マイ・ベスト・アーケードゲーム Vol.04 窪田俊幸(ゲームデザイナー)


日本のアーケードゲームの礎を築いた重鎮やゲーム情報通でもあるゲームライターといった業界関係者が、個人的に好きだったアーケードゲームをランキング形式で選ぶマイ・ベスト・アーケードゲーム」。

第4回となる今回は、『ソロモンの鍵』(1986年/テクモ)、『パズルボーイ』シリーズ(GB/1989年~/アトラス)などのステージデザインを手掛けた窪田俊幸氏。マップデザインにかけては天才的な閃きをもち、パズルゲームを得意とする窪田氏が選ぶベストアーケードゲームとは?

窪田 俊幸

1952年生まれ。上田和敏氏のラブコールにより『ソロモンの鍵』(1986年/テクモ)では悪魔的とも称される多くの難解ステージを生み出すが、本来はマップ作成以外にも才能を発揮するゲームデザイナー。一部でカルト的人気を誇る『ファンタステップ』(PS他/1997年/ジャレコ)にてその片鱗を見せる。『パズルボーイ』シリーズ(GB/1989年~/アトラス)では上田氏と再びタッグを組み、メインのゲームのデザイン、マップの作成を担当。現在もゲーム制作にかかわる。

No.1 『コモーション(Comotion)』(1976年/グレムリン)

ブロッケード(Blockade)』(1976年/グレムリン※1ブロッケード : 1976年に米グレムリン社が発売した陣取り型のアクションパズルゲーム。日本ではその翌年発売されている。1人または2人プレイが可能。アメリカで爆発的ヒットとなり、数多くのコピーが生み出された。)は線引き陣取りゲームで、それを4人が同時にプレイするのだからおもしろくてたまりません
当時はゲームセンターの店長をしていて、閉店後に従業員やらお客さんやらと共に始発まで遊んでいた記憶があります。
『ブロッケード』はアメリカのSF映画『トロン』(1982年公開)にも登場したゲームですが、近年このタイプのゲームがまったく無くなってしまったのは残念でなりません。

No.2 『テトリス®』(1988年/セガ)

▲ブームを生んだアーケード版『テトリス』チラシ(画像: セガ・インタラクティブ公式サイトより引用)Tetris ® & © 1985~2019 and Tetris trade dress are owned by Tetris Holding.© SEGA

仕事の昼休みにゲーセンに行ったら、『テトリス』のロケテストをしているところを発見して、夢中になって遊んだ記憶があります。何時になっても(会社に)戻ってこないので、捜索隊が出て私を発見してくれました(笑)
学生時代に「ポリオミノ」※2ポリオミノ : 指定の形に正方形を並べていくパズルで、アメリカの数学者ソロモン・ゴロムが1953年に考案した。の研究をしたことがあって、見た瞬間に「テトロミノ」※3テトロミノ : ポリオミノの一種で、正方形を4つつなげたもの。『テトリス』の基本概念となった。だなと分かり、惹かれました

その時のロケテストでは、ほかに興味をもった客は私1人くらいなものだったので、その後に来たテトリス・ブームが夢のようでした。

No.3『クイックス(QIX)』(1981年/タイトー)

▲本作の当時のチラシ © TAITO CORPORATION 1981 ALL RIGHTS RESERVED.

夢中になったゲームの一つです。1プレイ50円の店を発見して、初めてテーブルの上に50円玉を積み上げて遊んだ記憶があります。
いわゆる陣取り型のゲームで、自陣の形は自機の動きによって自在に変えられるので、ミスをすると自分の選択が悪かったと考え、「次はうまくやろう」とまたコインを入れてしまうのでした。

No.4『スクラッチ』(1977年/ユニバーサル)

ブレイクアウトタイプ※4ブレイクアウトタイプ : 『ブレイクアウト』は1976年にアタリが発売したブロック崩し系のゲーム。世界的ヒットを受け、1970~1980年代にこのようなゲームが続々と発売された。『ブレイクアウト』に似たゲームは「ブレイクアウトタイプ」と称される。と呼ばれるブロック崩し系ゲーム。当時は、あるゲームがヒットすると、ゲーム各社は競い合って似たようなゲームを発売していました。その中で、本作は好きなゲームの一つであります。

『スクラッチ』は『ブレイクアウト』(1976年/アタリ)同様、CPUを使用していない、いわゆるTTL(トランジスタ・トランジスタ・ロジック)でできていました。基板にジャンパー線を飛ばすことによってゲーム内容を変えられることができ、見えないブロックや点滅するボールなど、上級者向けのゲームに改造して遊んでいました。

No.5『マーブルマッドネス』(1984年/アタリ)

トラックボールの踏破型アクションパズル。アナログ的な操作感のトラックボールで、細い橋を渡ったりジャンプして狭い場所に着地したりで先に進めず、ずいぶん投資しました。

No.6『スペースウォーズ』(1978年/タイトー)

ベクタースキャンの対戦ゲームですが、画面中央に星があり、画面全体が星の重力下にあって思うように操作できないというおもしろさがありました

No.7『ゼビウス』(1983年/ナムコ)

当時すでにゲーム制作に参加していたのですが、『ゼビウス』の登場はかなり革命的でした。自機は目立つように原色にするのが当たり前の時代に、グレイの自機に衝撃を受けたのを覚えていま

さらに衝撃的だった点は、その当時、アーケードゲームの制作現場では、100円での平均プレイ時間を2分半とか3分とかにするために「殺し」設定を入れなければならないと言われていたのに、本作は無限に遊べるという設定でした。「殺し」による平均プレイ時間の設定は、各ゲームセンターに1台置かれた場合の時間を基準とするのですが、本作ではそれが2~3時間でありました。それでも、上級者が長時間プレイをしている横で、初心者が次々に100円を投入していることもあり、インカムも高かったのではないでしょうか。

No.8『パックマン』(1980年/ナムコ)

私が制作した第1作目の 『Ladybug(レディバグ)』(1981年/ユニバーサル)は本作のヒットに刺激された作品で、そういう意味で印象に残るゲームです。

No.9『クレイジー・クライマー』(1980年/日本物産)

このゲームの魅力は、何といっても、奇妙な設定と奇妙な操作ですね。このゲームを見て以来「なんでもおもしろければゲームにできる」という風に考えるようになりました。

No.10『ミサイルコマンド』(1980年/アタリ)

トラックボールでAMB(弾道弾迎撃ミサイル)を操作して次から次へと飛来してくる核ミサイルを撃破するゲームです。AMB自体も核ミサイルで、要するに自国の上空に核ミサイルによる弾幕を作って、その弾幕の中で敵の核ミサイルを誘爆させるというものです。画面全体が花火大会のようで、美しかったことを覚えています

自作なら『レディバグ』がマイベスト

「マイ・ベスト・アーケード」ということで、自分がゲーム制作者になる前から慣れ親しんだタイトル、そして制作者になってから自分に衝撃を与えたゲームを中心に選んでみました。

自作だったので選外としましたが、自分の中でもっとも思い出深いのは『レディバグ』ですね。この作品でゲーム作りの大半を学びました。私の原点ともいえる作品です。

ゲームデザイナー 窪田俊幸

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