ビデオゲームミュージックの父・小尾一介氏×大野善寛氏ダブルインタビュー 後編

  • 記事タイトル
    ビデオゲームミュージックの父・小尾一介氏×大野善寛氏ダブルインタビュー 後編
  • 公開日
    2019年01月25日
  • 記事番号
    791
  • ライター
    八木 貴弘

アルファレコードからサイトロンへ――
1980年代から1990年代へかけて、ゲーム業界と同様に音楽業界も様変わりしてきた。ゲームミュージックへの邦楽アーティスト起用、声優のフィーチャー、キャラクターCDの台頭…。

デジタルメディアの進化により、今ではボタンひとつで自宅でも外でも音楽を楽しめる時代になった。そこに至るまで、目まぐるしく変化していった音楽業界の中で、ゲームミュージックというジャンルを切り開いた「サイトロン」の元代表小尾一介(おび かずすけ)氏とプロデューサーの大野善寛氏、両氏が辿り着いたものは何だったのか。

中編ではサイトロンの初期となる「サイトロン・アンド・アート」社についてお伺いしたが、最終回となる後編では、ゲームタイトル数が増えたことにより、2001年に同社から分社した「サイトロン・デジタルコンテンツ」の話を中心にお届けする。

「サイトロン・デジタルコンテンツ」のレーベルとなる「サイトロン・ディスク」制作秘話、「サイトロン」が業界に与えた影響、そして当時の両氏のビジョンについて、当研究所の大堀所長とともに切り込んでいく。ちなみに、大堀所長も筆者も、かつてサイトロンに在籍していた当事者でもある。

【聞き手】
ゲーム文化保存研究所
所長:大堀 康祐
ライター:八木 貴弘

「サイトロン」から「サイトロン・ディスク」へ

▲独立後に抱いていたビジョンについて語る大野氏

――「サイトロン・デジタルコンテンツ」から大野さんが主導するようになりますが、その時お持ちだったビジョン、そしてディレクションについて教えてください。

大野 「サイトロン・デジタルコンテンツ」は「サイトロン・アンド・アート」の音楽・映像ソフト部門として分社した会社でした。

これまでポニーキャニオン内の1レーベルにすぎなかったものから、小尾さんが当初から提唱していた「原盤制作会社をメーカーにしていく」というビジョンの下、まずはポニーキャニオンとのレーベル契約を終了し、新たにソニーミュージックに販売委託をお願いして、「サイトロン・ディスク」という名前で商品を発売することにしました。自ら権利を持ち商品をソニーに納めて販売していただくスタイルに切り替えたんです。

――いい転換だったんでしょうか?

大野 これまでは、与えられた予算内でどれだけ効率良く商品を作るかが命題でしたが、(「サイトロン・デジタルコンテンツ」になってからは)ソフトに投資したコストをどれだけ回収できるか?ということが課題となり、原盤という財産を構築する意味でも、責任というか捉え方もだいぶ変わりましたね

自分たちだけで作業を完結できる環境と体制を作るため、東京の九段下に「サウンドシップ」という自社スタジオを構えました。人も増えて、いろんな音楽ジャンルを制作できる体制を作り上げることができました。声優さんを起用した制作現場も増えてきて、いままでの業務用の音楽制作とはだいぶ様変わりしていった時期でした。

――ちょうど私が大野さんに誘われてサイトロンに入ったのが1998年。最初に『ザ・キング・オブ・ファイターズ(以下、KOF)』(1994年/SNK)のオリジナルサウンドトラックを作ったんですよね。

オリジナルが私、アレンジが小川敬一さん、ドラマCDやキャラクターCDは澁谷知子さんで、それぞれ担当が決まっていました。キャラクターCDは『KOF』とか、SNKさんのタイトルが多かったですよね。八神庵(やがみ いおり)とか草薙京(くさなぎ きょう)はものすごく人気のキャラクターでした。

大野 アーケードの大型ゲームがあって、コンシューマーゲームがあって。ゲームミュージックの大きな転換のきっかけになったのは、やっぱり『ストリートファイターⅡ』(1991年/カプコン)。

「格闘ゲーム」というジャンルを築き上げて、そこでキャラクターというものが確立され、そのキャラクターたちが(彼ら自身の)ボイスでしゃべるようにもなった。そこから、ゲームミュージックに声優さんの要素が加わり、主役交代じゃないけど、キャラクターにスポットが当たるようになった。

