ビデオゲームミュージックの父 小尾一介氏×大野善寛氏ダブルインタビュー 前編

1980年代からのゲームファンにはおなじみの存在である「ゲームミュージック」。その分野を切り開いた先駆といえるのが、アルファレコードと同社のレーベル「G.M.O.レコード」である。

1983年、ナムコが発表した革命的なアーケード・シューティング作品『ゼビウス』のBGMは、シンプルかつ斬新で、一種「テクノ的」だった。そのBGMに着目し、同作品をこよなく愛したテクノユニット「YMO」※1YMO : Yellow Magic Orchestra(イエロー・マジック・オーケストラ)。村井邦彦が手掛けたアルファレコードの中心となった音楽グループ。のメンバー、細野晴臣氏のプロデュースにより、アルファレコードは1984年に『ビデオ・ゲーム・ミュージック』のレコードをリリース。

これが、ゲームミュージックだけを扱った国内初のサウンドトラックとなる。

歌謡曲全盛の中、当初は販売する側・求める側ともに、レコード店のどの棚に陳列されるべき商品なのかさえ、つかめない状況にあった。アルファレコードは、ゲームから音楽だけを切り離した前例のない商品を広く世の中に認知させるため、ひとかたならぬ営業努力を開始する。

その結果、『ビデオ・ゲーム・ミュージック』はオリコンチャート20位以内に入るヒットを記録。同年リリースされた、『ゼビウス』BGMのアレンジ盤ともいえる『SUPER XEVIOUS』も好セールスとなり、国内にゲームミュージックが浸透する土壌が作られる。

その後ジャンルとして確立され、現在に至るまで連綿と数多くのゲームミュージック作品が発表されてきたことは、周知のとおりだ。

アルファレコードでゲームミュージックを初めて音楽アルバムとして世に送り出し、ビジネスとして確立させた功績を持つ小尾一介(おび かずすけ)氏。

サイトロン・アンド・アートであらゆるゲームメーカーのサントラCDや映像作品をゲームファンに送り届けてきた大野善寛(おおの よしひろ)氏。音楽ジャンル「ゲームミュージック」は、両氏が道しるべとなり成立したと言っていいだろう。

その軌跡はどのようなものだったのか。

ゲームミュージックを単なるビープ音の延長線上から文化にまで昇華させた立役者二人に、その歴史の片鱗をお聞きした。

【聞き手】
ゲーム文化保存研究所
所長:大堀 康祐
ライター:八木 貴弘

ゲームミュージック創世記
サイトロンの前身、アルファミュージックの始まり

▲ゲームミュージックに先見の明を持っていた小尾氏

――サイトロンのお話を伺う前に、まずはその前身であるアルファレコードの立ち上げからお聞かせいただきたいと思います。小尾さんはどのようなきっかけでアルファレコードに入られたのですか?

小尾 アルファレコードって、もともとは「アルファミュージック」という会社があり、そこから「アルファ&アソシエイツ」と改名し、レコード会社として独立したという、非常に順当に音楽業界のステップを踏んでできた会社なんですね。

作曲家の方が曲を書いて、その権利を音楽出版社が保有して、曲を広めるわけです。レコード会社はレコードを作って量産して、お店に運びます。

出版社とレコード会社の間には音楽原盤制作会社という業種がありまして、ここはいわばレコード会社の手前で、録音をしてマスターテープを作る会社です。音楽出版社の中でそういう仕事をしている場合もあるし、レコード会社が制作している場合もあるのですが、私がちょうど(業界に)入った頃、作曲家の村井邦彦さん※2村井邦彦 : アルファレコード創立者。ユーミン(松任谷由実)のプロデューサーとしても知られ、YMOを成功に導いた。「翼をください」の作曲者と言えば、エヴァンゲリオンファンの方はニヤリとするだろうか。が原盤制作会社をやられていたんですね。

それで、その会社がいよいよレコードメーカーになることになりました。原盤制作会社の時はその“元”を作っていただけでしたが、メーカーになると実際に製造と販売までしなくてはならない。それで人手が足りないということで、私も手伝うことになりました。

