダム外伝 ナイトガンダム物語』(バンダイ/1990年)というRPGを遊んでいました。『スーパーマリオブラザーズ3』(任天堂/1988年)もやった記憶はあります。

―― ドラクエ3と4の間に、前作である『ドラゴンクエスト』や『ドラゴンクエストII』(エニックス/1987年)は遊びませんでしたか?

まさゆき その時点で自分では遊んでいないです。友だちの家でちょっとだけ見たことがあるけど、「何これ、ドラクエ3と全然違うな」と思いました。ドラクエ1で人に話すときに方向を指定しなければならなかったり、ダンジョンが暗闇で松明を使わないといけなかったりとドラクエ3とはかなり違いましたよね。そうそう、だから僕はドラクエのパスワードである「ふっかつのじゅもん」まともに経験していないんですよ。

―― ああ、そうなりますね。

まさゆき 2010年か2011年の頃にファミコンのドラクエ1と2をやることがあるのですけど、それまでは触れていなかったんです。

―― スーパーファミコンでリメイクされた『ドラゴンクエストI・II』(エニックス/1993年)もプレイしていない?

まさゆき 遊んでいないです。

―― まさゆきさんとしては基本、リメイクは遊ばずに、ナンバリングタイトルの最初のものをプレイする感じだったのですね。

まさゆき リメイク版をはじめて遊ぶのはニンテンドーDSで出た『ドラゴンクエストIV』(スクウェア・エニックス/2007年)が最初ですね。

―― そうなんですね。少し話題を変えますが、先ほどの話だとファミコン版ドラクエ4の時点で少年ジャンプを読まれていたということでした。ドラクエのキャラクターデザインが『ドラゴンボール』の作者である鳥山明さんということは小学校低学年の頃に認識されていましたか?

まさゆき いや、キャラデザが鳥山明さんとか気にしていたのかな。僕に関してはゲームを作っている人が誰とか、そういうことを気にするようになるのは30代半ばぐらいからなんです。だからそれまでは堀井雄二さんが作っているといったことも気にしていなかったんです。

―― スタッフクレジットで表示はされるけど、当時のまさゆきさんとしてはあまり把握していなかったんですね。

まさゆき そうなります。

まさゆきさんが発売前から期待していた『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(資料提供:山本らぐたろう氏)
 © 1990 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

―― ファミコン版ドラクエ4に話を戻します。発売日に買われて、さっそくプレイしたということでしたが、すでにドラクエ3を経験されているので割とスムーズにプレイできた感じでしたか?

まさゆき いや、全然うまくいかなかったですね。例えば、2章になって最初にセーブするためにはアリーナが壁を壊して部屋の外に出なきゃいけないんですけど、それができなくて。翌日、学校で友だちに聞きました。

―― 小学3年生くらいの頃ですものね。でもわからないところがあったら友だちに聞くということもドラクエ3のときに経験していたからできたとも言えますね。ドラクエ4の頃だと同級生でやっている人はそこそこいましたか?

まさゆき いましたね。僕より先に進んでいる友だちがいて教えてもらっていたと思います。

―― ドラクエ4は5章から主人公以外の戦闘がAIによるオートになって、命令を切り替えるというシステムでしたが、この辺りは理解されていましたか?

まさゆき ずっと「ガンガンいこうぜ」にしていました。

―― そうですか(笑)

まさゆき (笑)。当時の僕の中では、命令を切り替えて楽しむ人がいるのかなという感じでした。だから「ガンガンいこうぜ」しか選ばない。あれは選んでました?

―― うん、選んでいました。

まさゆき でも考えてみれば、回復してほしいときはさすがに「いのちだいじに」にしていたのかな。

―― それもありますし、「いろいろやろうぜ」じゃないと使わないアイテムがあって、自分はそれを確認するために選んでいました。わたしがドラクエ4をプレイしていたときは20歳だったので、20歳なりの考え方でゲームに接していたと思います。でも小学3年生くらいだったら「ガンガンいこうぜ」しか使わないというのはそう珍しくないような気もします。まさゆきさんはドラクエ4をクリアした?

