北海道ゲーマーズ・オーラルヒストリー番外編
まさゆきさん Vol.2
目次
ゲームはプレイヤーがいてこそ成立するものであり、そしてゲームの遊ばれかたが時代によって大きく変化しているのなら「プレイヤーの記録」も重要なのではないかという視点から行っているインタビュー「ゲーマーズ・オーラルヒストリー」。
今回は『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(以下ドラクエ9)に登場する宝の地図「見えざる魔神の地図Lv87」の発見者として有名となったまさゆきさんにお話を伺いました。
「見えざる魔神の地図Lv87」は地下15階で経験値を大量にもらえるモンスター「メタルキング」のシンボルのみが登場する、いわゆるメタルキングオンリーの地図として最初に有名になり、発見者の名前をとった通称「まさゆきの地図」として、ニンテンドーDSの機能「すれちがい通信」を通して日本全国に広まりました。
当時あまりにも有名になったため、市販された公式攻略本にも「見えざる魔神の地図Lv87」についての攻略法が掲載されました。
また、歴代シリーズにちなんだクエストが楽しめる『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』(※無印PS4版以外)ではドラクエ9をテーマにしたクエストのひとつとして「見えざる魔神の地図Lv87」に関するクエスト「ああ…すれちがい」が登場するなど、ドラクエ9を象徴する要素のひとつとして公式に認められていると言えます。
ドラクエ9の15周年となる今年(2024年)、2009年当時のことも含めてゲームとの出会いから現在までのお話をまさゆきさんに伺いました。
まさゆきさんはドラクエ9発売のときは横浜在住でしたが、元々は北海道出身で現在は札幌にお住まいです。ですから「北海道のゲーマー」という側面もお持ちです。
今回のVol.2では、まさゆきさんが「まさゆきの地図」こと「見えざる魔神の地図Lv87」を発見してから、地図がどのように拡散されていったか。そして、それがまさゆきさんご自身にどのような影響を与えたか。ドラクエ9発売当時のお話を伺います。
まさゆきさん Vol.1は、こちら。
ドラクエ9のプレイ開始から「まさゆきの地図」を発見するまで
―― それではドラクエ9について、お話を伺います。小学生の頃は主に少年ジャンプに掲載された記事でドラクエ発売前の情報を得ていたということでしたが、ドラクエ9のときは、どのように情報を得ていましたか?
まさゆき その頃はネットのニュース記事ですね。発売前の時点ではそれほど興味深く記事を見ていなかったのですが、発売されるということだけは知っていました。
―― 前回(Vol.1)にお聞きしましたがドラクエ9が発売されることを知って、事前にニンテンドーDSを買っていたのですよね。発売延期されたので、その間にDSリメイク版の『ドラゴンクエストIV』(スクウェア・エニックス/2007年)と『ドラゴンクエストV』(スクウェア・エニックス/2008年)を遊んでいたということでした。そして2009年7月11日にドラクエ9が発売されます。まさゆきさんは発売日に買われたのですか?
まさゆき ずっと発売延期されていたので発売日のことを忘れていたんですよ。それで前日の7月10日によく友だちと一緒に行くゲオに行ったら「明日、ドラクエ9が発売です」という放送が流れていて思い出した。店員さんに「今日予約して、明日買えますか?」と聞いてみたら「在庫的に普通に買えますよ」という返答だったので、予約はせず翌日に買いにいくことにしました。
―― 比較的余裕だったのですね。
まさゆき 次の日になって、通常10時開店のところドラクエ9に合わせて朝の7時くらいに開店するということだったので、その時間に行ってみました。数十人くらい並んでいて、今でも行列ができるんだなと思いましたね。そして僕の分も無事に買えて、そのまま家に帰りました。
―― 発売日に購入して、その後1日に何時間もプレイしている感じでしたか?
