餅月あんこのゲーセンに行きたい!
第44回 平地レイちゃんのDDRの話を聞きたい!
1998年に登場して一世を風靡したダンスゲーム、『Dance Dance Revolution』(以下『DDR』)のパフォーマンスプレイヤーとして雑誌やテレビなどで引っぱりダコだった平地レイさん(通称「ひらちれ」)。
実は餅月と高校の同級生だったのですが、ちょいちょいゴハンとか食べてしょーもない話をしてきたのに、今まであまり彼女にじっくり『DDR』についての話を聞いたことがなかった!
ということで、20年以上の時を経て(我々の年齢についてはあまり聞かないでください)(ググればわかるけど)うかがってみたいと思いまーす☆
ひらちれと『DDR』
――― 変わってないねぇ~ひらちれ~すごいいっつも美しい~ライフスタイルもお聞きしたい。
そうかな~(照)。
――― お聞きしたいわ、美容情報とかも。お話するのは久しぶりだけど、LINEでチョイチョイやり取りしてるから久しぶりの気がしないね。
お互いにTwitterを見て元気なのはわかってるからね。
――― いまどきのテクノロジーありがたいね~。ところでこのニットめちゃめちゃ可愛いね。
『ギャラガ』だよー。アーケードゲームの話っていうからこれ着てきた(笑)。
――― どちらでお買い求めに?
これは実は今、推してるK-POPアイドルのSEVENTEENのホシくんが着てたから、おそろいで買ったの。
――― そうなの!? すごいね!
韓国のブランドで売ってるのを取り寄せたの。『ギャラガ』、可愛いよね。
――― さすが! それじゃあ今日は、『DDR』の話を聞かせてもらえたらなと。
最近の『DDR』はプレイしてないんだけど大丈夫かな?
――― 昔の話をぜひ! 最近だと『DANCERUSH』とか『DANCE aROUND』っていうのも出たよね。
ずっと20年ぐらい新作が出てるよね。素晴らしい。
――― 置いてあるゲーセンにはドーンとたくさん置いてあるよね。『DANCERUSH』、プレイできるようになりたいんだよ~。コツとかある?
私はホントはゲームは苦手で、『DDR』をやるまでは全然ゲーマーじゃなかったのよ。
――― そこを聞いてみたかった!
うちはよくある、ファミコン禁止の家だったの。買ってもらえなかったんだけど、親がメーカー勤務だったから、パソコンは買ってもらったの。だからパソコンのゲームはすごくやってて。
――― 記事に書いていいの?
大丈夫だよー。あ、F社にしておこうか。
――― F社(笑)。Tッチおじさんとか居そうだわ~。
でもNECのパソコン買ったの(笑)。
――― なんじゃそりゃ!
PC-9801というやつ。
――― あ~、メジャーな機種だよね。それが何年生ぐらい? って、学年で聞いちゃうんだけど(笑)。
小学校低学年くらいかな。
――― 年齢バレるけど1980年代前半だね。我々世代的には早いね。まだまわりの友だち、ゲーム機も持ってる人少なかったよね。
そうそう。パソコンはお父さんがワープロとか表計算を使うから、ってことで買ったんだけど、私はずっとゲーム、花札をやってて。そのあと……『イース』ってあるでしょ? 日本ファルコムの。
――― いい話出てきた。
『イース』は、めちゃくちゃお兄ちゃんもハマったし私もハマったし。
――― お兄ちゃんは何歳上だっけ?
4歳上。2人してずっと『イース』をやってて、『イース』にはすごく思い入れがあるの。
――― ひらちれのRPGの原体験は『イース』なんだね。
そうそう。音楽もいいし。大好き。すごくハマったゲームはそれくらいで、『DDR』に出会うまでは、決してゲーマーではなかったの。家に据え置きのゲーム機を買ってもらえなくて、すごくやりたかったから、ゲームボーイポケットが出たときは、買ってずっと自分の部屋でやってたぐらい。
――― そうだったんだー。ちなみに『DDR』は1998年のリリースだから、私たちが何歳のときだっけ。
22歳のときだね。AOUショーで初めて『DDR』が発表されたときに、観に行ってたの。
――― (笑)何者なんだ。
当時お世話になっていた渡辺浩弐さんに連れて行ってもらって。私、ゲームは苦手だけど、ダンスは得意だったから、「これやったほうがいいよ」って言われて、「やります!」って。
――― それでその後、いろんなメディアで『DDR』の取材受けることになったもんね。
そうそう。オススメしてもらってやってみたら楽しかったので。私、その頃、インターネットアスキーっていう雑誌でコラムを書かせてもらっていて、そのコラムの担当さんに『DDR』を勧めたら無茶苦茶ハマってしまって(笑)。で、その編集さんが「『DDR』の攻略本を作ろう」ってなって、なぜかインターネットアスキーからゲームの攻略本が出ることになったという(笑)。
――― そうかー、編集さんがハマるとそういうことも起こりうるのね。
その頃はまだSNSとかなかったんだけど、いろんな地域のゲーセンに「『DDR』なんとか組」、っていうのができてたの。「『DDR』幕張組」とか。で、そういうかたがたに取材させてもらったりしてるうちにコミュニティが広がって、大会に出るようになりました。
――― へぇぇ~、そういう感じだったのか~!