まさゆき しました。

―― だから、ドラクエ4も小学生でも頑張ればクリアできるようにはなっていたということですよね。

まさゆき ドラクエ4で思い出したのですけど、ドラクエ4の発売前に『ドラゴンクエストIV 導きの書』という関連商品があって、それを持っていました。下敷きとか、世界地図が入っていましたね。他に各町や村の記録を残すことができるノートがあって、ここの町の道具屋で何を売っているとか、そこの町の人はこういうことを言ったなどを記録することができました。ゲームカートリッジを収納するトレイもあって毎日遊び終わったら大事に閉まっていましたね。この「導きの書」は今でも印象に残っています。

―― そうなんですね。

まさゆき 「導きの書」に入っている下敷きを見たらドラクエ4で初登場のミナデインという呪文が載っていて、ドラクエ3ではギガデインやメラゾーマが最強の呪文だったから「どんな呪文なんだろう?」と発売前から楽しみにしていた記憶がありますね。

―― 初登場ということでは、後の『ドラゴンクエストIX』(スクウェア・エニックス/2009年)でまさゆきさんを象徴するモンスターとなるメタルキングもドラクエ4が初ですよね。

まさゆき ドラクエ4の発売直前に少年ジャンプ編集部が作った『ドラゴンクエストIV ファミコン奥義大全書』という攻略本がありました。その中にメタルキングがシルエットで紹介されていましたね。はぐれメタルよりも経験値を稼げるぞ、みたいな書き方でした。

―― キングスライムは発売前にしっかり公表されていたと思いますが、メタルキングはぼかして紹介していたのですね。

まさゆき ドラクエ4の頃はゲームを遊ぶときに親に時間制限されていることが続いていました。だから攻略本を見て、ゲームのことを脳内でいろいろ考えたり、イメージを膨らませていたような気がします。

―― その頃はいろいろと攻略本を買っていたのですか?

まさゆき 主に発売と同時期に集英社が出していた少年ジャンプ編集部制作のものを買っていました。ゲーム雑誌のようなノリの誌面で、わくわくしていました。大公開!大発表!極秘!とかスクープを報じるような形だったのが楽しかったです。

―― ドラクエのサントラは持っていましたか?

まさゆき サントラは買っていないですね。文房具は持っていました。下敷き、定規、筆箱。筆箱はドラクエ5のときですね。たぶん実家にまだあると思います。

―― そういったグッズも買っていたということは、ドラクエ3から5にかけて、まさゆきさんが小学生の頃はドラクエへの関心がかなり高かった時期なんですね。

まさゆき 今から振り返ると、小学生の頃は自分のドラクエへの関心が強かった最初の時期と言えますね。ドラクエのゲームブックや『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場』も買っていました。1995年のドラクエ6は高校受験があって発売日に買わずに後回しにしてしまうし、僕はプレイステーションとプレイステーション2を持っていなかったので『ドラゴンクエストVII』(エニックス/2000年)と『ドラゴンクエストVIII』(スクウェア・エニックス/2004年)もプレイしていないんです。だから中学生からはドラクエから離れる時期がけっこう長い。

結婚相手はフローラを選んだ『ドラゴンクエストV』

―― ドラクエ5の話に移ろうと思いますが、こちらはスーパーファミコンのゲームになります。スーファミ本体はドラクエ5と一緒に買ったのですか?

まさゆき いや、『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』(任天堂/1991年)と一緒に買いました。本当はスーパーファミコン内蔵テレビがほしかったのだけど、親に買ってもらえませんでした。

―― シャープが出していたやつですね。ゼルダはクリアしたのですか?

まさゆき クリアしました。こちらも友だちに攻略法を聞きながらでしたけど。ゼルダはアクションRPGになりますけど、アクションが苦手な自分でもクリアできたので、リアルタイムで操作するゲームに少し自信がつきましたね。僕はマリオもろくにクリアできませんでしたから。

―― まさゆきさんは基本的にリアルタイムでゲームが進行しないRPGやアドベンチャーゲーム、シミュレーションゲームがお好きなんですか?

