ニチブツ・ゲームミュージック変遷記 前編
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- 記事タイトル
- ニチブツ・ゲームミュージック変遷記 前編
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- 公開日
- 2018年10月18日
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- 記事番号
- 601
1984-1985年 技術は光るもヒットの不在が続く
『ローラージャマー』(1984年)は、当時としては先進的といえる拡大縮小機能を基板に搭載した、擬似3Dレースゲームだ。
音源構成は『ダチョラー』と同じくPSGチップ3個だが、本作ではトーンとノイズがミックスされたヌケの良い音のスネアドラム(*01)や、金属的な質感のクローズ/オープンハイハット(*02)を初めて聴くことができる。
この独特のドラムセットは、ファンなら一聴すればすぐにピンとくる、いかにも“ニチブツ”を感じさせる音。後のFM音源期に通称「ニチブツドラム」と呼ばれる音の始まりは、ここにあったのだ。
続いて『チューブパニック』(1984年)。本作は『ローラージャマー』の拡大縮小機能に加え、業界初と言われる回転機能を持たせた基板を採用した3Dシューティングゲーム。
音源がPSGチップ3個という点ではこれまでと同じだが、アナログ回路を通すことで一部のPSGパートにワウ(*03)のようなエフェクトを効かせるなど、ほかに類を見ない深みのある出音を実現していた。
力を入れたサウンドをアピールするためか、高木一郎(*04)作曲による、当時としては長尺のニチブツ初のアトラクトサウンドが用意されるなど、志の高さが随所に見られる一作である。
この時期は、新しいアイデアとそれを実現させるためのハードウェアが積極的に投入され、技術的にも目を見張るものがある。しかし、ヒットには恵まれず出回り台数も少なかったため、音楽に注目される機会もないまま姿を消す作品が続いていた。
このような状況の中、本サイトにも何度も登場しているゲームクリエイター・藤原茂樹(*05)氏による初企画『マグマックス』(1985年)がスマッシュヒット。引き続きPSGチップを3個搭載し、全8シーンそれぞれにBGMが用意されていた。
この時代、シーン(ステージ)ごとにBGMが用意されているというのはまだ珍しく、他社でも『マーブルマッドネス』(アタリ/1984年)、『グラディウス』(コナミ/1985年)、『ドラゴンバスター』(ナムコ/1985年)、『魔界村』(カプコン/1985年)など一部の作品に限られていた。
この『マグマックス』の、中国的な香りも漂うBGMの作曲は山田良一氏(*06)。彼こそ、当時のニチブツのサウンド開発システムを構築した人物である。
PSG楽曲用のサウンド開発システムは、現時点で2種類の存在が確認されている。1つはPSGチップが1個組み込まれたアルミ製の小箱にSMC-777(ソニー)が接続され、エディタで8小節まで入力可能な通称「玉手箱」。
これは、前述のアルミ小箱に、なぜか「たまて箱」と書かれていたかららしい。もう1つはPSGチップ3個を使ったもので、PC-8001(NEC)に接続され、より長い小節を入力することができたようだ。
ちなみに、ニチブツゲームには、残り1機になると再スタート時の音楽が変わるという特徴があるが、これは藤原氏の発案により『マグマックス』にて初めて採用されたものだ。
参考:筆者ブログ「吉田健志に訊く、ニチブツゲームサウンド制作の記録」
協力:小林寿一、System11、船場洋志、野木貴弘、hally(VORC)、藤原悟、MaruMaru(順不同・敬称略)
協力・写真資料提供:吉田健志
次週予告
今回はニチブツゲームの音楽史前半を振り返り、「ニチブツサウンド」の原点に迫った。
後編では、音楽技術の進化でさらに「ニチブツサウンド」も昇華していく1980年代後半から、時代の流れとともにニチブツが終焉を迎える2000年代までの変遷を辿る。
次週公開予定。
脚注
↑01 | スネアドラム : リズムの中心となる音を打ち出すドラム・セットの中心的存在。「ドン、タン、ドド、タン」というリズムにおける、「タン」を担うことが多い。 |
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↑02 | クローズ/オープンハイハット : ハイハットとは、上下2枚のシンバルを専用スタンドにセットしたもの。足元のペダルを使って2枚のシンバルの間隔を調節(オープン/クローズ)することで音の余韻が変化する。「チキチキタカチキ」などと主にリズムの刻みを担う。 |
↑03 | ワウ : 足元のペダルを操作することで強調される周波数帯を変化させるエフェクター。その名の通り「ワウワウ」とうねったサウンドが得られる。 |
↑04 | 高木一郎 : アイレムで初代のサウンド担当となり、『ムーンパトロール』『ジッピーレース』などの作曲を担当。その後、日本物産に移籍して『ローラージャマー』『チューブパニック』などを担当した。 |
↑05 | 藤原茂樹 : ニチブツを代表するゲームデザイナー。1980年代半ば以降のアミューズ部門を統括し、『テラクレスタ』をはじめとする数々の作品を送り出した。合体ロボ、トリッキーな動きの敵など、当時のニチブツゲームのイメージは氏によるもの。『テラフォース』を最後にハドソンに移籍。『ボンバーマン』を多人数対戦に対応させ、大ヒットに導いた。 |
↑06 | 山田良一 : 1980年代にサウンド担当としてニチブツに在籍。『マグマックス』などのサウンド全般を手掛けつつ、ニチブツ独自のPSGやFM音源のサウンド開発環境を1人で構築した。 |