ゲームセンター聖地巡礼「1980年代 京都」後編
アリカの三原一郎氏が、当研究所の大堀所長と共に、1980年代に通っていたゲームセンター(以下、ゲーセン)跡地を巡り思い出を語る「聖地巡礼」シリーズ第3弾。
前回の「京都 前編」に続き「京都 後編」をお送りします。「後編」もかなりのボリュームとなり、貴重なエピソードが満載です。見逃さず最後までお楽しみください。
ゲーセン顔負けのラインナップ
『けいおん!!』にも出てきた「スポーツランド北白川」
――今回の探訪では、ゲームコーナーがあった「バッティングセンター跡地」にも立ち寄りました。当時はバッティングセンターにもゲーム筺体が置かれていましたね。私の実家の近くのバッティングセンターにもインベーダー筺体が設置されていて、子供たちはバッティングなどやらずにゲームに興じていたことを思い出しました。
大堀 僕が最初に行っていたのもバッティングセンター併設のゲームコーナーでしたね。
三原 俺が行っていたバッティングセンター「スポーツランド北白川」は、友達と「ぼったくりセンター」と呼んでいました。100円入れて、よく飲みこまれちゃっていたんです(笑)。ここは、京都では珍しかった24時間営業店。建物はだいぶくたびれていたんですが、ビリヤード場やゲーセンもあった。
―― その「スポーツランド北白川」は、現在はスーパーマーケット「ライフ北白川店」になっていましたね。
三原 今回久しぶりに訪ねてみたら、記憶より縮まっている気がしますね。もっと昔は大きかった気がしますけど、うーん、でもこんなモンだったかなあ。店の前にチャリンコがたくさん並んでいたけど(写真参照)、当時の駐輪スペースは今みたいに広くなかったと思いますね。
大堀 ゲームはたくさんあったんですか?
三原 真ん中がバッティングセンターになっていて、その周りを囲うような形でテーブル筺体やアップライト筺体が1周ぐるっと回って置いてあったんで、相当な台数がありましたよ。バッティングセンターのスペースはそんなに大きくなくて、4~5打席ぐらいだった気がします。
――どんなゲームがあったのでしょうか?
三原 『ウイニングラン』(1988年/ナムコ)の筺体があったのを覚えています。大抵のゲームはありましたよ。『WECル・マン24』(1986年/コナミ)も入っていたのに、『サスケvsコマンダー』(1980年/新日本企画)も入っていた、みたいな。
――時代を越えてラインナップが豊富だったんですね。
大堀 夢のようなバッティングセンターですね。
――もう1軒、三原さんが行っていたというバッティングセンター跡地(※A)は、スポーツクラブとなっていましたね。
三原 ここは名前も思い出せないバッティングセンターなのですが、ファミリーが多く、ヤンキーがあまりいなかったので、安全にゲームを遊べた記憶があります。『ドルアーガの塔』(1984年/ナムコ)があって、「ナムコの新作だ!」と喜び勇んでプレイしたのですが、途中のステージで真っ暗闇になってどうにもならず、クソゲーと勘違いしてやめてしまった思い出が…(笑)。
――クリアの仕方が分からないと、『ドルアーガの塔』はそうなりますよね。
三原 『ラリーX』(1980年)、『ニューラリーX』(1981年)、『フォゾン』(1983年)など、ナムコ系のゲームがしっかり入っていましたね。テーブル筺体がメインで、50台くらいありました。
――普通のゲーセンに見劣りしない台数ですね。バッティングセンターで十分にアーケードゲームが遊べた時代だったのですね。
京都最強の品揃え「ジョイランドタイトー河原町店」
――「ジョイランドタイトー」の名がついた店舗の跡地を2軒ほど回りましたが、特に「ジョイランドタイトー河原町店」は当時、京都最強のゲーセンだったと伺いました。
三原 大きなゲーセンでした。タイトーの直営店で、常に最新ゲームが配置されていて品揃えは完璧。アーケードゲームは70台以上ありましたね。『ダライアス』(1986年/タイトー)のロケテストもしていたし、『レーザーグランプリ』(1983年/タイトー)や『ドラゴンズレア』(1983年/ユニバーサル)、『スペースエース』(1984年/ユニバーサル)などのレーザーディスクゲームもありました。
タイトーのゲームを、京都で最初にロケテしていた店でもあったみたいです。さらに、ピンボールの新台が15台くらいありました。
大堀 アーケードゲームが70台というのもさることながら、ピンボールが15台あったというのもすごいですね。
三原 ウィリアムスのピンボールが置いてありましたね。『ファイヤーパワー』(1980年)とか『ファラオ』(1981年)とか。
大堀 タイトーさんは当時ピンボールをけっこう輸入されていましたもんね。
――「ジョイランドタイトー河原町店」は、その後「河原町イーゴス」というパチンコ店になったようですね。
三原 ここは一度、タイトーがリニューアルして4~5階建てのゲーセンにしたんですけど、その後に手放したんだと思われますね。
――私たちが跡地を訪問したときは、そのパチンコ店も閉店した直後で、これからホテルに建て替わろうとしていたところでした…。
大堀 切なかったですね…。
――そしてもう一方の「ジョイランドタイトー美松店」ですが…。
三原 こちらのゲーセンもデカかったです。アーケードゲームの品揃えが豊富なのはもちろん、ピンボールも8台くらいありました。
――跡地を訪ねたら、忍者レストラン「NINJA KYOTO」になっていたとは…。
大堀 忍者増田さん的にもそそるものがありますね(笑)。
――そうですね(笑)。「NINJA KYOTO」というお店は知っていましたが、かつてここにそんな有名なゲーセンがあったとは知りませんでした。しかも、建物の隣に「美松」という会社もありましたし、跡地としてほぼ確定的でしたね。
大堀 残念ながら「美松」の受付の人はまだ若い方で、当時のことは知りませんでしたけど…。
――ここでも大堀さんの貪欲な聞き込みが炸裂したのに、少し残念でしたね(笑)。
三原 この「ジョイランドタイトー美松店」で、当時俺はバイトしていました。「コスモ星丸」のロボットがいて、俺が操作していました。
――あ、調査したところ、それはタイトーが開発したイベント用ロボット「ゆめ丸」である可能性が高そうです。
三原 ああ、俺の記憶違いでしたか。違うロボットだったのに、俺はどこかで「コスモ星丸」だと勘違いしちゃっていたんですね。
――「コスモ星丸」はつくばの科学万博(1985年開催、国際科学技術博覧会)のマスコットキャラクターですね。確かに形状は似ていますし、互いに名前に「丸」がついていたのも要因かと。
三原 まぁ、そういう大きなロボットがいて、ラジコンのリモコンで動いたんです。前進も後進もできて、手も動く。カメラもマイクもついているから、喋って子供たちとコミュニケーションを取っていました(笑)。子供たちが驚くリアクションがおもしろかったですね。