まさゆき いや、アドベンチャーはやりません。先ほど言った『サラダの国のトマト姫』もそうでしたが、文章をずっと読み続けるのが苦手なんですよ。シミュレーションはガンダムが好きなのでガンダムが出てくるゲームは遊びました。大戦略や三國志をプレイしたことがありますが、こちらは全然ダメでした。

―― なるほど、ジャンルで遊ぶわけではないのですね。

まさゆき ガンダムだから、ドラクエだから遊ぶという感じです。

―― 『ファイナルファンタジー』シリーズはプレイされましたか?

まさゆき プレイしています。スーファミの『ファイナルファンタジーIV』(スクウェア/1991年)が最初ですね。はじめてFF4のグラフィックを見たときは「気持ち悪いな」と思いました。ドラクエとの対比で見ていたからですね。すぐに慣れましたけど。その後の『ファイナルファンタジーV』(スクウェア/1992年)と『ファイナルファンタジーVI』(スクウェア/1994年)も遊びました。

―― スーファミで出たタイトルはすべてプレイしているのですね。

まさゆき ドラクエ4のときに買ったソフト発売直前に出る「導きの書」ですが、ドラクエ5のときも買いました。付録でCDが付いていましたね。序曲とフィールド曲が入っていたと思います。

―― 調べると『ドラゴンクエストV 最強のモンスター使いへの導きの書 CD+』というタイトルのようです。CDプレイヤーが普及していた時期だから付録にCDが付くようになっていたんですね。

まさゆき そうですね。あとモンスターカードも付いていました。自分でメモを書けるようになっていたと思います。小学生にとっては嬉しいアイテムでしたね。

シリーズ初のスーパーファミコン用ソフト『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(資料提供:山本らぐたろう氏)
 © 1992 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

―― 先ほど少し話が出ましたが、ドラクエ5ではビアンカを選ばなかった。

まさゆき 後で新しい冒険の書を作ってビアンカも選んだ記憶がありますけど、最初は見た目の好みでフローラを選びました。

―― 先ほども話されていましたが、あまりストーリー重視ではなかった。やはりドラクエ5も戦闘がおもしろかったのでしょうか?

まさゆき どうだったのかな。レベル上がって強くなっていくのが楽しかったのはあるかもしれない。呪文などの攻撃ですごく大きいダメージ値が出るのが好きでしたね。それと新しい町に行って強い武器が手に入ると嬉しかった。だから新しい村や町に行って僕はまず武器屋をチェックするんですよ。次の強い武器は? 次に大きいダメージ与えられる武器は何だ?というのをチェックする。呪文も単体に与えるダメージが最強のメラゾーマや敵全体を一度に攻撃できるイオ系が好きでした。だから戦闘が好きだったとは言えますね。

―― ドラクエは数値で強さが示されるのでわかりやすいですよね。

まさゆき 一番力があるキャラに一番強い武器を持たせることだけを考えていました。

―― 新しい町に行ったら、そこで売っている最強の装備をメンバー分すべて買いますか?

まさゆき いや、自分はパーティーメンバーのうち一番高い火力を出せるキャラに最強の武器を1個与えるだけです。他のキャラの攻撃力はいいやという感じで。

―― そうなんですね。わたしはパーティー全員分の最強装備を揃えてからその町での冒険を始めるタイプです。

まさゆき それは、けっこう時間がかかりますよね。

―― 自分はそれが楽しいんですよ。低レベルクリアされるやり込みプレイヤーの皆さんは、防具の守備力ではなく呪文などの属性への耐性で装備を選んでいますよね。こうしていろんな楽しみ方ができる自由度の高さが、やはりドラクエの魅力だと改めて思います。

まさゆき そうですね。自分が耐性を意識するようになったのは、『星のドラゴンクエスト』(スクウェア・エニックス/2015年)などのスマホのドラクエからですね。

―― ドラクエ5ではモンスターを仲間にできますが、どのモンスターを仲間にしたか覚えていますか?

