ゲーメスト・ライター陣による『グラディウス』座談会

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- 記事タイトル
- ゲーメスト・ライター陣による『グラディウス』座談会
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- 公開日
- 2025年05月16日
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- 記事番号
- 12887
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- ライター
- IGCCメディア編集部
祝『グラディウス』40周年!
ということで、アーケードゲーム攻略のエキスパートが揃っていた「ゲーメスト」の元ライター四名さまにお集まりいただき、当時の思い出を存分に語っていただきました。
これは“マルゴトヤッテキタ宇宙”に敢然と立ち向かった勇者たちの記録でもあります。

ライターをはじめるきっかけ
―― 本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。まずはじめに自己紹介からお願いします。
SPY大和 初めまして、SPY大和と申します。ゲーメストライターを始めたきっかけですが、創刊号が出たタイミングで編集部に見学に行ったときに、その場でスカウトされたのがきっかけとなります。
ぜんじ 古参という意味では僕がこの中で2番目ですね。1986年の創刊2号から記事を書いています。ライターを始めたきっかけですが、『魔界村』の記事を書ける人を探しているとのことで、ありやん(ライターネームは山河悠理)にスカウトされました。
GOD鈴木 GODです。きっかけはアイレムの『ロードランナー4 帝国からの脱出』の攻略記事を依頼されたことです。元々の担当者が攻略記事を書けるほどやりこんでいなくて。それで当時やりこんでいた私に白羽の矢が立ったという経緯です。もちろん以前からゲームセンターで顔なじみだったということもあります。
以降色々と攻略記事を担当させていただきましたが、『テトリス』攻略が代表作だったと自負しています。初代『グラディウス』の攻略記事では説明の図を担当させていただきました。
SPY大和 わたしが担当していた『究極タイガー』でもマップを担当してくれましたよね?
GOD鈴木 地味にそっち方面もやっていましたが、そのうち、絵の達者な人が編集部に在籍するようになり取って変わりました。あとカメラ、ゲーム画面撮影の担当も。色々とやっていましたね(笑)。
じーぶー はじめまして、じーぶーと申します。ライターネームは、「ああるじいぶう」でやっておりました。1987年の春頃、地元のゲームセンター(千葉の津田沼のサンペデックナムコランド)で遊んでいたら、SPY大和さんに拉致されて、ゲーメスト編集部に連れて行かれたのが、きっかけです。その場で原稿用紙を渡されて、『飛翔鮫』の攻略記事を書かされました(笑)。
担当した攻略記事は、『グラディウス』1000万への道、『グラディウスⅡ』、『パロディウスだ!』です。最近、知り合った年下のスコアラーやX上で繋がった方々から、じーぶーさんの『グラディウス』や『グラディウスⅡ』の記事のおかげで、当時1000万を出せましたと言われまして、ライター冥利に尽きる出来事でした。役に立つ攻略記事を書きたいと思って、コマ図付きの記事を思いついて、頑張った甲斐がありました。
SPY大和 そうでしたね(笑)。その節は、ありがとうございました(笑)。
じーぶー あの当時は、大和さんって、ひどい人だ!と思っていましたが、今は感謝しています。

