「好き」という一途な想いから始まった「カルチャーアーツ」
目次
「2010年代は、ゲームセンター(以下、ゲーセン)にとって受難の時代です。
数多くの老舗ゲーセンが倒れ、多くのプレイヤーが悲しみにくれました。筆者が住んでいる福岡でも、福岡地区の名店「モンキーハウス」(2011年1月閉店)が倒れ、学生時代思い出の場所だった「サクセス香椎駅前店」も香椎地区の再開発をきっかけに、2014年3月に閉店しています。特に壊滅的だったのが、西南学院大学を中心とした西新地区です。多数の古参ゲーセンが姿を消し、昔ながらのゲーセンは絶滅。ゲーマーが集う天神エリアでも閉店の勢いは止まらず、「天神GIGO」(2010年2月閉店)を筆頭に、その後もドミノ倒しのように次々とゲーセンが姿を消していきました。
そんな中、2015年3月31日にセガ系列店「天神ハイテクランド」の閉店。それをきっかけにして、とあるレトロゲームセンターの物語が動き出します。
自分の通っていたゲーセンがつぶれた時、多くのゲーマーが思うことは3つです。
1.もっと通えばよかった
2.あ、つぶれちゃったか
3.自分でゲーセンつくっちゃう?
大半のゲーマーは1か2です。だからこそ、ゲーセンが閉店する日は多くの人が集まり、まるで同窓会のように店の最期を見届けます。多くの店と同じく、「天神ハイテクランド」も儚くも最期を遂げる…はずでした。
しかし、3を選んだゲーマーが現れました。しかも、とっておきのプランを持って。
それが、「カルチャーアーツ」でした。
大人の秘密基地
「カルチャーアーツ」は、福岡県天神地区の親不孝通りエリアに店を構えています。そのエリアはライブハウスが多い一方で、オタク街としての一面もあります。漫画専門古書店「まんだらけ」、メイド喫茶、コスプレショップなどのオタク系のショップが集中し、いわば「福岡の秋葉原」といった雰囲気です。
「カルチャーアーツ」の店舗は、そこを知らなければ通り過ぎてしまうようなよくあるマンションの1室にあります。それでも客足が絶えないのは、「わざわざこの店に来たい」と思わせる何かがあるからに違いありません。
それを探るべく、カルチャーアーツが入っている雑居ビルの3階へと階段を上りました。店の通り側に掲げられた手書き文字が目を引く看板、そしてドアの前に飾られた手描きのイラスト。店に入ると、手作り感あふれるアットホームな印象を受けました。
「カルチャーアーツ」の店長は、「天神ハイテクランド」の閉店時に、新たにレトロゲームのゲーセンを開店することを決めました。しかし当時、店長はゲーセンの店員経験はおろか、ゲーセンの経営の経験も一切なかったとのこと。そんな店長が、なぜゲーセンを開店することになったのか? まずはその経緯をお聞きしました。
素人から始めたゲームショップ経営
もともとレトロゲームが好きだった店長には、ある夢がありました。それは、いつか自分の店を出して、レトロゲーム好きの人々が語り合える場を作ることでした。その夢の実現に向けて、若い時からコツコツとレトロゲームやPCゲームを集めていました。
そして2013年。店長の長年の夢が叶い、「ゲオ福岡大博通店」が入居していたビルの地下1階に自分の店をオープンします。当初はゲームショップ大手の「ゲオ」と同じビルに店を出すことは自殺行為と言われたこともあったそうです。
「確かに品ぞろえや最新のゲームでは大手にかないませんが、うちには大手にはない武器がある。それがレトロゲームだったんです!」
オープン当初、「カルチャーアーツ」はステレオ機材を中心に販売していました。レトロゲームはあくまで趣味として、店の片隅に置いていたそうです。
ところが、2014年の福岡 ヤフオク!ドームで開催された大規模フリーマーケット「リユース! ジャパンマーケット」で、店長がそれまで個人的に集めてきたファミコングッズを置いてみたところ、これが飛ぶように売れたのだとか。そこから、「カルチャーアーツ」はステレオショップからゲームショップへと形態を変えていきます。