まさゆき ゴーレムとギガンテスは仲間にしていました。共に力が強いので、命令を「ガンガンいこうぜ」にして「たたかう」コマンドを連打していればいいというわかりやすさが良かったです。

―― 小学生の頃のまさゆきさんは、ドラクエでキャラクターをレベル99まで上げていましたか?

まさゆき いや、どのドラクエもレベルMAXにはしていませんでした。ドラクエ5はエンディング後の隠しダンジョン(*04)でエスタークを倒して満足した記憶があります。その後のレベル上げはやっていないですね。

―― まさゆきさんは隠しダンジョンの情報をどこから知りました?

まさゆき たぶん友だちから聞いたのだと思います。

―― わたしも友だちから電話で教えてもらったんですよ。ゲーム雑誌などに情報が掲載される前です。詳細を確認できていないのですが、92年当時だと情報の出所はパソコン通信なんでしょうかね。それが人づてに拡散されていったのではないかと。

まさゆき そうかもしれないですね。

ドラクエよりもサッカーにハマっていた高校時代

―― ドラクエ5発売の3年後である1995年にドラクエ6が出ます。先ほど話されていましたが、高校受験があったので買ったけれど遊ぶのは保留にしていたということでした。

まさゆき はい。高校生になってからやったと思うんですけど、あまり覚えていないんですよね。

―― 高校は北海道で、その後の大学進学のときに関東の方に行かれるわけですか?

まさゆき そうです。僕は3年浪人してから2002年に神奈川県に行きました。その後12年間、神奈川に住んでいて、2013年にまた北海道に帰ってきます。

―― 神奈川に住んでいた期間である2009年にドラクエ9が発売されたということですね。

まさゆき そういうことです。

―― 高校進学後にドラクエ6をプレイされたということなので、小学生以来ということになりますね。

まさゆき そうですね。ただ高校時代はゲームをやる時間がかなり減っていました。当時はセガサターンも買ったけれど、サターンのソフトもそれほど買っていないです。ゲームに夢中という状態ではなくなっていた。でも高校の帰りにゲームセンターに行くことは増えていましたね。『バーチャストライカー』(セガ/1994年)というサッカーゲームが革新的だなと思いながらやっていました。

―― まさゆきさんのX(Twitter)で『Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!』(セガ/1996年)をやっていたとも投稿していましたね。

まさゆき そうそう、サカつくをやりたくてセガサターンを買ったんですよ。

―― 先ほどJリーグの話をされていましたけど、サッカーに関心があった時期なんですね。

まさゆき 友だちとずっとサッカーをやっていましたね。家に帰ってからも家の前でボールを蹴っていました。

―― だからサッカーのゲームにも関心があったのですね。

まさゆき ただゲームはあまりやっていませんでしたね。セガサターンもほぼサカつくしかやっていないです。ドラクエ6もクリアしたと思うのですけど、あまり記憶に残っていない。

まさゆきさんが高校生のときにプレイした『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(資料提供:山本らぐたろう氏)
 © 1995 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

―― 大学進学で神奈川に行くのが2002年。その2年前にドラクエ7が発売されていますが、こちらはプレイしていないのですね。

まさゆき でも同じ大学に入った北海道出身の友だちが東京に住んでいて、持っていたドラクエ7を遊ばせてもらったことがあります。プレイステーション2で動かしていたのかな。最初の1時間くらいを遊ばせてもらいました。ドラクエ7は最初の1時間では戦闘シーンまで行かないんですよね。

―― たしか、そうでしたね。

まさゆき その友だちの家にはよく通っていたのですけど、ドラクエ7よりも『トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン』(エニックス/1999年)を遊ばせてもらうために行ってました。その後、『トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン』(エニックス/2002年)も友だちの家のプレイステーション2で遊んでいました。ちなみに、このトルネコ2と3は、当時僕がハマっていたゲーセンのサッカーゲーム『WORLD CLUB Champion Football』(セガ/2002年)のカードと交換で手に入れました。ネットで取引の情報を見かけて、相手と新宿駅で待ち合わせて交換をしました。

