『オホーツクに消ゆ』ファンミーティング・初夏のひがし北海道ツアーレポート
「MOTレール倶楽部」代表・石黒明さんインタビュー
ファンミーティング終了後、「MOTレール倶楽部」代表の石黒さんに少しお話を伺いました。

―― MOTレール倶楽部を設立された年は?
石黒 2010年です。鉄道が好きな人たちが有志で集まった団体になります。
―― そのときからJR北海道や各自治体と連携をとって活動をされているのですよね。わたしは実際に流氷物語号に乗車したり今回のイベントに参加してみて、その企画力と実行力に驚かされています。ツアー中にいただいた『オホーツクに消ゆ』の限定グッズもファンのツボをつく内容ですよね。
石黒 自分がほしいものを作るという発想でやっています。各グッズのデザインは、ぼくがやっているんですよ。それをキーホルダーにしたり紙に印刷するのは各業者さんに外注しています。

©G-MODE Corporation/©ARMOR PROJECT ©KADOKAWA
―― 流氷物語号の車内で「流氷物語号×オホーツクに消ゆ スペシャルMIX」のアナログレコード+CDが販売されていましたが、こちらのデザインも石黒さんがされているのですか?
石黒 ジャケットやレーベルのデザインは、ぼくが全部やっています。レコードをプレスする会社は作曲をしていただいた上野利幸さんに見つけてもらいました。この辺りは役割分担をしています。

―― 『オホーツクに消ゆ』に関連したツアーとファンミーティングは2021年から始まって今回で4回目となりますが、そもそも行おうと思った動機というのは?
石黒 流氷物語号を乗りに来ていただいたからには、ただ列車に乗っているだけではなく『オホーツクに消ゆ』の舞台となっている各地を巡ってもらいたいじゃないですか。流氷シーズンではあるのだけど、状況によっては網走に来ても必ずしも見られるとは限らない。この時期に見られる確率が高いのは知床なんですよ。知床に行っても見られない場合もあるけど、それは運が悪かったと割り切って。
―― 自然が相手ですからね。仮に流氷が見られなくても、ゲームの舞台を巡ることができるのはファンには嬉しいですよね。
石黒 ええ。知床などゲームの舞台を巡りながらファンが交流する場づくりをしたくてツアーを始めました。
―― 石黒さんは今おいくつですか?
石黒 48歳です。昭和52年(1977年)生まれですね。
―― だとすると『オホーツクに消ゆ』をはじめてプレイされたのは小学生の頃ですね。
石黒 はい、ファミコンで遊びました。
―― ちなみに最初に遊んだファミコンソフトは?
石黒 『エキサイトバイク』です。
―― そこからいろいろゲームを買われていく中に『オホーツクに消ゆ』もあったわけですね。
石黒 そうです。ゲーム雑誌の紹介記事が『オホーツクに消ゆ』との最初の出会いでしたけど、ファミコン版じゃなくパソコン版の方なんですよ。パソコン版のおどろおどろしいグラフィックに惹かれたんですよね。子ども心に怖いんだけどおもしろそうだなとも思ったんです。
―― 推理アドベンチャーゲームは『オホーツクに消ゆ』がはじめてですか?
石黒 いや、『ポートピア連続殺人事件』を先にプレイしています。
―― 小学生の頃にプレイされて、このゲームを誰が作っているのかみたいな意識はありましたか?
石黒 どうなんだろう。当時は『ドラゴンクエスト』も遊びましたけど、小学生だと堀井雄二さんが作ったゲームという意識はたぶんなかったですね。
―― 年齢を重ねてから、誰が作っていたかを知ったということですね。小学生当時、ゲームで遊んでいた思い出について何かありますか?
石黒 本屋さんでゲーム雑誌を立ち読みして、友だちの家でゲームを遊んで。ゲームで先に進めなくなったら、また雑誌で攻略情報を見て。新しいゲームが出るとなったら、ちょっとお金持ちの家の友だちに「このゲーム絶対楽しいから買った方がいいよ!」と勧めて買わせてね。それでそいつの家に通いつめてそのゲームを遊んだりして。そういうことばかりやっていましたよ(笑)
―― 当時のゲーム好き小学生のあるあるエピソードですね(笑)。石黒さんは札幌出身で、その後に網走に引っ越されるわけですが、おいくつのときですか?
石黒 20歳だったかな。ストレートで進学すれば大学3年生になるときに網走に来たんです。高校を卒業して札幌大学に2年通っていたんですよ。その後、札幌大学を辞めて、網走の東京農業大学・オホーツクキャンパスに1年生から入り直したんです。
―― 網走に行くきっかけになったのが『オホーツクに消ゆ』だったと聞いています。
石黒 そうです。「オホーツク」というキーワードが頭の中にあったんですよね。東京農大「オホーツク」キャンパス。札幌から網走に行く特急の名前も「オホーツク」。そういうキーワードで『オホーツクに消ゆ』との繋がりを感じていたんです。
―― 大学生の頃は『オホーツクに消ゆ』をプレイすることはあったのですか?
石黒 いや、小学生以来なかったですね。
―― でもゲームで知った「オホーツク」というキーワードは頭の中に残っていたのですね。
石黒 そうです。それから、ぼくは鉄道も子どもの頃から好きだった。北海道内の駅をいろいろ調べる中で北浜駅は『オホーツクに消ゆ』に出てきたよなということを思い出して、憧れの行ってみたい駅になりました。
―― 網走に引っ越して、まずは大学生として過ごされた。
石黒 はい。まずは大学生として4年間ですね。そのときに北浜駅の駅舎の中にある「停車場」という喫茶店でアルバイトをしていました。
―― その頃から北浜駅と繋がりがあったんですね。そこから「MOTレール倶楽部」の設立を経て、今の取り組みに至る。
石黒 何でしょうね。うまく言葉にできないんですけど、何かやりたい、自分は「オホーツク」のことが好きだからもっとみんなに「オホーツク」を知ってもらいたいという気持ちでやってきた感じはあります。
―― 今回、実際にイベントに参加してみて、その想いは伝わりました。先ほどのファンミーティングで今後の「流氷物語号」についてツアー参加者の皆さんと一緒に考える時間がありました。とても印象深く感じたのですが、「MOTレール倶楽部」自体がメンバー全員で一緒に考えて行動するという発想で取り組みをされていますよね。
石黒 はい。「MOTレール倶楽部」もそうですし、「流氷物語号」と『オホーツクに消ゆ』のコラボもファンの皆さんと一緒に作っていきたいという気持ちは最初からありました。自分一人では絶対にできないので。
―― 過去3回のツアーイベントは「流氷物語号」が運行している冬でしたが、今回ははじめての初夏での開催となります。前回の2月からあまり間を置かずの開催だったので、最初に告知を見たときは驚きました。
石黒 前回のツアーが終わった直後はやるつもりがなかったんですけど、この時期にやりたいとはずっと思っていたんです。その想いが募って、急遽やろうということになりました。
―― 先ほどのファンミーティングで「流氷物語号」の今後の可能性についての話もありました。「流氷物語号」がずっと継続されると言い切れないという話題も出ましたね。
石黒 あくまでそういう可能性もあるという話ですけどね。でも仮に「流氷物語号」がなくなっても、例えば「博物館 網走監獄」と『オホーツクに消ゆ』をコラボさせるとか、そういうことはやっていけたらなと思っています。必ずしも列車と連動させなくてもいいとは考えているので。
―― 網走監獄に「べーしっ君」のパネルが設置されているとファンは喜びますよね。

