ゲームセンター聖地巡礼 「1980年代 東武東上線 東武練馬」
目次
古くからの友人同士であるアリカ社長の西谷亮氏とスリーリングス社長の竹中善則氏が、1980年代に通っていたゲームセンター跡地を当研究所の大堀康祐所長と共に巡り、思い出を語る「ゲームセンター聖地巡礼」シリーズ・東武東上線編。
前回の「川越」に続き、今回は西谷氏のホームである「東武練馬」をお送りします!!
通り名は「1000万円」!
店員が心配するほど長居した「アポロ」
――今回は西谷さんのホーム、東武練馬駅近辺のゲームセンターについてお話を伺います。西谷さんの家から一番近い駅が東武練馬駅だったんですか?
西谷 そうです。歩いて10分ちょいぐらいで、ゲーセンも多い場所だったんです。
――まずは、東武練馬で西谷さんが一番入り浸ったという「アポロ」のことからお聞かせください。
西谷 「アポロ」はおそらく、東武練馬で一番大きかったゲーセンだと思います。1フロアに40~50台ぐらいゲームがあったかなあ。
『ハンバーガー(後のバーガータイム)』(1982年/データイースト)、『べんべろべえ』(1984年/タイトー)、『ゼビウス』(1983年/ナムコ)、『ジャイロダイン』(1984年/タイトー)、『ギャプラス』(1984年/ナムコ)、『テラクレスタ』(1985年/日本物産)、『ゲットスター』(1986年/タイトー)など、僕がハイスコアを一番出した店でもありました。洋モノのアップライト系筺体も置いてあったんですよ。
――ここでは相当長時間、ゲームをプレイされていたんですね。
西谷 アイスコーヒーが無料だったし、夏休みなんかは50円で『ゼビウス』や『ハンバーガー』をプレイして、1日中粘っていました。『ゼビウス』を1クレジットで朝から3人ぐらいで回してプレイしたり(笑)。
飯を食べずに長時間プレイしている僕たちを見るに見かねて、店員のおばちゃんがハンバーガーを買って来てくれたこともありました(笑)。僕らはいつもいるから、おばちゃんと仲が良かったんです。
――素敵なエピソードですね。後から食事代を請求されたりは…?
西谷 なかったです。おばちゃんのおごりです。
――コーヒー無料でハンバーガーもついて、子供ゲーマーにはちょっとした天国のような…。
西谷 そうですね(笑)。常連の不良たちとも仲良くなって、「アポロ」での僕のあだ名は「1,000万円」でした。よく1,000万点までゲームをプレイしていたから。
――「点」じゃなくて「円」なんですね。
西谷 なぜかそう呼ばれていましたね。『影の伝説』(1985年/タイトー)は、デモ中に主人公を動かせるんですが、そのデモプレイで永久パターンをして遊ぶという、なんだかよくわからないこともしていました。
――長居する要素が満載なお店だったと。
西谷 『ウィズ』(1985年/タイトー)の半額プレイもしていたなあ。この技は竹中が発見したんです。1Pボタンを押したままコインを入れるとゲームが始まるんですけど、なぜかもう1クレジット入っている。バグですね。1コインで2回プレイできるので「半額プレイ」。
竹中 よっく覚えてるねぇ。
西谷 そりゃあ覚えてるよ(笑)。
竹中 すげえなあ、確かにあったね。俺せっかちだったから、そんな風にコイン投入をして発見したのかな。
――ほかにも印象に残っているエピソードはありますか?
西谷 「アポロ」では、僕は最初『ギャプラス』のスコアは200万点ぐらいで止まっていたんですけど、誰かが300万点いったって情報を聞いて、「えっ、そんなにいけるんだ!?」と思って、さらに伸びたことがありました。
竹中 あー、分かる分かる。
西谷 最終的には1,234万5,600点までやったんですけど(笑)。ああ、もうこりゃ終わんないなって(笑)。特に当時ってネットがない時代で、情報を共有できるスピードが遅かった。
そこで、ある人があるスコアまで到達できたっていう情報を聞いたとたん、自分も急にいけるようになるという、不思議な感覚がありましたね。
――当時のゲーマー同士で、そういう切磋琢磨があったと。人にハイスコアを抜かれて落ち込むんじゃなくて、「よし、自分もまたやって抜いてやろう!」というモチベーションアップにつながったわけですね。
西谷・竹中 そうですそうです。
ラインナップにセンスが光る「プレイハウス」
警察に職務質問されたことも…!?
