『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 中編

  • 記事タイトル
    『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 中編
  • 公開日
    2019年03月17日
  • 記事番号
    918
  • ライター
    前田尋之

前回はアーケードゲーム開発会社としてのジョルダン設立の経緯と、周囲を取り巻く状況についてお話を伺ったが、第2回となる中編では、後世に残る大ヒットとなった2本レバーのアクションゲーム『クレイジー・クライマー』(1980年/日本物産)の開発秘話に迫る。

隠しコマンド「JORDAN.LTD」はどのような経緯で組み込まれたのか? その謎が初めて明かされる!

ジョルダン株式会社
代表取締役社長:佐藤 俊和
監査役 :小田 恭司

【聞き手】
ゲーム文化保存研究所
所長:大堀 康祐
ゲームディレクター:見城 こうじ
ライター:前田 尋之

『クレイジー・クライマー』誕生秘話

▲プレイステーションに移植された『クレイジー・クライマー』(動画はハムスター公式チャンネルより。「アーケードアーカイブス」PS版でプレイ画像は海外向けのもの)

――『クレイジー・クライマー』はどういった経緯で生まれた作品なのでしょう?

佐藤 アイデアの発端は日本物産(以下、ニチブツ)(*01)のほうからだったんじゃないかな。最初に企画を提案されたときもおもしろいアイデアだなとは思いました。2本レバーを使うというアイデアも、おそらくニチブツの木島くんから出たものではないでしょうか。

大堀 2本レバーのアイデアはとても斬新だと思いました。左右の腕がそのままレバーに連動していて、これだけを使うという操作系は相当試行錯誤あったのではないでしょうか。

佐藤 木島くんのアイデアもそうですが、一緒に企画を詰めていたわが社の本田(*02)が得意とした領域だったでしょうね。そういった細かい仕組みを考えるのが好きな性分でしたから。

――当時のニチブツのタイトルは縦画面のゲームが多かったにもかかわらず、『クレイジー・クライマー』は横画面縦スクロールという変則的な画面構成を採用しています。これには何か意図があるのでしょうか?

佐藤 それは完全に当事者の木島くんと本田じゃないと分からないですね。

▲自由な発想が『クレイジー・クライマー』を生み出した一方、バグにも悩まされたと述懐する佐藤氏

大堀 木島さんはわりと頻繁に御社(ジョルダン)にいらっしゃっていたのでしょうか?

佐藤 いや、それほどベッタリというほどではなかったですよ。ときどき、ニチブツさんに行くときに打ち合わせをしてという感じでした。ある程度、方向性さえ決まれば先方から絵コンテみたいなのが来て、それに従ってこちらで勝手に作る感じで。

小田 ニチブツさんには企画担当の方が2~3人いらっしゃったと記憶しているのですが、あまりかっちりしたイラストや仕様書とかはなかったですね。昔のゲームは特にそうなのですが、とりあえず作りながら試行錯誤していく感じでした。企画に関しては本田がやっていたので、私はどちらかというと基板を作られていたハード担当の部長さんとお話をする機会が多かったです。わりと寡黙でとっつきにくい雰囲気なのですが、実際に喋ってみるとおもしろい方で。

大堀 以前、ニチブツのデザイナーだった藤原茂樹さんにお話をお伺いしたことがあったのですが、木島さんと藤原さんは東京にいて、ほかに大阪にもデザイナーさんがいらっしゃったとか。

佐藤 その辺はウチでは分かりませんね。

小田 グラフィックといえば、当初の企画では「ビルの下から火をつけろ」という指示があったんですよ。インストラクションカードの絵にもある通り、下から火の手が上がるという演出が企画書の中にありました。結局「人道上問題がある」という理由でボツになりましたが。