ぜんじ コネというか、だいたいみんな知り合いに連れて来られたという感じだったと思います。
―― コネがあるというのは、やはり遠征して知り合いになったり、というようなことが日常的に行われていたということなのでしょうか。
SPY大和 自然に名プレイヤーが集まるゲームセンターに足を運んでいるうちに、知り合いになるというパターンが多かったと思います。スタンド使い同士がひかれあうみたいなもんでしょうか。
じーぶー 1985~86年頃は、東京のプレイシティキャロット巣鴨店に、凄腕プレイヤーたちが集まっていたので、いつも来ている上手いプレイヤー同士が知り合うのは、日常茶飯事だったと思います。自分も毎週のように、巣鴨に通っていました(笑)。
GOD鈴木 スタンド使いじゃねーよ(笑)。おもしろいこと言うよな。私もそんなコメントができる人になりたい。
冗談はさておき、大和、じーぶーの言うとおりですね。ゲームセンターが社交場として機能していた古き良き時代でした。
―― 皆さん、ゲーメストでライターをすることになった当時は、まだライティングのご経験はおそらくなかったと思うのですが、いきなり文章を書き、攻略を解説するというのは苦労しませんでしたか?
ぜんじ 同人誌に近いものを地元で書いていたことがありました。もともと文章を書くのが好きだったので、それほど苦労したという感覚はなかったです。
GOD鈴木 自分の場合は酷かったですね(笑)。編集部に連れてこられたその日その場で攻略記事を書かされ、それがそのまま誌上に掲載されたという。恐ろしい話です。自分も文章を書く、表現することは好きだったので、その点では良かったですね。
じーぶー 人に見せるわけではなかったのですが、自分用に『スカイキッド』のマップを書いたり、『沙羅曼蛇』の攻略をコマ図付きで書いていました。なので、初めて攻略記事を書いたときも、すんなり書けた記憶があります。
SPY大和 今、過去に自分が書いた記事を見たら、めちゃくちゃ恥ずかしい。というくらい酷いですね、ほんと(笑)。
―― 当時は原稿用紙に手書き、というのが当たり前の時代だったので、修正しようとすると大変で時間もかかり……とても大変だったと思います。
SPY大和 そうでしたそうでした。手書きだったんですよね。で、字が汚なすぎて、有名な誤植が生まれまくりました。
GOD鈴木 インド人を右に! 「このようにかせぐのだ」にしろ、今となってはインターネットミーム化しているのが凄いですね。
SPY大和 ハンドル→インド人 ってわかる人どれだけいたのやら(笑)。
じーぶー 攻略記事の内容に関しては、編集の方々がくわしくないこともあって直されることはありませんでしたね。てにをはを直されるくらいで、書いたそのままが本になってしまっていたので、文章としてはおかしいものが残ってしまっていたと思います。
ぜんじ 当時は手書きが当たり前だったので、むしろキーボードを使うようになって楽になったという感覚でした。対戦格闘ゲームのブームが来る前はそれほど忙しくなかったので、じっくり書けた気がします。
GOD鈴木 流石ぜんじさんのコメントは大人ですね。私もそんなコメントができる(以下略)。
『グラディウス』との出会い
―― 1985年に『グラディウス』がリリースされましたが、いつ頃、どのような形で出会いましたか? またそのときの印象なども教えてください。
GOD鈴木 発売当時から普通にプレイしていました。当時はゲームセンターに出入りする一般プレイヤーとしてですが(笑)。
後にゲーメストに参加して印象に残っているのは、『グラディウスIII』のときにKONAMIのプロデューサーだった町口浩康氏にゲーメストでインタビューしたとき、『グラディウス』(初代)はまだ開発段階のとき、「社内では世界観が統一されていない、ちぐはぐで良くないのでは」といった声が挙がっていたというお話。
―― 社内では、そういう受け取り方をされていたんですね。
GOD鈴木 『グラディウス』といえば逆火山ステージ、細胞ステージ、要塞ステージといった呼称の通り、バラエティに富んだ面構成が特徴。しかし当時は社内でもそれに違和感を唱える声があったというのが興味深いと感じます。言われてみれば、ですが、当時はそんなゲームなんてなかったわけで。
ちょっと大げさな話になってしまいますが、それまでになかった物が世に出るときは社内からも反対意見は出てくるもので、例えば有名な話として SONY の「ウォークマン」も初代が企画されたとき、SONYの社内では、録音機能がない製品なんて不完全な代物を出すのは恥ずかしいという批判的な声があったと聞きます。
などと偉そうに語ってしまいましたが、当時一プレイヤーとしてゲームセンターで遊んでいたときは、これはこれでそういう物として深く考えもしていなかったですが(笑)。単純におもしろいゲーム、ということで遊んでいました。

