ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 京都」特別編~ハイスコアラー三原一郎氏のゲーム体験記~

ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 京都」特別編~ハイスコアラー三原一郎氏のゲーム体験記~  IGCC

「ゲームセンター聖地巡礼 1980年代 京都」の特別編として、アリカの三原一郎氏のインタビューをお届けします。三原氏とは個人的にお付き合いもある当研究所の大堀康祐所長も加わり、当時のアーケードゲーム体験に関するエピソードを語っていただきました。

当時、スコアラーであり、話題が非常に豊富な三原氏。横道にそれた話までおもしろいから困ってしまいます。載せられなかった話も多いのですが、できるだけ詰め込みましたので、本編と合わせてお読みください。

ハイスコアを出すべくしのぎを削った日々
特にガチで極めた『ペーパーボーイ』

ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 京都」特別編~ハイスコアラー三原一郎氏のゲーム体験記~  IGCC
▲ミスタードーナツのあるこのビルの地下に、京都ハイスコアラーの聖地「ビッグキャロット京都店」があった

――京都のゲームセンター巡礼、お疲れ様でした。今回訪問した場所で、三原さんが特に思い入れが強いところはどこでしょう?

三原 そうですねぇ、「ミスタードーナツ 出町ショップ」と「キッチンアベ」かな?(笑)

一同 (笑)

――あ、飲食店以外でお願いします(笑)。

三原 「まだあるんやぁー」と感慨深かったですね(笑)。冗談はさておき、ゲーセンで言うと「ビッグキャロット京都店」と「GAME’s WiLL」ですね。俺はスコアラーとして、この2店舗を軸としていたので。

――その2店舗で、三原さんを含めた京都のゲーマーたちがしのぎを削っていたわけですね。

三原 ハイスコア集計店として有名だったのが、最初は「ビッグキャロット京都店」。その後「GAME’s WiLL」にスコアラーが移行していった感じでしたね。カジュアルな意味で言うと、「ジョイランドタイトー河原町店」にも思い入れがあります。ここではピンボールなどでも遊んでいたし、いろんなゲームが遊べました。どの店が1位というわけではなく、その3店舗が特に思い入れがありますね。

――三原さんが、当時ハイスコアを競うべくプレイしていたゲームは何ですか?

三原 メジャーどころで言うと『メタルホーク』(1988年/ナムコ)ですかね。あと、『ペーパーボーイ』(1984年/アタリ)はかなりガチでやりましたよ。

大堀 チャリンコのハンドルがついている、新聞配達のゲームですよね。

三原 そうです。アップライト筺体にチャリンコのハンドルがついていて。当時、公式に発表されていたハイスコア記録より、俺のスコアのほうがおそらく上です。俺が世界一うまかったはずなんで(笑)。『ペーパーボーイ』ではバグがあって、ボーナスを一定以上取ると、0点に戻ってしまうんです。ある日、最高ボーナスを稼いだときに画面を見ると、全然点が入っていなかった。ボーナスを稼ぎすぎて0点になっているということが発覚したんです。

――極めすぎて機械を超えてしまったんですね。

大堀 設定がメチャクチャなゲームだったよね。自分が1週間新聞配達のアルバイトするんだけど、成績が悪いと新聞の契約をキャンセルされちゃう。でもキャンセルされた場合は、その家を破壊するとボーナス点が入るというね(笑)。

三原 『ペーパーボーイ』は、当時映像を撮ってなかったのは後悔しています。自分で言うのもなんですけど、当時俺が出した記録は絶対抜けないと思うんで。

大堀 それは、記録に残しておけばよかったですね。

三原 当時プレイしたパターンをまったく覚えていないんですよね。今でも『ペーパーボーイ』で遊ぶと、そこそこいいところまではいくんですけど、1面目でなんであんなフルボーナスを叩き出せたんだか分からない。

――三原さんは、当時自分のプレイを映像に撮っていたのですか?

三原 はい。当時、俺がアーケードゲームで全国1位の記録を出したビデオって、家を探したら何個かあるんですよ。全国1位じゃなくても、『未来忍者』(1988年/ナムコ)をクリアしたやつなんかもありますね。たぶん『メタルホーク』もあるし、ほかのプレイヤーの映像もあります。

大堀 『未来忍者』を最後までやったんだ。すごいなぁ。

三原 俺が全国1位の記録を出したゲームは『メタルホーク』と『ペーパーボーイ』、あと『メルヘンメイズ』(1988年/ナムコ)ですね

――そういう映像というのは、カメラか何かで撮るのでしょうか?

三原 外撮りのカメラでも撮りますけど、「ビッグキャロット京都店」は、筺体にRGBケーブルをつなげて直撮りで録画できるようにしていたんですよ。『未来忍者』は「シャトー」で撮った気がしますね。

――当時、そういったプレイ映像を直撮りできるゲーセンって、けっこうあったりしたのでしょうか?