 落ちそうで落ちない!耐久力の秘密

▲初めて明かされる『クレイジー・クライマー』のアルゴリズムについて丁寧に説明する小田氏

――小田さんは『クレイジー・クライマー』開発当時、本田さんのもとでサブプログラマーをされていたと伺っておりますが、当時のエピソードを聞かせてください。

小田 『クレイジー・クライマー』は内部パラメータとしてプレイヤーに耐久力が設定されていて、また、鉢植えや鉄骨などにも、それぞれに重量が設定されています。例えば、プレイヤーの耐久力が3とした場合、1の鉢植えだったら3回まで耐えられるけど、3の鉄骨が当たった場合は耐えられない、といった具合ですね。この耐久力は窓で踏ん張ったときに回復するのですが、頻繁に耐久力のプラスマイナスが発生したときにプレイヤーが震えるといったバグがありました

また、看板の電線に触れたときに一瞬色が変わるのですが、変わったまま戻らなくなるバグもありましたね。さらには、横滑りのバグなんてものもありまして、レバーを入れるタイミングによっては、ポーズが固まったままプレイヤーが横に移動してしまうという。さっきからバグの話ばかりですね(笑)。

この頃のプログラムは、プレイヤー移動、障害物、当たり判定といった各タスクを一定時間ごとに切り替えるという、一種のTSS(*03)みたいなことをやっていたのですが、タイミングによっては処理の途中で次のタスクに切り替わってしまうため、それまでやっていた作業が放り出されてしまうんですよ。このタイミングに何か処理作業中だったものは無視されてしまうために、上記のようなバグが発生してしまったんです。これによって、本来だったらミスするはずだったのに、図らずも生き残るなんていう、結果的にプレイヤーにとってはありがたい現象が発生することもありました

大堀 僕が通っていたゲームセンターでは、左手より右手が強いという話になっていました。花瓶などの落下物によって落下速度が違うので、タイミングによっては2つの落下物が同時に手に当たってしまう場合があるのですが、右手を上にして上下で踏ん張ると助かるんですよ、もしかしたらこれも…。

小田 すみませんが、それも判定が重なったタイミングで偶発的に発生したバグでしょうね。左右の手の握力とか、いろいろ思いを巡らせていただいて申し訳ありませんが。

――これが理詰めなゲームだったら判定ミスなんでしょうけど、人がビルの壁面を登るという不条理な内容だったから、アバウトな判定でも突っ込まれなかったのかもしれませんね。耐久力が目に見える形で可視化されていないから、なおさらで。

大堀 いろいろな噂を呼んだこのような挙動も、かえってゲームの奥行きを増す結果につながったんだと思います。「このポーズだとなぜか落ちそうなのに落ちない。何か内部で高度なプログラム処理がおこなわれているのでは?」と深読みしたり。

小田 デバッグ中はごく当たり前のプレイスタイルで検証していたので、特定の方向にレバーを入れたままの挙動は想定していませんでした。本来はそういった変則操作も考慮に入れるべきだったんでしょうけど、まあ当時だから許されたのかもしれません。

短期間で終わらせた『クレイジー・クライマー』の開発

▲英語版のフライヤーに掲載された「ハッピーゴンドラ」。実際のゲームの仕様にはないため、ファンの間で伝説となっている

大堀 海外向けのフライヤーに「ハッピーゴンドラ」というものが写真入りで説明されているのですが、これはなぜなくなってしまったのでしょうか。われわれの間では『クレイジー・クライマー』の謎の一つに数えられているネタなのですが。

小田 これは私たちが開発している中でも見たことがないですね。ニチブツさんのほうで独自に描いたグラフィックではないでしょうか。企画の方は何人かいらっしゃったわけですから、初期のアイデアとしていろいろ考えられたものがあったのかもしれません。

――スケジュールの都合でボツになったとか? ちなみに開発期間はどれくらいだったのでしょうか。

佐藤 開発費が800万円だったから、少なくとも半年はかけていないはずですよ(笑)。5カ月とかそんなもんじゃないかな。たしか、小田くんとかは家に帰りたいって泣き言を言っていたよね。

小田 会社の2段ベッドで寝泊まりしていた時期がありましたけど、「家に帰りたいんです」と本田さんに泣き言を確かに言ったことがあります。今からでは考えられませんが、ブラック企業そのものですよね(笑)。まあ、当時は25歳くらいで若かったし、楽しかったから苦ではなかったですけど。

――『クレイジー・クライマー』は後にアーケードでは同ゲームの『2』がリリースされ、家庭用ではファミコンへの移植がなされましたが、御社は制作に参画されていたのでしょうか?

