カーチェイス気分MAXの『ヘッドオン』は元祖ドットイートゲーム!!

  • 記事タイトル
    カーチェイス気分MAXの『ヘッドオン』は元祖ドットイートゲーム!!
  • 公開日
    2018年01月08日
  • 記事番号
    154
  • ライター
    高橋 ピョン太

時は1979年、前年からのタイトー『スペースインベーダー』の大ブームで、それまでのゲームセンター、ボウリング場、デパートの屋上のゲームコーナーに加えて、いわゆるインベーダーハウスと呼ばれる新興のゲーセンや、テーブル筐体をずらりと並べた喫茶店など、いたるところでアーケードゲームがプレイできる、ゲーム好きには非常にいい時代の到来でした。

当時は、猫も杓子もありったけの100円玉を握りしめ、『スペースインベーダー』を長時間プレイするというスタイルが当たり前の空前絶後のブーム。本当にみんなインベーダーに侵略されていましたねー。

しかしブームも1年続くと、プレイの面では名古屋撃ちなる超必殺技がそこかしこに蔓延し、誰でも高得点が出せちゃうし、偽物のインベーダーゲーム機もはびこり、そろそろ『スペースインベーダー』にも飽きたなぁという雰囲気が世間には漂い始めたのです。

そんな中にきら星のごとく現れたのがセガ(現・セガ・インタラクティブ)の『ヘッドオン』でした。

©SEGA

初めて『ヘッドオン』を見たとき、今となっては理解しがたい話ですけど、まずゲーム画面の背景が青いことに驚きました。それまでのゲームは、背景は黒が当たり前、画面の描画は白が前提。ブームとなった『スペースインベーダー』でさえ、最初は白黒画面で、人気が出て、セロファンのようなカラーフィルムが画面に貼られ、なんとなくカラーっぽくなり、最後にやっと色が付いたというプロセスを経てカラー化ですから。

それが『ヘッドオン』は最初から青い背景で、自分の車が黄色、敵の車が赤という、ハイカラなゲームたったのです。

自分の車と敵の車がサーキットを互いに逆向きに走りあっているというゲームのシチュエーションにも驚かされました。何、これ? ぶつかるの必至? そんな中を相手の車にぶつからずに画面上のドットをすべてゲットせよって、無茶な……。無茶な設定だからこそ新鮮で、ひと目見ただけでプレイしてみたくなったのです。

元祖ドットイートが超新鮮

気持ちは『スペースインベーダー』の次にハマれるゲームを見つけたぞ!! という感じでした。この特集は「あなたが生まれて初めてハマったアーケードゲーム (80年代編)」というテーマなので、初出が1979年の『ヘッドオン』は若干テーマからずれますが、1980年になっても延々プレイし続け、お金をたくさんつぎ込んで自身の腕を磨いた初めてのゲームということで、お許しください(汗)。

『ヘッドオン』をプレイしての第一印象は、超ムズいゲームでした。『スペースインベーダー』なら、100円あれば何分でも遊べるのに、『ヘッドオン』は下手すると100円で1分も持たない。これには焦りました。100円は、当時の自分にとっては貴重な資金ですから…。

ゲームは互いの車が背中合わせの状態からスタート。よーいドンで車は走り出します。車は敵にぶつかるか、すべてのドットを消すまで止まりません。プレイヤーが操作できるのは、コースの4カ所の切れ間での車線変更と、自分の車の速度調整のみ。車の速度はボタンを押すと高速、離すと低速の2段階です。なお敵の車の速度は、自車のような速度変化はないですが、プレイヤーがドットを消せば消すほど徐々に速くなります。が、こちらの車以上に速くなることはありません。車線変更ポイントでは、高速時は1車線しか変更できませんが、低速時は2車線の車線変更が可能。実はこれが攻略のポイントとなります。

『ヘッドオン』は、すべてのドットを消すと1面クリアで、2面クリアすると敵の車が2台になり、2台の状況で2面クリアすると、今度は3台となる。車は、3台が最高で、8面をクリアするとまた1台からと、その繰り返しになります。

ドットは時々敵の車が通過すると、赤い菱形に変化することがあり、この赤いドットは高得点となります。

なお敵の車にぶつかると自分の車が1台減り、3台の車を失うとゲームオーバー。ちなみに車がぶつかると、また同じ面からのリスタートとなり、それまでに消したドットはすべて復活し、最初からやり直しです。

このドットを消すというルールが新しかったのです。今となっては超有名ゲーム『パックマン』の世界的大ヒットのおかけでドットイートゲームは、誰もが知るタイプのゲームですけど、元祖は『ヘッドオン』。ドットを取るか、相手の車をよけるか、この葛藤と迷いがこのゲームのハマりの要素でした。

