『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 後編

知られざるアーケードゲーム開発会社だったジョルダンへのインタビューも今回で最終回。

ここでは『ムーンクレスタ』(1980年)をはじめとしたジョルダン開発によるニチブツ※1ニチブツ : 日本物産の愛称。1970年創立。アーケード、コンシューマー製品などを手掛けたゲームメーカー。『ムーンクレスタ』『クレイジー・クライマー』(1980年)、『ジャンゴウナイト』(1983年)、『テラクレスタ』(1985年)など多数のヒット作を発表したが、2009年に事業停止した。の各種アーケードタイトルの裏話に迫る。

フリスキー・トム』(1981年)のボツになった大本のタイトルほか、初めて明かされる数々のエピソードに刮目!

ジョルダン株式会社
代表取締役社長:佐藤 俊和
監査役 :小田 恭司

【聞き手】
ゲーム文化保存研究所
所長:大堀 康祐
ゲームディレクター:見城 こうじ
ライター:前田 尋之

『ムーンクレスタ』誕生秘話

――『ムーンクレスタ』の開発経緯を教えてください。

佐藤 うーん、実はあまりはっきりしないんですよ。たぶん例によってわが社の本田※2本田光雄氏 : ジョルダン社の創業メンバーで、ニチブツの『ムーンクレスタ』などのプログラミングを担当した。とニチブツの木島くんの打ち合わせ中に生まれたものだったと思うのですが、僕はその場に立ち会っていないんで分からないです。トリッキーな敵キャラの動き、弾を撃たずに体当たりを仕掛けてくる敵など、同業他社のシューティングゲームとは違うものを作ろうとする本田らしさを感じる作品ですね

2013年にその本田が逝去しまして、残念ながら『ムーンクレスタ』を象徴する3機合体部分の仕掛けや、複数機を一気に失うこともあるシビアなゲームバランスも、今となってはそういったゲームシステムに至った経緯や証言を引き出すことができなくなってしまいました。

――返す返すも惜しい人を亡くしてしまいました。

佐藤 小田くんは『ムーンクレスタ』は最初からは参加していなかったでしょう? 確か途中からだったと記憶しているんだけど。

小田 途中参加で、ほんの少し手伝った程度ですね。ゴールデンウィークが明けたあたりに完成したことを覚えています。

佐藤 前年の1979年12月に取り掛かっているから、やっぱり約5カ月か。でも、『ムーンクレスタ』は300万円しかもらっていないから、もっと早々に完成させていたはずだよ。納品した後は実際の販売数まで聞いていないから、「思ったより売れましたよ」みたいなことは聞かされたけど、具体的な数字はさっぱり。今だったら間違いなくロイヤリティ契約を結んでいただろうけどね。

まあ、当時はその辺がまだしっかりしていなかったんだなと思う。だから、以降は『乗換案内※3乗換案内 : 1994年にシリーズ1作目がリリースされた鉄道やバス、飛行機など公共交通機関の移動に最適な経路を検索できるサービス。当初はインターネットが一般化しておらず、パッケージソフトやプリインストールによる提供だった。をバンドルするときなど「1本いくら下さい」と、ロイヤリティにこだわったわけですよ。今となってはいい教訓になったわけだから、『ムーンクレスタ』や『クレイジー・クライマー』のときの失敗も、まあいいか、と(笑)。

時間がある限りブラッシュアップを繰り返して自由に作った

▲プレイステーション(以下、プレステ)版『ムーンクレスタ』の映像。何度も回っているうちに敵のスピートも速くなっていく  ©HAMSTER Co.

大堀 『ムーンクレスタ』は何周もすると敵のスピードはどんどん速くなっていくわけですが、先のステージまできちんと作り込んでいたと感じています。

佐藤 その辺も、もちろん本田の手によるものです。このときは会社を設立したばかりの時期で元気もあったし、おもしろいものを作ろうという熱意の現れだったんでしょうね。

――ニチブツさんからは「最低これだけの面数を作ってほしい」とか、ゲームのボリュームについて具体的な指示はありましたか?

小田 ないです。むしろ、時間がある限りこちらで勝手にブラッシュアップを繰り返すというパターンが多かったですね。

佐藤 絵コンテもまとまったものが来るのは開発の後半で、初めの頃は本当にいい加減な最低限の資料しかない。でも、往々にしてそういった企画のほうがいいものができたりするからゲームはおもしろいと思う

クリエイティブ性とは何かとあまり深く考えないで、きちきちと計画的に作ろうとすると、どうしてもこじんまりとした型にはまったものが出来上がってしまう。

――理屈ではなく感性で作る感じですか。

佐藤 そうそう。

――以後のシリーズも同様の方法で開発されたんですか?

