大堀所長&メンバー石黒氏の「初めてハマった80年代のアーケードゲーム」

  • 記事タイトル
    大堀所長&メンバー石黒氏の「初めてハマった80年代のアーケードゲーム」
  • 公開日
    2018年01月08日
  • 記事番号
    157
  • ライター
    IGCCメディア編集部

今回は、ゲーム文化保存研究所(IGCC)の設立メンバーである大堀康祐所長とキバンゲリオンこと石黒憲一さんに、インタビュー形式で子供時代に初めてハマった80年代のアーケードゲームについて伺いました。初めてハマったゲームは何なのか、また当時どんなふうに遊んでいたのかをお話しいただきたいと思います。

ゲームに造詣が深い二人の気になるゲーム体験

編集部 今回は、大堀所長と石黒さんに「私が初めてハマった80年代のアーケードゲーム」をテーマにお話を伺いしたいのですが、これ1本に絞るのは難しいとのことですので、二人の人となりがわかるように、その頃にハマったゲームとその環境について、自由にお話いただければと思います。よろしくお願いします。

石黒 よろしくお願いします。

編集部 ちなみに80年代初頭は、いくつぐらいの頃のお話なんですか

大堀 キバンゲリオンは当時のゲームのかなり濃い話をするので、僕と同じようなおっちゃん(取材時51歳)と思うじゃないですか?
でも本当は僕と彼の間には年齢的に10歳ぐらい差がありますからね。それなのに当時のゲームの話を同じレベルができるわけです。
今の年齢になって10歳ぐらいの差はたいしたことないかもしれないけど、たとえば『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)の時代なんて、当時、僕は小学6年生だけど、この人たぶん幼稚園とかだよね。それで同じような知識を持って語れるので本当はこの人何歳なんだ?って思いますよね(笑)

編集部 石黒さんは、どうやってそのゲームの知識を得られたんですか?

石黒 当時自分がゲームを遊んでいた場所というのが、駄菓子屋とか玩具店なので、ゲームセンターで売り上げがなくなったような古いゲームがどんどん流れてきて、それを店頭で安く営業するという形なので、ゲームの流行のあと追いができたんですよ。

編集部 その頃に遊んでいだ場所は、ゲームセンターではなかったということですね。

石黒 最初のホームだったのが地元のスーパーの屋上で、親が買い物をしている間、そこに預けられていたんですよ。そこは古いゲームもあれば新しいゲームもあったんです。そのときのほうが人生のピークというか…。

一同  (笑)。

石黒 なのでやたら覚えてる(笑)。

大堀 子供だから鮮烈だったんでしょうね。見たことに対してね。

石黒 赤ん坊のときの自分の使ってたガラガラとか、自分が入っていた柵の色まで覚えていて、その頃のことのほうが昨日のご飯より覚えているんでしょうね。

編集部 子供の頃から客観的に物事を見る性格だったんですか?

石黒 自分の特徴を挙げるならば、父が古美術のマニアでそれを見て育ったのと、子供の頃は動植物の飼育をひたすらやっていたタイプなので、そういう物の見方でした。系統とか、派生とかが気になるんです。

編集部 分類することが自然に身についている?

石黒 それはあるかもしれません。あと関連付けて覚えるようなところがあります。だからゲームセンターも匂いだとか、そういうもので一緒に覚えてます。

編集部 いろいろな角度から物事を覚えていくイメージですかね?

石黒 元々、僕は動物や虫が好きだったので、いろんなものを飼っていましたが、『スペースインベーダー』(1978年/タイトー)とか『ドンキーコング』(1981年/任天堂)のパチモンが出たときに、これは生物で言うところの亜種だなとか、ゲームもそういう違いを見ていました。子供は、たとえばポケモンみたいな種類の多い物を集めたがるじゃないですか。僕はゲームのタイトルを集めたかったので、当時からノートを持ち歩いていました。

編集部 すごいですね。まだ小学校に入る前ですよね。

石黒 英語は読めなかったけど、絵のようにメモしていましたね。

編集部 幼少期に、どうしてそこまでゲームに惹かれたんでしょう?

石黒 特殊な空気を感じたんですよね。それを話し始めると話の趣旨がそれていっちゃいますが、要はゲームって自動販売機だなって気づいたんです。

編集部 どんなところでしょう?

