『沙羅曼蛇』~ハイスコアラーに極められた最終パターンへの道~

  • 記事タイトル
    『沙羅曼蛇』~ハイスコアラーに極められた最終パターンへの道~
  • 公開日
    2019年05月24日
  • 記事番号
    1043
  • ライター
    八木 貴弘

ゲーム会社の老舗であるKONAMIが、2019年3月に創業50周年を迎えた。それを記念し、これまでのKONAMIのゲーム史を刻んできた名作8タイトルを収録した「アーケードクラシックス アニバーサリーコレクション」を4月18日に発売。当サイトでは、「KONAMI 50周年アニバーサリーコレクション記念特集」と題し、同コレクション収録の8タイトルを8週(予定)にわたって詳しく解説していく。

第1弾となる今回は、KONAMIのシューティング歴史で必ず名前が挙がってくる名作『沙羅曼蛇』(1986年)。レビューや攻略などは多くのファンや第一人者によって語られていることを考え、今回はアーケードゲーム専門誌『ゲーメスト(*01)のライターであった筆者が、その内外でどのようにゲームが盛り上がっていたのかについて、同じく同誌のライターであったSPY大和(すぱいきっどやまと)氏と振り返る。

SPY大和氏は、同誌において『沙羅曼蛇』の担当攻略記事を執筆し、市販された攻略ビデオではプレイヤーも務めた人物。そんな氏とともに『沙羅曼蛇』の魅力を紐解いていく。

満を持して登場した名作『グラディウス』の後継ゲーム

▲『沙羅曼蛇』は『グラディウス』の第2弾として発売された(プレイ動画:公式YouTubeチャンネルより)

『ゲーメスト』読者が最初にそのタイトルを知ったのは、恐らく本誌裏表紙の発売広告ではないだろうか。ゲームタイトルそのものを表現している美麗な蛇、『グラディウス』(1985年)を彷彿とさせる主役機のビックバイパー…。この広告面が入稿された時点ではまだ誰も見たことのないニューゲームの初影に、『ゲーメスト』読者はもとよりライター陣も期待せずにはいられなかった。まずは、発売当時の様子をSPY大和氏と振り返った。

▲本作の発売広告。恐ろし気な蛇が印象的であった(画像:『ゲーメスト』1986年9月号より)

――自分は発売直後の『ゲーメスト』の広告で本作の存在を知ったのですが、SPY大和さんは最初、本作をどのように知りましたか?

SPY大和 発売前から本作の存在は知っていたのですが、初めてプレイしたのは、『ゲーメスト』編集部から2駅ほどの距離にあった当時のKONAMI社に取材で行った時です。まだプロトタイプで、製品版ではなかったと思います。面構成が違っていたり、まだ荒削りの箇所もあったかな。見た目は『グラディウス』なのに、シューティングで縦スクロールステージか、と驚いたものでした。自機を上からの視点で見られたのも印象的でした。

――本作は専用筐体で稼働されましたよね。

▲『沙羅曼蛇』の専用筐体は2種類あった(画像:コナ研さんのブログより引用)

SPY大和 当時、僕はライターをしながら巣鴨のゲームセンター「プレイシティキャロット 巣鴨店」で店員をしていました。同店の入荷は2台、どちらも常にプレイされている状態で、当然インカムは好調。1台はレバーを交換してマニア用に対応もしていました。

『沙羅曼蛇』には平面テーブルとミニアップライトの2種類の専用筐体があって、汎用筐体が主流だった当時としてはとても珍しく、どのお店でもお客さんの目を引いていましたね。また、どちらの筐体も1P・2Pで別々のコイン投入口があるのが特徴なのですが、この機構のため、ちょっとした邪道技が流行り、お店としてはメンテンナンス必須だったことを覚えています。

特記すべきはステレオサウンド。左右のスピーカーから流れる名曲、そして『イー・アル・カンフー』(FC/1985年)や『ツインビー』(1985年)などにも使われている音声合成で、臨場感が溢れていました。

――誌面で本作を紹介してから、SPY大和さんはほどなく攻略記事を書くようになりましたよね。

▲SPY大和氏が当時執筆した攻略記事(『ゲーメスト』1986年4月号より)

SPY大和 攻略法はすべてライターや巣鴨のプレイヤーから生み出されたものでした。入荷初日で1周クリアはもちろん、3周目ぐらいは行っていたんじゃないかな。でもその3周目5面が最初の壁でした。最難関の、円を囲んで出現する通称「囲み」と呼ばれるザブⅡ地帯(*02)と、その後のベルベルム編隊(*03)。ザブ地帯は上手い人でもみんなハマっていました。

最初は1~2周目と同じようにマルチプル(*04)で倒してキャラクターオーバー(*05)でできる撃ち返し弾の隙間を抜けていましたが、至近距離からの攻撃をかわすのは至難の業だし、安定もしない。さらに、そこを抜けてもその後のベルベルム編隊で追い詰められる。そして、ホッとしたプレイヤーを驚かせたボス「デス」の連弾攻撃。巣鴨では最初にそこを抜けたスーパープレイヤーがいて、最終面の脱出でやられて実に残念だったのを覚えています。

――最難関のザブ地帯はどのように攻略されていったのですか?