まさゆき 僕がいわゆる「まさゆきの地図」を発見するのが7月23日なんです。発売日から数えて13日目なんですけど、その間のプレイ時間が150~170時間くらいなんです。だから少なくとも1日に12時間くらいやっていたことになりますね。
―― それだけやっていると「まさゆきの地図」を発見する前には、最初のエンディングは見ているわけですね。
まさゆき 最初のエンディングは40~50時間くらいで見ていたと思うので、買ってから4日目くらいにエンディングを迎えているんじゃないかな。11日にドラクエ9を買ったときにコンビニで食事を買いだめして、しばらく家にこもってプレイするつもりでいました。それ以前にパソコンでMMORPGをやっていたときも徹夜で何日もプレイすることはあったので、それと同じ気持ちですね。まずは最初のエンディングを見るために初回クリアを目指そうということで、攻略掲示板や攻略サイトも見ながらやっていました。
―― けっこう時間を割いてプレイしていたのですね。ちなみにわたしもドラクエ9は発売日に買って、7月25日に初回クリアしています。当時わたしはブログを書いていて、ドラクエ9のプレイ状況も日記的に記していました。今回まさゆきさんにインタビューするにあたって当時の自分はどうだったかなと久々に自分のブログを見たのですが、こういうときに当時の記録として参照できるのでブログって便利だなと思いました。前回の荒木さんと中川さんのインタビューでは70~80年代の話がメインで、わたしも含めて現存する雑誌や同人誌以外では脳内の記憶を頼りにするしかなかったので。
まさゆき たしかにそうですね。
―― 7月25日にクリアだからまさゆきさんよりは遅いのですけど、それでも発売から1ヶ月経たずに初回クリアはしているということですね。まさゆきさんが地図を配布した24日の翌日ということでもありますね。
まさゆき ホントだ。
―― ちょっと話がそれました。まさゆきさんの方に話を戻しますが、発売から4日ほどで初回クリアをして、クリア後のクエストや宝の地図の攻略をしていた感じですか?
まさゆき ドラクエ9には、討伐モンスターリストコンプ率、おしゃれカタログコンプ率、収集アイテムリストコンプ率、錬金作成コンプ率という4つの項目があります。プレイヤーがどれくらいやり込んでいるかの目安になるので、これを少しでも増やそうとしていました。それとレベルの高い「宝の地図」(*01)を手に入れたいと思っていました。攻略掲示板でレベル99の宝の地図をゲットしたという情報を見ていたので、自分もレベル99の地図を手に入れるために、宝の地図のクリアを繰り返していました。その過程で「見えざる魔神の地図Lv87」を発見するんです。
―― ついに。
まさゆき 発見した時点でレベル90台の宝の地図は持っていたんですよ。だから「レベル87かー、でも一応潜ってみるか」と思いながらダンジョンに入ってみたんです。そうしたら地下15階でメタルキングのシンボルしか出てこなかった。
―― 「まさゆきの地図」を発見する前に、すれちがい通信はしていたんですか?
まさゆき しています。僕が「まさゆきの地図」を発見するのは7月23日なんですけど、前日の22日にすれちがい通信のために秋葉原に行ってるんですよ。すれちがい通信の人数によって称号がゲーム内でもらえるんですけど、その称号をもらうためにたくさんすれちがいたくて行きました。JR秋葉原駅の改札前にいましたが、この日だけで100人くらいとすれちがいました。
―― それだけの数とすれちがったのは、この日がはじめてですか?
まさゆき それまでは僕が住んでいた神奈川県の中で主にすれちがっていましたが、たぶん最大で20人くらいでしたね。
―― 秋葉原に行った理由は?
まさゆき 攻略掲示板に秋葉原ですれちがえる人数がすごく多いと書いてあったからです。実際すごかったですね。先ほど言ったように、すれちがった人数で称号(*02)がもらえて称号は最大1000人まであったのかな。100人でも称号がもらえるので、まず100人達成できたということでその日は帰りました。
―― すれちがった人数で「リッカの宿屋」(*03)が発展するという要素もありましたよね。
まさゆき 30人で宿屋の発展が最大になるはずです。だから2024年の今プレイしている人は、ほとんどすれちがいが出来ないので苦労するところだと思います。
「まさゆきの地図」を最初に配布した日
―― 「まさゆきの地図」を発見したときの各キャラクターのレベルは覚えていますか?
まさゆき 翌日の24日に地図の配布をしているのでその日のうちに数回でクリアしていることは間違いないですね。そう考えるとレベル99になっていたか、1回くらい転生(*04)をしていたかもしれないです。
―― なるほど。
まさゆき 「まさゆきの地図」が発見される前は、はぐれメタルのシンボルだけが出現するフロアがある「はぐれメタルオンリー地図」や、オンリーではないのだけど他の敵シンボルに混じってメタルキングのシンボルも出現するフロアがある地図の情報が掲示板には書かれていました。僕はそういった宝の地図を持っていなかったので、普通にはぐれメタルを狩ってレベル上げをしていました
―― はぐれメタル関連の地図は、どれくらいのタイミングで出回っていたのですか?