―― ぜんじさんはいかがでしょうか?
ぜんじ 『グラディウス』を見たのは、行きつけのゲームセンター、大船キャロットに入荷したときでした。とにかくグラフィックと音楽が素晴らしく、一瞬で引き込まれました。やはりステージごとの違った雰囲気が良かったです。次にどんなステージが出てくるか本当に楽しみでした。当時は(コンティニューというシステムがなく)実力がないと先の面が見られなかったので、攻略するしかなかった感じです。
じーぶー 『グラディウス』を初めて見たのは、1985年のゴールデンウイーク。場所は、プレイシティキャロット新宿でした。ちょうどロケテストをやっていて、たしか1面がストーンヘンジだった記憶が。あの水色のレーザーを見て、Atariのゲームかと思いました。
GOD鈴木 あの頃の ATARI は輝いていましたねぇ(遠い目)。
―― 大和さんはいかがですか?
SPY大和 当時はまだ学生だったので、ほんとにただの一プレイヤーでしたね。つまらないかもしれませんが、特別な記憶はあまりなく……。
―― ゲーメストといえば攻略、というイメージですが、攻略記事を担当されたかたも、またされなかったかたも、おそらく『グラディウス』は結構プレイされたと思います。当時の思い出や、攻略で苦労した点などをお願いします。
GOD鈴木 やはり、めぞん一刻氏の存在が大きかったですよね。当時博多から上京してきた彼が博多パターンを関東、東京に持ち込んだのがエポックメーキングでした。
当時は今と違って情報の流通が遅かったので、関東では知られていなかった情報も多かったんですよね。それでゲーメスト編集部でも彼を起用して攻略記事をということになったと。確か「めぞんを引き出せ」なんて煽り文句まで掲載して攻略記事を予告したと記憶します(笑)。
―― そんなことが……。
GOD鈴木 ですが当時のゲーメストって同人誌に毛が生えたようなレベルで、めぞん氏の攻略記事も上手く昇華させることができず、記事の仕上がりに不満を持っためぞん氏が早々に見切りをつけてしまうことになったのは残念だったというか申し訳なかったというか。確か 2面のザブ避けまでですよね、めぞん氏が携わったのは。
―― めぞん一刻さんは、どのあたりまで関わっていらっしゃったんですか?
GOD鈴木 以降はめぞん氏の弟子(?)じーぶーが攻略記事を引き継ぐことになると。でも内容的にはめぞん氏が持ち込んだ博多パターンを記事にすることができたので良かった思います。
じーぶー 『グラディウス』のモーニングミュージックを聴くために、開店と同時にゲーセンに行ったりしていました。個人的に攻略で苦労したのは、3周目以降の2面最後のザブ地帯です。ここをノーミスで抜けられればその周は勝ったも同然なのですが、ザブは撃ち返してくるし、避けようとしてもザブの動きが速くて激突してしまう。当時、巣鴨キャロットに来ていた野崎敬二氏のザブ避けのパターンを見てアレンジしたところ、かなり安定して避けられるようになりました。ただここを抜けられても、4面の逆火山の場所は復活できませんでした。めぞん一刻氏の復活パターンを見るまでは。
―― 攻略記事を書かれていたじーぶーさんも苦労なさったんですね。
じーぶー GODさんのおっしゃるように、ゲーメストのめぞん氏の『グラディウス』の記事は、ザブ避けまででした。ボクは、めぞん氏の弟子だったのかな?(笑) どういう経緯で、自分が彼の記事の続きを書くようになったのかは忘れてしまいましたが、めぞん氏のプレイを記事にできたことには意味があったと思います。彼のプレイ動画(一部では有名な、逆さグラディウス動画)を見ながら、コマ図の下書きを描いたのはいい思い出です。
めぞん氏には、巣鴨キャロットで『グラディウス』の復活パターンの個人指導をしていただきました。だから、彼の弟子のひとりと言えるのかも。
GOD鈴木 当時ゲーメストのライターでもあった VAX-糸山君が、めぞん氏に初代グラディウスを教えてほしいと依頼したところ、めぞん氏の時間の都合がつかず、そこで一番弟子のじーぶーを行かせた、というエピソードがあった記憶が。
とはいえ、VAX-糸山君も後に「自称めぞん氏の一番弟子」を名乗っていたし、たくさんいろうですね、弟子は(笑)。めぞん氏の人柄もあり、多くの友人に囲まれ交流が広かったのでエピソードに尽きないですね。
じーぶー そんなこと、ありましたっけ。忘れてます(笑)。
SPY大和 どこでも復活できるのか、すげーすげー!って時代になったせいで、ある名プレイヤーのノーミス1000千万がいじられネタになってしまったというのが、わたしの中ではおもしろエピソードとしての思い出です。それまでは、ノーミスかよやっぱあいつすげえな、だったのに(笑)。そして、「死ななきゃ1千万」という、いじりネタも生まれました。
『グラディウス』といえば“復活パターン”
―― 『グラディウス』といえば、復活パターンを思い出す人も多いかと思います。ご自身で見つけたもの、他人が発見して驚いたもの、など、印象に残っているものはありますか?
GOD鈴木 初代『グラディウス』の復活パターンの定石としてあるのは、ハッチ雑魚の弾避けがあると思います。
復活時、ハッチ雑魚は自機に対して Y座標をずらして横に移動します。つまり自機のすぐ上を通過するのだけど、その際に敵1匹につき必ず1発の弾を撃ってくるので、それを自機を横に動かして避けると。逆火山なら少しずつ引いて弾を避けるし、1面最後や最終面ハッチ地帯はレバーを横に入れっぱなしでスルスルと避けられるのが芸術的で。
『グラディウスII』以降になると雑魚が撃つ弾も増えるので、初代『グラディウス』ほどの綺麗なパターンにならないんですよね。
―― 美しい弾避けですね。




GOD鈴木 ただそういったセオリーに反する復活パターンもあってそれが特に印象に残っています。
最終面ハッチ地帯の復活で床に近い高さで自機を左に引いて、自機の上を通過するハッチ雑魚の弾をやり過ごすパターンがあって、最終的に画面左端に自機は行きついてしまい、その上をハッチ雑魚が通過するのに何故か弾を撃ってこないという。初代『グラディウス』の復活パターンの常識を覆すパターンだったので驚かされました。
じーぶー 自分も、GODさんと同様、1面最後と最終面ハッチ地帯のレバー入れっぱなしで死なない復活パターンに感動しました。
ぜんじ 当時編集部にKONAMIさんからお借りした『グラディウス』の基板があって、いろいろな人が復活パターンを試していた記憶があります。その頃GODさんが、ストーンヘンジのザブを左右にレバーを入れるだけで避けるというパターンを作っていました。こっちのパターンは動き自体は単純ですが、実際にやるのはむしろ難しそうでした。
GOD鈴木 ぜんじさんの記憶に残っていたのは光栄です。
―― 『グラディウス』の1周目をクリアすると2周目がはじまりますが、その後も攻略(あるいはプレイ)は続けていましたか? 通常ですと、2周目2面の最後で苦労する人も多いかと思いますが……。
GOD鈴木 自分もやり始めの頃、巣鴨キャロットで高次周まで回している人のプレイをギャラリーしていて、2面のザブを撃たないで避けているのを見て、???でした。で、いざ自分も2周目の 2面に辿り着き、何も知らないでレーザーでザブを撃ったら普通に撃ち返し弾を食らって。何これ詐欺じゃんていう(笑)。あぁ、それでザブは撃たないで避けるんだと。
―― やっぱり、最初にそこで引っ掛かりますよね。
GOD鈴木 当時ザブ避けで苦労した人は多いと思います。半面、死ぬほどやり直すことになるので、それなりにパターンなったりするものなんですよね。画面全体を大きくグルグル動き回るパターンとか。でも微妙にパターンがすれたりして、完全にパターンにならない不思議な世界で。人それぞれのパターンがあってそれもおもしろかったですね。
―― ザブを撃つ、撃たないだと、どちらが安定したパターンになりましたか?
GOD鈴木 最終的にはフル装備バリア付きなら撃ちパターンの方が安定します。最初、画面中央右端に位置し、適当にザブを撃ちながら左に下がり、左端まできたらバリアのゴリ押しで最初の右端まで移動。これを繰り返し、バリアがなくなったら即バリアを付け替え、って感じですね。一応点数稼ぎにもなるし。もっとも、めぞん一刻氏はフル装備ならバリアなしでもサブを撃って避けてましたけど(笑)。
―― バリアなしでも!
GOD鈴木 それと初代『グラディウス』の攻略記事の頃はプライベートでも本当にやり込んでいたので、復活時のザブ避けは画面下で左右の避けだけでできないものかと試行錯誤してみたり。パワーアップのゲージが位置の目安に使えるので。一応それもある程度パターンになっていましたね。
ぜんじ 自分だけレベルが低くて残念なのですが、2周目の2面ストーンヘンジの最後がまともにクリアできていません。ごまかしながら進んで、3周目の1面が最高到達地点です。
じーぶー 上手い人のプレイを見ていたので、2周目をクリアするまでは、すんなり行きました。当然のごとく、3周目2面のザブ地帯でハマりました。3周目以降の2面のザブ避けのパターンが確立してからは、8周目4面までは自力で。高次周の4面の逆火山では、復活できずに終わってました。めぞん氏に出会って、すべての場所の復活パターンを教えてもらい、習得してから、やっと1000万点を出すことができました。
GOD鈴木 めぞん氏と出会う前、自分は 5周目 4面が自己ベストでした。しかも死んだら復活できないしで。じーぶー同様、私もめぞん氏のお陰で 1000万達成となります。
―― 1000万点達成者は多かったのでしょうか。
GOD鈴木 当時編集部内で達成者は、じーぶーと私の2人だけでしたね。
続いてリリースされた『沙羅曼蛇』
―― 話題を『沙羅曼蛇』に移します。『グラディウス』の翌年(1986年)に『沙羅曼蛇』がリリースされました。本作との出会いや、最初に受けた印象などについて教えてください。

