セガのゲーセンの思い出 湖畔のゲームセンター

  • 記事タイトル
    セガのゲーセンの思い出 湖畔のゲームセンター
  • 公開日
    2020年11月20日
  • 記事番号
    4172
  • ライター
    梅路秋奈

水の都

島根県松江市について少し。
松江市は、その中心に巨大な湖「宍道湖」を湛えていて、それ故に「湖北地方」「湖南地方」と、街全体が湖で南北に分断されている。
その宍道湖の形をなぞるかのように、幹線道路が走る。
湖北の国道431号と湖南は国道9号は、松江市の2本の生命線だ。
東西に長い島根県を、その県境を超えて二つの道がはるか果てまで伸びていき、多くの人と車の往来を生んでいる。
(だから、島根県と鳥取県の区別がつかない方は、湖がある方が島根県だと覚えてください)

セガワールド松江は、その宍道湖の南側、国道9号線沿いに位置する。
店舗をぐるりと囲む大きな駐車場が、国道9号を走るゲーマーたちの車をいつも待ち構えている。
そこが、週末にはいつもいっぱいになっていたのを覚えている。
いわゆるロードサイドの大きなゲームセンターといえばそれまでなのだけれど、もちろん高校生だった私にはそんな観点はなくて。
「存在を許されている場所」という言い方が、当時の風景として近いだろうか。
諸先輩方の時代ほどではないとはいえ、まだゲームセンターに行くことが「なんとなく悪いこと」であった時分だ。
不思議なことに、あんなに通ったはずのセガワールドで、学校の同級生たちにあったことは一度もなかった。
その空気感の中で、これほど大きなゲームセンターが、松江市の誇る宍道湖のほとりに「存在してしまっている」ことがとても誇らしかった。

空に橋が……

当時は高校生だから、車なんてもちろん持ってなかった。
地域性なんだろうけど、男子学生でも、バイクの免許を取ったという話は全然聞かなかった。
だから、セガワールドへは、いつも東の内陸側からのアプローチ、自転車を転がすことになる。
店先に留まっている自転車で、そこに誰が来ているかが分かる。
同時に、店先に自転車を停める時はいつも、「私が、ここにいるんだ」ということが橋南中に知れ渡ってしまうのではないかという、そんな青年期特有の過剰な自意識があったのを覚えている。

9号線から見えるセガ。(筆者友人撮影)

さて、ここに、ちょっとした別れ道があったのです。
「上の道」を行こうか、「下の道」を行くか。
JR山陰本線、松江駅から乃木駅に通ずる単線の線路、その踏切を渡る道。
もしくは、その上を高く飛び越える巨大な陸橋を渡ってしまうかの2本の道。
思い出の中の私はその2本の道で、いつも迷っている。

車ならともかく、あの長く急な陸橋を自転車で越えるのは、あまりにもつらく苦しいことだ。
大人になり、運動への偏見がなくなった今でも二度とやりたくないと思える。
でも、もう一方の踏切を渡る道は、ほんの少しではあるが遠回りになってしまう……。
という、ちっぽけなせめぎあいではあったのだけど。

あのころは、とにかくそういう事が大事だった。
ただ、1秒でも早くゲームがしたかったんだろうという気持ちも、本当だと思うけれど、
セガワールドにどうたどり着いて、どういう気持でゲームをしたいのか、そこに悩んでいたのだと思う。
今でも、岐路に立たされた時の気持ちはあまり変わっていない。

JR山陰本線の踏切から陸橋を臨む。(筆者友人撮影)

結局、私はいつも、陸橋の道を選んでいた。
陸橋からの風景が好きだったから。
自転車で陸橋にアプローチする道は、おあつらえ向きに少し長めに平坦なイントロ部分がある。
そこで助走をつけてスピードを出し、一気に駆け上る。
しかし、それもすぐに急な上り坂に阻まれることになる。
そうしたら、もう自転車を降り、手で押しながら歩くしかない。
休み休み登っていくと、ようやく頂上に達するのだ。
すると、どうだろう。
眼前にはセガワールドの大きな店舗が。
しかし、同時に、それすら矮小化してしまうような、夕日で真っ赤に染まる雄大な湖が見えて、私は思わず息を呑んで――。

いざ夢に別れを告げよ

……なんて美しい思い出話に仕立てたところで、結局、松江市民を騙し通すことなんてできはしない。
松江は山陰地方であり、夕陽が映えるほどカラっと晴れる日なんてそう簡単に巡り合えるものではない。
いつもどんよりとしていて、風も冷たく重く、晴れ日といっても雲たちの合間に奥ゆかしい太陽が見えるくらいだ。
まさに伝承に謳われる「八雲」の台地ということなのだから仕方がない。
10年住んでたって、観光ガイドに載るようなちゃんとした宍道湖の夕日を見た記憶なんて全然ないのだから。

でも。
陸橋を越えて、薄暗い曇り空の下、吹き付ける冷たい風が体を蝕む中に、セガワールドの建物が見えると、いつもひどく安心した気持ちになったのは、これは本当のことなのだ。

松江の晴れの日、雲間に見える夕日。(筆者友人撮影)

そして、あの冬の日も、私はセガワールドに行った。
その年の2月、実家に帰省した大人の私は、母親と大喧嘩をして、家を飛び出した。
松江の冬を思わせる、可愛げのない湿った重い雪が降っている。
「降る」というよりぼたぼたと落ちてくる雪は、陰鬱な気持ちを彩りながらも、どこかこの街に歓迎されているような気持がして誇らしかった。
コートくらい持って来るべきだったかと考えて、そんな冷静な家出は、やはり様に合わないと思った。

とはいえ、後先考えず飛び出してみたところで、この街に、ちょっと時間を潰せるコーヒー店なんかがそうそうあるわけじゃない。
というか、そもそも、そういう店にこそ車でいく街だろうに。
車もない自分に残された「帰る場所」なんて、そんなにないことはわかっていた。

だから、私は陸橋を登るしかなかった。

急な坂道を、歩いて登る。
東京の道の距離感に慣れてしまった私にとって、陸橋はこの上なく長く、高く感じて見えた。
高度が上がれば上がるほど、風は強く横殴りになった。
薄手のニットが湿った吹雪にさらされて、濡れたウールがとても気持ち悪かったことを覚えている。
それでも身をかがめながらなんとか頂上に差し掛かると、薄暗い曇り空の下、もちろん湖は見えなかったけれど、セガワールドの建物――そのときはもう「セガ松江店」と変わっていたかもしれないけれど――の輪郭がおぼろげに見えた。
それで、私はなんだか「許された」ような気がして、泣けてしまった。

遭難者のような風体でたどり着いたゲームセンター、そのときにプレイしたゲームは覚えていない。
そんなセガ松江店は今でも湖畔に佇んでおり、そのとき私の結婚を反対した母は今はもういなく、私は今でも独り身のままだったりする。

陸橋から見える風景。よく晴れた日には対岸も見える。(筆者友人撮影)

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