SPY大和 『グラディウス』の攻略記事を執筆しためぞん一刻(*06)の出身地である博多で、3周目5面に到達する前に偶然発見されたもので、ザブでやられたプレイヤーが、これはもうダメだとヤケクソになったら抜けられたそうです。のちに、弾幕シューティングで有名になるプレイヤーがいるんですが、その人が、めぞん一刻氏の話を聞いて、左右に抜ける攻略パターン「ザブ抜け(*07)を考案しました。さらに、画面最上段で斜めにレバーを入れて擦りつけると左右の移動も安定するという僕のテクニックにも磨きがかかり、最終形態の攻略パターンになりました

ベルベルム編隊はマルチプルを縦に張ると追い詰められてしまうため、レーザー周期(*08)をずらして上段の編隊だけを漏らさず撃つようにする。そして、編隊が2段目に移行するタイミングでミサイルを撃ち、キャラクターオーバーを利用した弾の隙間を移動……というように、こちらも攻略できました。

最後の脱出で斜めに抜けるパターンを発案したのも僕です。いずれの攻略も、記事では大いに反響がありましたね。

実際にプレイした人なら分かると思いますが、細かい攻略をたくさん身につけないと3周目以降対応できないのも『沙羅曼蛇』が高難易度である理由であり、同時に魅力でもあると思います

プレイヤーのプライドと攻略記事のポリシー

▲ゲーム開発者の挑戦にガチで立ち向かった幾多のプレイヤーが攻略法を作り上げていった(画像:「アーケードクラシックス アニバーサリーコレクション」公式サイトより引用)

アーケードゲームの最先端の情報を常に発信していた『ゲーメスト』。ライター陣がゲームの腕にかなりの自信を持っていたのは当然である。『沙羅曼蛇』においても、攻略ライターはリスクを犯してでも最高得点を追い、最終ゴールの1,000万点を目指した。と同時に、読者に対するポリシーも持っていたのがライター陣だ。その点について、引き続きSPY大和氏に聞いてみた。

――『沙羅曼蛇』は難易度が高いゲームでしたが、攻略を安定化できるパターンゲームでもありましたよね?

SPY大和 僕は当時、ゲーセンで上手い人のプレイを見る機会が多かったから、代表してそれらをまとめて誌面で読者に伝えなければ、という使命がありました。『沙羅曼蛇』は難易度が高いわりに、攻略をパターン化できるゲームでもありました。例えば3面のプロミネンスの出現パターンは1周目、2周目、3周目以降という3つのパターンで決まっている、という風にね。100回やって100回できるパターンを画面写真と記事だけでできるだけ分かりやすく構成する。それをポリシーとして、本作の攻略記事を書きましたね。

――SPY大和さんは本作で1,000万点をマークしましたよね(初回5機設定2ミス/於:シティキャロット 巣鴨店)。そこまでの道のりはどのようなものだったのでしょう?

SPY大和 『沙羅曼蛇』は1周およそ15分、だいたい80万点ぐらいの点効率だから、13周ぐらいで1,000万点に到達するんだけど、初回の全国集計では全国トップになれこそすれ、1,000万点には達しませんでした。995万7,200点。この点数は死ぬまで忘れられません。電源投入後、その日最初のプレイだったから、4面ボスの稼ぎができなかった(*09)のも悔やまれました。(使えるのは)3機のみでエクステンド(残機増)もなく、ミスが許されないプレッシャーに3時間以上耐えなくてはならない。ギャラリーもその時はたった1人という寂しい状況でした(汗)。

もちろんその後1,000万点には達成しましたが、シューティングゲームの第一人者・めぞん一刻氏が『グラディウス』で、あえて「995万7,200点」の寸止めでゲームオーバーにし、ギャラリーを沸かせたという逸話を、この機会に披露しておきます(笑)。

自分自身は、店員として働いている間はゲームができないので、よく24時間営業のボーリング場でプレイしていました。5周以上安定してプレイできる仲間7、8人で連れ立って「沙羅回しするぞ!」って。2周交代でプレイしていました。大道芸プレイを狙ったり、タコミスでやられたヤツは周りのみんなにいじられたり、ジュースをおごらされたり(笑)。楽しかったな。