SPY大和 大人気ゲームだった『グラディウス』の続編が出た!ってことで、まわりのゲーマー友だちは皆、テンション爆上がりでした。自分はというと、『グラディウス』は下手くそでしたので、発売初期の頃は俺が俺がっていう感じではやってなかったです。
GOD鈴木 さっき言いました町口浩康氏のインタビューで、当時、氏が『沙羅曼蛇』は『グラディウス』シリーズには含めたくないとおっしゃっていたのが印象に残っています。そりゃ違うゲームですからねぇ(笑)。
『沙羅曼蛇』って専用筐体も用意されていましたよね。それもテーブル筐体とアップライト筐体。KONAMIさんもかなり力を入れていたんだなと。でもレバーが曲者で、いくらメンテナンス、調整しても中々いい具合にならないと当時巣鴨キャロットの店員さんがこぼしていたのが印象的で。
ぜんじ 町口さんは『沙羅曼蛇』に対し、「アイテムを取って即パワーアップするのではグラディウスシリーズとは言えない」と言われていた記憶があります。プレイヤーが自由に選んでパワーアップする、『グラディウス』独特のパワーアップシステムにこだわりがあるんだなと思いました。
―― 当初はKONAIさんも『グラディウス』と『沙羅曼蛇』を区別していましたが、シリーズが広がりを見せたことからなのか、近年では同一シリーズとして扱われるようになっていきましたね。
さて、その『沙羅曼蛇』も『グラディウス』同様にかなりプレイされましたか?
GOD鈴木 一応かなりやり込んだのですが、5周目2面で心が折れました。
3周目以降は 5面が鬼門であるのは当然ですが、5周目以降は 2面もかなり厄介なんですよね。当時 ACU-Y.N氏――後の沙羅曼蛇 1000万達成一番乗り――も巣鴨キャロットで 5周目だったか 6周目の 2面で負けて。ハイスコア申請ノートにも「2面は嫌いだ」と書き込んでいたぐらい。
ぜんじ 『グラディウス』シリーズはほぼすべて挫折しており、『沙羅曼蛇』は3-5で挫折しました。3-5の前半と、後半のベルベルムがパターン化できなかったです。また最終面のシャッターを毎回確実にミスなく進める自信がありませんでした。残機が限られているので。
じーぶー SPY大和氏のプレイを地元ゲーセンで見せてもらったおかげで、11周目2面までは行けました。11周目2面のファイヤーガイストの弾?に当たって2回も死んだので心が折れてしまい、結局、標準設定では1000万点を出していません。高次周の2面が鬼門でした。
SPY大和 わたし、公式では9,957,200点以来、結局1千万達成してないんですよね……5機設定2ミスでなら1千万出しているのですが、もちろん誰も認めてくれるわけもなく(笑)。
GOD鈴木 あれ、そうだったんだ。それも知らなかったかも。
わざわざKONAMIさんの事務所に『沙羅曼蛇』を用意していただき1000万達成を行い、ゲーメストにスコアの写真を掲載したはずだけど。もしかしてそれが 5機設定2ミス?
SPY大和 いえ、巣鴨ですね。巣鴨も後には5機設定になってしまって。ちなみに、御旅屋さんにも達成の瞬間を見てもらいました。いや、だから5機設定2ミスでは達成って言わないのってツッコミはなしでお願いします(笑)。

