ゲームセンター聖地巡礼「1980代 京都」前編 2018年11月26日

  • 記事タイトル
    ゲームセンター聖地巡礼「1980代 京都」前編 2018年11月26日
  • 公開日
    2018年11月26日
  • 記事番号
    661
  • ライター
    忍者増田

『ファイナルラップ』実況の発祥?
女子供は来られない硬派ゲーセン

▲大堀所長が指差す「賃貸のエリッツ 今出川店」のある場所が、かつて「ビデオインマツヤ今出川店」だった。この付近にもう1軒ゲーセンがあったらしい

三原 俺の行っていたゲーセンでは、「ビデオインマツヤ今出川店」が、京都で最初にゲームを50円にした店だと思います。京都のゲーセン50円戦争の引き金になった店。その影響を受けて、「ビッグキャロット京都店」も50円になっていくんです。だから、東京のゲーセン行ったときはつらかったですよ。「100円かよ!」って。

大堀 僕ら東京者は、50円でゲームできる京都が羨ましかったですよ。

三原 でも、京都はアルバイト代が安いんです(笑)。当時、時給450円なんてのが普通でした。東京の「プレイシティキャロット巣鴨店」に行ったとき「バイト代700円」とか書いてあって、「何これ! ブルジョワ!」とか思いましたよ(笑)。

――250円分って、けっこうな差ですよね。

三原 「ビデオインマツヤ今出川店」は「ビッグキャロット京都店」と共に『ファイナルラップ』(1987年/ナムコ)で実況をしていた最初の店です。「はい、本日の80レース目です」とか、競馬中継みたいにレースをマイクで実況中継していた。

それがおもしろいということで、当時の「ビッグキャロット京都店」の店長がテープに録って、ナムコの会議でマイクパフォーマンスの成功ぶりを話し、そこから全国のナムコのゲーセンに広まったと俺は聞いていたんです。ところが最近、「いや、新宿の『プレイシティキャロット』が最初だったよ」と言われたりして、俺は「えーっ」という気持ちになっています(笑)。

――そこまで昔の話だと、なかなか真実を確かめるのが難しいですよね(笑)。

三原 近くに同志社大学があって、学生もたくさん来てとても賑わっていた店でした。ジュースのサービスもしていましたね。でかい50インチで『クレイジー・クライマー』(1980年/日本物産)が動いていたし、『スピーク&レスキュー』(1980年/サン電子)も入っていたな。

あと、縦階層で穴を開けて敵を下に落とすゲーム、なんでしたっけ? 要は『平安京エイリアン』(1980年/電気音響)の縦バージョンの…。

大堀 ああ、『スペースパニック』(1980年/ユニバーサル)ですね。

三原 それが、京都で最初に入っていた店が「ビデオインマツヤ今出川店」です。ここは、ゲーセンにナムコ旋風が吹き荒れる前の、京都のゲーム小僧が集まる店という感じでしたね。四条河原町のゲーセンなんかは観光地のお店というイメージですが、ここは観光客が遊びで入るゲーセンではなくて、100パーセント「ゲームセンター」していた店ですね。

――昔の「ゲームセンター」らしいゲーセンだったと。

三原 だからもう女性なんか見たことなかったですし、殺伐としていました(笑)。

――古いお店といえば、店名は分かりませんでしたが、今の「ジャンカラ 西院駅前店」(2階)に入っていたゲーセン(※A)は、インベーダーハウスの時代からあったそうですね。

▲現在は「ジャンカラ 西院駅前店」となっている2階に、かつてはゲーセンがあった。ビルの側面の色が変色している部分は階段があった名残り?

三原 はい。だから、俺が小学5~6年のころからあったゲーセンですね。今回訪問したら、ビルの1階が「LUCKY(西院ラッキー)」というパチンコ店でしたが、名前にうっすら記憶があるんで、そのゲーセンも「LUCKY」という名前だったかなぁ…。ここでは、『与作』(1979年/新日本企画)や『ディープスキャン』(1979年/セガ)、あと、モードを3つの中から選べるインベーダーゲームをやりました。

大堀 『スペースフィーバー』(1979年/任天堂)ですね。

三原 『スペースファイアバード』(1980年/任天堂)もありましたね。

大堀 それも任天堂ですね。(任天堂の本拠地)京都って感じがするゲーセンですね。

三原 レーザーディスクゲームの『ドラゴンズレア』(1983年/ユニバーサル)もやったな。あと『ギャプラス』(1984年/ナムコ)を1コインで延々とやっていて怒られた(笑)。店内は薄暗くて、ここも昔ながらのゲーセンでした。今回訪ねた中で、一番古いゲーセンだと思います。

ゲームのBGMを録音した「ニューキョート」
グリコ・森永事件に関連したゲーセンも…!?

