『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 前編

  • 記事タイトル
    『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 前編
  • 公開日
    2019年03月10日
  • 記事番号
    901
  • ライター
    前田尋之

今や公共交通機関を使う上での必須のツールとなった『乗換案内』をはじめとした乗り換え案内サービス。それらの草分けといえるジョルダンのルーツはアーケードゲーム開発だった。しかも、名前を出せば誰もが知っている日本物産の『ムーンクレスタ』(1980年)、『クレイジー・クライマー』(1980年)といった名作の数々。一見、畑違いと思える同社がなぜアーケードゲームを開発していたのか。当研究所の大堀康祐所長と見城こうじ氏とともに、全3回にわたって知られざる世界の紹介を試みた。第1回目はジョルダン設立の経緯について迫る。

ジョルダン株式会社
代表取締役社長:佐藤 俊和
監査役:小田 恭司

【聞き手】
ゲーム文化保存研究所
所長:大堀 康祐
ゲームディレクター:見城 こうじ
ライター:前田 尋之

知られざるアーケード開発会社として一躍脚光を浴びたジョルダン

大堀 日本におけるアーケード業界の原点を作ったのはアメリカと言われています。そのアメリカのアーケード業界を発展させた要因として日本が果たした部分は大きいと考えておりまして、今回はそんな発展に寄与した偉大な先人にお話を伺いたいということで、お時間を割いていただきました。ぜひ、いろいろとお聞かせください。

佐藤 去年だったかなぁ。アメリカのとあるメディアがゲームの歴史を紐解きたいということで、うちに取材の話がありましてね。どこから調べたのか、名だたるメーカーに混じってジョルダンの名前が挙がっていたんですよ。英語のメールで問い合わせがあったのですが、今回のインタビューといい、ちょうど今がそういった時代の節目なんですかね。

もっとも、ウチは他のメーカーさんと違い、ジョルダンブランドという形で発売してないですからね。日本物産(以下、ニチブツ(*01))さんの下請けとしてやってきたわけで、なぜジョルダンの名前が出てきたのか分かりませんが、私たちが過去に作った作品が時代を超えて話題になっているというのはうれしくはありますね。

ゲーム開発を機に独立してジョルダン設立

――まず、御社がアーケードゲーム開発の受諾に至った経緯を教えてください。

▲今はなきニチブツの貴重な証言を語る佐藤社長

佐藤 そこに至るまでには、前の会社にいた頃からお話しすることになります。もともとは、オフィスコンピューター(オフコン)を作っていた会社に3年ほどいたんです。オフィスコンピューターを作るくらいですから、開発力があった会社だったのですが、そのリソースを生かした受託開発へと道を転じようとした頃に『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)のヒットがあったんです。そんなブームのときに「ROMをちょっと変えた類似タイトルを作ってくれないか」という話を持ってきたメーカーがありました。そこに対して「他社さんのマネをした製品ではなく、オリジナルのゲームを作るという話であればやらせてほしい」と答えたのがきっかけですね。

先方さんもオリジナルを作るという話に大変乗り気になられまして、「『スペースインベーダー』ってどんなゲームか研究したいので現物を用意してもらえませんか?」と申し入れたら、すぐに筐体を手配してくれました。実は研究も何も、『スペースインベーダー』には私もずいぶんハマっていたクチでして、かなり100円玉を投じていたんですけどね(笑)。

ただ、会社に筐体が持ち込まれたときに周囲から猛反発を受けましてね。システム開発をしていた会社でしたから「僕たちはゲームなんか作りたくない」なんて言うんですよ。それで頭にきましてね。「それなら僕が自分でやるから」と言って、自分たちだけで独立したチームを起こしました。

そんな経緯があって、最初の1作目は「レースゲームを作りたい」という話を頂きました。今は亡くなっていますが、当時の同僚で後にジョルダン創業メンバーとなる本田(*02)という男がおりまして、どのようなゲームにしようかと考えているときに彼が、大好きなトポロジーの要素を入れることを考えついたんです。「メビウスの輪」ってあるじゃないですか。1本の帯をひねってつなぐと表裏がなくなってしまうやつ。あんな感覚のビジュアルをレースゲームに持ち込んだらおもしろくなるんじゃないかということで完成したのが処女作になります。

見城 『ローリングクラッシュ』(1979年/日本物産)ですね。8の字のコース上でドットを食べながら進むゲーム。

佐藤 おかげさまでこれが好評でして、「誰が考えたゲームだ」なんて言われたりしました。本田と2人で「これからはトポロジーだよな」なんて話を笑いながらしていたのを覚えています。

見城 『ローリングクラッシュ』の実際の仕様は、偶数面では外周に追加ルートができることでコース自体が変わり、結果として敵車と(逆走だけでなく)並走ができるようになります。そこがとてもユニークなゲームでした。

佐藤 ゲーム自体の評価は高かったんですが、社内の空気は相変わらずでしたね。新人2人でゲーム開発を仕切って何作か作ったのですが、「やっぱり別の会社を作らなきゃダメだ」ということで、ジョルダンの設立へとつながりました。会社設立後の最初の顧客もニチブツさんだったんですよ

▲『ムーンクレスタ』は現在「アーケードアーカイブス」からニンテンドースイッチ版とPS版が販売されている(動画はハムスター公式チャンネルより。プレイ画像は海外向けのもの)

設立1作目が『ムーンクレスタ』でして、これはヒットしましたね。で、2作目が『クレイジー・クライマー』。契約のやり方とか、当時よく分かっていればロイヤリティ契約にしたんでしょうけど、『ムーンクレスタ』の受諾金額が300万円、『クレイジー・クライマー』が800万円だったかな。創業間もない頃だからとはいえ、ずいぶん安い金額で受けたもんだと自分でも思います(笑)。まあ、仮にロイヤリティ契約だったとしても、あの当時の僕たちだったらあっという間に使ってしまって、今とはぜんぜん違うことをやっていたかもしれません。ちなみに、そのときに手伝っていたメンバーの中に、今僕の横に座っている小田がいて、彼は現在もうちの常勤監査役をやっています。

アーケードゲームを作る一方、この頃Apple Ⅱ(*03)が出て、それで動いているアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームを見ておもしろそうだなとは思っていたのですが、同時期にTMS9918(*04)というデバイスを目にして「こんなつまらないのやりたくないな」なんて言っていたんですよ。

家庭用ゲーム機の市場を鼻で笑っているうちに、その後にファミコンブームが来ちゃいましてね。自社ブランドでのメーカー参入のチャンスに乗り遅れてしまいました。基本的に受託体質だったのもありましたが、間接的にファミコン開発の受託でお声がかかることはあったものの、もったいないことをしましたね。

脚注

脚注
01 日本物産 : 1970年創立。アーケード、コンシューマー製品などを手掛けたゲームメーカー。シューティングゲームや麻雀ゲームなどで有名。『ムーンクレスタ』『クレイジー・クライマー』『ジャンゴウナイト』『テラクレスタ』など多数のヒット作を発表し、「ニチブツ」の名で親しまれたが、2009年に事業停止した。
02 本田光雄 : ジョルダン社の創業メンバーで、ニチブツの『ムーンクレスタ』などのプログラミングを担当した。
03 Apple Ⅱ : 米Apple社が開発・発売した世界初の個人向けコンピューター。オープンアーキテクチャであるため誰でも開発に参加することができ、多数の名作ソフトが発売された。
04 TMS9918 : 米テキサス・インスツルメンツ社が開発したVDP(画像表示プロセッサー)。セガのSG-1000などのゲーム機や、トミーのぴゅう太、その他MSXなど多数のコンピューターに搭載された。

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