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石黒 実際にゲームの舞台となっている場所に来ていただいたときに、キャラクターが動いたり喋ったりする要素があると本当はいいんですよね。それを実現させるには専門の方に力をお借りしないとならないんですけど。キャラクターのパネルがただ置いてあるよりいいなと思うんですよ。キャラクターが話しかけてくれると楽しいですよね。
―― リメイク版で声優さんによる音声が付きましたから、同じ声で話しかけてくれると確かに嬉しいです。
石黒 音声や音楽は大事ですね。上野利幸さんに「流氷物語号」関連の音楽を作っていただいたのは、やはり音楽を重視しているからです。
―― 先ほど話題に挙がった「流氷物語号×オホーツクに消ゆ スペシャルMIX」ですね。わたしも実際に「流氷物語号」が発車する直前の網走駅のホームで聴いて、旅立ちの情感を昂らせられましたから音楽の大事さは実感します。本日はお忙しい中、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
初夏のひがし北海道ツアー2日目
ツアー2日目となる6月22日(日)は、宿泊地である阿寒湖の早朝散歩から始まりました。
午前6時に集合ということで参加は任意でしたが、多くの皆さんが参加しました。筆者は起きられるかどうか怪しかったのですが、何とか目を覚ましたので皆さんと一緒に阿寒湖畔を歩くことができました。
道中、エゾシカを眺めつつ阿寒の自然を満喫。ホテルに戻り朝食をとった後、再びバスに乗って「ばしょいどう」を始めました。


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続いて訪れたのは屈斜路湖の南側にある和琴半島。
ファミコン版以降に登場する中山めぐみが浴場にバスタオル姿で現れる、プレイヤーにとっては印象深い場所のひとつです。
ツアーで訪れたのはリメイク版2024パートでめぐみと出会う露天風呂。1987年パートの浴場は残念ながら現存していません。
屈斜路湖は、周辺の阿寒湖と摩周湖に比べて大きな湖で、和琴半島から見た湖面の雄大さに圧倒されました。

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屈斜路湖からJR摩周駅へ。
リメイク版2024年パートに登場する駅です。ここでバスガイドを務めていただいた原田カーナさんが別件のお仕事があるということで離脱。原田さんのわかりやすい解説があったおかげで訪れた各地への親しみを得ることができて、本当にありがたかったです。

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続いて、摩周湖・第一展望台へ。
ゲーム中でヒロインの野村真紀子とはじめて出会う重要な場所です。ツアー当日はあいにくの霧で、残念ながら展望台から湖面を見ることはできませんでした。しかし「霧の摩周湖」という歌があるくらい、霧は摩周湖の特徴のひとつ。その霧の肌触りを現地で体験できたのは良かったとも言えます。