『DDR』のコミュニティ
――― 『DDR』の攻略本を出したっていうのは素晴らしいね。
攻略本を作ってるときに、いろんなDDRプレイヤーさんと知り合ったから、取材も兼ねてだけど、自分でも遊びに行くようになって。幕張は家から遠かったけどよく行ってたな。なつかしい。
――― 幕張は『DDR』の筐体がたくさんあるとか、何かメッカみたいな感じだったの?
うまいプレイヤーさんたちがいたの。大きいゲーセンもあって。新宿にはチルコポルトっていうゲーセンあったじゃない。
――― 一緒に行ったよねー! なつかし~!
なつかし~! そことか、あと、大阪の茶屋町のチルコポルトにも遊びに行ってた。
――― チルコポルトはコナミさんのゲーセンだっけ。
コナミさんの直営だね。
――― なるほどー。『DDR』のプレイヤーさん同士とか、当時はどういう手段で情報交換してたの?
もうインターネットは普及してたから、BBSだよ! なつかしき。
――― BBS! なるほど、1998年だもんね。ひらちれ、いつの間にか『DDR』といえばこの人、みたいになってたからビックリしたよ。当時、雑誌とかTV番組なんかでも『DDR』の特集があるとひらちれだったもんね。
ありがたいことに。大会に出るときに密着取材を受けて。それから、コナミさんがいろんなメディアさんに取材を受けるときに、「誰かデモンストレーションできるプレイヤーはいませんか」って聞かれると私を紹介してくださっていたの。
――― アイドル活動してたから顔出しももちろんOKだもんね。プレイもメーカーさん太鼓判ってことで。
ハイスコアを出すというよりは、パフォーマンス重視のプレイスタイルだったけどね……!
ゲーセンでカロリー消費!
――― 今度また一緒にゲーセンで新しいタイトルをプレイしてほしいなー。
わかった~! そういえば『パラパラパラダイス』っていうのもあったよね。DDRerのみなさんはそっちにもハマり、ゲーセンで踊る人たちが増えた時代だったよね(笑)。
――― おもしろいねー。
『パラパラ』って脚はステップだけであんまり使わないから楽しいのに疲れないんだよね。でも二の腕も痩せるし。
――― 『DDR』は激しすぎるよね(笑)。
みんな痩せてたよね。あの踏むエネルギーで発電できたらいいよね、って思ったもん。
――― いまだにコンバースのローカットよく履いてるんだけど、これ、私的に『DDR』がいちばん踏みやすいから履くようになったんだよ。それだけ動きが激しいよねえ。
あんこちゃんから、夏に、サンダルで『DDR』やるときにこれがいいよ、って勧めてもらったTevaってサンダル、あれすぐに買ったんだよ。あんこちゃんが勧めるものってだいたい買うんだけど(笑)。その後流行ったし、軽くて良かったよ。
――― 私、いつも全力で走れるものしか履かないから……。
逃げるんか?
――― 常に最高のパフォーマンスを出したい……。身体能力は限界まで高めたい……。みんな違うの?
(笑)。
「りゅうちれ」コンビ
――― ひらちれは『DDR』の大会にはけっこう参加してたの?
パフォーマンス部門がある大会を見つけると出てたよ。ハイスコアを競う大会は取材で行ってたんだけど、そのときに、衣装を着て踊ってる人がいて、いいなぁって思って。
――― それでパフォーマンス系のダンスをやるようになったのかー。
審査員特別賞をもらったりしたよ。その大会の優勝は中野さんだったよ。すごく頭のいいかたで、めちゃくちゃおもしろいよ。
――― 中野さんとはペアは組んでないの?
中野さんとは新宿チルコポルトの大会で1回組んだことがあるよ。ユニット名は「鼻ちれ」。中野さんは「鼻」って呼ばれてたから。「~ちれ」って便利でしょ(笑)。
――― 『DDR』の男女ペアって映えるよね。
そうそう、筐体が2人でプレイするように2つ並んでるしね。りゅうじくんと「りゅうちれ」ってコンビ組んだり。そのコンビで韓国でもパフォーマンスしたよ。
――― それは大会に?