佐藤 いや、前に話した通り、本田は管理側にシフトしてマネージメントをするようになったから、不満を溜め込んでいたよ。会社は大きくなると人も増える上に、管理をしなければならなくなるし、若手のプログラマーもどんどん入ってくる。こればかりは仕方がないですね。

サウンドは誰が作っていたのか

大堀 話は変わってサウンドについてですが、『ムーンクレスタ』のサウンドはどこで作られてどのように指示されたのか、お分かりになりますか?

佐藤 『ムーンクレスタ』『クレイジー・クライマー』ともにニチブツからデータで送られてきていたのかな。独特のおもしろい音でしたね。

大堀 搭載されていた音源チップが良かったんでしょうか?

佐藤 いやあ、制作をした人間のパワーだと思いますよ。すごい人たちをいっぱい抱えていましたから。もっとも、今だと著作権的に問題ある曲もいろいろありましたけどね(笑)。

小田 その辺はさて置いても、印象深い曲は確かに多かったです。私も今でも『ムーンクレスタ』の曲とか口ずさめますから。頭にこびりついて一生消えないくらいです。

『フリスキー・トム』の原題は『ピーピングトム』だった!?

▲『フリスキー・トム』制作時代のことを思い出しながら楽しそうに語る小田氏

――せっかくの機会ですから、手掛けられた作品のエピソードがあればお聞かせください。違うタイトルでもOKです。

小田 『フリスキー・トム』は最初、私はタイトル画面だけ担当するはずだったんですが、気がついたらいろいろな箇所をやることになっていました。タイトル画面で設置された、爆弾を蹴飛ばしてトムが伏せるという一連のデモは、私が企画書にない動作を勝手に作って入れちゃったんです。

幸いニチブツさんにも気に入ってもらえたみたいで、そのままタイトル画面の仕様として採用されました。こだわりポイントというより、私なりの遊び心ですね。ゲームの思い出はそれくらいですが、タイトル画面の演出は、われながらよくできたかなと気に入っています。

佐藤 あれは確か、もともと『ピーピングトム』って名前じゃなかったかな? イメージが悪いというのでタイトルを変更したはず。あれも木島くんと本田であれこれやって作っていた記憶があるな。ちょっとパズルっぽいゲームシステムも、本田のアイデアなんだろうな。

――少しお色気が入っているのも印象的でした。

佐藤 ああ、あれは元のタイトルが『ピーピングトム』だったから(笑)。のぞきをしているという設定の名残だよ。あのコンビは本当に独創的なゲームをいろいろ作っていたね。

大堀 もし(本田さんが)ご存命であれば貴重な話をいろいろ伺えたかもしれなかったのですが、大変惜しい方を亡くされました。

佐藤社長のゲーム論

▲これからの抱負と自己のゲーム論を語る佐藤氏

――今でも機会があればアーケードゲームの開発をしてみたいと思いますか?

佐藤 今までとまったく違う形のアーケードゲームが作れるのであれば、やってみたいとは思いますし、考えさせてみている人間も、いるにはいるんです。ただ、最近のアーケードゲームは開発費がオバケみたいに巨額になるでしょう。もう少しシンプルにスッキリできるものがあれば、といったところでしょうか。

実は、僕が考えているゲームにはイメージがあるんです。マイケル・ダグラス主演の『ゲーム』(1998年日本公開)という映画があって、みんなで誕生日のお祝いをするという筋書きなんですが、お祝いをされる人間が多数の敵に追いかけられるんです。それらを倒した上でビルの屋上にたどり着くと周りがパッと開けて、「ハッピーバースデー」というお祝いの声が上がるという。そこにたどり着くまでが、いわばゲームなんですが、ジョルダンもそこに向かって行きたいというのが、僕なりのゲーム論で目標。現実は、なかなか足踏みしてそこまで行けないんですけどね(笑)。

――それでは最後に、本記事を読んでいるかつてのファンに向けてメッセージをお願いします。

佐藤 皆さんも、さらに若い世代に夢を与えることができるように頑張ってほしいですね!

――本日はどうもありがとうございました。

▲当研究所とジョルダンの方々で記念撮影。左から見城氏、佐藤氏、小田氏、大堀所長
ジョルダン株式会社
1979年にジョルダン情報サービスとして創業、1989年に現社名に商号変更。1994年に『東京乗換案内 for Windows 3.1』『乗換案内全国版 for Windows 3.1』を発売以来、乗り換え情報サービスという新分野を切り開き、同種のサービスの代名詞となる。一方で、システム開発・販売やゲーム開発など、多数のコンピューターソフトウェアおよびサービスを展開している。東京証券取引所ジャスダック上場。

脚注   [ + ]