まさゆき 「まさゆきの地図」よりも前だったのは確かですが、覚えていないです。そのときの掲示板は僕も書き込みをしていて1年前(2023年)にまだ存在しているのを見つけたんですよ。ただ今は見つけられなくなっていて。それが見られたら、どの地図がいつ見つかったということがわかるんですよね。膨大な情報量なんですけど、検索しても見つからないんです。
―― こういうときに記録をしっかり残すことの大事さを痛感しますね。
まさゆき そう思います。
―― まさゆきさんがはじめて「まさゆきの地図」の地下15階に行ったときに、すぐにメタルキングオンリーだとわかった?
まさゆき すぐにわかったわけではなくて、まずメタルキングのシンボルが一匹出て普通にラッキーという感じでした。それを倒したらまたメタルキングが出たのですけど、同じシンボルが2回続けて出ることはこれまでもあったので、この時点でも普通にラッキーと思っていました。
―― たまたまラッキーが重なったと。
まさゆき 三匹目もメタルキングが出たときに、さすがにこれは偶然じゃないのかもしれないと思いました。「はぐれメタルオンリー地図」の存在を知っていたので、そこでこれは「メタルキングオンリー」じゃないかと気付くわけです。
―― その後、23日のうちに地図をクリアするわけですよね。
まさゆき 最初に地下15階に行ったときに、いきなりメタルキングでレベル上げをしたのではなく、まずクリアを目指したと思います。
―― 地図をクリアして、23日のうちに掲示板へ「メタルキングオンリー地図」のことを書きこんだ?
まさゆき いや、クリアする前に地下15階がメタルキングオンリーじゃないかと思った時点で掲示板に書き込んだかもしれないです。「これまでメタルキングオンリー地図って発見されていますか?」みたいな内容で書き込んだ気がします。23日の昼頃だったかな。
―― 書き込んだのは、ドラクエ9の攻略掲示板ですか?
まさゆき 某巨大掲示板のドラクエ9の本スレッドか宝の地図についてのスレッドだったと思います。
―― 掲示板に投稿したら、「すれちがい通信で配ってほしい」というリアクションがあったわけですか?
まさゆき いや、最初は「それは本当か?」と疑われました。証拠として「メタルキングのシンボルが2匹写っている画面の写真を出してほしい」という書き込みがあったので、DSの画面を撮影して画像を投稿しました。そのときは、ちょうどいい具合にメタルキングが3匹写っている写真が撮れて。
―― 説得力が増した。
まさゆき それで信じてもらえました。すぐに「明日配ってほしい」と言われて。僕は人から何か頼まれたら断りづらい人間なんですよ。でも、その頃の僕は昼夜逆転していて、その日も掲示板に書き込んだのは昼くらいだったのですけど、夜通しでドラクエをプレイしていてそろそろ寝るかというタイミングでした。さらに前日にすれちがい通信のために秋葉原に行ってるじゃないですか。当時住んでいた神奈川県の自宅から秋葉原まで片道1時間くらいかかるので、けっこう遠出することになるんですよ。だから、また秋葉原まで行くのは、ちょっと面倒だった。でも頼まれたら断れない性分なので、行くことにしました。
―― 1日置いて、また秋葉原に行くことになった。
まさゆき すれちがい通信をすると、すれちがった相手のプレイ状況がわかるんですよ。さっき言ったアイテム取得率などですね。それで次の日にすれちがい通信をするのなら、そういった自分のプレイ状況を少しでも良いものにするためにクエストをいくつかクリアとかしていました。翌日の7月24日の朝、昼夜逆転していたけど何とか起きました。やっぱり行くのは面倒くさいなと思いつつ、でも掲示板に「仕事を休んででも秋葉原に行く」という書き込みもあって、行くことにしました。
―― それはプレッシャーを感じますね。
まさゆき 2日前にもすれちがい通信をしていますけど、それまでは地図の交換というよりはすれちがい人数を増やすことが僕にとっての目的でした。だから地図を相手に送ることが目的のすれちがい通信はこのときがはじめてなんですよ。この時点では、自分が送った「メタルキングオンリーの地図」が、ちゃんと相手の方で再現できるか自信がなくて不安でしたね。通信をした相手が「ちゃんと受け取れた」と掲示板に書き込んだのを後で見て、ようやく安心しました。
―― この日は何時くらいに家を出発したのですか?
まさゆき 9時か10時くらいだったかな。秋葉原に着いて、だいたい11時から14時くらいまでの間に配ったと思います。1回だけ昼休みをとって、蕎麦屋さんで昼食をとったのを覚えています。
―― 秋葉原のどこかのロッカーにDSを入れたのですか?