△アップライト型の筐体の『ヘッドオン』は横画面だが、テーブル筐体によっては縦画面版も存在する ©SEGA

敵の動きに意識を感じた、初めてのゲーム

それと敵の車の動きも新鮮ポイントの一つでした。それまでのゲームは、どちらかというと反射神経が主体。『スペースインベーダー』なら敵の弾をよけて相手をやっつけるとか、『ブロック崩し』なら玉を落とさないようバーを動かすといったような、つまり相手の動きに合わせた反射神経が攻略要素でした。もっとも敵の動きのパターンを発見したり、相手の動きを予測するというような要素はありましたが、『ヘッドオン』の敵の車は、こっちの動きを見て、自分の進路を変更するという、いうなればAI的な(厳密にはAIではなく、単なるアルゴリズムだと思うけど)、敵に意識みたいなものを初めて感じたゲームでした

『ヘッドオン』の攻略は、相手の車の動きを予測すること。まず敵の車は、基本は1車線しか車線変更をしません。なので、こちらは大胆に2車線の変更を行うと、簡単に相手を巻くことができるのです。ただし例外もあります。実は相手も2車線の車線変更を行うことがあります。これは互いに低速で走っている際、まだ相手が車線変更できないタイミングで、こちらが早めに2車線変更を行うと、相手は車線変更できるポイントで一気に2車線変更をかましてきます。これが、「相手も考えている」って感じる要素です。

またこちらが2車線変更を激しく連続で繰り返すと、突然相手は車線変更せずにぐるぐると真ん中の車線のみを周回することがあります。これを仲間内では、敵の車が混乱して「暴走した」と呼んでいましたが、そういう相手の意識、性格みたいなものが感じられる点が新鮮でした。『ヘッドオン』は、このゲームを攻略してやるぞという意識が初めて芽生えたゲームでもありました。だから、お金をつぎ込むことになっちゃったんですが(汗)。

そんなこんなで、高速、低速の速度調整と、2車線変更をうまく使い分けることがゲームの攻略要素とわかってからは、とっても腕前が上がりました。当時は、相手の車が3台になってもなんなくクリアしていたので、もう長いこと「俺は『ヘッドオン』がうまいんだ」という自負がありました。

『ヘッドオン』が遊びたくて 集めました

80年代になり、マイコンゲームのブームが始まった頃(まだパソコンという言葉はなかった)、『ヘッドオン』は有名マイコンにほとんど移植されていました。当時はまだ雑誌内の記事で扱われるのみで、パッケージ化されるものは少なかったのですが、マイナーなマイコンユーザーの友人は、そんな記事を見て、自分で移植したりなど、当時のマイコンユーザーにはなかなかの人気でした。

パッケージ化されたものとしては、1982年にNECのPC-6001用に発売されたアスキー(現・KADOKAWAグループ)の『AX-6 パワード・ナイト』内に『ヘッド・オン』が収録されたのが有名です。これを思いっきり遊んだ記憶があります。

△メディアはカセットテープという時代物(高橋所蔵)

それからしばらく『ヘッドオン』は世の中から忘れさられた感があったのですが、テクモ(現・コーエーテクモゲームス)が1990年にゲームボーイ版『ヘッド-オン』を発売。

セガが1995年にセガサターン版『SEGA AGES/メモリアルセレクションVOL.1』に、2005年にPlayStation 2版『SEGA AGES 2500 シリーズ Vol.23 セガメモリアルセレクション』にそれぞれ収録。『SEGA AGES 2500 シリーズ Vol.23 セガメモリアルセレクション』は、セガメモリアルセレクション PS3版(PlayStation Storeにて発売)でも遊べるようになり、その頃からまた『ヘッドオン』の良さが語られるようになり、元祖ドットイートゲームとして認知されるようになりました。

△ゲームボーイ版『ヘッド-オン』(高橋所蔵)

現行で遊べる『ヘッドオン』は、それぞれ懐かしのハードとパッケージが必要になるわけですが、レトロゲームブームの昨今は、手に入れるのもそんなに難しくはなさそうです。

ちなみに自分は、この原稿を書くために久しぶりにセガサターンの『SEGA AGES/メモリアルセレクションVOL.1』で『ヘッドオン』を遊んでみましたが、いやはや自分の腕の衰えに驚きが隠せません。どうにかこうにか2台目の車が登場するまでは行けたのですが、今回、その先に進むことができませんでした……。もしかしてソフトを寝かせている間にゲームが勝手に進化した?

△セガサターン版『SEGA AGES/メモリアルセレクションVOL.1』(高橋所蔵)
△移植版『ヘッドオン』は、アーケード版と縦横比が異なる ©SEGA

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