大堀所長に聞く!ゲーム文化保存研究所のすべて
目次
ゲーム文化保存研究所を設立するにあたって
設立を後押しした先人との別れ、そして出会い
「ゲーム博物館」が閉館したのちに、ゲーム業界の草創期を知る、時代を創り上げてきた先人、ナムコ創業者(現BNE)中村雅哉氏が他界したことで、ゲーム文化保存の必要性を改めて感じたそうです。
「ゲームの草創期を知る業界人も、どんどんと高齢化をして行く中、やはり今やらなければという思いがより強くなりましたね」と大堀所長。
加えて、研究所メンバーの石黒氏との再会も、研究所開設を後押しするものとなりました。
「2016年に偶然 石黒くんと10数年、もしかすると20年ぶりぐらいに再会したんです。石黒くんは当時と変わりなく多くのゲーム基板を集めていました。」
大堀所長は、石黒氏のゲームに対する姿勢が以前となんら変わっていなかったことに感銘を受け、石黒氏のようなゲーム保存活動をしている人を支援しつつ、一緒に何かゲーム文化を残すこと、何かを共有することができないかと、ゲーム文化保存研究所設立を思いつきます。構想から数年、ついにゲーム文化保存研究所設立にこぎつけることができました。
文化保存とコレクションのはざまにあるジレンマ
「設立にあたり苦労したことは?」と尋ねると、大堀所長からこんな回答をいただきました。
「ゲーム文化を保存していく上で、やはり昔の基板を確保してことが第一だと思います。しかし、昔の基板はすでになくなってしまっていたり、残っていてもコレクターのコレクションとして保存されているものしかありません。そのため、昔の基板は価格が高騰し、コレクション価値のみが上がっていきます。そこには、後世に残すべき文化としての価値は求められません。
レトロゲームを文化として残したいという人の思いとコレクターとして集めている人の思いが、うまくマージできていないという現実があります。レトロゲームは単にコレクションとしてではなく、「ゲーム文化」としてしっかりと保存すべきであることを、世の中にちゃんと伝えていく必要があると感じています。」と大堀所長。
コレクション価値だけが優先されているレトロゲーム現状に問題視し、レトロゲームを「ゲーム文化」としてしっかりと残していくにはどうすればよいか。ゲーム文化研究所発足はこの問題と対面することから始まっていくのです。
ゲーム文化を保存するということ
ゲーム文化保存とはゲームの派生を辿っていくこと
「ゲームは派生していくもの」と語る大堀所長。例えば、1970年代後半に流行った『スペースインベーダー』はブロック崩し系のゲームのアイデアから派生したもので、その後『ギャラクシアン』へと受け継がれていきます。ゲームはゼロ構築でアイデアが出るものではなく、何らかのゲームの影響を受けて誕生していると大堀所長は語ります。
「例えば、『ロードランナー』もゼロからできているようにも見えますが、もともとは『平安京エイリアン』のアイデアを継承しています。『平安京エイリアン』から『スペースパニック』へ、そして『ロードランナー』へと派生しました。
『ロードランナー』の作者が『スペースパニック』の影響を受けたと公言していることから、その両ゲームの関係性は理解できますが、『平安京エイリアン』が『スペースパニック』につながったことは理解されていないんですよね。『平安京エイリアン』をサイドビューにしたのが『スペースパニック』であって、それに様々な要素を加えてできたのが『ロードランナー』であると。こういうこともしっかりと分類し、明確にしていくのもゲーム文化を保存していく目的であるんです」
単にゲームの基板を保管するだけではなく、そのゲームの祖を辿り、しっかりと分類していく、それが大堀所長の考えるゲーム文化保存の活動主旨といえます。
製作者の系統図を作成したい
大堀所長は、先ほどのゲームの分類もありますが、制作者の分類もまた必要であると言います。
「草創期のゲームを制作していた人たちは、どんな環境で、どんなふうにゲームを作ってきたのか? またその後にゲーム会社がどんどん立ち上がっていく中で、経営者やクリエイターは、そこにどう関与していたのか、このゲームはこのクリエイターがどこの会社から移ってから制作した作品であるとか、このシリーズはのちにこの会社からこういう理由で作られるようになったのかというような、製作者たちの系譜や系統図も残すべき文化ではないかと思っています。
これには、会社によって言える範囲があると思いますが、ゲームは会社単位だけではなく、人に紐付く部分も大きく、それは残すべき事実であると認識しています。」
人の手で作られるゲームだからこそ、人と人とのつながりを考え、その製作者が与えた影響や与えられた影響を探り、図式化していることで、日本のゲーム文化が辿ってきた道のりをさらに明確にとらえることができます。大堀所長は、そういった活動もゲーム文化保存活動の一部であり、今後もさらに権利上の問題をしっかりとクリアしていきながら、系統図作りに励んでいきたいと話していました。
この一年の活動を振り返って
2016年10月に設立してから、ゲーム文化保存研究所は2017年10月に丸一年を迎えました。この一年間、ゲーム文化保存研究所はどのような活動してきたのでしょうか?
「この一年は、とにかくゲーム文化保存研究所はこういうことをやりますよと世間に伝えることに専念してきました。」と大堀所長。
2017年の主な活動として、 アーケードゲーム1つを深掘りし、制作者のインタビューをはじめ・筐体・基板のハード面からソフト、ひいては販促用のフライヤーなどを包括し資料として残す『ビデオゲーム・アーカイブス』の立ち上げを行い、その準備を行いました。
また資料提供という形で、有限会社マインドウエア様の平安京エイリアンfor Windows・ 角川ゲームス様の『ゲーム天国 CruisinMix』店舗特典の復刻チラシへの協力を行いました。
「組織と場所を作ることで、そこに人や情報が集まり、やがて交流が生まれることになる、そんな場の提供をしてきた一年でした。そうすることによって、協力してくれる人がどんどん増え、より充実したゲーム文化の保存が可能になると思いました。この一年は、ゲーム文化保存活動の基礎作りという面で、とても意義のある年となりました。」
活動最初の一年に手ごたえを感じると同時に、ゲーム文化保存研究所(IGCC)としてさらなる情報発信の必要性という課題も出てきました。この課題を解決するためにも、次のステップとして、ゲーム文化保存研究所の今後のあり様について次のように語っています。
「2018年は、IGCCの「思想・活動の周知」という面で『ビデオゲーム・アーカイブスvol1 クレイジークライマー』の刊行を皮切りに、続巻の編集・刊行していき、さらにWEB上での情報発信を積極的に行っていきます。」
保存の先にある新たな未来の創造
大堀所長は最後に、ゲーム文化保存研究所の未来について以下のように話しました。
「まずはやれる人がやれるところまで、ちゃんと意思を持って、愛を持ってやっていくことが大切です。そういう活動をしていることで、同じような考え方の人がどんどんと集まってきて、新たな文化を作っていっています。ゲーム文化保存研究所は、ゲーム文化を保存していくだけではなく、保存を通して新たな人と人のつながりを作り、未来につながる新しい文化を創造していくことなのです」
昔と今、未来をつなげていく今後のゲーム文化保存研究所にご期待ください。