ゲームセンター聖地巡礼「1980~1990年代 高田馬場」
当研究所・所長の大堀康祐氏と、ゲームディレクターであり当研究所でライターとしても協力いただいている見城こうじ氏のお2人が、1980~1990年代に通っていたゲームセンター跡地を巡り、思い出を語るコーナー「聖地巡礼」。「新宿編」に続き、今回は「高田馬場編」をお届けします。
当時、ゲームセンター「BET,50」で話題をさらっていた謎の中学生ゲーマーの正体は…? そして大堀氏のホームグラウンド「ゲームブティック 高田馬場店」での思い出など、今回もここでしか聞けないレアな話満載のインタビューをお楽しみください。
あの梅原大吾氏と「BET,50」で対戦していた大堀氏
―― それでは新宿編に引き続き、今回は「高田馬場編」ということでよろしくお願いします。まずは、高田馬場西口にあった「BET,50」というゲームセンターが巡礼地に挙がっていますが、これは「ベットハーフ」と読むんでしょうかね。
大堀 そうですね。50円の対戦ゲームが多く置いてあった「BET,50」の場所は、西口の現在「すき家」があるビルの2階だったと思います。1階と2階だったのか、2階だけだったのか、少し記憶が曖昧ですが。ここは、大人になってから行ったんですけど、ちょっと切ない思い出がありまして…。
―― では、その思い出をお聞かせください。
大堀 「BET,50」の客の中に、僕たち「ゲームブティック 高田馬場店」(以下「ブティック」)の常連たちが勝手に「中学生くん」と呼んでいた、対戦格闘ゲームが半端なくうまい子がいたんです。そして僕が対戦を挑んだら、気持ちいいぐらいにフルボッコにされました(笑)。僕らの仲間は、誰も彼に勝てませんでした。
見城 何のゲームで対戦したの?
大堀 『ヴァンパイア』(1994年/カプコン)だったと思う。そのとき僕は20代後半ぐらいだったかなあ。中学生くんにもうボッコボコに負けてさ。気分的には、空手の有段者と対決して圧倒的な力の差を見せつけられて、「負けました…」とうなだれる感じ?(笑)。何しても負ける。小(弱)パンチを出すだけで負けるぐらいの勢い。どんな攻撃をしてもガードされてボコボコにされる。中学生くんは、『ヴァンパイア』で小パンチガードキャンセルする男として有名でした。で、後々聞いたら、その子は梅原氏だったという…。
―― えっ? 世界屈指のプロゲーマーとして知られる、あの梅原大吾氏(*01)の、若かりし日の姿だったというわけですか?
大堀 たぶんそうです。20代後半の男が手も足も出なくて、「時代は変わった…」という感じでしたよ(笑)。
見城 その中学生くんが、のちの梅原氏だったというのは、すごい話だよねえ…。
大堀 「BET,50」は、僕の主戦場「ブティック」と駅を挟んだ反対側だったんですが、そんなことがあってから「ブティック」の仲間と「あそこの店の対戦レベルはヤバいよ…」と話していました(笑)。彼は当時から、おかしいぐらいうまかったです。
見城 そりゃあ、のちの世界チャンピオンだもんねえ(笑)。
大堀 僕なんか、もうなんにもできないんですよ。ボタン押した瞬間に負けが決まるぐらいのレベル。「ああ、そうきた? えっ、全部つながっちゃうの? びっくり…」みたいな(笑)。何が悔しかったって、2本先取で勝ちですよね? (梅原さんは)1本目はボッコボッコにするんだけど、2本目は明らかに勝たせてやるという対応なんです(笑)。そのほうが長く遊べるから気持ちは分かるんだけど、この年齢差でそんな情けをかけられちゃう僕の心情たるや(笑)。
一同 (笑)。
大堀 もう、完敗だよね。
―― 梅原さんのほうは、そのとき大堀さんと対戦したことは知っているんですか?
大堀 知らないでしょう(笑)。単に、おっちゃんが来たな…ぐらいの感じじゃないですか?
―― では、何年後かにお会いして、お2人でそういう話をした…みたいなエピソードも特にないわけですね?
大堀 はい、僕が梅原さんを一方的に知っているだけで直接的な面識はないので、お会いしたらぜひ当時の話をしてみたいですね(笑)。
脚注
↑01 | 梅原大吾 : 日本初のプロゲーマー「ウメハラ」。対戦格闘ゲームにおいて数々の大会を制し、その実力は世界屈指。「The Beast」というニックネームでも知られる格闘ゲーム界のカリスマ。 |
---|