これは、カプコンやSNKの格闘タイトルが一つの大きなムーブメントとなっていたわけだけど、その前後に、美少女キャラを全面に打ち出したいわゆるギャルゲーが台頭して来て、ますます声優さんの占めるウエイトが大きくなった。ゲームミュージックはこの2つのムーブメントでだいぶんと変容しました。

音楽業界の著名人も引き込んで…

▲著名人とのつながりが広く、その引き合わせにも光るものがあった小尾氏

――アレンジの話に少し戻るんですが、アーティスト、楽器プレイヤー、アレンジャー、すべてにおいて「こんなすごい人が!」という方々がいましたが、何か代表タイトルはありますか?

小尾 『シャドウブレイン(*01)(1991年/ポニーキャニオン)かな。

大野 その主題歌をアルフィー(*02)が歌ったんです。

小尾 確か、ポニーキャニオンさんから推薦されて、採用したのだと思います。

大野 あとはカシオペア(*03)のリーダー野呂一生さんにS.S.T.BAND(*04)のサウンドプロデュースをお願いしたり、ギャルゲーの『悠久幻想曲 2nd Album』(1998年/メディアワークス発売)ではゴダイゴ(*05)タケカワユキヒデさんに歌をお願いしたことがありました。その辺は僕がアプローチしていましたね。

――ゴダイゴといえば、同バンドギタリストの浅野孝已さんが『チェイスH.Q.』(1988年/タイトー)で作曲者としては参加されていましたよね。

大野 あれはね、もともとゲーム本編でかかわっていたんだと思うよ…確か(笑)。

一同 (笑)

大野 その頃はゲームもタイアップ企画の一つとして扱われるようになっていたので、当然我々としては、この流れも武器にしなければいけないと。

その頃はもう、ゲームCDを出せば(ゲームの)販売促進につながるという時代は終わっていたので、音楽業界の人間をゲームとタイアップさせることでゲームを盛り上げる、ということにシフトチェンジしていきました。そういったことを我々がコーディネーションしますよ、と。

――ラジオ番組もやっていたじゃないですか。それもやっぱりその一環というか。

大野 ラジオ番組のタイトルは「子安・氷上のゲムドラナイト」だったかな。ドラマCDを作るための番組だったんですが、実はポニーキャニオンさんから予算を引き出すための方法論でもあったんです。

一同 (笑)。

――いいんですかそれ言っちゃって(笑)。

大野 要は、ラジオでドラマCDを流すという戦略だった。着眼点でおもしろかったのは、ストーリーが分岐するようになっていて、放送で流れなかったストーリーをCDで聞ける仕組みになっているんです。

ラジオの予告編で、AとBどちらのルートが聞きたいかをお客さん(リスナー)からのハガキで決めて、放送されなかったストーリーは全部CDに入っていますという形で、毎月毎月ネタを変え、いろんなドラマCDを流したね。何年ぐらいやっていたのかな?

――TBSラジオで1996年から2001年までの5年間やっていたようです。

大野 今から思うと、ゲームミュージックもずいぶん様変わりしていましたよね。

脚注

脚注
01 シャドウブレイン : 1991年にポニーキャニオンより発売されたファミコン用RPGソフト。サイトロン・アンド・アートでは同作品のマッキントッシュ版を発売。本作のテーマ曲「SHADOW OF KINGDOM」をアルフィーが作詞作曲した。
02 アルフィー : 1974年にデビューした3人組のロックバンド。1983年の「メリーアン」がヒットし、1984年「星空のディスタンス」や1992年「Promised Love」など、数々のヒット曲を世に送り出す。
03 カシオペア : 1977年に結成されたフュージョンバンド。ギタリスト兼リーダーである野呂一生がアレンジャーとしてS.S.T.BANDに参加。彼がS.S.T.BANDに与えた影響は非常に大きい。
04 S.S.T.BAND : セガのメーカーオフィシャルバンドにして、世界初のゲームミュージックライブを行ったバンドでもある。「S.S.T.」は「Sega Sound Team」かつ「Super Sonic Team」の略。
05 ゴダイゴ : プログレッシブ・ロックバンドの雄。「銀河鉄道999」などに代表される有名曲の多くが英語歌詞であり、メインボーカルのタケカワユキヒデの独特な声質と相まって、邦楽の中でも際立った印象を持つバンドである。

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