 ほとんどなかったですね。音を録れたりとかはありましたけど。

――では、当時として「ビッグキャロット京都店」や「シャトー」は画期的なゲーセンだったのですね。

三原 当時は「ビッグキャロット京都店」や「シャトー」の常連同士仲が良かったので、みんなで共有して撮っていましたね。

――三原さんは、ビデオゲームのほかにピンボールもプレイされていたのですね。

三原 ピンボールは下手の横好きでしたけどね。当時、一緒に遊んでくれている人たちはピンボールがうまかったんです。だからその影響で、俺も見よう見まねで。4~5回やって、ようやく1回マルチボールできるぐらいの腕前でしたね。そんなにのめり込んではいなかったです。ピンボールに関して、俺はセンスなかったと思いますね。

――でも、楽しかったと。

三原 当時1980年代前半で、音声合成で喋るゲームなんてあまりなかったですけど、ピンボールはベラベラ喋っていて、そういう台詞を聞くのも好きだったし、音も良かったし。そのあたりのエンターテイメント性には惹かれていましたね。家を探したら、ピンボールの音を録ったテープもあるかもしれない。ジョイランドタイトー河原町店」はメンテナンスが良くて、環境は最高でしたよ

ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 京都」特別編~ハイスコアラー三原一郎氏のゲーム体験記~  IGCC
▲大堀所長が立つ「ジョイランドタイトー河原町店」跡地には、ホテルが建つことに…

最初のビデオゲーム体験は水泳教室
『トランキライザーガン』のバグを自力で発見

ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 京都」特別編~ハイスコアラー三原一郎氏のゲーム体験記~  IGCC
▲自転車屋になっていた「人参倶楽部」。この近くにもう1軒、三原氏の思い出のゲーセンがあったという

――三原さんが一番最初に出会ったビデオゲームは何ですか?

三原 たぶん『シェリフ』(1979年/任天堂)だったと思います。「スイトピア」っていう京都の水泳教室のラウンジに、『シェリフ』と『ウエスタン』(1975年/タイトー)が置いてあった。水泳教室に行くと、たまにそれらのゲームを親に遊ばせてもらえて、それが最初だったと思います。

大堀 僕が通っていた水泳教室にも、なぜか『シェリフ』ありましたね(笑)。

三原 小学校低学年のころだったと思います。そこには『じゃんけんピエロ』(1976年/タイトー)もありましたね。ビデオゲームではなく、エレメカですけど。じゃんけんをするんですけど、勝つと「僕の勝ちだー」って言って、負けると「僕の負けだ~」ってすごい残念そうに言うんです(笑)。

――初めて遊んだビデオゲーム『シェリフ』は衝撃でしたか?

三原 いや、特には。まだ子供でしたからね。その後に『カラーテレビゲーム15』(1977年/任天堂)を買うんです。親が買ってくれて、姉と遊んでいましたね。

――100万台売れたという、任天堂初の家庭用テレビゲーム機ですね。

三原 でも、そのときはまだビデオゲームにそんな興味はなかったんです。本気でゲームを遊び始めたのは、中学になってからですね。自宅から離れた中学に通うようになったんですけど、通学の途中にあるゲーセンに寄るようになったんですね。そこから、「ビデオインマツヤ今出川店」などに行き出したんです。

――当時からゲームの腕前は抜群だったんでしょうか?

三原 いや、ヘタでした。そのときやっていた『ムーンクレスタ』(1980年/日本物産)に関しても、クラスメートのほうが上でしたね。ただ、その後『トランキライザーガン』(1980年/セガ)のテクニックで、銃を撃った後にボタンを押しっ放しにすると燃料が減らないというバグを発見したんです

大堀 あの技は、なんであの当時にしてあんなに広まったんですかね。僕の地元、八王子にも広まっていましたからね。

三原 俺は、自分で見つけたんですよ?(笑)。ヘビ、ゴリラ、ライオン、ゾウすべてを眠らせるとボーナスが入るんですけど、燃料の減りが早くなる。そのときに「わっ、止まれや」みたいな感じでボタンを連打していたら、燃料が減らないことに気づいた。そこで、押しっ放しで燃料を減らさない技を編み出したんです。そういえば、俺が初めて自分でパターンを作ってプレイしたゲームが、たぶん『トランキライザーガン』ですね。

大堀 あれ、ちゃんとやるとメチャクチャ難しいですもんね。

三原 その『トランキライザーガン』や『銀河帝国の逆襲』(1980年/アイレム)、『オズマウォーズ』(1979年/新日本企画)などが置いてあった店の跡地が、今回の巡礼で思い出せなかったんですよね。俺がゲーセンデビューしたと言っていい店だったんですが…。「人参倶楽部」の近くにあったと思うんだけどなぁ。悔しいですね。

――では、三原さんが最初に夢中になったアーケードゲームといえば…?

三原 ゲームは慢性的にやっていたんですけど、夢中になったという点では『ロボトロン2084』(1982年/ウィリアムス)まで飛びますね。俺が一番好きなアーケードゲームと言ってもいいと思います。