まさゆき いや、僕自身がDSを持って、秋葉原のヨドバシカメラに行きました。6階におもちゃ売り場があって、そこに「ニンテンドーWi-Fiステーション」(*05)というアクセスポイントがあったんですよ。元々すれちがい通信の目印として人が集まりやすかったので、まずそこにしました。ただ途中から人が溜まってきたら嫌だなと思い、ヨドバシ6階のどこかにいますとだけ書き込んだ気がします。
―― ロッカーに入れて放置じゃなくて、まさゆきさん自身がずっとヨドバシ店内にいたんですね。
まさゆき このあと、JR川崎駅のロッカーで配布した「川崎ロッカーの地図」(*06)が有名になりますけど、この時点ではロッカーに入れるという発想は僕にはなかったですね。DSのバッテリー残量も気になったので、放置はできなかったのだと思います。
―― なるほど。
まさゆき 14時くらいに理由は忘れましたけど一度上のフロアに行って、またエスカレーターで6階に降りてきたんです。下りエスカレーターの先が、ちょうどゲーム売り場の「ニンテンドーWi-Fiステーション」が置いてある場所だったのですけど、すごい人だかりになっていて。普段から人が多かったのかもしれないですが、もしも僕のせいで混雑しているのだとしたらまずいなと思って、すれちがい通信を終了にしました。
―― 尋常じゃない数だったのですね。
まさゆき 誰かが撮ったそのときの店内の写真が、掲示板にも投稿されていましたね。14時くらいの時点で、受け取った「メタルキングオンリー地図」をクリアして、その人がさらにすれちがい通信で配布を始めたという書き込みが掲示板にあることを確認しました。それで僕が配布しなくても拡散していくだろうと判断して「僕からの配布はこれで終わります」と掲示板に投稿しました。この時点の掲示板上で、発見した僕の名前から「まさゆきの地図」と呼ばれ始めていましたね。
―― 発見した次の日に、もう「まさゆきの地図」という通称になっていたんですね。
まさゆき 「まさゆき」だけでも通じていた感じです。ドラクエ9のゲーム中では人助けをすると感謝の気持ちとして「星のオーラ」がもらえます。それで、「まさゆきさんの元には星のオーラがいっぱいだね」というようなことを掲示板に書いてくれた人がいて、嬉しかった記憶があります。
「まさゆきの地図」の反響とすれちがいブーム
―― 7月24日にはじめて「まさゆきの地図」を配布して、その後はまた掲示板でやり取りをして2回目の配布を行ったのですか?
まさゆき いや、その後は掲示板で細かいやり取りはしていないし、地図の配布もしていないです。僕が2回目に自分から「配ります」と宣言して不特定多数の人に配布するのは、2022年の札幌になるんですよ。
―― そうなんですか。それまでは2009年7月24日の1回だけなんですね。早々にまさゆきさんの手を離れて拡散していったわけだ。
まさゆき 当時はその1回のみですね。個別にすれちがい通信をしたり、マルチプレイをしたことはありますが。僕は2022年の札幌のあと、昨年(2023年)と今年(2024年)にまた秋葉原で「まさゆきの地図」を配布するイベントをやっています。2009年当時は「まさゆきの地図」目当ての人が多かったですけど、今は僕自身から「まさゆきの地図」を受け取りたいと思ってくれている人がいる気がします。
―― わたしが確認した限りでは、2009年の7月29日に「まさゆきの地図」についての記事がガジェット通信に掲載されます。ちなみにわたしが地図の存在をはじめて知ったのも、この記事だったと思います。
まさゆき そうでしたか。
―― 記事の掲載にあたって、まさゆきさんに連絡はあったのですか?
まさゆき いや、何もなかったです。
―― こちらも現在わたしが確認できる範囲での話になりますが、2009年8月6日にガジェット通信で「川崎ロッカーの地図」の記事が掲載されます。まさゆきさんも、この辺りで「川崎ロッカーの地図」を知ることになった?
