『グラディウス』から生み出された芸術プレイ そしてそこからつながった友の縁
目次
『グラディウス』(1985年)はKONAMIを代表するあまりにも有名すぎるタイトルであり、これまで各メディアであれこれと語り尽くされてきた。
『スクランブル』(1981年)の続編として作られたシューティングゲーム、モーニングミュージックを聴くために開店ダッシュ(*01)、ロケテストではオプションが6コ(*02) …などといったゲーム紹介やトリビア的なレビューは識者にお任せしたい。今回は、自他共に認める希代のスコアラー(*03)の話を中心に、『グラディウス』についてファン目線で執筆させていただく。
発売一年後の人気再燃
『グラディウス』は発売から1年後、「復活パターン」で人気が再燃した特異な作品である。「復活パターン」を編み出した人物、それが『グラディウス』の有名スコアラーめぞん一刻(*04)氏である。
彼は、本作が稼働した翌年1986年の年末、ゲーマーの聖地「プレイシティキャロット 巣鴨店」に彗星のごとく現れ、数々のハイスコア記録を打ち出した。
彼によって、名作『グラディウス』のゲームポテンシャルは引き上げられたと言っても過言ではない。『グラディウス』を誰よりも愛し、そして『グラディウス』に誰よりも愛された男だが、2002年に若くして逝去。非常に几帳面な性格で、都内にある彼の自宅には、グッズや自主録画されたゲームビデオなどが、きれいに整頓され、陳列されていたそうだ。それらを肴に、絶えず友人が氏の自宅を訪れてはゲーム話に華を咲かせていたというのも、氏の人望がうかがえるエピソードだ。
生前に氏と交流のあった筆者は、氏から『グラディウス』の攻略方法からその魅力まで、何度となく話を伺ったことがある。今回の「KONAMI 50周年アニバーサリーコレクション記念特集」の執筆にあたり、当時の資料を寄せ集めて振り返ってみると、氏が打ち出してきたこれまでの記録は残すべき史料であると改めて思った。
今回は、めぞん一刻氏(以下、めぞん氏)がこれまで『グラディウス』で編み出した攻略技とハイスコアの軌跡、そして『グラディウス』の魅力を、『グラディウス」が再燃した当時を知る者として、ここに記していきたい。
「復活パターン」という言葉を知らしめた初のシューティング
ゲーセン特有の喧噪の中、ひときわ目立つ音で画面を見ずしてもその在りかが分かる。レーザーの高音や心地良く響くパワーアップのサウンドで、他のゲームに一歩抜きんでた存在感を醸し出していた『グラディウス』。ステージごとに違うBGMもシューティングゲームでは珍しく、モアイや触手といった独特の世界観を見せられたプレイヤーは、「この先のステージはどうなっているのか」と100円玉を積み上げては、たった一度のミスでその夢を絶たれていた。
そんなゲーセンでもひときわ目立っていた『グラディウス』であったが、発売から1年も経つと、新しく発売されるゲームに押され、その役目を終えた感があった。すでにあらゆる攻略パターンが開発され、1,000万点も達成されていた。
1,000万点達成にはノーミス必須が当時の常識であり、一流プレイヤーの間でも「『グラディウス』はミスをしたらおしまい。“復活”は不可能」と結論づけられていたのだ。
ところが、その考えを一蹴するプレイヤーが現れた。彼はどこでミスをしても“復活”してしまうのだ。めぞん一刻氏その人である。
めぞん氏は1980年初頭に福岡・博多より上京し、キャロット巣鴨店で数々の「復活パターン」を披露した。
ここで言う「復活パターン」を、簡単に説明しよう。本作ではミス後の再スタート地点が各面で決まっており、再スタートを切るとすぐに敵は自機を狙い、無数の弾を撃ってくるのだが、攻撃してくる敵の出現・攻撃パターンは同じである。その習性を利用して、最低装備でも抜けられる攻略技を編み出し、これをパターン化させた。これが「復活パターン」である。
めぞん氏は、これまでに2面のザブの攻略や4面最後の弾消しなどを見て、復活パターンを研究・開発してきた。残機をためては、わざとミスして練習するなどし、1986年末に完全な復活パターンを完成させる。
氏の「復活パターン」は、東京の腕利きゲーマーたちの度肝を抜いた。
例えば、最終面最後のハッチが並ぶエリアは復活が困難で知られていたが、氏は「ここの復活でハマる奴は博多にはおらん」と吐き捨てた。弾幕避けが必須の箇所も、一見パターンではなく、ただ弾避けが上手いだけに見えるが、「道が見える」と冷静なレバーさばきでギャラリーを沸かせた。
いとも簡単に”復活”を成し遂げるめぞん氏は、「地元の博多に帰れば俺も3番手クラスのみそっかすプレイヤー」と言い放ち、東京の一流ゲーマーたちの自信を喪失させたほどである。