―― 当時の攻略のスピードは凄まじいものがあり、『沙羅曼蛇』も初日に1周どころか2周目クリアも出たといいます。
SPY大和 わたしは主にプレイシティキャロット巣鴨店で名プレイヤーのプレイを見ていましたが、3周目5面到達はあっという間でしたね。ただ逆に、3周目5面から先に進むまでは、何日もかかった印象です。
GOD鈴木 初日に2周目クリアは当時自分は確認できていないのですが、十分可能というか、そんなものだったと思います。少なくともベーマガの初回集計では 3周目の 5面まで出ていましたし。
大和の説明とも被りますが、初期の頃はこの高次周の 5面が鬼門でした。後半、自機のまわりを囲むザブが 6回出現する場面で、1、2周目であればオプションを張って撃てばいいだけですが、3周目以降はザブの撃ち返しがあって厄介なんですよね。
スコア争いの世界でも、初期の頃はそこで停滞していた時期がありました。
そうなると 3周目の 5面までにどれだけ高いスコアを出すか、みたいな競争になっていた側面があり、点稼ぎがどんどん進化していっておもしろかったですね。
―― なるほど。
GOD鈴木 残機が増えないゲームなだけに、1000万達成にかかるプレッシャーが半端ないですが、より点効率が高い方がより少ない周回数で達成できるし楽になるので、点効率の追求は攻略初期の段階だけでなく、ずっと続くテーマでした。それこそ「このようにかせぐのだ」の迷言まで生まれたのは、ある意味必然でしたね、真面目な話。
―― 他に『沙羅曼蛇』で泣かされた場所はありますか?
GOD鈴木 前述の 5面ザブ。攻略法がわかってしまえば簡単。囲んでくるザブの隙間があるので、左右に移動してかわせば良いだけだという(上下でも可)。しかし当初、関東ではそれに気づく人がしばらく現れず(めぞん氏の話では博多では偶然初期の頃から判明していたそうだけど)。
それで当時異常に弾除けが上手いことで知られていた 野崎名人は普通にザブを撃って弾を避けていたそうだけど(ザブ避けのパターンは、このときまだ知らなかったらしい)、流石に 5周目辺りになると撃ち返し弾が多すぎて(反射神経だけでは)避けられなかったという話を聞いたことが。凄すぎて逆に笑ってしまうという。
―― 凄い領域に突入していますね……。
GOD鈴木 それともう1点。囲みザブは1発目は左に移動して避け、後は右、左、右……と繰り返していくだけの簡単なお仕事なんだけど、問題は最初の1発目。
つい勇み足で囲みザブが現れる前からビビッて左移動を開始してしまうと、ザブが出現したときは画面左端に行きついてしまっていて避けられない、という初歩的な事故がありがちだったりして。大和曰く「先に動いた方が負けだ」。
―― (笑)
GOD鈴木 そこで最初は画面右上に自機を配置し、レバーを左上に入れることでジリジリと左移動し、囲みザブが現れた瞬間、さっとレバーを左に入れる、という安全策があり、ACU-EPS氏(1000万達成者)はそんなスタイルでした。観ていて感心しましたね。スコアラーの英知って凄いなと。
―― 細かい部分まで工夫されてるのですね……。
GOD鈴木 前述の、高次周では鬼門だった 2面も右上斜めにオプションを張って画面左下に自機を配置する攻略的フォーメーションが開発され、それで安定するようになったんですよね。そちらも見ていて感心しました。
『沙羅曼蛇』ではミサイルによって当たり判定を抜いてしまう攻略法があり、有名なところでは最終面の赤玉や3面のドラゴンの胴体などですが、2面の隕石も当たり判定を抜くことができて、前述のフォーメーションではその点でも有効なことがポイントなんですよね。

SPY大和 思い出と言えば、実はSPYの名前の由来となったゲームでもあります。『沙羅曼蛇』の内容から取ったわけではないので、ちょっと違うかもしれませんが。
前述したプレイシティキャロット巣鴨店での、名プレイヤーのパターンを見ては、地元のプレイヤーに情報を流していたことがきっかけで、有名ゲームサークルのとある人物からスパイと呼ばれるようになりました。そのとき(開き直って)ペンネームも変えたっていう経緯ですね。
ちなみに、スパるという言葉があったのですが、その言葉を生み出したのもその某氏となります(元々は「スパイする→スパる」だったのですが、後には、スパイをするというよりは、人のパターンをパクる、という意味合いになってました)。
GOD鈴木 改名前が「大和和大」じゃなかったっけ? でもそれもその場の思い付きだったんでしょ。適当だよなぁ(笑)。
SPY大和 ああっ……改名前のそれ、自分の中では黒歴史なので忘れてほしかった(笑)。芸人に三又又三ってのがいて(以下略)。
―― しっかり掲載させていただきます!
じーぶー 『沙羅曼蛇』の3周目以降5面最後のザブ避け。左→右→左→右→左→右と避けるパターンを発見したのは、N藤くんというのは本当ですか?
SPY大和 少なくとも、巣鴨で披露したのはN藤くんですね。これ、ちょっと複雑な話になりますが、初めてわたしの耳にその避けの話を入れたのは、S.Jという人物で、わたしはそれでS.Jが発見したものだと思っていたのですが、実のところは、S.JはN藤くんがそうやってたっていうのをわたしに伝えただけで、自分で発見したとは言ってなかったんですよ……。当時のN藤くん、無名でしたので、なおさらわからんかった。
じーぶー 大和さんから聞いた話だったのかな。『沙羅曼蛇』の左右避けの話題になると、N藤くんの名前が出ます。ザブの隙間が見えたと聞いて、すげーと思いました。当時、中学生だったはずです。すげー人は違いますね。
SPY大和 ゲーメストにS.Jが発見したとか書いてしまったような記憶が……時効かもですが、結構炎上案件的だな……。
GOD鈴木 この件は私も初耳。掘り返すとまだまだいろいろと出てくるのですね。『究極タイガー』辺りですかね、N藤が頭角を現してきたのは。
SPY大和 わたしが注目するようになったのは、『怒首領蜂』からですかねえ。
GOD鈴木 『怒首領蜂』は凄かったですね。ゲーメスト・ビデオにもなったし。全一のプレイが皆様のご家庭で鑑賞できる。当時は画期的でした。
そうそう、ゲーメストで大和が担当した『沙羅曼蛇』の攻略記事。最終面、シャッターを抜けるパターンが実は間違っていたそうだけど、大和が「でも指摘する人(読者)誰も居ないんだよなぁ」と言っていたのが印象に残っていますね。いい加減な部分もあり、極端にマニアック過ぎて読者が置いてきぼりみたいな部分もありで。よくあんな雑誌が成立していなと。というか成立していなかった気もするけど。
国内向けにアレンジされた『ライフフォース』
―― 『沙羅曼蛇』には、『ライフフォース』(海外版ではなく、1987年にリリースされた『沙羅曼蛇』の国内向けアレンジ版)というものもあります。こちらは、いかがでしたか?