プレイヤーを苦しめた制約とプレッシャーに耐えた攻略ビデオ制作

1988年にはSPY大和氏プレイによる『沙羅曼蛇』の攻略ビデオが発売された。若かりし氏の姿が拝めるこの映像では、「じゃ行きます」「このようにかせぐのだ」といったフレーズも有名になった。収録にはどんな苦労があったのか。話を続ける。

――ビデオリリースにあたっての流れや裏話を教えてください。

SPY大和 販売元のポニーキャニオンさんから『ゲーメスト』の出版社である新声社にオファーがあり、攻略担当の僕に話が回ってきたんだと思います。

ビデオは『A-JAX』(1987年/KONAMI)がメインタイトルで、『沙羅曼蛇』は実はおまけだったんですよね。高難易度シューティング『A-JAX』を、当時は珍しかった女性プレイヤーである『ゲーメスト』ライターの佐藤久美さんがクリアしているのが売りで、それならついでに『沙羅曼蛇』も一緒にリリースしようという流れだったみたいです。ゲーム映像はもとより、プレイヤーも全面に打ち出しているコンセプトのおかげで、今でも若い時の自分の映像が観られるので感謝しています(苦笑)。

収録は当時、九段下にあったKONAMI本社。映像収録用にステージセレクトを付けた開発基板や連射装置……なんてものは一切なかったので、高次周一発撮り。1,000万点のプレッシャーとはまた別の緊張感漂う収録でした。

冒頭で手をニギニギしているポーズとかセリフは、メーカーさんのディレクション。いろんなパターンを撮りました。プロフィールの「SHOOTING SPEED:12shots/1sec.」なんてのは、高橋名人(*10)の16連射を意識したものでした。映像中で時折画面右側に出るキャプション(説明文)は全部僕だけど、ゼロスフォースの所の「ドラゴンのように抜けられる」って、日本語になっていませんね(笑)。

――プレイ内容はどのような方針でしたか?

SPY大和 敵弾が早くなる6周目以降で偶数周の1面が難しかったことから、6周目を通しで収録する予定でした。でも、一発収録しなければならないプレッシャーで、正直いつものレバーさばきができなかった。例えば、3面冒頭でミサイルアイテムを取り逃しているんですけど、体が強ばって手が動かなかった証拠です。

また、がんばりすぎた箇所もありました。1面の細胞シーンで、いつもよりがんばって稼ごうとしたため、マルチプルを稼ぎ体制のL字型に広げたポジショニングにして臨んだのです。ですが、やはりミスしてしまいました。よく見ると、ビデオだとミス直前に編集されているんですよね。点数に注目していると分かっちゃう。

そんなわけで1面を失敗して次の8周目で再チャレンジ。ところが5面でもミスして、その周回もボツに。収録を開始して2時間以上経っていてスタッフもピリピリしている中、その後、なんとか9周目ですべての収録を終えられました。都合3時間以上かかってしまった。関係者には本当に申し訳なかったですね。

最終面でフォースフィールドを張っている意味ですが、最初に取ったフォースフィールドじゃないから敵弾は消せない(*11)けど、モアイのリングは消せるので地味に役立つからです。またフォースフィールドを持ったまま脱出すると、最後に画面下からひょっこり顔を出すところもご愛敬です(笑)。

『沙羅曼蛇』が伝えたもの

▲その後のシリーズに再登場しているキャラクターも多い。本作がKONAMIシューティングの礎となったと言われるゆえんだ(画像:「アーケードクラシックス アニバーサリーコレクション」公式サイトより引用)

インターネットもなく、写真撮影や映像収録もスマホで簡単に、とはいかなかった1986年。情報は、その土地その土地で培われたものが人づてに知られていく雑誌やビデオは貴重な情報源であったのだ

この頃は、ゲームを遊ぶプレイヤーもゲームに真剣に対面していた。筆者もSPY大和氏と同様に有名パズルゲームで同じような体験をしているが、皆、1コインにかける重みと覚悟があった。そして何より、心から楽しんでいたように思う。

当時『ゲーメスト』編集部にいて感じたのは、読者との距離感だった。毎日のように電話でゲームの質問や攻略法を尋ねてくるファンに対し、ライターは都内各地のゲームセンターで情報交換をして攻略法を切磋琢磨し開発していた。そしてその結果が誌面に残る。

『沙羅曼蛇』はランダム要素の少ないパターンゲームである。そのため、日々完成されていった芸術的とも言えるビックバイバーの動きは、プレイヤー達が積み重ねていった結晶なのではないだろうか。

幸運にも筆者は当時留学先で海外版の『沙羅曼蛇』をプレイする機会があり、海外のプレイヤーとの交流も体験した。シューティングゲームなのに乱入当たり前の文化で戸惑いつつ、「隕石やドラゴンに当たってもなぜ死なないんだ!?」といった問答を拙い英語でやりとりし、編集部に手土産として持っていったのを、昨日のことのように思い出す。ゲームの楽しさに場所は関係なかったのだ。『沙羅曼蛇』はそれを教えてくれた忘れられないゲームだ。