西谷 僕が「アポロ」の次くらいにたくさん通ったのが「プレイハウス」というゲーセンです。ここは狭いわりにはゲームのチョイスがいい感じでした。
『ドルアーガの塔』(1984年/ナムコ)や、コナミの『ツタンカーム』(1982年)、『メガゾーン』(1983年)、『ジュノファースト』(1983年)、『グラディウス』(1985年)などをプレイしていましたね。
――東武練馬駅周辺だけでもかなりゲーセンがあったとのことですが、各店のラインナップはかなり違っていたのでしょうか?
西谷 そうですね。だからこそ、いろんなゲーセンに行く意味がありました。ここでは、ちょうど風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)が施行されたときに学生服でプレイしていたら、警察に職務質問されたことがありました。
何歳なのか聞かれて18歳と答えましたが、次に「干支は?」と聞かれて…。嘘ついてると思われたんですかね(笑)。
「UFO303」はコイン両替制という斬新なシステム
西谷 「UFO303」というゲーセンは、お金をコインに両替してもらってゲームをプレイする形式でした。
――ずいぶんと珍しいシステムですね。
西谷 今でいうトークン制ですよね。お店の人に100円渡すとコインを2枚くれるとか、確かそんなシステムでした。
コインは店の全ゲームに使えるんで、メダルゲームの麻雀でコインを増やして、お目当てのゲームをたくさんプレイしたりしていました(笑)。
――それは子供ながらに賢い…。
西谷 お店側でそういう遊び方を推奨しているわけではないんですけど、しれっと麻雀が置いてあるんで、利用させてもらってました(笑)。
――そういうやり方でコインを増やし、長く入り浸っていたゲーマーも多かったのではないでしょうか?
西谷 けっこういましたね。そのうち、どっちが本当にやりたいゲームか分かんなくなってきたり(笑)。ただこの店は、ほかの店に比べて駅から遠いのがネックでした。
幻のゲーム『ロンキーコンロ』?
駄菓子屋のおばあちゃんのちょっといい話
――西谷さんは当時、駄菓子屋でよくゲームをしていたと伺いましたが、その思い出の駄菓子はさら地になってしまっていましたね。そして、大堀さんの聞き込みで八百屋もやっていたことが判明しました。
大堀 ここ、行く前からすごい気になっていたんだ。
西谷 八百屋もやっていたのはすっかり忘れていました。さら地になっていたのは切なかったですね。この駄菓子屋はインベーダー系ゲームがコピー品込みで3台くらいあったんです。
――当時ありましたよね。駄菓子屋にゲームが置いてあるというパターン。
西谷 なかでも3連射できるやつが人気でした。中学、高校生ぐらいになってしばらくぶりに訪れたら店は閉まっている雰囲気で…。
でも、無理に入って行くと駄菓子は一切なく、店の片隅に、セロハンを貼った純正の『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)がポツンと置いてありました。
――もう駄菓子屋はやっていないけど、ゲームだけは置いてあったと。
西谷 またいつか、ゲームで営業したい意思はあったんでしょうね。そして、奥から知った顔のおばあちゃんが出てきて、「よく来てくれたね」と電源を入れてくれたんです。
――いやあ、いい話ですね。きっと西谷さんの訪問で、ずっと動いていない筺体に数年ぶりに電源が入ったんですね。
西谷 「おばちゃんね、今度いろいろゲームを入れておくからね。今は何が流行っているか教えてよ」と言われました。『ドンキーコング』(1981年/任天堂)と言ったら、「ロンキーコンロ?」と言いながらメモしていました(笑)。
――なんか、かわいらしくてホンワカするエピソードですね。それからは、このお店に西谷さんご要望のゲームが入るようになったんでしょうか?
西谷 いや、残念ながらそれからは行っていないんで、分からないんです(笑)。
――そこからまたゲームをやりに行くようになったのかと思ったら、そういうオチでしたか(笑)。もうそのおばあちゃんはご存命ではないかもですが、まだお店があったら、いろいろと当時の話を聞いてみたかったですね。