当時取締役に川添象郎さん※3川添象郎 : 村井邦彦と共にアルファレコードを立ち上げた音楽プロデューサー。YMOエグゼクティブプロデューサーとして、彼らの世界公演をも実現させる。という、まあ暴れん坊のおじさん(笑)がおりまして、その人と村井さんが仲良しだったのですが、村井さんが川添さんに「レコード会社には若い社員がいっぱい必要だ。」と言われ、当時川添さんの個人会社でアルバイトをしていた私も誘われて、その後アルファレコードが設立されました。1977年とかの話ですね。

私はその制作部門に所属していたので、歌手やミュージシャンと契約をして、レコードを作るための窓口になる。もちろん宣伝部もありますし、メーカーだから販売もやります。

――その頃はまだゲームミュージックどころか、ゲームそのものが…。

小尾 まだまだ認知されていなかったですね。『ゼビウス』が大きな転機だったんじゃないかな。その前に『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)の時代があって、その後ナムコさんをはじめ、いろんなメーカーのビデオゲームというものが、どんどんゲームセンターに置かれる時代になりますよね。

そこに『ゼビウス』という新しい、シュールというか、目新しいビデオゲームが出てきた。インベーダーゲームが大流行して、それが落ち着いて、その後また『ゼビウス』が来て…っていう、そんな感じじゃなかったかな。

――おそらくこれが一番世界的に有名なゲームミュージックじゃないかと思います。余談ですが、オリジナル盤リリースの17年後(2001年)に、私が復刻盤CDをプロデュースさせていただきました。とても光栄なことで、再度、世に送り出せたのはとてもうれしかったです。

それで、ナムコさんの作品でレコードをリリースすることになったきっかけは何でしょう?

小尾 アルファレコードの中に「¥EN(エン)レーベル」というのがありまして、私がYMOを担当していたんですけれど、細野(晴臣)さんと高橋(幸宏)さんが、自分たちのレーベルを持ちたいと言い出しまして。

アメリカの音楽業界でも、アーティストとして成功した人がプロデューサーとしてレーベルを作るという流れがありました。で、彼らがやりたいというので、じゃあ「¥ENレーベル」っていうのを作りましょうって話になったんです。まあひとつのブランドですね。

そこでは、これまでメジャーなレコード会社がやってきたような普通の方法ではない形でレコードを作ろうということになっていたんです。細野さん、高橋さんっていう有名人もいますし、彼らを慕ってくる若いミュージシャンたちもいました。いろんな企画をどんどんやっていこうっていう感じだったので、その中の一つとして立ち上げました。

私の記憶によると、当時、スタジオでの音楽録音の際、ミュージシャンに多くの待ち時間があったんですよ。アルファのスタジオに限らずだと思いますけど、たいていのスタジオにはビデオゲームが置いてあるんですよね。ミュージシャンにはみんな空き時間があるので、その時間にビデオゲームをやっているんですよ。

その中にゼビウス』があって、細野さんがえらいハマって、一生懸命やってました。そしたらその音楽がけっこうシュールというか、ミニマル・ミュージック※4ミニマル・ミュージック : 機械的にパターン化された音楽。単に「ミニマル」とも呼ばれる。みたいな音楽だったから、そういった面でも気に入って、「これおもしろいんだよね」って話になって

そして当時、ゲーム雑誌『ログイン』が「¥ENレーベル」を応援してくれていて、そこで「じゃあこれ作った人と1回対談しますか」みたいな話になったんです。

――それで『ログイン』1984年2月号で、『ゼビウス』開発者である遠藤雅伸さん※5遠藤雅伸 : 当メディア読者であれば、言わずとしれた『ゼビウス』『ドルアーガの塔』(1984年/ナムコ)などの開発者。と細野さんの対談が企画されたわけですね。

小尾 そうですね。そこで初めて、ミュージシャンとゲームデザイナーの対談が実現しました。遠藤さんと細野さんは、もともとお互いを知っていた関係で話も盛り上がり、「じゃあ『ゼビウス』の、というかナムコさんの音楽をレコード化しようよ」って話になりまして。それで発売になった、という感じですね。

脚注   [ + ]