まさゆき どの段階かは忘れましたけど、たぶん掲示板に載ったことで知ったんじゃないかと思います。住んでいるところの近くで「川崎ロッカー配ります」という書き込みが掲示板であったので、自分も受け取りに行きました。
―― ちなみにわたしは当時札幌に住んでいて、8月4日に「まさゆきの地図」、8月6日に「川崎ロッカーの地図」を手に入れています。これも当時のわたしのブログに書いてありました。
まさゆき その時点で北海道まで出回っていたんですね。
―― 当時のネット記事では、2009年9月3日開催のゲーム開発者向けイベント「CESA Developers Conference 2009」(CEDEC 2009)に堀井雄二さんとドラクエ9の担当ディレクターの藤澤仁さんが登壇されて、すれちがい通信の話題の中で「まさゆきの地図」について言及されていたとあります。
まさゆき へぇ、そうなんですね。
―― ドラクエ9の発売からそろそろ2ヶ月が経つというタイミングですが、この時点で公式が把握するくらい「まさゆきの地図」が広まっていたということですよね。それとこれもわたしの当時のブログに書いていたことなんですが、2009年9月21日に札幌コンサートホール Kitaraで、すぎやまこういちさん指揮によるドラクエ9のコンサートがあって、わたしは行ってきたんです。すぎやまさんも自分のDSを持ってきていて、すぎやまさんご自身とすれちがい通信もできました。ブログを読み返して何より驚いたのが、来ていたお客さんのほとんどがDSを持ってきていて、すれちがい通信をしていた。わたしはコンサート中に60人くらいとすれちがい通信をしていたと書いています。
まさゆき 当時だとドラクエコンサートは、すれちがい目的で最も人が集まった場所かもしれないですね。
―― 9月21日だと「まさゆきの地図」もすっかり有名になっているタイミングですよね。
まさゆき いいですね。僕もコンサートですれちがい通信をしてみたかったな。
―― ドラクエ9ですれちがい通信をするとお互いのプロフィールも相手に届きます。そのプロフィールの中で、簡単な自己紹介を自由に文字入力することができました。ドラクエ9のコンサートで60人ほどとすれちがいをしたときに自己紹介の文章をコンサートに合わせて書いていた人がいたんですよ。わたしは、それがすごくおもしろかったんです。現在だと珍しくない話ですけど、2009年当時のゲーム機でそういった即時性の高いプレイヤー間のやり取りができるのは斬新だった。しかも直接ではなく間接的で、相手が誰かわからない、でも近くにいるのは間違いないというのがおもしろかった。
まさゆき なるほど。
―― ドラクエ9って、そういう自分以外のプレイヤーを想像させる機能が備わっていた。『ドラゴンクエストVIII』(スクウェア・エニックス/2004年)以前と比べて、他のプレイヤーを意識させるようになっていたと思います。
まさゆき そうですね。
―― それが、もっとも際立って世に広まったのが、まさゆきさんということになります。『ドラゴンクエストX』(スクウェア・エニックス/2012年)では、オンラインになったことでより直接的なプレイヤー間のコミュニケーションになっていきます。
まさゆき オンラインで遠くの人と繋がることができるようになったけど、ドラクエ9のすれちがい通信はそれとはまた違う感じがありました。すれちがい通信って30メートルくらいの範囲でお互いが近づくことで繋がることができる。だから通信できたときに「相手と近い」という肌感覚があるんですよね。それが一般的なオンラインと違うと思います。コミュニケーションの質が違う。
―― 「近くにいた」というのは大きいですよね。ドラクエ9に限らない、すれちがい通信全般に言えることですけど。だから、すれちがい通信は今あってもいいと思うんですよ。
まさゆき たしかに、そうですよね。オンライン、インターネット回線を介した通信ではなく、見える範囲での通信ですよね。意味はあると思います。
―― 例えば、わたしが九州に旅行をしてすれ違い通信で地元の人とやり取りした。これは自分が九州に行かなければできなかったことなので、「九州に行った」ということとワンセットで記憶に残る。北海道にいる自分と九州のプレイヤーが各々の自宅でオンラインで繋がったというのとはニュアンスが違うと思うんです。すれちがい通信にはその性質上、一期一会感もありますよね。だから「外に出かけよう」という動機に繋がる。現在の位置情報ゲームも、それに近いものがあるのかな。
まさゆき 『ポケモンGO』(Niantic, Inc./2016年)などを作ったジョン・ハンケさんの『世界をめぐる冒険~グーグルアースからイングレス、そしてポケモンGOへ~』(2017年)という本を読んだことがあります。その中で、彼が位置情報ゲームを作った理由を読んだことがあって、晴れた日に自分の子どもが部屋にこもってゲームをしているのを見て勿体ないと思ったそうなんですよ。それで外に飛び出したくなるゲームを作った。僕からしたらすごい発想だなと思って。学生時代にやったドラクエやMMORPGは、食料を買い込んで、ずっと部屋でやるという認識でしたからね。ドラクエ9のすれちがい通信まで、僕にとってゲームは家にこもってやるものでした。
―― すれちがい通信は、何かのついでにできるのが良かったと思うんですよね。ゲームそのものが目的じゃなくても、買い物に行くついでにすれちがい通信をするとか。日常生活にくっつけやすかった。今だとそれこそ位置情報ゲームもそうなっていますが、2009年はまだ珍しかったですよね。
まさゆき たしかに、そうですね。
―― 当時、わたしがドラクエ9をやっていたときは、ほぼ毎日すれちがい通信をしていました。朝、通勤電車の中で必ずすれちがう人がいたんですけど、たまにすれちがわないときがある。そういうときは「今日は病気か何かで休みなのかな」と想像したり。自分が病気で会社を休んだときは、相手もそう思ったかもしれない。すれちがい通信ならではの、不思議で間接的なやり取りでした。
まさゆき おもしろいですね。
ドラクエ9・マルチプレイの魅力
―― 7月24日に「まさゆきの地図」を配った後のまさゆきさんは、基本的に自分のペースでドラクエ9を楽しんでいた感じでしたか?