佐藤 そのあたりは全くかかわっていないです。1980年代半ばくらいまでニチブツさんの仕事をしていましたが、それ以降はあまり仕事をしないようになりましたね。

禁断の「JORDAN.LTD」コマンドが入ったワケ

▲「JORDAN.LTD」と名前を入れると、2つクレジットが入る隠しコマンド

――ところで、これはぜひお伺いしたかった話なのですが、『クレイジー・クライマー』には「JORDAN.LTD」という隠しコマンドがありますね。こちらについてお話を伺ってもよいでしょうか?

佐藤 それはねえ…僕の指示なんですよ(笑)。自己満足なんだけど、ずっとニチブツさんとやってるから名前をどこかに入れておきたくてね。

やっぱり、制作者の意地として名前を残しておきたかったから。今だから言える話ですが、当然ニチブツさんにも絶対秘密だった。普通こんなのはROM解析でもしない限り気が付くはずもないんだけど、どこかで広まっちゃったんだろうね。今だったらネットがあるからもっと大変なことになっていたかも。

見城 巷で話題になりだしたのは発売から5~6年以上経ってからですね。

佐藤 それくらいだったかな。あっ、だから逆にジョルダンが作ったという話が今になって海外で広まったのか。

大堀 僕らは当時ジョルダンという会社を知らなかったので「ジョーダン」って読んでいたんですよ。クレジットを消費すると「.LTD」が消えるじゃないですか。ウィットを効かせた「冗談」という意味に捉えていたんです。後にジョルダンさんという会社があることを知って「そうだったのか!」とようやく意味を理解しました。

佐藤 僕は昔からウィット感覚だけはあるんですよ(笑)。

大堀 あと、もう一つ質問があるのですが、『クレイジー・クライマー』のROMを解析した人によると、ステージデータが8つ入っているらしいんです。

小田 実際のアーケード版は4ステージまでですね。減った理由は、マスターアップギリギリで発覚したバグが取れなくて。泣く泣く断念しました。ボツステージもキャラ配置が済んでいて、ちゃんと遊べるものだっただけに残念でした。

佐藤 ステージ分ROMが増えるとコストもかかるから、しょうがないね。


次回予告

次回はいよいよ最終回。最後は3機合体がアツい傑作シューティングゲーム『ムーンクレスタ』をはじめとした、ジョルダン開発による各種ニチブツアーケードゲームの内幕について話を伺うことにする。初めて明かされる数々のエピソードに刮目してほしい。次週公開予定!

ジョルダン株式会社
1979年にジョルダン情報サービスとして創業、1989年に現社名に商号変更。1994年に『東京乗換案内 for Windows 3.1』『乗換案内全国版 for Windows 3.1』を発売以来、乗り換え情報サービスという新分野を切り開き、同種のサービスの代名詞となる。一方で、システム開発・販売やゲーム開発など、多数のコンピューターソフトウェアおよびサービスを展開している。東京証券取引所ジャスダック上場。

©Jorudan Co.,Ltd.
©HAMSTER Co.

脚注

脚注
01 日本物産 : 1970年創立。アーケード、コンシューマー製品などを手掛けたゲームメーカー。シューティングゲームや麻雀ゲームなどで有名。『クレイジー・クライマー』『ムーンクレスタ』(1980年)、『ジャンゴウナイト』(1983年)、『テラクレスタ』(1985年)など多数のヒット作を発表し、「ニチブツ」の名で親しまれたが、2009年に事業停止した。
02 本田光雄氏 : ジョルダン社の創業メンバーで、ニチブツの『ムーンクレスタ』などのプログラミングを担当した。
03 TSS : タイムシェアリングシステム。元来は1台の大型コンピューターを複数の人間が時分割して同時に使用する技術を指す言葉だったが、現在では同時に複数のプログラムが並列に動作する「マルチタスク」として一般化した。

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