ゲームセンター聖地巡礼「1980代 京都」前編

ゲームセンター聖地巡礼「1980代 京都」前編  IGCC

「ゲームセンター聖地巡礼」第3弾は、30年以上も商用ゲームの開発を務めた、アリカの三原一郎氏を迎えてお送りします。今回の巡礼地は、あの任天堂の本拠地でもある京都。三原氏が学生時代を過ごした京都市内の、約20にも及ぶゲームセンター(以下、ゲーセン)跡地をご案内いただき、思い出を語ってもらいました。

もちろん、突っ込み役として当研究所の大堀康祐所長も同行しています。今回の「前編」だけでもかなりのボリュームになりましたが、現場の我々も笑いっ放しだった三原氏の奇想天外な昔話を、余すところなくご堪能ください。

なお、諸事情で今回写真には登場していない三原氏から、「大昔のことなので、情報は自分の記憶違いもあるかも」と言われていることを補足しておきます。

新作はスコアラー同士で取り合いに
暗黙の掟があった「ビッグキャロット京都店」

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▲三原さんが当時主食にしていたというホームカット(後述)を購入していた「ミスタードーナツ 出町ショップ」はいまだ健在

――今回は三原さんに、京都のゲーセンの思い出を語っていただきます。まずは、特に思い入れが強いお店で、アルバイトもされていたというナムコ直営店「ビッグキャロット京都店」のお話からお願いします。

三原 「ビッグキャロット京都店」は京都のゲーセンの中心的存在でした。スコア集計をしていたので、必然的にハイスコアラーが集まる店となり、ゲームは50台くらいあったと思います。ミスタードーナツのあるビルの地下1階にあったんですよね。

――今回訪問したら、「ミスタードーナツ 出町ショップ」は現存していましたね。

三原 ミスタードーナツ含めて、このビルは変わっていなくて懐かしかったです。

――このゲーセンではどんな思い出がありましたか?

三原 「ビッグキャロット京都店」では、新作が出るとスコアラーの間で、誰がこのゲームをやるかってマウントの取り合いがありましたね(笑)。例えば、ナムコの『トイポップ』(1986年/ナムコ)が出たときも、俺と知人とで取り合いになった。「これは俺がやるゲームやな」ってお互いに思うと、最初の2~3日でスコアが上になったほうが、このゲームのスコアアタックをしてもいいという権利を持つんです(笑)。

大堀 そんなルールがあったんだ(笑)。おもしろいですね。

三原 そのゲームで一番うまいヤツをみんなで推すみたいな、暗黙のルールがあったんです。自分よりうまいヤツがいた場合は、みんなそのゲームから引いていくんですよね。

――お店独自のしきたりがあるというのは興味深いですね。

三原 その『トイポップ』の取り合いをした相手が、当社(アリカ)の今の業務部部長のOです。彼は鹿児島出身なんですけど、京都のコンピューターの専門学校に入学して、「ビッグキャロット京都店」で遊ぶようになったんです。それまで俺が『トイポップ』のハイスコアラーだったのに、ある時いきなり「EXP」とかいう見知らぬスコアネームにハイスコアを塗り替えられていた。「誰やこれ!?」とまた俺が抜き返して、また抜かれて…を繰り返して…。

――謎のニューカマーが出現していたわけですね。

三原 「EXPって誰や!?」と張り込んでいたら、やはり見たことのないヤツでした。仲間に聞いたら、そのOが鹿児島から京都に出てきたヤツで、最近よく店に来るようになったということが判明したんです。

――そこからOさんと仲良くなったのですね。いいお話です。

三原 いや、そこではまだ2人の接触はないです。「そうなんやぁ」で終わり(笑)。

――ひとまず何者かを確認しただけだったんですか(笑)。

三原 はい。当時の京都のゲーマー同士って、暗黙の了解で距離を置くところがあったんですよ。そこからまた2人が仲良くなるのは20年後です(笑)。

大堀 そんなにかかってないでしょう(笑)。

三原 Oとちゃんと話すようになったのはいつ頃だったかなあ。それから1年ぐらいかかったかもしれないですね。

――結構かかっているんですね(笑)。でもそうした、ゲーマーとしてライバルだった方が、今では会社のパートナーというのは、やはり素敵なお話だと思います

ゲームクリアはノーミスを目指す!
『グラディウスⅡ』改変のきっかけは…?