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摩周湖をあとにして、JR川湯温泉駅に向かいました。
この駅から網走駅までは、今回のツアーのために「MOTレール倶楽部」が用意した団体臨時列車「オホーツクに消ゆ花物語号」に乗車します。
「MOTレール倶楽部」は2019年に網走市民向けツアーの中で団体専用列車「オホーツク花物語号」を運行。2020年6月と2021年6月にも運行予定でしたが、新型コロナの蔓延で中止、その後も運行の予定を立てられない状況が続いていました。
その列車を今回のツアーに合わせ、名前を少し変えて復活させたのが「オホーツクに消ゆ花物語号」になります。
地元の大学生3人が添乗ボランティアとして加わり、川湯温泉駅を出発。同じく川湯温泉駅から加わった「MOTレール倶楽部」のスタッフによる車窓からの風景の解説を聞きながら、網走を目指します。
「オホーツクに消ゆ花物語号」の運行を事前に知って、線路沿いから手を振ってくれる皆さんが多くいらっしゃったのが印象的でした。前回のツアーに参加された方も列車の移動に合わせて網走までご自身の車で同行。前回もご一緒だった皆さんは思わぬ再会に盛り上がっていました。





知床斜里駅からは「流氷物語号」と同じ路線を走ります。
筆者は2月の流氷時期に車窓からの風景を見ていますが、雪のない景色は新鮮に映りました。
ゲーム中の事件現場のひとつである北浜駅で降車。「流氷物語号」ではホームに降りられるだけですが、今回のツアーでは駅近くの浜辺まで足を延ばしました。
参加者の皆さんは砂浜にブルーシートを敷いて、事件現場であるゲーム画面を実際に再現、写真を撮影して楽しんでいました。参加者の皆さんによる再現写真撮影はこのあと訪れる網走港のほか、ゲーム中では事件現場にはならない阿寒湖畔や和琴半島の露天風呂でもアレンジを効かせる形で行っていて、とても盛り上がっていました。




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「オホーツクに消ゆ花物語号」は終点のJR網走駅に到着。
ここから再びバスに乗車し、まずは網走市内の中央商店街に行きました。
リメイク版では実際にゲーム画面として登場する場所で、アーケードの特徴的なデザインがゲーム中にしっかり再現されていることが現場を見てよくわかりました。
続いて網走港へ。前述のとおり網走港もゲーム中の事件現場となる場所なので、参加者の皆さんはゲーム画面の再現を楽しんでいました。

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最後に訪れたのは、東釧路駅と網走駅を結ぶ釧網本線にあるJR藻琴駅。
この駅は1992年に完全無人化。1987年から駅舎に入居して営業していた「軽食&喫茶 トロッコ」が2023年に閉店したことで空き家となっていました。
この駅舎を「MOTレール倶楽部」が新たな拠点として再利用することが決まり、そのプレオープンイベントがツアー参加者を交えて藻琴駅で開催。ツアー限定品を含めたグッズ販売も行われました。





長かった2日間のツアーが終了。
網走駅で解散する組と女満別空港から飛行機で自宅に帰る組とで別れました。
筆者は個別に網走に一泊するので網走駅で参加者の皆さんとお別れ。翌日は「博物館 網走監獄」を見学してから、特急オホーツクで自宅のある札幌に戻りました。


ツアーを振り返って
ゲームをテーマにした観光ツアーに参加する経験ははじめてで、様々な発見が多い旅だったと思います。
ファンの皆さんがツアーを全力で楽しんでいる様子から、このイベントがファンの求めている要素を充分満たしている内容であることがよく理解できました。
リピーターではない参加者は筆者だけでしたが、参加者の皆さんも運営スタッフの皆さんも親切に接してくれて、わからないところは丁寧に教えていただきました。
ちなみに「MOTレール倶楽部」のスタッフは石黒さんを含め8名が参加されました。
「流氷物語号」と同じくゲームだけで完結するのではなく、ゲームをきっかけとして舞台となる地域とそこで生活する人々や動植物についても理解を深めることができる。そういった「広がり」を持つ内容だったことが素晴らしかったです。
また、ゲーム内では一瞬で「ばしょいどう」する区間を実際に時間をかけて移動することになります。
ゲームでは省略されているだけで、1987年パートのボスとシュン、2024年パートのボスとまりなは、この長い移動中にも会話をしていたことでしょう。事件について推理したり、シュンが道東のことをボスに説明していたり、たわいもない雑談をしていたり。
今回のツアーはそういう想像を行うきっかけにもなり、『オホーツクに消ゆ』の物語により深みを与え、そのうえでまたゲームを楽しむ。そういった連環も生み出す旅だったように感じます。
ファンミーティングで石黒さんが話されていたとおり、次の「流氷物語号」への準備が始まっています。
5回目となるファンミーティングの開催、「MOTレール倶楽部」の新拠点「藻琴駅」の活用などさらなる発展が期待されます。「MOTレール倶楽部」からの続報を待ちたいと思います。