▲三原氏がゲーム音楽を録音していた「ニューキョート」の跡地は、「ローソン 烏丸北大路店」となっていた

三原 「ニューキョート」は「ビデオインマツヤ今出川店」の後にできたゲーセンでした。ナムコが立ち上げた店だったんです。テーブル筺体のゲームはもちろん、アップライト筺体の『ボスコニアン』(1981年/ナムコ)や『キング&バルーン』(1980年/ナムコ)なんかが置いてありました。

――大堀さんの聞き込みで、現在の「ローソン 烏丸北大路店」が、「ニューキョート」跡地であることが判明しました。

三原 わりと普通のゲーセンだったんですけど、家を探せば、ここで録った音があると思います(笑)。

大堀 ゲームの音楽を録音していたんですね?

三原 はい。店にわざわざラジカセを持っていってね。『ボスコニアン』なんかをカセットテープに録って聞いていましたね。それらのテープを発掘して、聞くことができれば、この店にあったゲームのラインナップがもっと詳しく分かるかもしれません(笑)。

――当時、レコードにもゲームミュージックなんてジャンルがまだない時代でした。ゲーム音楽を家で聞きたい人は、そこまでしないと聞けなかったですよね。

▲京都大学近くの百万遍交差点にあるビルにもゲーセンがあった。グリコ・森永事件の犯人は、そのビルのコピー屋で脅迫状をコピーしたらしい

三原 訪問したときに、店の近くに「馬渕教室 北大路校」という学習塾がありましたが、そこは当時レコード屋さんだったんですよ。だけどコピー機を10台くらい置いていて、近くの大学の生徒が来るから、コピー代の儲けだけでもウハウハという店でした。

――それもまた時代を感じさせるお話ですね。コピー屋といえば、今回三原さんには、グリコ・森永事件(*01)の犯人が脅迫状をコピーしたというお店があったビルも教えていただき、興味深かったです。

三原 同じビルにゲーセンもありましたし、ついでの豆知識として…(笑)。


【次回予告】

▲京都に来たなら…と、任天堂の旧社屋にも立ち寄ってみた。現在は入ることはできないが、時代を感じさせる趣のある建物である

次回の「聖地巡礼 1980年代 京都 後編」では、京都最強のゲーセン「ジョイランドタイトー河原町店」跡地は今や…? そして伝説のゲーセン「人参倶楽部」の店名改名騒動と『ファイナルラップ』事件など、次回も濃いエピソードが満載です。次週公開予定。乞うご期待!

懐かしのゲームセンター住所一覧】

店名住所現店舗
ビッグキャロット京都店京都市上京区河原町今出川下ル梶井町447-14 プランタンビルB1FLive House SOCRATES / Studio SIOUX
GAME’s WiLL京都市左京区一乗寺高槻町20-1AVRIL pépin(アヴリル・ぺパン) 京都 一乗寺
ビデオインマツヤ今出川店京都市上京区烏丸通今出川上ル今出川町329賃貸のエリッツ 今出川店
店名不明(※A)京都市右京区西院高山寺町14-3 2Fジャンカラ 西院駅前店
ニューキョート京都市北区小山上総町10-1ローソン 烏丸北大路店

※上記のデータは本記事に登場する各ゲームセンターがあった現在の所在地です。

三原 一郎 氏

1968年生まれ。京都府出身。立命館高等学校を卒業後、京都芸術短期大学に入学。タイトー在籍時は『パズニック』、カプコン在籍時は『ロックマン5』『ロックマン6』などの開発に携わる。1995年、西谷亮氏(アリカ社長)と共に株式会社アリカを設立し、『ストリートファイターEX』や『テトリス ザ・グランドマスター』などを開発。約30年にわたりゲームを作り続けている人物。現在はアリカ取締役副社長。
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忍者増田

脚注

脚注
01 グリコ・森永事件 : 1984、1985年に起きた、江崎グリコや森永製菓などの食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。「かい人21面相」を名乗る犯人グループによるグリコ社長誘拐事件(のちに自力で脱出)から始まり、グリコや森永に対する脅迫や、毒物入り菓子の店頭放置などを実行。2000年2月、未解決のまま時効が成立した。

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