バンダイミュージアム探訪記~アーケードゲームも移植されたLSIゲームの魅力(後編)

  • 記事タイトル
    バンダイミュージアム探訪記~アーケードゲームも移植されたLSIゲームの魅力(後編)
  • 公開日
    2018年11月01日
  • 記事番号
    645
  • ライター
    こうべみせ

前編ではバンダイが発売していたLSIゲームについて、アーケードビデオゲームからの移植作を中心に、「おもちゃのまち バンダイミュージアム」館長の金井正雄氏からお話をうかがった。

館内にはレトロゲーム機を展示しているコーナーもあり、インタビュー時に用意してくださったゲーム機以外を見ることができるという。今回は、金井館長に案内していただき、展示中のレトロゲーム機を紹介するとともに、バンダイミュージアム内の紹介も併せてお送りする。

誰もが子供時代を思い出すジャパントイミュージアムエリア

▲新旧の日本のおもちゃが展示されているジャパントイミュージアムエリア

エントランスホール左手には江戸時代から現代までのおもちゃを展示しているジャパントイミュージアムエリアがある。

ジャパントイミュージアムエリアに入って最初に目に入ってくるのが、ブリキのおもちゃの数々。筆者の世代(昭和40年代初頭生まれ)にとっても幼稚園に入る前くらい、物心がつくギリギリの年齢ころに持っていた記憶がある。そう考えると自分の世代は、戦後から現在に至るまでの遊び・おもちゃ・ゲームは一通り体験している黄金の世代なのではないかと思えてくる。

エリアに入った途端、希少価値のあるレトロトイに圧倒

――ブリキのおもちゃは、私が幼稚園に入るギリギリくらいの頃にはまだありました。今回初めて見るようなものから記憶に残っているものまで、数に圧倒されているのですが、こちらで展示しているものについて教えていただけますか。

▲プレミアもののブリキ製おもちゃが並ぶ

金井 これらブリキのおもちゃは、昭和30年代から40年代にかけて輸出されていたものです。 日本で生産してほとんどをアメリカに輸出していました。この頃の日本は経済的にあまり豊かとはいえなくて、国内では売れないので輸出品として作っていたんです。なので、当館があるこの工業団地も、できたころは輸出玩具人形組合と言っていたんです。名称の頭に「輸出」と付いていたのが、当時の状況を物語っていますね

――ブリキのおもちゃに混じって電車のおもちゃが展示されていますが、この青色のレールは今でも目にします。電車本体の作りは時代を感じさせるものですが、もしかするとこれは有名なあの商品でしょうか。

▲手動で電車を動かしたプラレールの初代バージョン(1959年頃)

金井 これはトミー(現 タカラトミー)さんのプラレール初代バージョン。当時は、今のように電池とモーターで動かすのではなく、手で電車を動かす方式でした。

――古いプラモデルもあるんですね。

金井 マルサン(*01)原子力潜水艦ノーチラス号です。ここに展示してあるのは復刻版だけど、日本で最初のプラモデルとして紹介しています。「プラモデル」という名称はマルサンの登録商標だったので、我々バンダイは「バンダイのプラモデル」という言い方ができなかったんですね。

▲マルサンの潜水艦ノーチラス号(1958年頃、写真は復刻版)

その後、1975年に商標権が日本プラスチックモデル工業協同組合に移って、組合員ならどこでもこの名称を使っていいようになった。そして、ここ10年ほどでようやく一般名称として「プラモデル」と言えるようになったんですよ。私が静岡でプラモデルに携わっていたころは、説明書のチェックを忘れてしまってプラモデルと書かれているのが見つかると「プラスチックモデルって書かなきゃダメだろ」って怒られましたねえ。

――どれも保存状態がよく、見事なコレクションですね。俗っぽい話で恐縮ですが、テレビの鑑定番組でも高い価値があると鑑定されているものばかりですね。

金井 当館のコレクションは北原さん(*02)にも見てもらっています。だいたいのものは北原さんに評価していただいているかな。公表できるものについては評価額と一緒に展示しています。

▲ 5人のギャング(1950年頃)

このロボットは「5人のギャング」と呼ばれているものでして、マスダヤ(*03)さんが発売していたおもちゃです。輸出のみで日本では販売していませんでした。ロボットには5つのバリエーションがあったのですが、ここにあるのはそのうちの3体です。現存数が少なく、特に赤いロボットは日本にはほとんど存在していません。十数年前の話ですが、オークションに出ていたことがあって、1体800万円の値がついていましたよ。

ブリキのおもちゃもいろいろありますが、数の少なかったもの、売れなかったものが今になって希少価値があるということで高くなっていますね。

すぐそこに同じブリキの新幹線を2つ展示しているのですが、それぞれ価値が異なるんです。どこで違いが出るか分かりますか?

――ボディ横に書かれている文字が「夢の超特急」と「新幹線ひかり号」に分かれていますが、そのへんの違いでしょうか。

▲ 夢の超特急(1963年頃)

金井 知らない人には何気ないブリキの新幹線だけど、「夢の超特急」と書いてあるほうは価値が跳ね上がります。逆に「新幹線ひかり号」と書いてあると、価値が下がってしまうんですよ。これは発売時期によるものなんですね。実物の新幹線ひかり号が走り始めたのが1964年からなんです。それ以前に、「こういう電車が走りますよ」と想像のデザインを国鉄(現 JR)が発表して、それを見てメーカーはすぐにおもちゃ化してしまう(笑)。0系新幹線にほぼ近いデザインでリリースされたのですが、新幹線という名前は、まだ一般に知られていないんですね。
それで「夢の超特急」と書いたんです。発売時期が新幹線開業1年前の1963年。1年間だけ「夢の超特急」と書かれていて、その後は「新幹線ひかり号」と書き直したものが大量に出回るんです。だから、同じ型を使って作られていても価値が全然異なってしまうんです。

脚注

脚注
01 マルサン : 正式名称はマルサン商店。1947~1968年に存在した日本の玩具メーカー。ブリキ玩具やプラモデル、ソフトビニール人形で人気があった。現在はマルサンに引き継がれ、人気を博したソフトビニール人形の復刻版などを販売している。公式サイト
02 北原さん : 玩具コレクターの北原照久氏。クラシック玩具に関する第一人者で、テレビの鑑定番組にもよく登場している人物。横浜市にあるブリキのおもちゃ博物館館長を務め、全国6カ所でコレクションを公開している。
03 マスダヤ : 現在の増田屋コーポレーション。創業は江戸中期、8代将軍徳川吉宗の時代(1724年)という、老舗中の老舗の玩具メーカーである。公式サイト

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