この「復活パターン」は、私が当時ライターとして在籍していたゲーム雑誌『ゲーメスト』(*05)でも紹介された。編集部には、当時「逆さグラディウス」と呼ばれる攻略記事執筆のための資料ビデオがあり、そこから「復活パターン」が研究されていたことを覚えている。
この資料ビデオは、テーブル筐体を2P側から手撮りで撮影したため、上下が逆の状態で収録されている。ライン撮影ではない映像にはプレイヤーの声が入っており、ガヤも含めた収録時の情熱が、そこには残されている。
このような「復活パターン」人気は、開発者も意図しなかったところだという。「特に1,000万点までやり込まれるとは想定していなかった」と、『グラディウス ポータブル 公式ガイド ~レジェンド オブ I・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・外伝~』(2006年/KONAMI)に掲載された本作開発陣のインタビューで語られている。
『ゲーメスト』では、『グラディウス』が発売して1年以上経過してからも攻略記事を掲載し続けた。そのようなゲームは『グラディウス』が初めてであり、本作の再燃ぶりの証ともいえるだろう。
今でこそ、シューティングゲームの「復活パターン」は、そのゲームを極めるプレイヤーにとってありふれた言葉となっているが、その発端となったのが本作といえる。
シューティングを“アート”した最初の難関、2周目2面ザブ
本作で多くのプレイヤーを絶望させたのが、2周目2面ラストの通称「ザブラッシュ」。ザブとは、画面にワープアウトして自機めがけ特攻をかけてくる敵で、ザコでありながら本作屈指とも言える敵である。その後の『グラディウス』シリーズでも定番で登場する代表的なモブザコとして有名。1周目では、画面後方でオプションを縦に張り、レーザーを撃っているだけで難なくクリアできるザブであるが、2周目以降でその牙をむいてくる。倒すと撃ち返し弾を放ってくるのだ。
攻略法は主に2つあった。「避けまくり」と「撃ちまくり」である。前者はザブの特性を利用し、ビッグコア出現まですべて避けきってしまうもの。後者は反射神経を駆使して、撃ち返し弾も含めてすべてを避けるというものだが、“確実”に“安定”してプレイを続行させるには、完全に避けきるパターン作りが必要だった。
「避けまくり」のパターンを完成する途中で生まれた有名な言葉がある。
ザブは2秒前の自機を狙う――。
厳密に狙っているかどうかはさておき、その特性に気づいたのは、めぞん氏の友人だった。その友人が、ザブ避けの攻略のヒントとして、氏のプレイ中にアドバイスしたのが発端で生まれた言葉で、『ゲーメスト』編集部の間では有名な逸話である。
ザブはプレイヤーによって避け方が千差万別。例えば、画面最下段を左右の動きだけで抜けるといったパターンなどがあり、プレイヤーは皆、自分のパターンルートを持っていた。
調子に乗ったプレイヤーが、「ゲーセンを出たら雨だったとしても、雨粒は2秒前の自分を狙って降ってくるから、傘なしでも避けられるはずだ」などと豪語したとかしないとか…。
点数への極限までのこだわり
とことん点数の稼ぎにこだわるスコアラーであっためぞん氏。その考え方はこうだ。
「どこで死んでも大丈夫となると、いかに点効率を高めるかという考え方に変わる」
「バリアは自機を守るものではなく、点数を稼ぐためのもの」という、一般プレイヤーには到底思いもつかない氏の考え方は、その後のシューティングゲームの「稼ぎ」という文化の始まりだったとも思える。
シューティングゲームを安全に攻略していくには、画面に現れた敵を速攻で撃破するのがセオリーとされているが、「稼ぎ」となると話が違ってくる。例えば、ザコ敵を放出するハッチは点数のかたまりに変わる。ハッチを撃たずにザコを撃つ、レーザーよりもダブルを使ってモアイや触手を極限まで撃つ。そうした稼ぎが1周およそ55万点という高得点につながる。そのために、自機をミスしてしまうかもしれないリスクなどは考えないのがスコアラーである。
稼ぎプレイを極めためぞん氏の腕の高さを証明する、こんなエピソードもある。
めぞん氏がよく通っていた「プレイシティキャロット 巣鴨店」でいつものようにプレイしていたら、ボタンが効かなくなってしまった。冷静な氏は、慌てることなく店員さんを呼び、ハンダゴテで修理を依頼。店員さんがボタンを直している間、レバーと生きているボタンだけで可能な限り敵を避けて残機減少を抑え、復活パターンで何事もなかったかのようにゲームを続行したそうである。