本記事を楽しんでもらえるのは40~50代の人だろうと推測するが、熱いゲーマーの思いは今も昔も変わらないということを、『沙羅曼蛇』を通して若い世代にも伝えられたなら幸いだ。

©Konami Digital Entertainment
協力 : Gzブレイン

SPY大和(すぱいきっど やまと)氏

『ゲーメスト』の誌面を彩る雑誌の顔として同誌を牽引した、初期ライターにしてハイスコアラー。トップゲーマーの聖地であった東京・巣鴨のゲームセンター「プレイシティキャロット 巣鴨店」でスタッフも務め、『沙羅曼蛇』(1986年/KONAMI)のほかに『ライフフォース』(1987年/KONAMI)、『飛翔鮫』(1987年/東亜プラン)、『究極タイガー』(1987年/東亜プラン)、『TATSUJIN』(1988年/東亜プラン)などのシューティングゲームで1,000万点達成、『妖怪道中記』(1987年/ナムコ)で1コイン天界クリアなどの経歴を誇る。誌面でそれぞれの攻略記事も担当。また最近では『テトリス・ザ・グランドマスター』(1998年/アリカ)のビッグモード「GMランク」を獲得するなど、そのゲームの才能は幅広い。

八木 貴弘

脚注   [ + ]

01. ゲーメスト : 新声社が1986年に創刊したアーケードゲーム雑誌。1999年に同社が倒産し雑誌は廃刊するものの、その後『アルカディア』(アスキー、後にエンターブレイン)に引き継がれる。その『アルカディア』も2015年に定期刊行が終了。
02. ザブⅡ地帯 : 『グラディウス』でもプレイヤーを苦しめたザブの後継機が『沙羅曼蛇』でも登場、8機~16機のザブⅡが円を囲むように突然出現する地帯。1・2周はマルチプルを円状に配置してタイミングよく撃てばよいのだが、高次周は攻撃すると撃ち返し弾が発生するため、偶数回は真左、奇数回は真右の抜け道を使って脱出するパターンが編み出された。
03. ベルベルム編隊 :ザブⅡ同様、撃ち返し弾が驚異となる編隊群。高次周は1機でも撃ち漏らすと撃ち返し弾に追い詰められるので、しっかりパターン化する必要がある。
04. マルチプル : 自機を追尾して援護する発行体。自機と同じように攻撃し、最大4つまで装備できる。『グラディウス』ではオプションという名前だった。
05. キャラクターオーバー : 画面に表示できるキャラクターの数には限界がある。それを逆手にとって、敵や撃ち返し弾を出現させなくして避けるパターンが編み出された
06. めぞん一刻氏 : 特に『グラディウス』の復活パターンでその名を馳せたトップスコアラー。2002年に逝去。当時、めぞん氏がプレイシティキャロット巣鴨店でプレイをすると、ギャラリーで画面を見ることができなくなったほどである。ご存命ならeスポーツで全世界に名を轟かせたことだろう。
07. ザブ抜け : ザブ地帯において、1~2周目はマルチプルを円に配置してタイミングよく撃てばよいのだが、3周目以降は攻撃すると撃ち返し弾が発生するため、偶数周は左、奇数周は右の抜け道を使って脱出する攻略パターン。
08. レーザー周期 : レーザーの射出タイミングのこと。オプションの動きを調整し、横一線でレーザーを撃った時の途切れ目をなくすことで敵の撃ち漏らしを防ぎ、安定したパターン化が計れる。
09. 4面ボスの稼ぎができなかった : 通常は真ん中上のハッチを早めに破壊することでブルーボールの攻撃を封じることができ、さらにはアイテム取得による稼ぎも行えるのだが、ゲーム起動後初回のプレイでは必ずブルーボールが出現するためにアイテムが取れず、点数が5万点も落ちてしまう。そのため、誰もが電源投入後の初プレイは避けていた。つまり2回目以降のプレイであったなら、1,000万点達成もかなったはずだ、ということを意味している。
10. 高橋名人 : 「16連射」で一世を風靡した、 元ハドソンのフロントマンにして、ゲーム業界でもっとも有名と言っても過言ではないゲームの名人。
11. 最初に取ったフォースフィールドじゃないから敵弾は消せない : 2個目と3個目に取ったフォースフィールドは敵弾を防ぐことができない性質があるので、頼ってはいけない(2個装備させるのも難しい)。ちなみに、『沙羅曼蛇』に4個目のフォースフィールドは出現しないが、もしあったとしたら敵弾は防げただろうという推測がある(本作の海外版を日本向けにアレンジした『ライフフォース』〈1987年〉がそうだったため)。

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