伝説のアーケードゲーム『 クレイジー・クライマー 』の開発者・藤原茂樹氏に聞く 第1回

  • 記事タイトル
    伝説のアーケードゲーム『 クレイジー・クライマー 』の開発者・藤原茂樹氏に聞く 第1回
  • 公開日
    2018年01月08日
  • 記事番号
    106
  • ライター
    大堀 康祐

1980年に日本物産から発売された伝説のアーケードゲーム『クレイジー・クライマー』。

ゲーム文化保存研究所は、未来に残すべきゲーム文化の保存活動の一貫として、この『クレイジー・クライマー』を題材とした電子書籍『ビデオゲームアーカイブス vo.l クレイジー・クライマー』を2018年1月10日に発売しました。

その発売を記念して、『クレイジー・クライマー』の開発者である藤原茂樹氏にインタビューを行いました。3回にわたり、今だから明かされる『クレイジー・クライマー』の製作裏話をお届けします。

第1回目となる今回は、『クレイジー・クライマー』の誕生秘話。

当時にしては斬新な縦スクロール、ツインレバー操作で、大ヒットを記録した『クレイジー・クライマー』ですが、リリース直後は周囲の反応も悪く、発売に至っては営業からの猛反対も受けたそうです。それでも発売に踏み切った開発者の想い、そして『クレイジー・クライマー』が生まれたきっかけをお聞きしました。

『クレイジークライマー』は横スクロールのレースゲームだった?

当時のことを語る藤原氏

編集部『クレイジー・クライマー』の開発はどのような経緯で始まったのでしょうか?

藤原 実はもともと横スクロールのレースゲームを作っていたんですよ。

編集部 横スクロールのレースゲーム?全然違うゲームですね。それがなぜ『クレイジー・クライマー』に?

藤原 分からないのですが、多分、レースは他にもあるから商売的に難しいという話になったのだと思います。ジャンルとして存在しないもの、競合製品のないものをやらないと売れないだろうと。

編集部 そこで、ビルを登るという奇想天外な発想が出てきたのですね。

藤原 そういうことですね。

斬新なツインレバー操作が生まれるまで

▲ツインバーが斬新だった当時の筐(パンフレットより抜粋)

編集部 『クレイジー・クライマー』といえばツインレバーがとても斬新でした。あの操作が成立するまでにはかなり試行錯誤をされたのでしょうか?

藤原 最初はボタンでやっていたことは覚えています。

大堀  ボタンですか!?

藤原 でも、全然しっくりいかなかったんです。要は、キャラクターは人なのに、あくまでも動きが機械的というか、自機にしか見えなくて。こだわった結果、ツインレバーになったのだと思います。

編集部 ボタンだったときの操作の仕様を覚えていらっしゃいますか?

藤原 レバーの横移動で、多分ボタンでキャラクターの左右の手を伸ばしていたのだと思います。

編集部 ということは2ボタンだったのですね。『クレイジー・クライマー』が当初、1レバー2ボタンのゲームだったとは驚きです。

藤原 妙な感じでしたね。

開発はたったの3か月! 斬新さのあまり営業からの猛反対も…

編集部 このような奇抜なゲームをどれぐらいの期間で開発されたのですか?

藤原 3カ月ぐらいだったと思います。

編集部 『クレイジー・クライマー』はハードウェアからオリジナルだと思うのですが、そのハードも含めてでしょうか?

藤原 ハードのことを考えると、もう少し時間がかかっていたのかもしれないですけれども、少なくとも絶対に1年はかかっていません。開発期間をかけるということは、結局、体力がいるじゃないですか。

編集部 開発中、営業の反応はどんな感じだったのでしょうか?

藤原 あの頃は営業が強かったんですよね。とにかく『クレイジー・クライマー』は試作段階で営業から「売れない」と言われたのが印象に残っています。

編集部 そうだったのですね。

藤原 営業が言っていたのが、基板売りの場合、既存の筐体に入れないといけないわけですから、基本的に8方向レバー、あるいは4方向レバー、プラス、1ボタンが大半だったんですよ。ゲーム性うんぬんよりも、まずツインレバーのコントローラーが問題だというんです。

編集部 それでもツインレバーを押し通したわけですよね?

藤原 先ほどお話ししたとおり、アクションゲームとしてプレイヤーキャラクターにこだわっていて、開発メンバーはツインレバーにノリノリだったんですよ。でも、営業的には「そんなもの、市場がどこにあるのだ。誰がこんなツインレバーのものを基板だけ購入するのか。筐体売りしないと無理ではないか」と。

※敬称略


そんな営業の反対を押し切って、藤原さんはその後、ショーやロケーションテストに『クレイジー・クライマー』を出展するものの、評判はいまいち。しかし、『クレイジー・クライマー』が世に出回るや否や、周囲の予想をはるかに超えてプレーヤーの間で人気に火がつき、増産に増産を重ねた大ヒット商品となります。

営業の反対を押し切ってまでに発売を押した藤原さんの想い、その勝因は何であったのか、詳しくは、2018年1月10日に発行した電子書籍『ビデオゲーム・アーカイブス vol.1 クレイジー・クライマー』でご覧になれます。

▲2018年1月10日に発売

『ビデオゲーム・アーカイブス』は貴重な資料とともに、ゲーム産業黎明期を考察する電子書籍のシリーズです。その第1弾として、『クレイジー・クライマー』の全てを1冊にまとめました。一般には公開されていなかったオペレーター用の設定資料や海外向けの販促資料も掲載しています。Amazonより定価500円(Kindle Unlimited対象)で好評発売中。

『クレイジー・クライマー』

1980年に日本物産から発売されたアーケードゲーム。ツインレバーで右手と左手を操作し、様々な障害を乗り越え超高層ビルの屋上を目指して登っていくゲームで、当時としては斬新なツインレバーと縦スクロールで人気を博した。

▲『クレイジー・クライマー』の公式動画
©HAMSTER Co.

藤原 茂樹 氏

日本物産株式会社でデザイナーとして『ムーンクレスタ』『クレイジー・クライマー』に、企画兼デザイナーとして『マグマックス』『テラクレスタ』『コスモポリスギャリバン』をはじめ数々のヒット作に携わる。ハドソンに移籍後『ボンバーマン』シリーズ等にかかわる。その後、『ビーダマン』『ベイブレード』の企画開発、『アイカツ!』『マジンボーン』の企画原案協力等。藤子・F・不二雄のアシスタント経験者という顔も持つ。現・株式会社ゼロイチ代表取締役。

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