まさゆき 僕はすれちがい通信でもらった地図の攻略よりも、マルチプレイ(*07)を主にやっていました。自宅から行ける範囲でマルチプレイの集まりに参加していました。
―― その集まりは、マルチプレイが目的のものですか?
まさゆき そうです。
―― ネットで何月何日のどこそこでやりますという告知があって。
まさゆき それに参加表明をして、ということになります。
―― それは主催する人やサークルがあって、という感じですか?
まさゆき 主催する人はだいたい決まっていて、その人が掲示板で声をかけて定期的に開催していました。参加した中で一番参加者が多かったのは両国で開催されたものです。両国の公民館で、30名くらい集まっていました。
―― わたしは当時、マルチプレイをほとんどやらなかったのですけど、マルチプレイをするメリットがあったのですよね。
まさゆき 「とうぞくの秘伝書」というアイテムを持っていると、宝の地図のボスから手に入るレア装備やオーブが入手しやすくなります。さらにマルチプレイの人数分を入手できる可能性もある。マルチプレイは最大4人なので、レアアイテムも最大で4つ手に入れられる可能性があるわけです。
―― 1人だと非効率なものを、マルチプレイで効率よくということですね。
まさゆき そうなんです。オーブ目当てで、ひたすら魔王を倒していました。
―― このように集まってマルチプレイをするというのは、いつ頃まで続いていたのですか?
まさゆき 熱心にやっていたのは、2009年の年内だった気がします。
―― 年明けには、熱が冷めていった感じなんですね。
まさゆき 2010年の1月にDS版の『ドラゴンクエストVI』(スクウェア・エニックス/2010年)が出るんですよ。僕は発売してすぐに遊んでいたので、年明けはドラクエ6の方に時間を割いていました。
ファミ通の取材に同行して、ドラクエ9プロデューサーの市村さんと出会う
―― 2009年10月29日発売のファミ通に、まさゆきさんのインタビュー記事が掲載されます。これはファミ通さんからまさゆきさんにインタビューしたいという連絡があったんですか?
まさゆき いや、僕からコンタクトを取りました。
―― えぇ! そうなんですか。
まさゆき マルチプレイで知り合った方から、ファミ通のコーナーに応募したらと言われたんです。たしか「すごい地図募集」みたいなコーナー名でした。最初は「送らない」と答えていたんですが、思い直しました。編集者の方がまさゆきの地図を知らないことを前提としたようなメールの文面を送ったと思います、たぶん。メタルキングしか出ない地図があってというような説明から始めて。そうしたら返事が来て、そのうちインタビューもどうかというようなことになった。
―― 「あのまさゆきさんから連絡が来た」ということで、ファミ通さんも急遽インタビューすることになったと。
まさゆき 最初からインタビュー前提だったか記憶があいまいです。一度話を聞かせてほしいという形でお会いして、後からインタビュー記事にしていいかという流れだったかもしれないです。
―― 2009年だと、エンターブレインですね。
まさゆき そうです。ファミ通のドラクエ担当班の方と会議室で話をして、それが記事になりました。
―― それが誌面とWeb記事になったわけですね。誌面はどうだったか忘れましたが、Web記事は当時わたしも読みました。事前にまとめた資料によると、このインタビューの後、まさゆきさんはファミ通のドラクエコーナーの特別部員として関わっていったとあります。
まさゆき そうなんですよ。詳細は忘れてしまいましたが、僕がサインしたメタルキングのぬいぐるみを読者にプレゼントするとか、僕がDSを持ってすれちがい通信で「まさゆきの地図」を渡しに行くといった企画があったと思います。ファミ通のスタッフの方と一緒に、池袋や大阪、三重県の鈴鹿市に行った記憶があります。その流れで苫小牧にも行くんですよ。
―― 何と北海道に!