余談だが、筆者が2005年にプロデュースした作品に「レジェンド・オブ・ゲームミュージック~プレミアムボックス~」(サイトロン)というゲーム音楽&ゲーム映像BOX商品がある。この中のDVDディスクには、めぞん氏の『グラディウス』攻略映像が収録されている。氏の生前に撮られたVHSマスターテープ映像を収録したものなので画質が良いとは言えないが、『グラディウス』を世に知らしめた氏の生々しいプレイを攻略映像という形で観賞できるオフィシャルビデオなので、機会があればぜひご覧いただきたい。
『グラディウス』1億点達成プロジェクト
いつだったか、東京・江古田にあったゲーセン「J&B江古田店」で、めぞん氏を含む8名のエンドレスプレイヤーで計画されたプロジェクトがあった。所要時間67時間28分。210周目6面、残機201機でカウンターストップ(ハイスコア画面では1億点直前の点数が記録されるため、表示は99,999,300点)という壮大な結果であった。
このプロジェクトでいくつかのバグが判明した。それは、42周目(6,200万点辺り)で残機が突然消失してしまう現象や、トータルクリア面数が256面になると、撃ち返し弾の速さが突如遅くなって画面に弾が残るようになるが、3周目以降の難易度で通常の復活パターンが通用しなくなるという「256現象」などだ。特に前者の現象が原因で、最難関の逆火山復活を数機のビックバイパーで挑まざるを得なくなったなど、プロジェクトの特異性ゆえのイレギュラーな事態も起きた。
めぞん氏は、これまでに『グラディウス』にまつわる数々の名言を残している。そのうち2つを紹介しよう。
「1,000万点までに120機のエクステンドがあるので、復活が分かれば、要は1,000万点まで120ミスに収めればいい」
「ループするゲームは終わらなくなってからが始まり」
今思うと、人生にも通じるような名言である、とは言いすぎか。そんな名実共に、自他共に認める『グラディウス』の第一人者は、2002年に34才という若さでこの世を去ったのだが、かつて、『ゲーメスト』の誌面コラムでこう語っている。
「僕がグラディウスをここまでやってこれたのも、たくさんの友達、それもグラディウスを通じてできた友達のおかげ。読者の皆さんにもぜひともグラディウスの楽しさをわかってもらいたい。そして僕のように多くの友人に出会ってもらいたい…」(『ゲーメスト』1987年9月号)
そんな氏の言葉に影響を受け、筆者もゲームが縁でできた友達と長年にわたって付き合いを続けている。
めぞん氏との縁が本稿を形にする機会に繋がった。そのきっかけを与えてくれたゲーム文化保存研究所には、この場を借りて深く感謝するばかりである。そして読者の皆さんにもゲームを通じた良縁が訪れることを祈って、締めの言葉とさせていただきたい。
©Konami Digital Entertainment
協力 : Gzブレイン
脚注
↑01 | モーニングミュージックを聴くために開店ダッシュ : 『グラディウス』は「バブルシステム」というマザーボードを使用しており、そのウォーミングアップ時に専用曲「モーニングミュージック」が流れる。この曲は基板起ち上げの時にしか流れず、ゲーセン開店直後の短い時間だけ聴くことができる貴重な音楽であるため、ファンはこぞって開店直後に『グラディウス』の筐体に走った。 |
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↑02 | ロケテストではオプションが6コ : 本作のロケテストバージョンは製品版と比べて難易度が低く、オプションも6個まで付けることができた。しかし、ロケテストでマニアがいとも簡単にクリアしてしまったため、その数が減らされ現在の難易度に落ち着いた。 |
↑03 | スコアラー : 1980~1990年代にアーケードゲームでハイスコアを記録するプレイヤーは「ハイスコアラー」と呼ばれ、「スコアラー」はその略称。もっとも高い点数を出したプレイヤーは「全国トップ(全一)プレイヤー」と呼ばれ、至高のステイタスとなる。記録を最後に更新したスコアラーを「最終保持者」と呼ぶこともある。 |
↑04 | めぞん一刻氏 : 特に『グラディウス』の復活パターンで名を馳せたトップスコアラー。2002年に逝去。スコア経歴では、『グラディウス』(1985年/KONAMI)と『究極タイガー』(1987年/タイトー)で2,000万点、『グロブダー』(1984年/ナムコ)1コイン99面ALLなど。 |
↑05 | ゲーメスト : 新声社が1986年に創刊したアーケードゲーム雑誌。1999年に同社が倒産して雑誌は廃刊するものの、その後『アルカディア』(アスキー、後にエンターブレイン)に引き継がれる。その『アルカディア』も2015年に定期刊行が終了。 |