当時、ゲームショップ経営に対してまったくの素人だった店長は、まずは、自分が良いと思ったゲームショップをまねるところから始めました。店のディスプレイやポップもすべて手作り。店の維持費を抑えるために光熱費を固定し、家賃は格安なところを探しました。とはいっても、店の立地条件は重要です。天神や博多から近い場所にオープンしたことで、買い物帰りの客がふらりと立ち寄るようになり、着実に常連客をつけていきました。
店に置くレトロゲームグッズは、店長が長年開拓してきた独自の買い取りルートを駆使し、ジャンルや製造年代を問わず仕入れるようにしました。常連客が希少なタイトルを持ち寄ることもあったとか。その甲斐あって、レトロゲームに関しては大手でもまねできないほどの幅広い品揃えを実現できたそうです。
ソフトの利幅の問題については、レトロゲームはある程度市場が形成されており、値崩れが起きにくい市場です。レトロゲームのみを仕入れることで、安定した利益を取ることができました。
手探りながらも着実な経営を続けていくことで、自然と常連客が新しい客を呼び込んでくれるという構図が出来上がりました。それに加え、フリーマーケットでの口コミをきっかけに、テレビやネットでも取り上げられるようになりました。「福岡におもしろい店がある」とレトロゲーム愛好者だけでなく一般の人も店に訪れるようになり、「カルチャーアーツ」の知名度は徐々に上がっていきました。
レトロゲーセン開店に向けて
「天神ハイテクランド」が閉店した2015年。「カルチャーアーツ」に通っていたお客さんから、店長に、こんな提案があったといいます。
「天神ハイテクランドが閉店になって、寂しくなったよね。ちょうど隣に空きフロアもあるから、ゲームセンターをやってみては?」
そう言われて、ゲーセンの勤務経験も経営経験もない店長は正直迷ったそうです。
しかし、ゲーセンが続々と閉店していく状況の中、「アーケードゲームで集客力をつけ、もっとレトロゲームに触れられる場を提供したい」と一念発起。店長は、自身の手で中古筐体と基板をかき集め、ゲーセン開業の準備を始めました。
開業にあたっては3つの障害がありました。1つ目は店の固定費、2つ目は初期投資、3つ目はゲーセンの実務経験です。
1つ目の店の固定費は、「カルチャーアーツ」が入居していた空きフロアを同じ条件で借りることで目処が立ちました。光熱費も固定だったため、ゲーセン部門の維持コストも安く済んだそうです。
2つ目の初期投資の問題では、中古基板も取り扱っている「カルチャーアーツ」独自の買い取りルートとお客さんの持ち込みによって、筐体と基板の購入を安くあげることができました。
3つ目のゲーセンの実務経験については、「助けたい」と名乗りを上げてくれたゲーセン勤務経験のある常連客から指導を受けることができました。同時に、周囲のゲーセンにも協力を仰ぎ、見様見真似でゲーム存続に必要なメンテナンス技術をつけていきました。
こうして、2017年6月、「レトロゲームセンターを出してほしい」というお客さんの想いを受け、「カルチャーアーツ」ゲーセン部門のオープンに漕ぎつけました。
当時のプレイ環境を再現するきめ細やかなメンテナンス技術
「カルチャーアーツ」のゲーセンコーナーはゲームショップの奥にあります。稼働数は10台程度とかなり小規模ながら、希少なタイトルを存続させています。
取材時には、『源平討魔伝』(1986年/ナムコ)や『ワルキューレの伝説』(1989年/ナムコ)『GALLOP(ギャロップ)』(1991年/アイレム)など、20年どころか30年以上たったゲームが元気よく稼働していました。
その中には、筆者がよく遊んだ『ケツイ 〜絆地獄たち〜』(2003年/ケイブ)もありました。硬派な世界観と派手な弾幕で筆者を魅了していた縦スクロールのシューティングゲームです。格闘ゲームの合間にプレイして、気分転換をしていました。
特徴的なのは、ロックショットをうまく使ったコンボシステムです。ケイブ(*01)ならではのシステムですが、コンボをつなぐか、またはかわすかでプレイが左右されます。当時、ボム(*02)という選択肢がなかった筆者は、ボムを持ったまま弾幕に沈んでいった記憶があります。