SPY大和 もちろん、飛びつきました。『沙羅曼蛇』の攻略の応用が効くのもそうですが、自分のタイミングで自分が選んだパワーアップをできるという点が戦略的におもしろく思いました。あと、残機のエクステンドがエブリになったので、1000万点攻略は沙羅曼蛇と比べて非常に楽になりました。
GOD鈴木 当時、仲間内でライフフォースのロケテを見に行きましたが、グラフィックで拒否反応を示す人が多かったですね。あくまでも内輪の意見ですが。
ただ、『沙羅曼蛇』と違ってエブリ設定なので、それなりにやり込めば長時間遊べるようになるので、やっている人はやっていましたね。大和の言うとおりで。
それと BGM が良かったですね。そこは流石KONAMIさんです。4面のBGM「Slash Fighter 」は今でもスマホのアラームに使わせてもらっています。『グラディウス』シリーズは 4面が神曲揃いなんですよね。
ぜんじ 『沙羅曼蛇』は当時としては見た目のインパクトが凄くて、みんなが惹きつけられました。それに比べると『ライフフォース』は良いゲームだと思うのですが、どうしても後から出たぶん、『沙羅曼蛇』のインパクトには及ばなかったという感じです。好きな人ががっつりやりこんでいたイメージです。
じーぶー ビックバイパー(青)のほうがカッコいいからと、パワーアップ的には難しい青プレイヤーでやってる人いましたね。1000万点を出せなかった自分でも、エブリ設定のおかげで、パワーアップ的に簡単なロードブリティッシュ(赤)のほうでは、1000万点を出せました。ぜんじさんのようには、大局的にゲームを見ていればなぁ。自分は薄いコメントばかりで悲しくなります(泣)。

誰もが待ち望んだ『グラディウスII』が登場
―― さて1988年には、待望の『グラディウスII』がリリースされます。こちらは春のAOUで突然、発表されたのだったと思いますが……。
ぜんじ これは自分の本(ゲームセンターを10倍面白くした本!)などでも書いているのですが、この回から新声社がAOUショーに出展することになりました。前日搬入で会場に行ったのですが、そこでKONAMIブースに置いてあった『グラディウスII』を目撃しました。興奮して編集部に戻ってきた記憶があります。それまで新作情報やロケテストなどの情報もまったく入ってきていなかったので驚きました。
どこから聞きつけたのか、翌日にはもう全国からマニアが会場に集結していました。80年代では、このときがいちばん盛り上がったショーだったと思います。
GOD鈴木 当時 AOU にはゲーメストも出展していた関係で行きました。『グラディウスII』のブースに行くことはできなかったのですが、やはりマニアが集結してやり込んでいたようですね。テトランが横スクロールで出てきた、なんて情報が人づてに伝わってきたぐらいで。つまりそれってボスラッシュ面まで到達していた人がいたってことで(笑)。
―― その時点で、そこまで攻略されていたんですね……。
GOD鈴木 テトランは『沙羅曼蛇』2面が初登場なので(縦スクロール面)、『グラディウスII』のボスラッシュで横スクロールで出現するのが当時は妙に目新しくて、そんなことでも盛り上がったりしていたのは良い時代でしたね。

