マイ・ベスト・アーケードゲーム Vol.03 上田和敏(ゲームデザイナー)

  • 記事タイトル
    マイ・ベスト・アーケードゲーム Vol.03 上田和敏(ゲームデザイナー)
  • 公開日
    2019年03月09日
  • 記事番号
    897
  • ライター
    IGCCメディア編集部

日本のゲーム業界を牽引してきたゲームクリエイターの重鎮やゲーム情報通でもあるゲームライターや業界関係者が、個人的に好きだったアーケードゲームをランキング形式で選ぶ「マイ・ベスト・アーケードゲーム」。

第3回となる今回は、『Mr.Do!(ミスタードゥ)』(1982年/ユニバーサル)、『ソロモンの鍵』(1986年/テクモ) などを手掛けたゲームデザイナーの上田和敏氏。

当サイトでもおなじみの上田氏が選んだペストゲーム10とは何なのか? さっそく見てみましょう!

上田 和敏 氏

1954年生まれ。業界黎明期から活躍するゲームデザイナーの先駆け的存在。ユニバーサル勤務時代に『Ladybug(レディバグ)』(1981年)や『Mr.Do!(ミスタードゥ)』(1982年)、テーカン勤務時代に『スターフォース』(1984年)や『ボンジャック』(1984年)などの有名タイトルを手掛ける。その他、アトラス勤務時代に『女神転生』シリーズ(ナムコ、アトラス/1987年~)や『ダンジョンエクスプローラー』(1989年/ハドソン)、『キング オブ キングス』(1988年/ナムコ)など、アーケード、コンシューマー問わず多数の人気タイトルを企画。ジー・モード勤務時代には、モバイルにおいて新たなコンセプトを持った対戦ゲームサイトや『競馬ゲーム』など多数のカジュアルゲームにかかわる。現・サウザンドゲームズ取締役。

No.1 『ブレイクアウト』(1976年/アタリ)

「ブロック崩し」の始祖であり、私をゲームの世界に誘ってくれたゲームです。私が、後に入社することになるユニバーサルを知ったのは、本作の日本版となるユニバーサル製の『スクラッチ』(1977年)が近くのゲームセンターに設置されていたからでした。42年前(2019年現在)のことですが、どのゲームセンターのどこに設置されていてどんなふうに遊んでいたのか、その時の風景を鮮明に覚えています。

これがきっかけとなり、1977年にユニバーサルの求人に応募しました。私のゲーム人生をスタートした記念すべき年となります。
入社当時は「テーブルゲーム」になった『スクラッチ』を喫茶店に置かせてもらうことから始まりました。このゲームとの出会いがなければ、ゲームを仕事にすることはたぶんなかったと思います。もしゲームを仕事にしなかったら、どんな人生を送っていたんでしょうかね?

No.2 「スペースインベーダー」(1978年/タイトー)

▲2018年に本作は40周年を迎えた。動画はそれを記念して作られた公式プロモーションビデオ

歌舞伎町で初めて本作に出会い、衝撃を受けました。翌日、たまたまエレベーターで社長とばったり会い、出会い頭に社長に一言「インベーダー作りましょう!」と…。こんな時代でした。この一言がきっかけで、私はゲーム開発の道に進むことになりました。

今思うと、その日のエレベーターで社長に会わなかったら、ゲーム開発をやっていたかどうか! ゲーム企画の専門職なんて職業は、まだほとんど確立されていない時代です。この後「インベーダーブーム」という渦の中に巻き込まれていくことになります。

このブームから世間で「ゲームが文化」として認められていくようになり、それを肌で感じることができた時代でした

No.3 『ディグダグ』(1982年/ナムコ)

▲Wiiバーチャルコンソールアーケード用『ディグダグ』のプレイ動画(バンダイの公式YouTubeチャンネルより引用)

1981年10月28日、私の処女作となるゲームのROMを携えて「AMOAショー(*01)」へと向かうアメリカ行きの飛行機の中で、「『ディグダグ』を参考にゲームを作ってほしい」との指示を(ユニバーサルの社長から)もらいました。私の2作目となる『Mr.Do!(ミスタードゥ)』が生まれた瞬間でした。

このゲームは、2つの奇跡的な出来事、そして1つのゲーム作りの「心構え」を教えてくれたゲームでした。1つ目の奇跡は、敵を攻撃する武器の「スーパーボール」との出会いです。2つ目は内緒にしておきます。
そして「心構え」は、「作りたくてしようがなくなる感覚」を教えてくれたことでした。この感覚が持てた企画は、今までに失敗したことがありません(マジですか?)。

No.4 『ゼビウス』(1983年/ナムコ)