―― トルネコの方をやっていたのですね。

まさゆき ドラクエ7も冒険の書を作ってやっていいよと言われていたのですけど、長時間友だちの家でやるのは違うなと思ってやらなかった。トルネコはダンジョン内でやられたら、そこで区切りを付けやすいですから。

―― ドラクエ7は際限なくプレイできちゃいますものね。プレイ時間もシリーズの中でかなり長いし。

まさゆき 今思い出しましたけど、1作目の『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』(チュンソフト/1993年)も、けっこうハマっていました。

―― スーパーファミコンの。

まさゆき それまで正面からの姿しか画面に映っていなかったモンスターの後ろ姿が見られるのが衝撃でしたね。トルネコの1作目はファミ通に載っていた広告を見て買おうと思いました。「1000回遊べるRPG」というキャッチコピーの。『サカつく』を買おうと決めたのもファミ通の広告なんですよ。

―― 当時、ファミ通は買っていたのですか?

まさゆき 小学生の頃はよく買っていました。ガバスを集めていましたよ。ガバスがほしくて投稿も何回かしました。掲載されなかったですけど。

―― ここまで話を伺って、ドラクエ9以前にまさゆきさんが持っていたゲーム機はファミコン、スーファミ、セガサターンの三つですか。

まさゆき あとゲームボーイを持っていました。マリオやSDガンダム、ミッキーマウスのゲームをやっていたと思います。それと『魔界塔士 Sa・Ga』(スクウェア/1989年)も遊びましたね。サガシリーズはスーファミの『ロマンシング サ・ガ』(スクウェア/1992年)の方もやりました。

―― ゲームボーイは1989年発売でドラクエ3発売の翌年ですけど、発売直後くらいに買っていたのですか?

まさゆき どの段階で買っていたか覚えていないですね。でも親と一緒に旅行に行ったときに移動のバスの中でゲームボーイを遊んでいた記憶があるので、小学生の頃に買っていると思います。

―― 高校生の頃はゲームをやることはあまりなかったということですから、ゲームボーイも遊んではいないのですね。

まさゆき そうですね。だから『ポケットモンスター 赤・緑』(任天堂/1996年)も『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』(エニックス/1998年)もやっていないです。

オンラインゲームとニンテンドーDSで遊んでいた大学時代

―― プレイステーション、プレイステーション2も買わなくて、プレステ2は大学時代にご友人の家で遊ぶことはあったということでした。だから大学以降はニンテンドーDSまでゲーム機は持っていなかったのですね。

まさゆき 大学に入った2002年からはパソコンでゲームをやっていました。2000年代の初期はMMORPGが流行っていて、2~3日徹夜してプレイすることもありました。

―― どんなタイトルを遊んでいましたか?

まさゆき 正式な名前を忘れましたけど中国か韓国で製作された「英雄なんとか」というゲーム、それと2000年代後半から『ファンタジーアース ゼロ』(スクウェア・エニックス/2006年)、他にRPGではないですが『スカッとゴルフ パンヤ』(Ntreev Soft開発/2004年)もやっていましたね。僕は大学に入って最初の1~2年はテレビを持っていたのですけど、その後に手放すんですよ。それで据置ゲーム機を繋ぐ手段がなくなったので、ゲームを遊ぶならパソコンでという状態だったんです。

―― ドラクエ9が発売される2009年まではパソコンゲームがメインだったのですね。

まさゆき それで具体的にいつだったか忘れたのですけど、ニンテンドーDSでドラクエ9が出るという情報を聞いて、DSを買おうと思ったんです。家にテレビがなかったけど携帯ゲーム機ならテレビがなくても遊べますからね。ただ発売延期でなかなかドラクエ9が出なかった。その間にDSでリメイクされた『ドラゴンクエストIV』と『ドラゴンクエストV』(スクウェア・エニックス/2008年)を遊びました。