―― 実際にリリースされてからも攻略は続けていたのでしょうか?
GOD鈴木 初代『グラディウス』同様、『グラディウスII』もKONAMIさんのご厚意で基板をお借りすることができました。もちろん単に遊ぶためではなく(笑)、記事作成のためです。ビデオカメラで撮影しつつゲーメスト攻略ライター総出でプレイしましたね。撮影といってもライン入力ではなく画面の直撮りという原始的な方法でしたが。
―― メーカーさんから基板をお借りする以前は、どのように攻略をしていましたか?
GOD鈴木 それまで攻略法担当者は普通にゲームセンターでプレイしていたものでしたね。ゲームによっては編集部内に基板が用意されて、というのはこの辺りからだったでしょうか。
もちろん記事にするすべてのゲームの基板をお借りできるようになったのではなく、それだけ『グラディウスII』は特別な存在だったのでしょう。
―― 攻略を続ける中で印象に残っていることはありますか?
GOD鈴木 攻略法担当だったじーぶーが 1面の稼ぎパターン(できるだけ道中のドラゴンを倒す)を作るのに悪戦苦闘、延々と 1面だけ繰り返しプレイしパターン作成を試行錯誤していたのが印象に残っています。
単に楽しんでプレイする、ではなく究極の攻略法を追及していくと、そういった突き詰めたプレイ、もはや作業? 苦行の世界。大変だよなぁなど思いながら見ていました(笑)
。ゲーメスト編集部内輪の話になってしまい恐縮ですが、そんなことも改めて思い出しました。

―― 本作はパワーアップのタイプが4つ、シールドにも2つのタイプがありました。1周クリアするだけならともかく、ハイスコアのための点数稼ぎとなると、どれを選ぶのがいいか試行錯誤されたと思います。
GOD鈴木 前方のみ防ぐことしかできないが耐久力のあるシールド、通常弾 3発しか防ぐことができないが全方位を守るフォースフィールド。これだけでもどちらが有利であるか初期の頃は議論になるレベルでしたが、結局は後者に軍配が上がるようですね。
でも1000万点プレイヤーレベルの方の話として、フォースフィールドが最弱(あと 1発しか防ぐことができない状態)になったとき、わざと敵弾にぶつけ削って張り直す、という局面がちょくちょくあるわけですが、1発だと思っていた敵弾が実は綺麗に 2個完全に重なっている場合があるそうで、それに最弱のフォースフィールドで当たりに行ったら死んでしまったと(笑)。
―― (笑)。
GOD鈴木 冗談みたいな話ですが、そんな「事故」が稀にあるそうです。長時間ゲームなだけにいろいろとあるみたいで、やり込んでいた方の話を聞いているとおもしろかったですね。
本題から逸れますが、攻略法で印象深いのは高次周 4面最後の復活。『グラディウスII』がリリースされてまだ間もない時期にゲーメストの取材で名古屋に取材で行く機会がありました。その際、名古屋在住の GMC-ZEUS氏――初代『グラディウス』のベーマガ集計で、ACU-Y.N氏と並び最初に1000万を達成した方――とグラディウスIIについて直接お話しする機会がありました。
当時はまだまだ攻略法が未成熟だった時期で、東京、関東でも 2周目の 4面の最後の復活に成功した例は聞いたことがなかったのですが、GMC-ZEUS氏はそれに成功したことがあるとおっしゃっていてびっくりしました。パワーアップカプセルが出ないのでゼロ速での復活となり、かなり難易度が高い場所なんですよね。
ところが GMC-ZEUS氏曰く、折角復活できてもボス(デス Mk-II)が強くて歯が立たなかったそうで、それには笑ってしまいました。デス Mk-II は上下に素早く移動し、太いレーザーを吐いてくるのでゼロ速では避けられないと。
ゼロ速でボスまでたどり着くのも凄いですが、結局ボスで負けるんだと(笑)。当時、私が知る限り関東でその局面に辿り着いた人間がまだ居なかったので、あぁそうなってしまうんだと妙に納得感心しました。
さらにその後、実はデス Mk-II の動きはランダムではなく、何回動いてはレーザーを吐くのかはパターンが存在する、動きが決まっていることをゲームブティック高田馬場の常連が見つけて。それによって高次周の復活でゼロ速でも避けることが可能になったんですよね。マニアの攻略の凄さを、執念深さ、不可能を可能にする、を垣間見ることができて印象に残っています。
―― 凄いエピソードですね。
じーぶー 攻略が楽な4番装備で、ずっとやっていました。フォースフィールドを付けて。前方のバリアだけだと不安で、自機の全体をカバーするフォースフィールドにしていました。耐久力は、弾3発分なのに(笑)。
当時は、1周あたりの点効率を高めるよりも、安定したパターンを作り、周回を重ねることを優先していました。
それにしても……『グラディウスⅡ』も、今はすべての箇所から復活できるんですよね。マニアの探求心には感服するばかりです。
GOD鈴木 復活パターンも凄かったですね。それと、モアイ面のリング稼ぎも後に異様に極まっていて。点数稼ぎでの突き詰め方も凄かったですね。 > マニアの探求心

アイデア募集も行われた『グラディウスIII』
―― さらに翌年(1989年)には『グラディウスIII』が登場します。こちらはゲーメストの誌上でアイデア募集が行われましたが……。
GOD鈴木 てっきり読者投稿のアイデアでゲームが組み立てられる流れになるかと思いきや、KONAMI開発者サイドとしては一般プレイヤーの方が思いつく物のさらに上を行かなければダメだ、という意気込みがあったようで。そりゃそうですよね。ただ応募されたものが全部が没になったわけではなく、光るアイデアはアレンジされて実際に採用されているようです。
ぜんじ 当時『グラディウス』シリーズの新作への期待感がとても高まっていたので、KONAMIさんとしては付き合いのあるゲーメストとともに盛り上げようという感じだったと思います。最終的に1000通を超える応募があり、プレイヤーを巻き込むという意味では、良いイベントだったのではないでしょうか。
ちなみにこのコンテストのアイディア賞の入賞者の中には、関東でも有数のハイスコアラーがいました(笑)。
GOD鈴木 え、そうだったの? それは初耳かも。