取材中に懐かしくなって、1プレイしてみると、プレイの感触は当時のままでした。滑らかに動くレバーと3つのボタン。きめ細やかなメンテナンスがなされていることが、レバーを握った瞬間に分かりました。
今でこそ十分にメンテンナスされていますが、ゲーセン部門のオープン当時は、メンテナンス技術の習得に苦労したそうです。
「とにかくいろんなゲーセンを見学し、付き合いのあるゲーセンからメンテナンス技術を少しずつ身に付けていきました。『このゲームは連射が必要だよ。ボタン配置はこっちのほうがいいかも』といったお客さんからの意見やアドバイスも、とても役にたちましたね。」
当時を振り返りながら、店長がゲーム筐体の目立つところに置いてあるメンテナンスシートを見せてくれました。
メンテンナンスシートには「気になることがあれば書いてください」という手書きの文字が…。お客さんとの連絡ノートになっているようです。口では言えないゲーマーに対する店長の心遣いがうかがえます。筆者の通っていたゲーセンには連絡ノートなどもなく、問題があれば店員に直接言わなければならなかったので、こういった心遣いはものすごくありがたいです。
「紙でも教えてくれますし、口でも教えてくれました。通ってくれるお客さんがあるからこそ、今のカルチャーアーツがあるんです」
そんなお客さんたちへの配慮からか、「カルチャーアーツ」のプレイ料金は100円2プレイと格安です。基盤の交換を依頼すると500円で終日フリープレイ。土曜日の夜は500円でプレイし放題となります。練習したいゲームがあるプレイヤーにとっては、ものすごくありがたいシステムですね。
【現在稼働中のタイトル】(2018年6月12日現在)
発売年 | ゲームタイトル | メーカー名 |
1986年 | 源平討魔伝 | ナムコ |
1986年 | ファンタジーゾーン | セガ |
1987年 | グラディウス2 | コナミ |
1989年 | ワルキューレの伝説 | ナムコ |
1989年 | クオース | コナミ |
1992年 | 達人王 | 東亜プラン |
1994年 | レイフォース | タイトー |
1994年 | エイリアンVSプレデター | カプコン |
1996年 | ティンクルスタースプライツ | ADK |
1996年 | 19XX THE WAR AGAINST DESTINY | カプコン |
1997年 | Gダライアス | タイトー |
1998年 | ブレイジングスター | SNK |
2005年 | テトリス ザ グランドマスター3-Terror Instinct- | タイトー |
好きなことをすれば、どうにかなる
「このお店はね、僕でなくお客さんが作ってくれたんです」
と小橋店長。素人同然で始めたゲームショップ・ゲーセン経営では、口にはできない苦労もいろいろあったと思います。
「でもね、(レトロゲームを)好きという気持ちがあれば、厳しい試練があってもどうにかなるもんですよ。好きという気持ちを出せばみんなが協力してくれますし、困難も打ち破れます」
惜しげもなくメンテナンス技術を教えてくれた、周囲のゲーセンの店員さん。
メンテナンスシートに気になることを書いてくれる名もなきゲーマー。
博多から天神への移転時に協力を申し出てくれた常連のお客さん。
公式キャライラストを描いてくれたイラストレーターさん。
レトロゲーム陳列用の棚を作ってくれた職人さん。
いろいろな人たちの協力があって、「カルチャーアーツ」の今があります。多くの人が協力を申し出た背景には、レトロゲームをこよなく愛する店長のまっすぐな想いが原動力になっているのだろうと思いました。
好きという気持ちがあれば、どんな困難にも乗り越えられる。
これからも、ゲーム好きという気持ちを動力として『カルチャーアーツ』の歴史は続いていきます。どうか、この歴史がいつまでも続きますように。