うん。エキシビジョンに呼んでもらって。
――― りゅうじくんとひらちれのペアのダンス、動画で見たけど、途中で筐体から降りて、もはや関係ないところで超笑顔で踊ってて最高におもしろかった。
りゅうじくんは、あんなに踊りもうまいのに、めちゃくちゃちゃんと矢印を踏めるんだけど、私はあんまり矢印をキッチリ踏めなくてそんなにスコアが伸びないの。踏んでるつもりが体重がちゃんと乗ってなくてさ……判定されないのよ(笑)。
――― 軽いもんね(笑)。そしたら、ふだん練習するのも、けっこうお金かかったでしょ。
たくさん使ったね~。ゲームって凄いなと思って。感覚マヒする(笑)。ハマったときのお財布のヒモのゆるさ(笑)。
――― わかる。みんなそうだよねえ(笑)。
韓国でのハプニング
――― 何か思い出とか、印象的な出来事とかある?
その韓国のエキシビジョンに招待していただいて、韓国の大会で盛り上がって、「日本の大会で審査員特別賞の2人が来ます! ジャジャーン!」って感じでリハーサルしたんだけど、当時日本はEDITって言って、自分で考えた矢印の配置を記録したカードを、筐体に差してプレイできる、っていうのがあったの。それで私たちのパフォーマンスは、パフォーマンス重視でわりと矢印を減らしたセットを作ってたんだけど、韓国に行ったらそのバージョンがまだリリースされてなくて。
――― カスタマイズできなかったんだ。
そう! で、「できないじゃん!」ってヘコんで。で、急遽、「既存の曲で矢印が少な目の曲で(ゲームとしてクリアノルマはこなししつつ)、何とか新しい振り付けを考えよう!」ってなったんだけど、そのとき、韓国コナミの社長さんが来てくださってたんだけど、すぐにダンススタジオを予約してくれて。
――― すごい!
すごいよね(笑)。練習する時間、2時間ぐらいしかないけど練習しよう! って、りゅうじくんとめちゃくちゃ練習して。
――― さすがアイドル……。元・東京パフォーマンスドール……。
研修生ね(笑)。何とかできました、っていう(笑)。あのときはめちゃくちゃ青ざめたわ~。
――― いいね、今となっては楽しい思い出だね(笑)。
自分たちがEDITしたカードが差さらないんです、日本ではコレでプレイしてるんです、って言って、1回そのパフォーマンスを見せたんだけど、会場に見えてる画面に流れてる矢印と、私達の動きが違うから、お客さんが「?」みたいな雰囲気になって。次に、その、急遽振り付けと練習したパフォーマンスを見せたらワーッってすごい盛り上がってくれて。やっぱりちゃんと踏まないとダメだわ、っていう(笑)。
――― そうか……!
そのときの写真は、始まる前は不安で死にそうな顔で、終わった後はすごい嬉しそうな顔だったよ(笑)。
――― あはは。ちなみにりゅうじくんはダンスをやってたの?
それまではやってなかったらしいんだけど、天性の踊り子だね。
――― ひらちれはダンスやってた人だけど、ダンスゲーのプレイヤーって、もともとダンスやってた人が多いわけじゃないよね。
そうだね、『DDR』にハマった後にダンスにハマる人はけっこう見かけたけどね。りゅうじくんは本八幡のゲーセンですごい上手な人がいるって有名だったから見に行って。めっちゃダンスうまい! って。それで「一緒に組んでください!」って私から言ったの。
――― そうだったんだ~。すごくステキなペアだったよね。
またダンスゲーします
――― あと、hirachi.com、ずっとやってるよね。
そうだね~。最初に契約したプロバイダから移行してないよ。ドメイン取るのとか全部あんこちゃんに教わったよ。なつかしい。
――― え、そう!? もう知り合った時にはhirachi.comだった気がするけど。わたしベッコアメとかだったよ。
わたしリムネットだよ(笑)。
――― そっか~! CGIのパーミッションの設定の話とかしたよね。『パーフェクトブルー』の『未麻の部屋』。(※今敏監督作品で、主人公の未麻のWebサイトのデザインが当時のひらちれのホームページにとてもよく似ていて、モデルにしていたのではないかと思われた)
ニッチな話だなぁ(笑)。
――― ここ、記事にするなら注釈めっちゃ入れるところだね。
インターネット老人会のやつだよ(笑)。
――― わかる人はニヤニヤするよ~。
パソコン自作もあんこちゃんに教えてもらったよね。
――― 私、ハンダづけ失敗して、自作パソコンできてないよ! ひらちれさ、何か記憶がすり替わってない!?
昔のことすぎて、いろいろダメだ(笑)。
――― 年齢がバレる以前の問題だ!