―― 『グラディウスIII』には、パワーアップにはタイプセレクトだけではなくエディットモードが導入されました。
ぜんじ 個人的には、エディットモードはバランス調整が難しそうだ、というのが初見の感想でした。思い切った試みでしたね。シリーズも3作目ということで(『沙羅曼蛇』もありましたし)、新鮮さを出すのが大変だったのではないかと思います。当時自分はGODさんとX68000のシューティングを制作していたので、作り手の目線になってしまっているかもしれません(笑)。
―― 9面のキューブラッシュに泣かされたプレイヤーも多かったと思います。
GOD鈴木 9面のキューブラッシュは鬼でしたね。初期の頃は本当に安定しなくて。しかし、最終的にはパターンになったというか、パターンが解明されたのもマニア恐るべしですね。キューブの出現パターンは 16通りあって、最初の1発目がどの位置(高さ)から出現するかで、どのパターンであるかがわかる、だったかな。もちろん、各出現パターンに応じたパターンを作る必要があるので、それでも難儀な話ではありますが。
関東は左下、関西は左上に自機を置くのがセオリーだったかな? 関東と関西でなぜか流儀が異なっていたのもおもしろかったですね。
ぜんじ 自分はこのステージまで行けなかったのですが、キューブラッシュのアイデアは凄いと思いました。いつ壁をキューブがすり抜けてくるかハラハラしながら、巣鴨キャロットでよく見ていたものです。
有名なハイスコアラーがこのキューブをひたすら避けようとして無理だったので、それを見ていたマニアたちが「彼でダメなら別の方法を考えよう」ということになった、という話を聞きました。
しかし当時知人から、飛んでくるキューブを全部避けたことがある、という話を聞いた記憶があります。そのときは信じていなかったのですが、現在ではキューブをすべて避けることも一応可能とされているみたいです。

―― 本作ではバグがあり、ゲーメストやベーマガでのハイスコア集計が(ビギナーモードを除いて)終わってしまうという事件がありました。
SPY大和 メーカー側は触れられたくないかもしれませんが、自機が無敵になるバグがあったんですよね。しかも、割と簡単に狙えてしまうという。
GOD鈴木 3D面のバグだっけ?
SPY大和 ここではやり方はくわしくは触れませんが、GODさんほぼ当たりです。
ぜんじ ハイスコア集計は徐々に競技としてしっかりしたものになりつつあったので、打ち切りは仕方なかったと思います。でも別に上手い人の価値が下がったわけではないと思っています。『グラディウスIII』というゲームと、それを1周することのできるプレイヤーのカリスマ性みたいなものは、当時より近年のほうが高まっている気がします。
GOD鈴木 レゲーの中で今でも 1周できるだけで凄いとされているのが『グラディウスIII』と『達人王』でしょうか。何せ 1周が長いんですよね(笑)。
ぜんじ 『グラディウスIII』は1ステージが長く10ステージ+αあります。お店のインカムの面ではステージが長いのは不利ですが、プレイヤーとしてはやりごたえがあります。作品としての価値が高く、そこがカリスマ性に結びついているのではないかと思います。
GOD鈴木 1周クリアするだけでも大変。更に高次周になると鬼で。上級プレイヤー(N藤氏)でさえもモアイ面のボスで瞬殺だったとか。
そもそも、相当の腕でなければそこまで辿り着けないわけで。そんな人間でさえも瞬殺って難易度設定が間違っているでしょう(笑)。とにかく凄まじいものがありましたね。
―― 最後になりましたが、8月7日に『グラディウス オリジン コレクション』が発売されることになりました。17年ぶりの新作である『沙羅曼蛇Ⅲ』も収録されます。
ぜんじ 『グラディウス オリジン コレクション』ですが、忠実な移植だけでなく、ユーザーフレンドリーな様々なモードが付け加えられているようです。自分たちはゲーセンで100円を投入し、一期一会のひりつくようなプレイをしてきましたが、今、家で遊ぶならいろいろなモードがあったほうが良いと思います。
『沙羅曼蛇2』に関しては、『沙羅曼蛇』とはやや方向性が違うところがあり、好みが分かれると思います。今となってはプレイできる環境はなかなかないので、今回収録されたのは良かったのではないでしょうか。
個人的には、『沙羅曼蛇』が正統進化した作品をプレイしたいという思いがあります。PVで見る限りでは、『沙羅曼蛇III』はその方向性を目指していると思うので期待したいです。
―― 本日は、貴重なお話をどうもありがとうございました。
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『グラディウス オリジン コレクション』8月7日(木)発売!
今年40周年を迎える「グラディウス」シリーズの集大成として、2025年8月7日(木)に『グラディウス オリジン コレクション』を発売することが決定いたしました。
『グラディウスⅢ 伝説から神話へ』の「日本AMショー版」、2Dーシューティングゲームとしては17年ぶりとなるシリーズ最新作『沙羅曼蛇Ⅲ』などを加えた、全7タイトル18バージョンを収録。
巻き戻し、クイック・セーブ/ロードはもちろん、イージーモード、無敵モード、トレーニングモードなど、幅広いプレイヤーに楽しんでいただける機能が満載。
くわしくは、こちらを!