石黒 飲料の自販機なら、お金を入れてボタンを押すとジュースが出てくるじゃないですか。ゲームは形にならない一時の楽しさを買う、というように思えると、それが衝撃的で…。自販機で遊びを売っていると感じてからは、とことんはまりました。

編集部 その時代にそう思ったんですか?

石黒 そうですね。最初にそれが衝撃で焼き付いたので、はまってしまったのかな。

編集部 すごいお話ですね。

大堀 ちょっと普通じゃない(笑)。

石黒 結局、ゲーム場というのがあって、そこに人が来て、業界があって、ゲームもその部品のようなもので…。だから最初、ゲームの基板を買ったときに、好きなものを買ったのに気持ちが満たされない。僕は今度その筐体の横にあったものも遊びたくなるので、そうして周りのものも集めていくうちに、それがどんどん膨らんで、最終的に業種そのもの、遊びの産業そのものが好きなんだと気が付いたんですね。だから自分が好きなゲームをやりに行く途中に立ち寄ったオモチャ屋の記憶もあるので、それも関連付けて覚えているので、そのオモチャまで集めるという感じですね。

▲当時のことを話すキバンゲリオンこと石黒氏(左)と大堀所長(右)

編集部 なんとなく繋がってきましたね。

石黒 当時に見ていたアニメやその資料、グッズなども集めてたりとか…。結局、ひとつ
のものを追っかけているだけなんです。端から見るといろんなジャンルのものを集めているように見えるけど、僕の中ではひとつの世界なんです。

編集部 すべてスーパーの屋上のゲーム場に繋がるわけですね。

石黒 そうですね。自分の場合は、ゲームセンターを回っているか、古本屋さんを回っているか、それか虫を取りに行っているかだったんですが、虫取りに行っても古本屋に行っても、その近くの駄菓子屋やゲーセンに寄ったりしていたので、それも全部繋がって覚えているというイメージですね。

編集部 虫取りと並列にゲーセンがあるというのもすごいお話ですね。

石黒 だからゲームも亜種というように見ちゃうんですね。

ゲームは遊ぶよりも分類が好き?

大堀 キバンゲリオンは、自分とゲームのタイトルの話をすることがあまりないよね。好きなゲームの話とかしないよね。

石黒 好きなゲームありますよ。話もしますよ。

大堀 いや、普段、僕とそういう話をしないよね。ちなみにハマったゲームとかってあるの? 自分も今まで聞いたことはないけど。

石黒 ありますよ。90年代のガンシューティングで全国トップを2回とってますよ。格ゲー、特に『ストIIX』(ストリートファイターⅡX 1994年/カプコン)は大会も出ましたよ。

大堀 それって、新し系だね。

石黒 いやいや、もう20年以上前ですよ。

一同 (笑)。

大堀 最近、かなりショックなことを彼に言われたんです。「大堀さんの言ってるレトロゲームって、今の人たちが言うレトロと違いますよ」って言われて、「今は何?」って聞いたら「今の人たちのレトロは『ストII』以降ですよ」言われたんですよ(笑)。うちらの中で『ストII』は結構新しいよね。

編集部 そうですね(笑)。

石黒 僕らがたとえばチェッカーズが良かったって話をしているのに、そこで周りは加山雄三の歌の話をするのかみたいな、もうそれぐらい差があることで、『バーチャファイター』(1993年/セガ)が好きって話で、自分は『パックマン』(1980年/ナムコ)が好きって言っちゃうと、すでにそこに10数年の差があるわけじゃないですか。そういうことですよね。

編集部 かなり本題とは違った話で盛り上がってしまいましたが、そろそろ本題の幼少の頃にハマったゲームの話をしていきたいのですが…。

大堀 ちなみにキバンゲリオンがさ、ノートを持ってメモをして歩いていた頃って、どんなゲームで遊んでたの?

石黒 一番は、『スナップジャック』(1981年/ユニバーサル)ですね。

大堀 あのゲームが現役の頃は、僕が中学生か高校生ぐらいかなー。

石黒 1981年なんですが、あれの純正のアップライトで遊んでました。

編集部 どこで遊んでいたのですか?