まさゆき 当時ゲームセンターで稼働していた『ドラゴンクエスト モンスターバトルロードII』(*08)(スクウェア・エニックス/2008年)の大会が苫小牧で開催されることになって、ファミ通さんの取材に僕も連れていってもらえました。ラッキーでした。
―― ドラクエ9と連動していて、DSを持っていけばバトルロードIIから歴代ラスボスが登場する「大魔王の地図」がもらえたんですよね。バトルロードIIから入手した人がDSのすれちがい通信で配布したものからも手に入れられましたが、わたしはそれで入手しました。
まさゆき 大会の前日に北海道へ行って、1泊してから苫小牧の大会の取材をしました。大会が終わったときに僕がステージの上にあがって、そのときにドラクエ9とバトルロードIIのプロデューサーだった市村龍太郎さんも来られていました。壇上に上がるまで、食事をご一緒させていただいたり、同じ控え室みたいなところで待っていました。
―― まさゆきさんはバトルロードIIをプレイすることはあったのですか?
まさゆき ドラクエ9の「大魔王の地図」がもらえることもあって、けっこうプレイしていました。東京のゲーセンでバトルロードIIをやっていたら、近くにいた人から1回だけ「まさゆきの地図」のまさゆきさんですか?と声をかけられたことがあります。
―― それはファミ通のインタビュー記事に掲載された顔写真を見ていたからですか?
まさゆき どうだろう? バドルロードIIではプレイヤーの名前が画面に表示されるので、そこから推測されたのかもしれないですね。
―― なるほど。
まさゆき あるいはドラクエ9のすれちがい通信もしていたから、そちら側で地図を受け取ってわかったのかもしれません。
―― 当時ならではの話ですね。これまで伺ったことをまとめると、インタビュー後はけっこうファミ通さんのお手伝いをしていたんですね。
まさゆき お手伝いというか、声を掛けていただいて何回か誌面に出させていただきました。
―― 「まさゆき」の地図発見後のお話を伺うと、本当に稀有な経験をされているのですね。それまでは普通の一プレイヤーでしたが、地図が有名になったことでファミ通のスタッフさんと一緒に活動をされて、ドラクエのイベントでプロデューサーの市村さんにもお会いした。
まさゆき そうですよね。特にファミ通さんには貴重な体験をいろいろさせていただきました。
ドラクエ9のあと、ドラクエの原点に触れる
―― ドラクエ9の直後、2010年以降についてお話を伺いたいと思います。
まさゆき 当時はブログを書いていました。DS版のドラクエ6についても書いていたと思います。ドラクエ6をプレイした後だと思うのですけど、次のブログネタというのと、ドラクエのことをもっとくわしくなりたいと思って、NEWファミコンと一緒にファミコン版の『ドラゴンクエスト』(エニックス/1986年)と『ドラゴンクエストII』(エニックス/1987年)を買って、クリアしました。
―― そこでドラクエの原点に触れたわけですね。リメイク版のドラクエ6の後に最初のファミコン版をプレイして、どういう感想でした? やはり「操作が面倒だな」みたいな。
まさゆき 「面倒だな」とは思ったと思います。あと、ブログにその日の「ふっかつのじゅもん」を書いていました。それと、もしかしたらドラクエ2はクリアしていないかもしれないです。
―― それは、やはり難易度が高かったから?