―― 久々にドラクエをプレイしたわけですね。

まさゆき DSでは他に『脳を鍛える大人のDSトレーニング』(任天堂/2005年)もやりました。それとDSってお得だなと思ったのは、ゲームボーイアドバンスのゲームもDSで動いたんですよね。だからアドバンスのゲームもいくつかやりました。アドバンス版の『トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン』(エニックス/2001年)もこの頃に遊びました。このときにはじめて99階までクリアしたんですよ。すごく達成感があった記憶が残っています。

―― 2000年代後半はパソコンの他にDSでもけっこうゲームを遊んでいたのですね。

まさゆき リメイク版のドラクエ4と5は久々のドラクエでしたけど、小学生の頃の楽しい記憶が残っていたから、やっぱりドラクエは自分にとってちょっと特別だなと思いました。DS版ドラクエ4の前に遊んだスーファミのドラクエ6は発売の翌年にプレイしているので1996年以来、11年ぶりのドラクエということになります。リメイクではないナンバリングの新規タイトルという観点では、2009年に遊ぶことになるドラクエ9は13年ぶり。10年以上ドラクエを休んでいたプレイヤーだったことになりますね。

―― ものすごく久々にドラクエに戻ってきたのですね。ちなみにDS版のドラクエ5は誰と結婚しました?

まさゆき やはり見た目重視でフローラを選びました。

―― そこは小学生の頃から変わらないんですね(笑)

まさゆき あとは火力ですね。新たに加わったデボラを入れても唯一イオナズンを覚えるのがフローラなので。

―― 高校時代はゲームから離れていましたけど、大学に入った2002年以降はゲームに戻ってきていたのですね。

まさゆき MMORPGをメインに常に何か遊んでいた感じです。

―― そんな中、2009年にいよいよドラクエ9が発売される。

まさゆき そうなります。

(Vol.2に続く)

インタビュー場所:メイプルリーフクラブ
札幌市豊平区豊平2条2丁目1-8
ホームページ:https://mapleleafclub.net/

メイプルリーフクラブ店内

本インタビューは、インタビュー時から15~36年前のお話をまさゆきさんにお聞きしました。そのためまさゆきさんご自身の記憶にどうしても曖昧なところが一部あるうえでのお話となっていることをご了承ください。本インタビューにあたっての資料提供に関して、下記の皆様にご協力をいただきました。こちらにお名前を紹介させていただき、お礼を申し上げます。(氏名五十音・アルファベット順、敬称略)

 テト2號
 山本耕平(らぐたろう)

脚注

脚注
01 ドラクエ5を代表するゲーム内イベントのひとつ。ゲーム中盤、プレイヤーが操作する主人公は幼馴染みの「ビアンカ」か、天空の盾の持ち主であるルドマンの娘「フローラ」のどちらかと結婚をすることになる。キャラクター能力の違い、結婚後のイベントの違いが若干あるが、どちらが正解ということはなく、プレイヤーの好みで選んでよい形になっている。どちらと結婚したかは、プレイヤー間で度々論争になることがある。ニンテンドーDS版以降、フローラの姉である「デボラ」が3人目の結婚相手として候補に加わっている。
02 ドラクエ3ではポルトガで船を手に入れるまでは、多少の寄り道要素があるものの基本一本道でストーリーが進む。船を手に入れた直後は、海上を移動できる範囲限定ではあるが広範囲に冒険ができるようになる。
03 ファミコン版ドラクエ4ではじめて搭載されたオート戦闘システム。いわゆるオートバトルだが、「ガンガンいこうぜ」、「いのちだいじに」、「じゅもんつかうな」など作戦という形で戦闘の方針をプレイヤーが指示できる。ファミコン版ドラクエ4では5章から導入され、主人公以外のキャラクターにはマニュアルによるコマンドが入力できずAI戦闘をさせることしかできない。
04 ドラクエ5で一度エンディングを見た後にロードしたデータで行くことができるダンジョン。本編ストーリー上のラストダンジョンより強力な敵が出現するが、強力なアイテムや装備を手に入れることもできる。エンディング後の隠しダンジョンとしてはシリーズ初となる。

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