石黒 スーパーの屋上ですね。ユニバーサルの筐体でした。あれって突然、上にヤカンが飛んできたりするんですが、それがシュールだったんですよ。美術だとダリが好きだったんで(笑)。

編集部 なるほど。

石黒 水が無いのに魚がいたり、ゲームと直接関係ないのに、いきなり沈黙があったかと思うと突然ヤカンが飛んできたり、なんとなく不思議な雰囲気が好きでしたね。

大堀 あの頃のユニバーサルのゲームって、他の会社のゲームと色使いも全然違っていたからね。

石黒 そうなんです。どのキャラも不思議な生き物なんです。少ないドットで描かれているゲームという空間でしか生きられない生き物なんですよ。そんな不思議な世界に魅了されたんですね。

編集部 これまでのお話と繋がりますね。

石黒 長いことゲームで遊んでいたから他にもやりこんだゲームはありましたけど、『スナップジャック』は繰り返し遊びました。

大堀 他って、たとえばどんなゲーム?

石黒 『モンスターバッシュ』(1993年/3D Realms)も良くやりました。

大堀 『スナップジャック』もすごいけど、『モンスターバッシュ』も相当レアだよ。自分が行っていたゲームセンターってセガ系じゃなかったから、特に『モンスターバッシュ』に遭遇する機会が少なかったのと、あと難しかった記憶があるんだよね。

石黒 あれはまず基板がでかいので、大きなゲーセン(物理的に)にしかなかったんですよ。当時僕は『モンスターバッシュ』をより周回できるように仲間と競い合っていたんですが、それがある日突然そのゲーセンになくなってしまって、それから『モンスターバッシュ』を探す旅に出るんです。
それから1、2年後に、またオモチャ屋の前で出会うんですが、ゲームはゲーム場があれば再会できる可能性があるということにも魅力も感じました。

編集部 基板が大きいからでかいゲーセンにしか入らないというのは当時から知っていた情報なんですか?

石黒 僕はどこに行けば何が遊べるかというのも調べていたんです。ゲームのレアリティではなくて、純粋に好きで遊びたかったから調べていただけですが。

大堀 さすがに基板がでかいというのは当時知らなかったでしょ?

石黒 筐体がでかいというのは、覚えています。でかいというか、他のセガの筐体とは違うのを覚えていますね。

編集部 今回は、ハマったゲームを1本ずつご紹介する企画なんですが(笑)。本当に何でも遊んでやろうって感じだったんですね。

大堀 キバンゲリオンが『スナップジャック』と『モンスターバッシュ』を遊んでいるところを見てみたいな(笑)。

石黒 僕が大堀さんと違うのは、うまくない。初見でいきなりバリバリやるタイプではないので、じっくりと数をやっていくタイプでした。というのも100円じゃなかったですからね。『スナップジャック』と『モンスターバッシュ』は新作だから高いけど、それでも50円ぐらいですから、数をやってました。やっぱり動物が好きだっこともあって、ゲームの中にそういう変な生き物が出てくるのが好きでしたね。

編集部 やっぱり虫取りの影響なんですかね。

石黒 あとは変な世界、『ラジカルラジアル』(日本物産)とか1982年ですけど、タイヤが走って行くんですが、そういうのも好きでしたね。これ作った人、どんな頭なんだろ? みたいな。

編集部 それもシュールの世界ですね。

石黒 シュールですね。ゲームの中におけるシュールですね。それが楽しかったですね。

石黒 小学校低学年ですね。僕、子供の頃は学校の図書室に入り浸りで、良く美術書を見ていたんです。美術書なんで活字じゃなくて絵じゃないですか。それを見ていると、『記憶の固執』でしたっけ、溶けた時計のダリの絵とか、ああいうのにハマってしまうわけですよ。それで不思議なものに惹かれるようになって、ゲームの中でも、そういうものが好きになっていくみたいな感じでしたね。

編集部 ちなみにシュールの世界が好きだというのは、いくつぐらいの頃の話なんですか?

編集部 シュールを体感していたんですね。

石黒 なんか展開が読めないというか、そういう魅力ですかね。そういうゲームが好きでした。もちろん物語ですごい好きだったゲームもあります。1981年に発売されたタイトーの『スペースクルーザー』は、ゲームを進めていく上で、ひとつのストーリーが完成していくんですが、途中で反乱分子が出てきたり、最後に惑星を破壊するためにドッキングするという、それは物語で初めて感動したゲームですけど、そういうのもやりますよ。

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