まさゆき 途中で飽きてしまったのかもしれないですね。でも、後のスマホ版ではクリアしています。
―― この時点で、ナンバリングタイトルでは『ドラゴンクエストVII』(エニックス/2000年)と『ドラゴンクエストVIII』(スクウェア・エニックス/2004年)以外はすべてプレイしていることになりますね。
まさゆき そうです。でもドラクエ7は、ニンテンドー3DSで出たリメイク版『ドラゴンクエストVII』(スクウェア・エニックス/2013年)は遊んでいます。このために3DSを買いました。それからリメイク版ドラクエ7の前にドラクエ10のベータテストに応募しているんですよ。
―― 何と。
まさゆき たしか2回応募したと思うのですけど、2回とも落ちました。もし当選していたら、そこでドラクエ10をやっていたと思います。さっき話したとおり、僕は2000年代にパソコンでMMORPGを遊んでいました。当時の僕のイメージだと、ベータテスト初日からガーッとやりまくって、レベル上げて、先行するものだと思い込んでいたので、ベータテストに落ちたことで「負けた」と思ってしまって。
―― (笑)。
まさゆき もうドラクエ10はやらないだろうと、そのときは思いました。と言いつつ、実は最近始めているのですけど。
―― 2013年の時点では、ドラクエ8と10以外のナンバリングタイトルには触れているということですね。
まさゆき 2013年の年末に神奈川から北海道に帰ってきます。だから神奈川でプレイしたドラクエは3DS版の7が最後になります。北海道に帰ってから、しばらくゲームから離れることになるのですが。
(Vol.3に続く)
インタビュー場所:メイプルリーフクラブ
札幌市豊平区豊平2条2丁目1-8
ホームページ:https://mapleleafclub.net/
本インタビューは、インタビュー時から15~36年前のお話をまさゆきさんにお聞きしました。そのためまさゆきさんご自身の記憶にどうしても曖昧なところが一部あるうえでのお話となっていることをご了承ください。本インタビューにあたっての資料提供に関して、下記の皆様にご協力をいただきました。こちらにお名前を紹介させていただき、お礼を申し上げます。(氏名五十音・アルファベット順、敬称略)
テト2號
山本耕平(らぐたろう)
脚注
↑01 | ドラクエ9のゲーム中に手に入れられる地図。地図に指定された場所に行くとダンジョンが出現している。ダンジョンは自動生成されたもので、ダンジョンマップや出現モンスター、配置されている宝箱はランダムで生成される。地図のレベル数値が高いほど、階層が深く、敵が強力になるが、宝箱のアイテムも良いものになる。最下層にいるボスモンスターを倒すと、新たな「宝の地図」を入手できるほか、すれちがい通信で他のプレイヤーからもらうこともできる。「宝の地図」には、歴代シリーズのラスボス等と戦える「大魔王の地図」も存在する。「まさゆきの地図」も自動生成された「宝の地図」のひとつである。 |
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↑02 | ドラクエ9のゲーム内で様々な条件を満たすことで対応した称号を得られる。いわゆる「実績」である。一度のすれちがい通信で3人までの相手プレイヤーをゲーム内の「リッカの宿屋」に呼び込むことができるが、呼び込んだ人数が50人、100人、300人、500人、1000人になったときにそれぞれ称号を獲得できる。 |
↑03 | ドラクエ9の登場人物であるリッカが経営する宿屋。通常の宿屋の機能のほかに、パーティー編成を行う「ルイーダの酒場」、Wi-Fi通信による配信コンテンツの受信、ゴールド銀行、すれちがい通信やマルチプレイの窓口、アイテムを合成する「錬金釜」といった様々な機能を併せ持つ拠点となっている。すれちがい通信で宿屋に呼び込んだ人数が増えることで、宿屋が拡張されていく。 |
↑04 | ドラクエ9では、ダーマ神殿でレベル99になった職業をレベル1に戻すことができる。これを「転生」と呼ぶ。転生回数は「+1」、「+2」といった形で職業名の後ろにカウント表示される。レベル1に戻ったときに基礎能力も下がるが、それまでにスキルや「種」で得られた追加分の数値がプラスされている。覚えた「呪文」はリセットされるが、「特技」は忘れずに残る。また、各職業ごとに最初の転生時のみ「証」と呼ばれる装飾品を入手できる。 |
↑05 | ニンテンドーDSやニンテンドー3DSが発売されていた時期に、任天堂が一部のゲーム販売店に設置していた端末「DSステーション」、「ニンテンドー3DSステーション」に搭載されていた機能。任天堂の無料インターネット接続サービスのアクセスポイントとして利用することができた。 |
↑06 | 「まさゆきの地図」と同時期に有名になった宝の地図。ゲーム内での正式名称は「あらぶる光の地図Lv86」。JR川崎駅のロッカーにニンテンドーDSを入れた状態で、すれちがい通信による配布が行われたのでこの通称が付いた。高ランクの宝箱が多く出現するため、レアアイテムを手に入れやすい。 |
↑07 | ドラクエ9の特徴のひとつである多人数プレイ機能。ニンテンドーDSのワイヤレス通信を使うものでプレイヤーどうしが近距離でなければ遊べない。一人のホストプレイヤーのゲーム内に他のプレイヤー1~3人が入って最大4人のパーティーを組むという形になっている。ホスト以外のゲストプレイヤーはホスト側のストーリー進行に介入することができないが、それ以外は基本的に自由に行動できる。 |
↑08 | 2007年6月からゲームセンターで稼働開始したトレーディングカードを使うアーケードゲーム。稼働当時は全国で大会が開催された。2008年12月からモンスターバトルロードIIにバージョンアップ。2009年9月にドラクエ9との連動が行われ、モンスターバトルロードIIのプレイ中に条件を満たしたうえで持参したドラクエ9とすれちがい通信をすることで「大魔王の地図」を手に入れることができた。 |