ゲームセンター聖地巡礼「1980代 京都」前編  IGCC
▲大堀所長が立つ扉の向こうが「ビッグキャロット京都店」だった。今は音楽スタジオに

三原 「ビッグキャロット京都店」は、スコアラーたちが「ノーミス至上主義」を掲げていたことでも有名でした。ゲームは当時、どれだけ高いスコアを目指すかという「スコア至上主義」でした。でも「ビッグキャロット京都店」は、ハイスコアよりも、ノーミスでクリアするほうが高く評価されるという風潮のある店だったんです。「1ミス100万点」よりは、「ノーミス50万点」のほうが、評価が上なんです。だから、みんなハイスコアへのポテンシャルはあるけど、『マイコンBASICマガジン※1マイコンBASICマガジン : 電波新聞社が刊行していたゲーム雑誌。読者が制作したさまざまなPCゲームのプログラムが掲載されていた。愛称は「ベーマガ」。大堀所長は、かつて同誌でライターをしていた。』や『ゲーメスト※2ゲーメス :  かつて新声社が発行していたアーケードゲーム専門誌。『マイコンBASICマガジン』と同様、当時、日本全国のゲームセンターのハイスコア集計を掲載していた。』など、ゲーセンのハイスコア掲載をしている雑誌に載るときはスコアとしては負ける。「どっちのほうが偉いの?」ってスコアラー同士で揉めたこともありましたね。

――スコアラーが集まるだけあって、さまざまな文化があるお店だったんですね。当時、「ノーミス至上主義」を掲げるお店はほかにもあったんでしょうか?

三原 いや、ここぐらいですね。俺も当時「ビッグキャロット京都店」の常連というプライドがあったんで、ノーミスでハイスコアを書き換えることにこだわっていました。よそのゲーセンに行って余裕でハイスコア抜けたとしても、ミスありで抜くと「ビッグキャロット京都店」の常連たちからは白い目で見られますからね(笑)。

大堀 村社会みたいで、なんかすごいな(笑)。

三原 単に「ハイスコアを競い合う」という文化が、『ゲーメスト』や『マイコンBASICマガジン』でハイスコア掲載が始まってから、俺たちの間で趣旨変えになったという。

――あえて自分たちの「ノーミス」というやり方で勝ちを目指そう…と。

三原 だから、うちの業務部部長のOなんかは『アレックスキッド with ステラ ザ・ロストスターズ』(1986年/セガ)を2周ノーミスでクリアしているんです。俺が知る限り、人類でそんなヤツは見たことがないんですけど(笑)。ただ、スコアは低いし時間もかかっているんですよね。

――そこまでこだわったプレイスタイルに、ゲーマーのとてつもない信念を感じます。

三原 この店では当時、『グラディウスⅡ -GOFERの野望-』(1988年/コナミ)に関してもある出来事がありました。『グラディウスⅡ』って、最初は7万点ごとに残機が増える仕様だったのですが、その後15万点ごとに変更された。これ、犯人は「ビッグキャロット京都店」です(笑)。

『グラディウスⅡ』が出たときに、この店にマニアが集まって、初日に永久パターンを見つけてカンターストップさせているんです。それを店長に報告したら、店長が某所に連絡した。そのあと2週間もせんうちに新バージョンが出たんです(笑)。

――そんな大きな出来事のきっかけを作っていたとは…。

三原 なので、俺らの中では、俺らがやらかした事件となっていたんですけど、おんなじことを仙台のゲームサークルもやっていたことが後で分かったんです。彼らも『グラディウスⅡ』が出て初日に永久パターンを見つけて、騒ぎになったらしいんです。

――どちらが先かは分からないけど、初日にいろんなところでそういう出来事があったというだけでも、とても興味深いですね。

脚注   [ + ]