▲Wiiバーチャルコンソールアーケード用『ゼビウス』のプレイ動画(バンダイの公式YouTubeチャンネルより引用)

『ゼビウス』に出会ったのは、ユニバーサルからテーカン(後のテクモ)に移った頃でした。この頃はアーケードゲームに影響を受けることが多かった時代で、私も本作の影響を受けて初めて「シューティングゲーム」を作ることになりました。それが『スターフォース』(1984年)です。紆余曲折の末、『スターフォース』を無事に完成させることができました。

No.5 『クレイジー・クライマー』(1980年/日本物産)

当時、東京晴海で「アミューズメントマシンショー(*02)が行われていました。その時、私はリースで扱う機種の仕入れの担当もしていたので、出品される新作に点数をつけて評価していました。全国の営業所に送る分の仕入れなので真剣勝負です。

この頃は、本当に新しいコンセプトを持ったゲームが多く出品されていて楽しかったですね! その中でも本作は、2本のジョイステックが素敵な輝きを放ち、当然高得点をつけたタイトルでした

No.6 『ギャラクシアン』(1979年/ナムコ)

銀座のナムコのロケテストで初対面した作品です。美しい画面に目を奪われました。ハードの技術進歩がゲームのアイデアを引っ張っていくことを強く意識させてくれました。ナムコが永遠のライバルになった瞬間でした…。

No.7 『ジャンピューター』(1981年/三立技研)

歌舞伎町のゲームセンター「KIGAWA」で本作を初めて見た時、そのあまりの独創性に衝撃を受けました。
ランダムに自模(ツモ)る牌で上がりを目指す
今までになかったルールを受け入れられたことも、自分にとって衝撃的な出来事でした。その後、私の「ランダム大好き」に火をつけ、確実に自分のゲーム開発に影響を与えた1作です。

No.8 『ミサイルコマンド』(1980年/アタリ)

トラックボールを使った、新しさ満載の魅力的で大好きなゲームです。
日本で発売されて約半年後の1981年1月にロンドンで行われた「ATE(Amusement Trades Exhibition)ショー」で、本作が取り上げられました。
見たこともない弾幕! 見たこともないようなスーパープレイが、たくさん並んだモニター上で行われおり、圧巻の一言でした。日本のプレイヤーに負けず劣らず世界のプレイレベルを感じさせてくれたゲームでした。

No.9 『ジャウスト』(1982年/ウィリアムス)

当時テーカンで同僚だった「みっちゃん」(石塚路志人氏 (*03))から「上田さん、歌舞伎町におもしろいゲームがあるから見てきたら」と言われ、早速その日に見に行くことに。このゲームこそが、『ジャウスト』でした。

重力と慣性のある主人公の「ダチョウ」の動きに一目ぼれし、わずか12時間後にペラ1枚の企画書で社長の決済をもらっていました。最短記録で『ボンジャック』(1984年/テーカン)の開発をスタートさせました。

No.10 『QIX(クイックス)』(1981年/タイトー)

1981年10月の「AMOAショー」で出会ったゲームです。私見ではこのショーでNo.1ゲームでした。一部の人が長く遊んでしまうゲームだったため、調整を最大難易度にせざるを得なくて、残念ながら大ヒットに至らなかったようです。

私の人生に大きな影響を与えたゲームたち

私のゲーム人生に大きな影響を与えたゲームは本当にたくさん、たくさんあります。
今回の「マイ・ベスト・アーケードゲーム」で、それらのゲーム たちを選んでみることにしました。今回の企画は、私がこれまで歩んできたゲーム人生を今一度見直す、よい機会となりました。

ゲームデザイナー 上田 和敏

IGCCメディア編集部

脚注   [ + ]

01. AMOAショー : 1980年よりAmusement & Music Operators Association (アミューズメント&音楽事業者協会)が主催しているアーケード・家庭用ゲームを中心とした国際展示会。2009年から「Amusement Expo」、2016年から「Amusement Expo International」としてラスベガスコンベンションセンターで毎年3月に開催されている。公式サイト
02. アミューズメントマシンショー : 1963年より日本アミューズメントマシン協会(JAMMA)の主催で開催されていたアーケードゲームの展示会 。2013年に全日本アミューズメント施設営業者協会連合会(AOU、現・日本アミューズメント産業協会 施設営業事業部)が主催する「AOUアミューズメント・エキスポ」と統合され、「ジャパン アミューズメント エキスポ(JAEPO)」となった。
03. 石塚路志人(いしづか みちしと) : プログラマー。後に、『ワンダーボーイ』(1986年/セガ)で知られるソフト開発会社エスケープ(1987年ウエストン、2000年ウエストン・ビット・エンタテインメントに社名変更)を設立。

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